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第二話


          でも、どうしてバーバラなのさ?

というわけで、(どういうわけで?)第三回会合である。
珍しく日、月とヤボ用ができ(ぼくとミッチ)、火曜はバーバラがお出かけとかで、水曜の放課後になった。場所はまたポプリ。バーバラがおごそかに開会宣言する。
「では、大バカ研の第三回会合を始めます」
おいおい、温知クラブでも、レトロ研究会でもないのかよ。
「ん? 大バカ研でいいよね。だって絶滅危惧種問題研究会じゃ、長すぎるよね」
「オレはいいけどさ。バーバラ、抵抗感ないの? 大バカなんて」
「ぜーんぜん。シンちゃんもいいよね」
「いいよ。どうせ、また変わるような気がするし」
「ではそういうことで。ええと、では宿題からやりましょう」
え、宿題なんて、あったっけ?
「これまで一番感動したバカの実例を一つずつ挙げて下さい。はい、シンちゃんから」
「ええ? ちょっと、ちょっと待ってよ。ええと、感動したわけね、そうだなあ…。あのね、中学のとき、授業中にずっと窓の外を見てたやつがいたんだよ。ずうっと。先生も気付いてたけど、そのうち止めるだろうと思って何もいわなかった。でも、全然やめない。とうとう先生、切れちゃった。こらっ!いい加減にしろ。お前はさっきから何を見てるんだ。そしたら、そいつ、こう言ったんだ。あそこに煙突がありますね。あの高い煙突…」
「え、煙突を見てたの? それで感動したわけ?」
「続きがあるんだよ。彼はこう言った。あの煙突のてっぺんにカラスがとまってますよね…。カラス? カラスがどうした? そんで、きょうはかなり風が強いじゃないですか…。だから、それがどうした? だからですね、あの煙突のてっぺんはどのぐらい揺れてるんだろう。カラスは平気なんだろうかと…」
突然ミッチが叫んだ。「あっ、それ、オレの話じゃないか」
「そうだよ。お前だよ。いやあ、あれはシュールだったなあ」
「オレはただ、真面目に答えただけだよ」
「それがおかしかったのよ。あの時の先生の顔ったら…。人間てさ、ほんとにポカーンと口を開けることがあるのね。ともかく、ぼくはあの時から、ミッチに一目置くようになったんだよ」
「ほんとかねえ。ま、周りの連中は引いちゃったけどな。あの時はみんな笑いころげたくせに」
「あのさ」 バーバラが口をはさむ。
「そのカラスって一羽だったの?」
「そうだよ。どうして?」
「たった一羽で、風の強い日に煙突に止まってたわけでしょ。そんなとこで、何考えてたのかな」
「そうだろ? そう思うだろ? オレもそういうこと、ぼんやり考えてたわけよ。そしたらすっかりカラスの気分になってさ、なんだかもう、揺れてる煙突の上にいるような気がして…」
「分かる分かる、すごく分かる。授業どころじゃないよね」
カラスと煙突ですっかり盛り上がっている。大丈夫? 君たち。
「じゃ、今度はミッチね。ミッチが感動したのは?」
「そりゃ、オレもこいつについてはいろいろあるけどさ、二人でエール送りあってもしょうがないし。やっぱり、あれかな、『あたしのことはバーバラと呼んで』事件かな」
「なによそれ、あたしが大バカなの? それに、それって事件なの?」
 「バカは、この際ほめ言葉だろ? それにあれは、りっぱな事件だと思うな。みんなブッたまげてたもん。……あのさ、まだ聞いてなかったけど、そもそも、なんでバーバラなのよ?」
 「え? あれ、話してなかったっけ? うちのママがね、バルバラって人の熱烈なファンだったの。フランス人の歌手。知らない? で、なぜだか分からないけど、あたしのことを小さいときから『バルバラ』って呼ぶのよ。初めのうちは変なのって思ったけど、そのうちバルバラでもいいかなって思えてきて…。一つぐらい親孝行しようかな、みたいな」
 「バーバラじゃなくて、バルバラ?」
 「ほんとはね。でもバルバラだと言いにくいでしょ。自然に伸びて、バーバラになっちゃった」
「ふうん、あのさ、萩尾望都の『バルバラ異界』ってあるじゃん。あれは関係ないの?」
 「シンちゃん、よく知ってるね。あたり! あれもママの愛読書。いや、あたしの愛読書かな。なんとなく意識はしてたかも」
 「あと、ロジェ・バディムの荒唐無稽な『バーバレラ』なんて映画もあったね。ジェーン・フォンダが変なマシンで責められる…」
 「やあねえ。ちょっとエッチなSFでしょ。それは関係ないと思うけど、うちの親、何考えてるか分からないからなあ」
「でもさ、話は戻るけど、別に学校でまでバーバラって呼ばせなくてもいいんじゃないの?」
「だから、それはあたしの問題なのよ」
「へ?」
「あたしの大脳がね、もう自分のことをバーバラって認識してるわけ。七海じゃなくって。……ママなんか、七海って名前ももう覚えてないんじゃないかな」
「そりゃ、ひどい。だったら、はじめからバーバラって名前つければいいのに」
バーバラは小さくため息をついた。
「んん、そこがちょっと微妙なのよね」
「どういうこと?」
「ママはたぶん、バーバラって命名したつもりなのよ」
「確かめてないの?」
「下品だもの。踏み込んじゃいけないことって、誰にでもあるでしょ」
 「そういうもの?」
 「そういうものよ」
 「ま、いいや。ええと、じゃあ今度はバーバラの番ね」
 「少し話が長くなるけど、いい?」


          麻の木の上を毎日跳んでたんだって

 というわけでバーバラの「少し長い話」が始まった。
と言いたいところだけど、この日は妙な成り行きで時間切れになってしまった。バーバラのスマホが突然鳴り(バイブだけど)、メールを読んだバーバラは「変だな」とか呟きながら、「ごめん。どうもヤボ用ができちゃったみたい。ええと、四回目はまたメールするね。ほんとにゴメン」、そう言い残して店を出ちゃったんだよ。
