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アウトブレイク

「ぜやああああぁああっッ!」

 ちょうど撤退の合図が鳴った時、おれはここら付近の最後の一匹の足を仕留めていた。ウツボカヅラの頭部だけになって転がった蝕虫植物は悲痛な叫び声をあげて横たわる。

「トドメも刺さずに帰れるかよ……」

 そのままおれはウツボカヅラの側頭を踏みつけるように着地して、何度も何度もバーナー・ブレードを突きつける。

「おぉら! おら! おらあぁッ!」

 満たされない何かを晴らしたいかのように、おれは何度も何度も刃を叩きつけてウツボカヅラがズタボロになるまで痛めつける。

 だが、それでもおれの気分が晴れるようにはならなかった。

「もうやめて、槍矢! もう十分死んでるじゃないの!」

 背後でおれを制止しに来た咲耶の叫ぶ声が聞こえる。

「……何故止めるんだい? 咲耶、君だって知ってるだろう? こいつらは両親の仇だってことを……」

 いよいよ本格的に降り出してきた雨に打たれながら、おれは霧がかった暗い空を仰ぐ。

 ああ、思い出す。

 あの日もちょうどこんな夕立が降り出していた日暮れ時だった……。



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 それは10年前、おれがまだ8歳の小学生の頃だった。この時おれはまだ何も知らずに、樫田村という村落で農家の両親とともに暮らす平凡な少年だった。樫田村は小学校の全校生徒が一クラスにまとまってしまうような小さな村だったが、村民のほとんどが知り合いということもあって、思いやりや愛に満ちた幸せな村だった。

「ただいまーっ! 行ってきまーす!」

 おれは自宅に帰り着くなり、ランドセルを放り投げて裏山の作りかけの秘密基地へと向かう。

「晩ごはんまでには帰ってくるのよー」母さんの声におれはハーイと返事をしながら蝉のけたたましく鳴く裏山へと向かう。

 まさに自然に生きて、自然に生かされた平和な日々だった。そう、あの頃のおれは山が大好きだったのだ。



「そろそろ帰るかな……」

 秘密基地で木登りや吊りロープでのターザンごっこを楽しんだおれは、そろそろいい加減に帰路へとつくことにした。もう夕刻になって薄暗くなり、空の雲行きも怪しくなってきたので、おれはいつもと違う近道のルートで山を下りようと歩き出す。

「ん? 何だあっちの竹林は……なんか光ってるぞ?」

 遠くにほのかに白く光る竹林が見えた。近づいて見てみるとそれはたくさんの笹の葉の付け根から飛び出て生えている小さな花弁だった。

「すげぇ……竹って花が咲くのか……。綺麗だな……」

 そういや父さんに聞いたことがある。竹はイネ科という、いつも自分たちが育てている稲と同じ仲間で、極稀にとても小さくて地味な花を一斉に咲かせるのだという。これらの話はこの樫田村でもたくさん伝承として伝わっているらしく、それによると竹の花はおよそ120年周期で開花するらしい。昔に亡くなったおれのおじいちゃんもその花を見たことがあるそうだ。

「へぇ~……これがそうなのかぁ~……たまたまこんな光景が見れるなんてついてるな……」しばらくおれは時間を忘れてそれらの花に感慨深く見入ってしまう。

 しかし、空からゴロゴロと雷雲の音が聴こえるとおれは我に返る。

「……っとヤバい、こんなことしてる場合じゃなかった……夕立ちが降る前に早く帰らないと……」おれは慌てて再び帰路へつこうと駆け出す。

 しかし、その焦りがいけなかった。花に気をとられて足元をあまりよく見ていなかったのである。

「うわわッ!?」葉っぱに足を滑らせて、そのまま斜面下へと滑落してしまう。

「いてててて……」土煙の中、尻もちをついてしまったおれはゆっくりと起き上がろうとした。

 だがその瞬間、自分の左足に激痛が走るのに気が付く。

「あ……、何……だよ……コレ……」おれは絶句した。

 なんと、裂けている少し太めな竹が、自分の左足の平を貫いていたのである。それはまるで地面から生えている竹ヤリのようだった。見事に肉は貫通されていて、そこから血が滴り落ちている。

「う……、うわあああああああッ!」

 徐々に痛みが広がっていくのを感じた。激痛に身を悶えさせて泣き喚く。しかし、およそ直径3センチもあり、自分の背丈ほども長いその竹は、まだしっかりと地に根付いていて、簡単には取れない。しかも、もがけばもがく程に左足に尋常じゃない激痛が走り、涙が湧き出る。

「だ……誰か助け……」

 心が絶望に染まってゆく。こんなとこに人なんか来るワケがない。一瞬、このまま死ぬのではないかという考えが頭をよぎった時、背後から声がした。

「あらあら、どうしたのボク?」

 物音を聞きつけてやって来たのは、麦わら帽子にツインテールのおさげを揺らしたワンピース姿の一人の少女だった。歳は自分より二歳程上のお姉さんだろうか。こんなところに何故、村でも見かけない少女がいるのか一瞬不審に思ったが、この際助けてくれるなら何でもいい。

