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第30話 バグナルという男

それは、十数年前の出来事であった。トルジェ王国は高度な加工技術や国内に鉱物資源を有していたおかげで、モファト戦争での傷跡も顕著に回復傾向にあった。ウォーセン守備の全権を担っていたのがバグナルとエスードと言う二人の人物であった。二人はトルジェ王国の全ての兵権を任されていて、それだけ器量のある者ということでもあった。しかし、悪意の存在が二人の歯車を狂わせてしまったのだ。




当時トルジェ王国では地方都市との行路の整備を進めており、首都と主要都市および、その周辺都市への産業の波及が盛んで、そのおかげで地方都市でも活気にあふれ、トルジェ王国全体では戦争前の産業活動がほぼ復活していたと言ってもよかった。




そんな時、北方の地方都市から警備増援の要請がウォーセンに入って来た。内容は山賊などと一緒に怪物モンスターの類も増加傾向にあるため、全てに手が回らないので兵の派遣を願うことだった。それに応えるべく派遣されるのはバグナルだった。すらりとした背が印象的でその背と同じく長く伸ばした綺麗な髪が彼の整った顔を更に引き立てた。その姿から宮殿だけではなく王都ウォーセンの女性たちの間では麗将軍とも呼ばれてもいた。




エスードはバグナルよりかなり歳が上だったのでバグナルを部下のように扱う所があったが、バグナルはそのエスードの要望によく応えていた。




「バグナル、今回の北方都市への増援依頼の件、頼んだぞ」




「はい、承知いたしております。ですが南方視察の件もあります。それはどうなさいますか?」




「それは私の方で既に手配した。今、北方地域で手を拱こまねいていると、その他の地域の賊たちにも勢いを与えてしまう可能性がある」




「南方をまかせた者は?」




「クエルだ」




その答えにバグナルは難色を示した。そのクエルと言う者は腕はそこそこ立つのだが、目先の利益に弱く公平な判断のできる人物で無いと感じていたからだ。それに身の程をわきまえていない野心家でもあった。




「クエルで大丈夫ですか?」




「クエルでもこの程度の簡単な視察は熟こなせるだろう。不服か?」




「いえ……それでは準備が整い次第、北方地域の応援に向かいます」




そう言ってバグナルは執務室から出て行った。それと入れ違いにクエルがエスードの執務室を尋ねてきたため、二人は廊下で鉢合わせする形となった。




「おや、バグナル将軍は、まだ出立されていなかったのですか?」




「出るさ、貴様も南方の視察しっかりするのだぞ」




「もちろんちゃんとやらせていただきますよ。私のやり方で」




バグナルに嫌味を言うクエルを反した言葉は上官としては当然の言葉だったが、クエルはニヤっと人を不快にさせるような笑みを浮かべた。




バグナルが立ち去り、執務室に入ったクエルはエスードの前に来て話し始めた。




「バグナル将軍は北方地域の増援に向かわれるのですよね?」




「そうだ……お前は南方視察の件を頼むぞ」




「はい……そこで一つ提案がありまして」




クエルはある提案をしに来ていたのだ……エスード将軍の断れない方法で……





後日、バグナルが北方地域への増援準備を終え、出立を控えていた時、部下の者が彼に報告をもたらした。




「バグナル様! 報告が……」




報告の内容を聞いたバグナルは怪訝けげんな顔になり、部下に後を任せてエスードのいる執務室に向かった。




「失礼します」




ドアをノックして執務室に入ったバグナルは、そこにいた二人に質問した。




「どうしました? バグナル将軍は本日、出発するんですよね」




バグナルは相変わらず嫌みの効いた言い方だったクエルの言葉を気にも留めずエスードに問いかけた。




「エスード殿にお伺いしたいことがあってまいりました」




「なんだ?」




「南方にて大規模な盗賊討伐を行うと聞いて参りましたが!」




「聞いたのか……バグナルの行う北方の討伐と同時期に、南方にいる盗賊の類をこの際一気に掃討する」




エスードの言葉にバグナルは困惑した。と言うのも南方ではあまり盗賊などの情報を聞かないので、そのような大規模な盗賊狩りは反って他の争いを生まないか? と懸念したからだ。




「南方でその様な事をすれば逆に大きな禍に繋がりませぬか?」




「おや、バグナル将軍はこの掃討作戦に何かケチをつけたいのですかな?」




「クエル、南方は他の地域に比べて盗賊や怪物モンスターの数は少ないはずだ。それを何故、大規模に討伐など行おうとする?」




「バグナル将軍、それは見識がなさすぎますね。現在、南方でも盗賊は増えていますし、怪物モンスターに関しても活発な動きがあるとの報告を受けています。それ故に私はそれらを一掃しようと作戦を立てたのです。バグナル将軍は放置しておけと仰おっしゃるのですか?」