で、当然のごとく僕とミッチは後をつけました。ストーキングじゃないってば。バーバラの様子がちょっと変だったんだ。なんか嫌なものを口に入れてしまったような顔してた。
五分ばかり後をついていくと、バーバラは西公園に入っていった。前に行った野草園から下ったところにある、結構大きな公園。ますます怪しいぞ。だいぶ日も暮れてきたし、バーバラ、用心しなきゃだめだよ。
入り口から五番目ぐらいのベンチに座っていた人影がすくっと立ち上がった。バーバラと何か話している。木陰に隠れながらそっと近づいていくと、ありゃ、あれは隣のクラスの宗像良子じゃないか。さらに近づくと話し声も聞こえてきた。
「だからね、あんたのそういうわざとらしいところがヤなのよ。なにがバーバラよ」
宗像が一方的に喋っている。
「少しぐらいかわいいと思って、いい気になってんじゃない? だいたい矢野と吉村と男を二人連れてさ、どういう積もりよ。いつも三人でベタベタ引っ付いて。あいつらも、あいつらだよ、バッカじゃないの」
げっ、矛先がこっちに向いてきた。まあ、バカであることは事実だけど。
「何すました顔してんのよ。七海、なんか言いなさいよ」
そうだ、バーバラなにか言いなよ。宗像、興奮してきたぞ。
「わたしのことはバーバラと呼んで」
あちゃー、それ、逆効果だよ。案の定、宗像は激昂した。
「許せない。もう許せない! しおらしく謝ったら勘弁してやろうかと思ったけど、七海、あんた、自業自得だよ。バカヤロー」
言うなり、宗像は蹴りを入れてきた。コワイな、宗像。ふだんお嬢様フェロモンを振り撒いてるくせに。
 バーバラは後ずさって蹴りをかわした。空振りした宗像はさらに興奮して二発目の蹴りを繰り出した。が、体勢を崩したまま無理に蹴ったので、バーバラにあっさりかわされ、はずみで派手に転倒してしまった。もんどり打つって、こういうのを言うんだろうな。両脚を高く上げたまま後ろにひっくり返って、暗がりの中でも白いパンツが丸見えだよ。それでも宗像はすぐ立ち上がり、意味不明の叫び声を上げながらバーバラに飛びかかっていった。このあたりで、もう止めなきゃ。
 「おおい、おまえら、なにやってんだよう」
 口元を手で覆って、わざとのんびりした声を出し、少し間を置いてゆっくり2人のほうへ歩いて行った。宗像はフリーズする。バーバラは笑っている。
 「あらら、2人とも帰ったんじゃないの?」
 「少し散歩。たまたま近くを通りかかったら、なんか言い争ってるような声が聞こえたんで」
 「たいしたことじゃないの。ね、良子」
 宗像は無言でぼくを睨みつけ、くるりと背を向けて立ち去った。
バーバラはため息をひとつ付くと、かたわらのベンチに腰を下ろした。
 「後をつけてたのね。少年探偵団ごっこ?」
 「だって、気がかりだったんだよ。どうしたのさ?」
 「きっと逆恨みでしょ。前からいろいろ、イチャモン付けられてたのよ。よくあること」
 「でも、あいつ、すごい剣幕だったね」とミッチ。
 「あの子、シンちゃんが好きなのよ」
 「へ? どうして? ぼく、あいつと話したことないよ」
 「だから、なおさら根が深いのよ。ああ、やだやだ」
 そんな話をしていると、公園の暗がりの方から男が三人歩いてきた。ぼくたちの前でぴたりと足を止める。大人びているが高校生かもしれない。なんだか嫌な雲行き。
 「お前ら、こんなところで何してるんだよ」真ん中の一人がにやにや笑いながら口を開く。無視していると、「おお、シカトして、上等じゃねえか、お前ら。ちょっと顔貸してくれよ」と典型的なゴロマキの台詞。
 「やめなさいよ。あなたたち」とバーバラ。
 「やめたほうがいいと思う」これはぼく。ミッチは無言のままだ。
 「あなたたち、三年ね。どうせ、良子のダチでしょう。あの子に頼まれたの?」
 「るせえな、関係ねえだろ。おう、ボクたち、やるのか、やらねえのかよ」
 「だから、やめたほうがいいですって」ぼくは再度、忠告した。
 真ん中の男がぼくに向かってきた。ミッチがその前に立ちふさがる。男がミッチの胸倉をつかもうとする。ミッチがその手首をとって軽く押し返す。男はよろけて腰砕けになる。「ヤローッ」男は叫び声を上げて、ミッチに殴りかかる。
 そのあとは一瞬だった。正確には二秒半ぐらい。スローモーションでリプレーすると、最初に殴りかかってきた男の顎に掌底でカウンターを入れ、横からつかみかかってきた男をすかして太股裏に回し蹴りを決め、その脚を後ろに回転させて、三人目の男のレバー(肝臓)に足刀を当てている。一瞬にして大の男が三人、地べたに這ってウンウンうなっていた。
 「だから、やめたほうがいいって言ったのに」三度目の忠告は後の祭り。
 「だいじょうぶだよ。相当手加減しておいたから」ミッチはまったく息を乱していない。
 「どうして、こんなに強いの?」バーバラも唖然としている。
 「こいつはね、ガキのころから爺さんに鍛えられて、毎日麻の苗木の上を飛ばされてたんだ」
 「麻の木?」
 「麻は成長が早いんだよ。だから麻の種を撒いて、その苗木の上を毎朝毎晩跳んでいると、やがてすごい跳躍力がつくんだって…、ほんとかなあ。時代劇やなんかでは忍者の修行法として結構有名な話だけど、まさかね、本当にやってるやつがいるとは思わなかった」
 「お爺さんて、忍者だったの?」
 「え、違うよ。オレの爺さんはね、少林寺拳法の師範」
 「ふうん、すごいね。スリル満点、レトロ感も満載」
 「いやあ、弱いふりしてるけど、シンイチだって本当は強いんだよ。そもそもこいつとは、中学のときに喧嘩してから友達になったんだ」
 ぼくは簡単にノサれちゃったけどね。ミッチはほんとうにいいヤツだ。


          ほんとはバーバラじゃなくてジュリエット?