「あらまぁ大変! はやく応急処置をしないと!」

おれの危機的状況に気が付いた彼女は慌ててポケットから折り畳みナイフを取り出し、慎重に足元の竹を根元から切断しはじめた。

「大丈夫よボク、もう少しの辛抱だからね。お姉さんがついているから」と優しい声で慰める。

 その声に応えるようにおれはぐっと涙を堪えた。

「えらいわねボク、名前はなんて言うの?」

「お……おれは笹切槍矢……」

「そう、いい名前ね。ワタシは呉竹咲耶って言うの、咲耶姉ちゃんって呼びなさい」

 どうやら彼女はこの夏に遊びに来た、とある村民の遠い親戚らしく、ここの竹林にはタケノコ狩りにやって来たのだと言う。

「うう……、痛い……痛いよう…」

 ようやく切断できた竹をゆっくりと左足から引き抜き、血みどろになった足を、傍に生えてたタケノコの皮で縛って止血する。

「おうちはどこ? 姉ちゃんが送ったげる」

 意外と力はあるようで、彼女はおれを平気な顔でおぶって持ち上げる。そんなに歳は変わらないはずなのに、おれにとってその背中はとても大きなお姉さんに見えた。

「うん……あの水車小屋の角を曲がったらおうちはすぐそこ…………」

 そのはずだった。しかしさっきの出来事といい、もうこの時から山たちは牙を剥きはじめていたのである。既にいつもの故郷の姿は行きと帰りで全く違うものになっていた。

「なん……だよ……これ、村が……」

 信じられない光景だった。見たこともない巨大な棘を持つ茨たちが笹切家の自宅に大量に巻き付いていたのである。

それどころか他の民家にも覆い茂っていて、樫田村はまるで茨の森のようになっていた。

「なっ!? 父さん、母さん!?」

 そこには父さんと母さんが茨の蔓に縛り付けられて、屋根の上に持ち上げられているのが見えた。

「ばっ、化け物……!」

 明らかに両親はすでに死んでいた。茨の太い棘に全身を串刺しにされておびだたしい血が噴き出ている。

「シッ! 声を出しちゃダメ、気付かれる!」咲耶が慌てておれの口を塞ぐ。

 どうやらこの茨の蔓たちは明らかに人間たちを狙った動きをしているようだった。家に巻き付いた茨はまるで触手のようにウネウネと動いて今も獲物を探している。

 やがて、茨の蔓はゆっくりと、奴らの頭部と思われる巨大なウツボカヅラの穴へと両親を運んでゆき、その真上で両親の身体をバラバラに引き裂いてその肉塊を大きな口で飲み込んでしまった。

「あぅ……あ……、ああああああああああああ!」

 その後の記憶はあまり定かではない。どうやらおれは目の前で見せつけられたあまりに無惨な光景に気を失ってしまったらしい。覚えているのは自分が何もできなかった無力感とこの憎しみだけである。

 咲耶に後から聞いた話だと、咲耶が必死でおれをおぶって山のふもとの町まで逃げたので、おれは生き残れたらしい。まさにおんぶに抱っこという訳だ。

 そして、後に〈蝕虫植物〉と呼ばれた茨の怪物たちはあっというまに山の田舎から都会へと侵食して世界全土を覆い尽くし、生き残った人々は地下への生活を余儀なくされた。

 そう、つまり人類は植物たちに復讐されたというわけである。



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「そう! 森たちはおれを裏切ったんだ!」

 おれは降り出してきた雨に打たれながら、乗っかかっていたウツボカヅラの頭部から飛び降りて咲耶の前に向き合う。

「だからおれは一刻も早く奴らを焼き尽くさなきゃならねーんだ! 故郷を取り戻すために!」

 全てが憎かった。蝕虫植物どもも、あの頃の何も出来なかった自分自身も。

 だからその後、おれは生き残りの人たちから結成された防衛軍へと参加し、必死の思いで猛訓練してやっとここまでの力を手に入れたんだ。

「焦らないで! 大丈夫よ。わかってるから……」

 焦燥感で溢れたおれを制し、咲耶はそっと抱きしめる。

「う……、うるさいっ、さわんな……」恥ずかしくなったおれは彼女をはねのけて、さっさと地下施設へと帰ることにした。

 全く、コイツは出会ったあの時からそうだ。別に血の繫がりがあるわけでもないのに、あの日以来からずっと一緒に避難生活を共にして、おせっかいな姉貴面をする。命の恩人であることに変わりないのだが、もうそんなに世話をかかれ続ける歳ではない。

「槍矢…………」

 雨に打たれる咲耶を置いて、おれは雨粒を斬り裂くように飛び立っていった。

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