「クエル、お前がどんな情報や報告を受けていようと、兵一万も率いて行うような掃討作戦など南方の現状を考えても不要だという事だ」




そういうバグナルにエスードが言った。




「今回の南方掃討作戦の許可を出したのは私だ……バグナルの言うように、その様な規模の大きな兵員を導入して行う事は無用なのかもしれないが、今回は私に免じて実行させてくれ」




「わかりました……エスード殿がそう言うのならお任せいたします。私はドラグーンへ向かいます故ゆえ、失礼いたします」




エスードの顔色が優れないのを見て何かあるのだと思い、バグナルはそれ以上の意見を控えた。




「せいぜい北方の賊退治、頑張ってくださいませ」




クエルは棘のある言葉でバグナルを見送った。





その後、バグナルが北方にある山岳都市ドラグーンに到着すると、そこを拠点として山賊や怪物モンスターの討伐を進めた。バグナルの速やかな情報収集と行動で、北方周辺地域にいた賊は一つ残らず壊滅に追い込まれた。そして活発に活動していた怪物モンスターに関しても、その多くを排除し北方周辺地域の安定はわずか一か月ほどで成功する。バグナルが北方地域の中心都市ドラグーンに新たな領主を任命し、首都ウォーセンへの帰路途中で、部下から急な報告しらせを受けた。




それは、南方で掃討作戦を行っていたクエルがトリソニア王国の国境警備隊との間で小競り合いになっているという内容であった。




「ほんとうか?」




情報をもたらした部下に確認をすると。




「は! そのことでウォ-センでは大問題になっております」




「言わないことではない……」




バグナルは急ぎウォーセンに戻る事になった。





ウォーセンに戻ったバグナルは集まっていた者たちから矢継ぎ早に今回の責任の所在を問われた。




「どういう事ですかバグナル殿! このままではトリソニア王国と紛争に成りかねませんぞ!」




中でも政務官や首都周辺の貴族連中はこぞってバグナルを質問攻めにした。




「なにゆえ南方にそのような大規模の兵を送りになられたのじゃ! その様な兵を送ればトリソニアも攻めに来たのではないかと疑うのは当たり前じゃ!」




軍務官僚もこの問題の責任の所在が分からずにバグナルを責める形となっていた。バグナルは立場こそ軍の最上位職であるが、まだ若いという事で年上の者たちから軽んじて見られる傾向があり、一斉にみんなのはけ口になるのは間々あることであった。




それでもバグナルは皆の不満を聞き上手く対処しており、そういった意味でも素晴らしい将軍であった。バグナルはこの騒ぎの中でエスードの姿を探したが、その場にはいなかったことが気になり、集まっていた官僚たちに聞いた。




「エスード将軍はどうされた?」




その問いかけに一人の貴族が出しゃばって答えてきた。




「あの老いぼれはもう駄目じゃ……」




意味がわからなかったバグナルであったが、他の者から聞いたところ、エスードは自身が北方地域に出発して間もなく病の床に伏してしまったとの事だった。それを知ったバグナルはエスードの元に見舞いに行くと、エスードの変り果てた姿に驚いていた。以前の恰幅かっぷくの良かった体格が、今では随分と痩せ細り、別人と見間違うほどの姿になっていたのだ。 




「エスード殿……」




「バグナルか……すまぬなこの様な姿を晒してしまって……」




エスードは辛うじて返事ができる程度で、弱り切ったその姿にバグナルは苦悶の表情となった。エスードは付き人に身体を起こされて、咳をしながらバグナルの訪問に応えていた。




「バグナル、私はもう、もたないだろう……お前には負担をかけたが、これからのトルジェ王国を頼まなければならない……」




「エスード殿、弱気なことを言わずに、あとの事は私に任せて今はご自身の体が良くなるようにお考えください」




「お前は民衆を思い、部下の意見も取りいれる良き指揮官だ……どこの国においても、お前より優秀な者を私は知らない……私の誇りだ」




「エスード殿……」




「それゆえ敵も多くなるやもしれん……バグナルよ、お前は私にとって息子の様なものだ……」




エスードはずっと秘めていた想いを自身に伝えてきた。バグナルにとってのエスードは今まで色々なことを教えてくれた師であった。そんなエスードの姿をみて南方でのことを問うような事はできるはずもなかった……バグナルはエスードに自愛を促すと、この件は自身で解決しようと決めたのだった。




そしてバグナルは直ぐに緊張状態にあるトルジェ王国とトリソニア王国の国境がある南方地域に出発した。

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