 というわけで、第四回会合は木曜日の午後になりました。バーバラの「少し長い話」をあらためて聞くことになったわけ。途中でお茶のお代わりをし、ハムピラフも注文し、話が終わるころにはすっかり暗くなってしまったけど、ぼくもミッチも彼女の話に引き込まれてしまった。少し端折っていうと、こんな話──。
 あのね、なんであたしがバーバラなのかって話だけど、ほんとうはバーバラじゃなくて、ジュリエットだったのよ。なあに? ヘンな顔して。これはたぶん、グレコから来てるんだと思う。知ってるでしょ、ジュリエット・グレコ。これは内緒だけどね、ミッチとシンチャンにだけ教えてあげる。実はあたし、双子なのよ。双子の姉が真海、妹のあたしが七海。真海と七海。バルバラとジュリエット。でも、いまは一人。真海は2歳になる前に死んじゃったの。
悪性のインフルエンザでね、ただの風邪だと思って病院に行くのが遅くなって…。あたしも一緒にかかったんだけど、きっと悪運が強いのね、死線をさまよってどうにかセーフ。真海はひどい肺炎からいろいろ合併症も起きて、結局助からなかった。それでママは、すっかりおかしくなっちゃった。
(ここから少し割愛。母親は自責の念から立ち直れず精神の失調を来し、真海、つまりバルバラが今も生きているという妄念にしがみついた。そして七海のことをバルバラ、やがてバーバラと呼ぶようになった。でもそうなると、ジュリエットはどこに行ったのだろう。ママの頭の中では…)
だから、ジュリエットはいないのよ。最初から。ママの頭の中では、バーバラ一人。最初から双子じゃなかったことになってるの。え? そりゃ、あたしも最初のうちは混乱したわよ。もう大混乱。小学校に入るころまで、あたしも少しおかしくなってたみたい。でもね、これも悪運が強いというか、しぶといというか、ある日、あたしは立ち直ったの。7歳のころよ。原因? 特にないわ。きっと少し知恵がついたのね。あるいは混乱が一巡したのかもしれない。とにかく、ある日、憑き物が落ちたみたいに吹っ切れて、きっぱり決心したのよ。「よし、あたしはバーバラとして生きよう」って。
ジュリエットも七海も完全封印。だから学校でもバーバラで押し通したの。結果的にそれが良かったのね。ママもどんどん回復して、今じゃ何ひとつおかしいところはないのよ。あたしがバーバラでいる限りはね。
「でもさ、いろいろ書類とかあるじゃない。学校からの通知表とか、親への連絡書類とか。それはどうなるの? それにはやっぱり七海って書いてあるんじゃないの?」ミッチが当然の疑問を口にする。
「それがね、ママには七海って文字が見えないらしいのよ。だいたい七海は初めからいないんだから、いない人の名前が見えるわけない、そういうことじゃないかな。よく分からないけど、たぶん、ママにはそのあたりがぼうっとグレーに見えてるような気がする」
「バーバラ、それでいいの?」
「いいも悪いも、仕方ないじゃない」
「いや、だからさ、言いたいのは、それだと七海もジュリエットもこの世にいなかったことになっちゃうんだろ? それでいいのかよ」
「いいじゃない。バーバラでもジュリエットでも。どっちも親が付けてくれた、いわば記号でしょ。それで百年も生きてきたならともかく、ほんの一、二年、呼ばれただけだもの。あたしにはこだわりないな。いいじゃない、二人分生きるんだもの。それにね、バーバラって名前、あたしは気に入ってるんだ」
ミッチが感に堪えぬというように呟いた。「すげえな、バーバラ、双子だったのかよ。エルヴィスと同じだね」
「ただね、ひとつだけ気がかりなのは、ママの本心というか、なんていうの、深層心理みたいなものよ。さっき、グレーに見えるっていったでしょ、それって無意識にボカシをかけてるわけじゃない? だから深層意識ではバーバラが死んだことを知りながら、表の意識はそれを認めまいとしてプロテクトしてるんじゃないかな。もし、そうだとしたら、それって相当きついよね。心の奥底の葛藤が…」
 「どうだろう。ママにも聞けないよね」
 「あ、いいのいいの。ときどき、ふっと気になるだけだから。人間なんてさ、みんな自分をだましたり、嫌なことを心の中に押し込めたりして生きてるんだから。ママだって同じよ。あんまり気にしても仕方ない」
 「あのさ」ミッチがおずおずと尋ねた。「パパはどうしてるの」
 「あれ、言わなかったっけ? シングルなの」
 「へ?」
 「シングル・マザーなの。うちは」
 「あ、そういうこと。そういえば、シンイチのとこもシングルだよ」
 「そうなの?」
 「うちはシングル・ファーザー」
 「じゃ、おあいこだね」
 「うん、おあいこ」
 ここまでが、話の前半。で、「感動したバカの実例」はどうなったのよ? とミッチに促されて、バーバラはまた話し始めた。
 ところが中学のとき、大ピンチになったのよ。口やかましい女教師が担任になってね、吉澤七海がバーバラだなんておかしいって騒ぎ出したの。アイデンティティーがどうの、人格形成への影響がこうの、教育評論家みたいなこと言って、ママを学校に呼び付けたのよ。で、「なぜ七海さんが、バーバラなんですか?」そう問い詰めるわけ。ママは首をかしげて「その七海という人はどなたかしら。いったい何をおっしゃりたいの?」 土台、話がかみ合うわけないのよ。
そうしたら、その教師、すっかり頭にきて、バーバラと呼ぶ理由を文書にして提出しろだの、戸籍謄本を持ってこいだの言い出したの。ひどいでしょ? 同席してたあたしは何とか穏便に収めようとしたんだけど、もう聞く耳持たないってやつね、一種のヒステリーよ。その日は話がかみ合わないまま物別れになったけど、さあ困った。その先生、粘液質だから、しつこくママを攻撃するに違いない。いっそ転校しようかななんて考えていたら、ある日、突然マイケルが現れたの!
だからマイケルよ。マイケル・ジャクソンか、マイケル・ジョーダンか、マイケル・ジョンソンか、誰にあやかったのか知らないけど、とにかくマイケルが現れたの。本名は早瀬光一。色が黒くて、背がひょろんと高くて、それまでのあだ名は「サンボ」だったんだけどね、ある日、「おれはマイケルだ。今後はマイケルで通すから、よろしく」 そう宣言してマイケルになっちゃった。それがね、徹底してるの。試験の答案用紙にもマイケルと書くのよ。え、あたし? さすがに試験だけは七海と書いてたわ。だって0点になっちゃうでしょ。
それでマイケル問題のほうが大ごとになったのよ。というのも、早瀬君のお父さん、その筋の人でね、簡単に呼び付けるわけにいかないでしょ。弱った担任は教頭に相談して、教頭もだいぶビビったみたいだけど、結局、父親が学校に来ることになったの。そしたらね、なんか怖いけど立派な人だったみたいよ。事情を説明したら、いきなり早瀬君の頭をボカッと殴って、おろおろしている教頭と担任に向かってこう言ったそうよ。「うちのバカ息子がご迷惑をお掛けして申し訳ありません。しかしまあ、セガレもそれなりの考えがあってやっていることだと思うので、ひとつ大目にみてやって下さい」 だって。へへ、実は盗み聞きしてたんだ。
教頭はそれでもう骨抜き。でも腹の虫が収まらないのが担任の女教師ね。事あるごとにチクチクやるの。試験は当然0点。でもマイケルも徹底抗戦した。彼は、勉強は得意じゃないけど、言うことに筋が通ってるの。「先生はずるい。オレがサンボってあだ名で呼ばれてたときには見て見ぬふりしてたくせに、マイケルと名乗ったら急に文句を言い出した。サンボが良くて、マイケルがだめな理由を納得のいくように説明してほしい」 どう、りっぱなもんでしょう。
「すごいな、そいつ」 ミッチが思わず体を乗り出した。「で、どうなったの?」
「結局ね、マイケルは学校やめちゃった」
「え? 追い出されたのかよ」
「違う違う。この件とは関係ないの。友だちをイジめてたやつらを成敗して…」
「セイバイか。カッコいいね」
「カッコいいけど、やり過ぎたのね。ボッコボコにして傷害事件になっちゃったの。で、最後の日、学校に来てみんなにあいさつしたのよ」
「なんて?」
「オレはオレの道を行く、みんなもみんなの道を行ってくれ」
「うわ、超カッコいい!」
「うん、みんな泣いてた。マイケルが悪くないの、みんな知ってたもん。あの担任まで涙ぐんでた。それからマイケル、帰りがけにあたしのところに来て、こう言ったのよ。『じゃあな、バーバラ。いい名前だよな』」
「へ?」
「だから、いい名前だって言ったの」
「それ、反則じゃね? ジョン・フォードの『荒野の決闘』のラストと同じじゃん」
「今ごろどうしてるかなあ、マイケル。無事に生きてるかなあ。なにしろバカだからね…。あ、そうそう、去年読んだ本の中でね、ホームレスの女が主人公の男にこう言うくだりがあるの。『あんた、わたしのために血を流したわね』 それを読んだとき、マイケルのこと思い出しちゃった。今ごろ、どうしてるかなあ」
バーバラの「少し長い話」は以上。
なんだか、妙にシンミリしてしまった。バーバラと別れたあと、ぼくは(ミッチもたぶん)マイケルのこと、バーバラのママのことを考え、言葉少なに帰途についた。


         バーバラ、一体どこへ行ったんだよ

 で、次は第五回会合のはずなんだけど、バーバラがいなくなってしまった。
ほんとだよ。突然消えてしまったんだ。二日間連絡がなかったので、どうしたのかなと思ってメールを入れたら、「ごめんね、ちょっと消えるから」だと。それから「追伸。必ず戻るから心配しないで。あと、ママをよろしくね」だと。心配するっつーの!
「シンイチ、どうする? オレ、こういうの苦手なんだよ」
「ぼくだって苦手だよ」
「でもさ、君のほうが常識あるじゃん。オレよりは」
「じゃ、とりあえず常識の線でいくか」
で、担任に聞いてみた。予想通り担任はまったく知らなかった。「なんかね、風邪をこじらせたようよ。インフルかもしれないから、大事をとって一週間ぐらい休むような話だったわよ」
次は宗像。「おまえ、なんか知ってるだろう。おまえが因縁つけた直後に消えちまったんだぞ」 そしたら宗像、目を白黒させて「知らないよ。あたしは関係ないってば。知らないったら、知らない!」 ばーか、何か知ってるな、おまえ。でも、これじゃ、らちがあかないな。
帰ろうとすると「あ、ちょっと待って」 ミッチがもう一度宗像のところに行って何か話してる。「はい、お待たせ」 戻ってきたミッチに何を話してたのか訊ねると「たいしたことじゃないよ。ちょいと引導を渡してたんだ。シンイチのことは諦めろ。あいつはオレが責任持ってバーバラとくっ付けるからって」 おいおい、たいしたことじゃねえかよ。
というわけで、バーバラの家に行った。なにしろ「あと、ママをよろしくね」だからな。
でもバーバラのママは何をどこまで知ってるのだろう。そもそも学校を休んでることを知ってるのかしら? 一体どう切り出したものやら…。だいいち、ぼくたち、バーバラ・ママとは初対面だよ。
案ずるより産むが易し。
「あら、こんにちは。ええと、ミッチとシンちゃんでしょう? あなたがシンちゃん、こちらがミッチ。当たった? あの子の描写力もなかなか的確ね。で、きょうはどうしたの?」
 バーバラ・ママは予想どおり細身の美人だった。いや、美人というより、美人の雰囲気のある工芸作家という感じ。たとえば版画家、いや陶芸家かな。しゃれた洋風の作務衣みたいなものを着ている。
 「バーバラがね、でかける前に言ってたの。たぶんミッチとシンちゃんが訪ねてくるから、話し相手になってあげてって。コーヒーと紅茶とどちらがお好き?」
 「どっちでも。ええと、じゃ、コーヒーでお願いします。あのう、バーバラ、どこへ行ったんですか?」
 「あら、あなたたちにも言ってなかったの? いやね、あの子ったら。ときどき消えちゃうのよ。ほんとに、どこ行ったんでしょうね」
 「え、じゃお母さんもご存じないんですか?」 ミッチがよそ行き言葉で訊ねる。
「心配はなさらないんですか?」 これはぼく。
「大丈夫よ。あの子、わたしよりずっと自立してるから」
それからバーバラ・ママはお茶の支度をし、自己紹介を始めた。ママの名前は紗希子さん。驚いたことに本当に陶芸家だった。ぼくもミッチも初めは緊張でコチコチになっていたけれど、すぐにリラックスできた。紗希子さんは本当に話し上手だ。気が付いたら、ぼくたちは自分のことをベラベラ喋っている。
「ふたりとも、しっかりしてるのね。バーバラが言ったとおりだわ」
「バーバラ、ぼくたちのことをどんなふうに言ってたんですか?」
「そうねえ、シンちゃんはシングル・ファーザーで、古いお屋敷で育ったお坊っちゃま。ワルぶってるけど、育ちの良さは隠せない。ときどき皮肉っぽいことを言うけれど、根は親切で少し心配性。ミッチは、お爺さんに育てられて、毎朝麻の木の上を飛んでいた。嘘みたいに強くて、トッポいところもあるけど、ほんとは恥ずかしがり屋。そうそう、六〇年代マニアだそうね。そんなところかしら」
げ、全部ばれてるじゃないか。
「ねえ、あなたたちから見て、バーバラはどんな子? 正直に言って」
間髪をいれずミッチが答える。「最高ですよ。最高!」
「どういうふうに?」
「ちゃんとものを見てる。自分の考えがしっかりある。なあ、シンイチ?」
「うん、あと、ぶれない。なあ、ミッチ?」
「そうそう、ぶれない。あと、かわいい」
「母親が言うのも変だけど、わたしもそう思う。じゃ、欠点は?」
「やっぱ、アブないとこかな。なあ、シンイチ」
「あ、いや、アブないっていっても悪い意味じゃなくて、少し正義感が強いというか、大胆というか、見ていてハラハラするというか…」
「そう、やっぱりねえ。そうなの。それだけが心配なのよ」
心配だと言いながら、紗希子さんはニコニコ笑っている。
「あのう、バーバラの行く先って、なにか心当たりはないんですか?」
「あるわよ。三カ所か四カ所ぐらい」
「え、どんなところですか?」
「バーバラが雲隠れするときに使うのは、まず音楽スタジオでしょう。それから私の仕事場。あ、私が使わないときね。それから、合宿所かな」
「合宿所ってなんですか?」
「劇団の合宿所があったのよ。バーバラね、前の街で劇団に入ってたの。アングラ劇みたいなやつ。最近はあまり行ってないみたいだけど」
「へえ、初耳でした」
「でも、今回はみんな違うような気がするな。なんかね、ちょっと、よそ行き顔してたのよ」
よそ行き顔ね、バーバラの。どんな顔かな?
そのあと、僕たちはケーキをご馳走になり、シャンソン歌手のバルバラとジャック・プレヴェールの「バルバラ」という詩の話を聞かせてもらって、おいとますることにした。やれやれ、何しに来たのだろう。
帰りがけに「何か分かったら、ご連絡いただけますか? こちらからも連絡します」と言うと、紗希子さんは僕たちをじっと見てこう言った。「あなたたちに会えてよかったわ。あの子の力になってあげてね」


         聞き込みを続行、ドミニクの謎

ほかに心当たりもないので、翌日もう一度、宗像の線を洗ってみることにした。今度は少し別の角度から攻めるとするか。
ぼくたちに喧嘩を売ってきた、というよりミッチに簡単にノサレちゃった三年生に話を聞いてみることにした。
「なにか、ご存知ありませんか?」
三年生の教室に行って笠原という名前の生徒(あの時、顎に掌底を食らったやつ)に尋ねると、放課後、体育館の裏で話すという。体育館の裏ねえ。ちょっとヤバいんじゃない? と思ったけれど、取り越し苦労でした。笠原君はもう一人、野村というあの時の仲間と連れ立って、神妙な顔をしてやってきた。
「で、なにかご存知ありませんか?」
ミッチはあくまで丁重に話しかける。少し童顔のミッチが丁寧語で話すと、結構不気味なんだよね、これが。笠原君たちは気の毒なほどビビっている。ビビった挙句、聞きもしないことまでベラベラ喋りだした。
「いや、だからさ、オレたち悪気はなかったのよ。え? いや、宗像に頼まれたわけじゃないよ。宗像がなんか悩んでるみたいなんで、少し力になってやろうかな、なんて思ってさ。ん? だって宗像、ちょっとイケてるじゃん。ほんでさ、ちょうど公園を通りかかったら、宗像が泣きながら走っていったのよ。こりゃ何かあったな。と思って宗像が出てきたほうに行ったら、吉澤と君たちがいたからさ、なんかその、弱きを助け、みたいな…」
「宗像とは、ずっとお知り合いなんですか?」
「知り合いっていうより、なんていうの、ファンクラブというか、親衛隊というか…、だって宗像、イケてるじゃん? 最初は宗像、煙たそうにしてたけど、そのうち時々お茶に付き合って、悩み事みたいなことも話してくれるようになってさ。あ、そうだ、あいつ、隣のクラスのナントカってやつに気があるようなこと言ってたんだよ。しおらしい顔してさ。あれ、ちょっとショックだったな…。それからなんか、吉澤のことブツブツいってたなあ。許せないとか、バカじゃないのとか…」
ミッチはいきなり種明かしした。
「こいつがそのナントカってやつですよ。矢野真一。でも、こいつは宗像にちょっかい出す気はありません。シンイチが好きなのはバーバラ、つまり吉澤です」
やめろってば。こんなところで変な既成事実化はやめろ!
「ほかに何か、宗像が気にしていたようなことは?」
笠原君たちはしばし呆気にとられたような顔をしていたが、ミッチに促されてまた喋り出した。「そういえば、あいつ、ときどき妙なこと言ってたな。呪いがどうの、天罰がこうの…、あと、ドミニクって言ってたような気がするんだけど、よく分かんねえ。半分独り言なんだよ。聞いても、いいのいいの、あんたたちに関係ないからって…」

放課後、ぼくたちはゴローさんを訪ねた。困ったときのゴローさん頼み。またあの四阿で自販機のジュースを飲みながら、バーバラが消えた経緯を詳しく説明した。少し迷ったけど、絶対にここだけの話という前提で、バーバラの名前の秘密も話した。込み入った話を聞くときのゴローさんは、ふだんとは別人みたいだ。ふだんは割と軽いノリで、冗談ばかり言ってるけれど、こういう話を聞くときのゴローさんは一言も口を挟まない。文字通り全身を耳にして集中している。
「ふん、そりゃ、少し面倒な話かもしれないな」
ひととおり話し終えたあと、ゴローさんはポツリと感想をもらした。
「え、ヤバいんですか?」
「いや、俺もわからないけど、なんだかノーマルな話じゃないような気がするのよ。ママさんはバーバラのこと『よそ行きの顔をしてた』って言ったんだろ? それにその宗像って子の反応も変だったろ? なんかさ、おまえたちが知らない話が根っこにあるんじゃないの?」
考えてみると、ぼくたちはバーバラのことをほとんど知らない。だって、友だちというか、ふつうに話すようになってから、まだひと月ぐらいしか経ってないし。その前はどこにいたのか。どんな高校から転校してきたのか。そもそも転校の理由はなんだったのか。何も知らないことに気が付いた。
「とにかくまず、その宗像って子にもう一度あたってみるんだな。俺のカンだけど、彼女、決して悪い子じゃないと思うよ。だって、逆上してコノヤローかなんか言って、いきなり蹴り入れてきたんだろ? バーバラに」
「空振りしてひっくり返って、パンツ丸見えになっちゃったけどね」
「そういうのに、あまり悪い子はいないよ。純情でやや直情径行、なにか悩んでるんじゃないかな」
そこで笠原たちが言ってた話を思い出した。
「あの、ゴローさん。ドミニクってなんでしょうね」
「ああ、宗像君がつぶやいてたって、あれか。さあ何だろう。ドミニクって名前は欧米人に結構あるよ。女優のドミニク・サンダとかね。昔、カソリックの坊主で聖ドミニコって人がいたんだけど、たぶんそれが由来だと思う。ドミニコ修道会ってのもあるね。あとは…、ああミチアキ、これはお前のジャンルだよ。一九六〇年代にヒットした歌で『ドミニク』ってのがある。まさにドミニコ会のシスターだった美人の尼さんが、ギター一本で歌って世界的な大ヒットになった曲だよ。日本語ではこんな歌詞…ドミニク・ニクニク/そまつななりで/旅から旅へ/どこに行っても/語るのはただ/神の教えよ…」
「あ、オレ聞いたことあるよ、それ」
「うん。彼女はスール・スーリール、微笑みのシスターって芸名で活躍するんだけど、その後、カソリック教会に対して批判的になり、税金問題で当局とも揉め、最後は親友のシスターと一緒に自殺してしまうんだ。大悲劇だよ。まあ、その話はまたいつかするとして…、だからドミニクの話ね、今度は宗像君の耳元でこう囁いてみたら? 『ドミニク』、それから『天罰』とか…」


     宗像はやっぱり悪い子じゃなかった

効果はテキメンだった。翌日の昼休み、「ドミニク」だけで、宗像は完全に固まり、次に口をパクパクさせ、「オレたち大体知ってるけど、もう少し詳しい話聞かせてくれよ」と鎌をかけると、放課後に会って話すという。さすがに体育館の裏はまずいので、ポプリで待ち合わせた。
「最初に聞くけどさ、どうしてドミニクのこと知ってるの? やっぱり七海に聞いたの?」
今日の宗像はずいぶんしおらしい様子だ。ぼくの方はあまり見ようとしない。ミッチのほうが気楽に話せるのだろう。質問はミッチに一任した。
「いや、バーバラからは何も聞いてないよ。あ、ごめんな、オレたちバーバラって呼ぶことにしてんだ」
「それは吉村君たちの自由よ。…この間はごめんね。なんか、カッとしてみっともないとこ見せちゃって」
「気にすることないさ。それより宗像さ、前からバーバラのこと知ってたの?」
「え、え? 七海から聞いてなかったの。そうか、あの子、余計なこと言わないもんね。前の高校で一緒のクラスだったの。半年ぐらい」
「ああ、そうか。宗像も転校組だもんな。一年の秋からだっけ?」
「ムナカタ、ムナカタって言いにくそうだから、良子でいいよ。お良でもいいし」
「じゃ、良子が去年の秋、バーバラは今年の五月、同じ高校から転校してきたわけね」
「そういうこと。短い間だったけど、結構いろんな話したのよ。あたしは親の仕事の関係で転校したんだけど、半年経ったら七海も転校してきたじゃない。うれしかったな。まさか、あたしを追いかけてきたなんて思わないけどね」
「バーバラはなんで転校したのかな?」
「それは知らない。ていうか、なんとなく想像つくから、あえて聞かないんだ。あの子、闘うときは絶対後に引かないからね。中学のときから何度か転校してるみたいだったし」
 「この間、なんであんなに怒ってたの?」
 「え、それ聞く? ほんと? まじで?」
宗像はもじもじしながら赤くなっている。ミッチはぼくのほうをチラと見て「言いにくけりゃ、無理に聞かないけど」などと言いながら、紅茶をかき混ぜている。性格悪いね。
「なんていうか、その、あれよ。もともと七海に言ったのはあたしなのよ。吉村君たちのこと。キザなセンコーへこましたり、体育館の屋根裏探検したり、変な暗号考えたり、バカなことばかりやってるけど、面白い男の子たちがいるって…」
「おまえ、なんでそんなこと知ってるんだよ」
「みんな知ってるわよ。あなたたち、結構有名人よ。七海は転校してきたばかりで何も知らなかったから、あたしが教えてあげたの。あたしが教えてあげたのに、七海ってば、ちゃっかりあなたたちと仲良くしてるんだもの…」
ミッチはまたぼくの顔を見て、フランス人みたいに肩をすくめた。
「それでヤキモチ焼いたわけ?」
宗像は耳まで真っ赤になっている。
「ヤキモチとか、そういうんじゃなくて、だって、七海ずるいと思わない? 自分だけ…。ああ、ヤキモチっていえば、七海に対するヤキモチなのかもね。その前にもいろいろあって、なんだかあたし、少しおかしくなってて…」
「いろいろって何?」
「だから、ドミニクのことよ。ドミニク事件。あたし、七海にドミニクのこと相談したんだ。でも七海ったら、冷たいんだもの」
「ええと、そのドミニク事件のこと、詳しく教えてくれる?」
「え、さっき大体知ってるって言ったじゃない。ま、いいや。あのね、うちのクラスにドミニクって呼ばれてた子がいるの」
「それ、あだ名?」
「もちろんよ。本名は留美、大沢留美。でもね、今年の初めごろから、クラス委員の柏木たちのグループが彼女のことをドミニクって呼び始めたの。で、大沢もニックネームをつけてもらって、嬉しそうにしてるのよ」
「それのどこが事件なの?」
「あのね、大沢は色が黒くて、小太りで、不細工な子なの」
「まだ分かんねえな。どういうこと?」
宗像は大きなため息をつき、それから一息に吐き出すように言った。
「あのね、ドミニクのドはドケチのド、ミニクは醜いのこと! ド・ミニクなの」
ミッチもぼくも一瞬、ことばを失った。
「…そりゃ、ひでえな。モロじゃん」
「ひどいでしょ。でも、もっとひどいのは、大沢がちっとも気付いてないことなの。可愛いニックネームだと思って、嬉しそうに返事してるの。柏木たちだけが、ドミニクの意味を知ってて、大沢を笑い者にしてたのよ」
「そりゃ、なんとかせんといかんなあ」
「で、あたしもそう思って七海に相談したのよ。そういうとき、あの子、頼りになるからね。それがふた月前」
「バーバラは何て?」
「許せない。自分が柏木たちに注意してやるって。でもあたし、七海に丸投げってのも気が咎めて、だいじょうぶ、あたしのクラスのことだから、自分でなんとかする、そう言ったの。そしたら、七海こう言うのよ。ひとつ、気掛かりなことがあるんだけど、大沢、ほんとは気づいてるんじゃないのかなって」
「で、どうしたの?」
「大沢にさりげなく話を聞いてみた。そしたら、図星よ。大沢、気づいてた。いきなり泣き出してね、でも、柏木たちには言わないでくれって言うの。言葉をかけてもらえるだけ、ましだから。それにドミニクじゃなくなったら、もっとひどいことをされるかもしれない…」
「なんだよ、女の世界って、マジ怖えな」
「それでもう一度、七海に相談したのよ。そしたらあの子、妙に冷たいの。大沢にそこまで覚悟があるなら、自分も軽はずみなことは言えない。悪いけど、良子、あなたが自分で決めなさいって。そりゃそうかもしれないけど、なんだか上から目線みたいでさ…。それで、そうこうしているうちに時間ばかり経って、まあ、あたしも柏木たちに睨まれたくないって打算があったのかもしれないけど…。とにかく、そんなこんなで、ぐずぐずしているうちに、事件が起こったのよ」
「え、事件? それいつのこと?」
「だいたいひと月前。あなたたちが七海とつるみ始めて間もないころよ。柏木がね、駅で階段から落ちて、腕の骨を折ったの」
「ああ、そういえば、その話聞いたような…、でもそれって、事件というより事故だろ?」
「それだけで終わればね。ところが、そのあと大沢、具合がおかしくなっちゃったのよ」
「おかしいってどんな風に?」
「なんか、こう、心ここにあらずっていうの? ぼおっとしてるかと思うと、急に泣いたり笑ったり。で、みんな自分のせいだ、自分が悪いんだって言うのよ。学校も休みがちになっちゃって…」
「それ、柏木の事故のことを言ってるのかな?」
「たぶんそうだと思うのよね。だから大沢に言ったの。あんたのせいじゃないよ。あれは自業自得、前方不注意、ただの事故。あんたが気に病むことはないって。でも大沢、そうじゃない、そうじゃない、自分のせいだって言うばかりで…」
「それ、まさか大沢が階段から突き落としたとか…」
「あり得ない、あり得ない。だいたい彼女、その時間は部活やってたもん」
「じゃ、丑の刻参りで呪いをかけたとか…」
「ちょっと! ふざけてる? 冗談だよね。まあ、あたしが大沢の立場だったら、五寸釘ぐらいガンガン打っちゃうけどね。…それで、また七海に相談しようかと思ったんだけど、前にちょっと冷たくされたでしょ。だもんで、なんかあたしも意地になっちゃって、ひとりで気をもんでいるうちに、大沢、消えちゃったのよ」
「ええっ、消えた? どういうこと?」
「ああ、ごめんごめん。失踪とかいうんじゃなくて、突然、転校しちゃったの。結局、あたしは何の力にもなれなくて、大沢、ひとりで悩みを抱えて消えてしまったのよ。あたしはもう大ショックでさ、悲しいやら、腹立たしいやら、その気持ちを誰にぶつければいいかも分からなくて…。それで、七海に八つ当たりしちゃったんだ」
「この間、西公園でそんな話をしていたのか」
「あのときはね、あたしも久しぶりに七海にあって、それまで溜めていたものが一挙に噴き出してきちゃって…。あんたが冷たくしたからいけないのよ! あんたが親身に相談に乗ってくれないから悪いのよ! 自分だけいい子になって、人の気も知らないで何よ! みたいな…、ああ、格好悪い。あたし、駄々をこねてたんだね。ごめんなさい」
「そのとき大沢の転校のことも話したの?」
「それは翌日、いや、金曜だから翌々日ね。西公園では興奮して感情的になっちゃったから、詳しい経緯は説明しなかったのよ。次の日、一日頭を冷やして、金曜の放課後に屋上で七海に謝ったの。そのとき初めて、大沢の様子や転校のことも話したわ」
「バーバラの反応は?」
「驚いてた。ほんとうに驚いてるみたいだった。それからこう言ったの。『ごめん、良子。これはあたしの責任だ』 七海があんまり真剣な顔してるんで、あたしも不安になって、それどういうこと、なんかヤバい話? いろいろ聞いたんだけど、七海はだいじょうぶ、だいじょうぶ、良子は心配しなくていいよ。それより柏木たちに少しガツンと言ってやったほうがいいかもね、なんて笑いながら言ってた…」
なんとなく話が見えてきたなあ。あれこれ記憶をたどりながら、バーバラの気持ちを推し測っていると、ミッチが話を振ってきた。
「ありがとう、良子。シンイチからは何かある?」
「ひとつだけ、いいかな。『バーバラと呼んで』、そう言われたとき、どうしてあんなに怒ったの?」
「さっきも言ったけどさ、あのときはあたし、気持ちがグシャグシャだったから、過剰に反応しちゃったのよ。でも、しいて理由を挙げるとすれば、きっとあたしの深層意識の中で『バーバラ』はライバルなんだと思う」
「ライバルって、どういうこと?」
「前の学校でね、あたし、七海にニックネームを付けたのよ。一生懸命考えて、すごく可愛いやつ。でも七海、『バーバラ』に固執して、あたしの案は全然受け入れてくれなかった。ちょっと寂しかったな」
「そういうことか…。でもさ、バーバラが『バーバラ』にこだわる理由って、なにかあるんじゃないの。いつか、直接聞いてみればいいよ。な、ミッチ」

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