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雨上がりの午後

 

 ―――懐かしい夢を見た。
 淡く優しい、大切な大切な想い出。
 久しぶりにその夢を見たのは、誕生日が来月に迫っているからかもしれない。



 エオリア国の春の天候不順には、数日間の長雨がつきものである。
 今回も、三日間降り続いた雨がようやく止み、今日は朝から穏やかな春の陽射しに恵まれていた。
 久しぶりの良い天気に、リーシェはこの三日ほど出来なかった仕事に朝からずっと追われ続けていた。
「あとは……タオルとシーツを取り込んだら、一息つけそう……」
 やっと見えてきた仕事の終わりに、リーシェは呟きとともに安堵の息を洩らす。
 ヘッドピースの白いリボンが淡い色の髪によく似合っているリーシェは、ここエオリア国の王城でメイドとして働いている少女である。
 十三歳になると同時に王城に上がり、今年でもうすぐ丸四年が経つ。
 最初は右も左も全くわからないような状態で、メイドとして続けていけるのか心配だったが、さすがに四年も経てばどの仕事も難無くこなせるほどになっていた。
 それでも、今日のように忙しい日は、やはりいつものようにはいかない。
 朝からなんだかんだと仕事を片付けてはいたものの、細々とした仕事ばかりで休む時間を完全に逃していた。
 おかげで、今日は昼食を取り損ねている。
(中庭に干してあるタオルとシーツを取り込んで戻ってきたら、休憩しよう)
 そう決めたリーシェは、広口で深さのある円筒形の藤かごを持って中庭へと向かった。



 中庭に降りたリーシェは、白い布の波間を縫って歩いていく。
 リーシェにあてがわれている所定の場所は、使用場所の中でも奥の角にあった。
 自分の担当分である洗濯物の前にたどり着くと、リーシェは最初に素材の違う二種類のシーツをそれぞれ手にする。
 次はタオルを順に手際よく、綺麗に折りたたんでいく。
 そうして、十数枚もあった大きさの違うタオルを藤かごにすべて入れ終わるのと、時間を知らせる鐘が王城内に鳴り響いたのはほぼ同時だった。
 高く澄んだ鐘の音は、王城のどこにいても聴こえるように造られている。
 それは、地下にある厨房から騎士の宿舎にいたるまで。
 当然、中庭にいたリーシェにもしっかりと聴こえていた。耳に届いた鐘の音は三つほど。
「え…もう、三時?
 結局、お昼どころかお茶の時間になっちゃった……」
 いつの間にかこんなにも時間が過ぎてしまっていたことにショックを受けつつも、これで休憩が取れることは素直に嬉しい。
 早く城内に戻って休みたいと、タオルとシーツが入れられ重みを増した藤かごを両手で抱えたリーシェだったが、視線の先にあるものを見つけてしまい、その場で足が留まった。
 中庭の一番奥、咲き誇ったミモザの木の根元に何やら大きな塊が見える。
(……気のせい、なわけないわよね……)
 見て見なかったふりをしようかとも思ったが、自分が何もしなければいつまでもこの状態が続くに違いない。
「仕方ないわね……」
 実際のところこのまま見過ごすわけにはいかず 、リーシェはその物体にずかずかと歩み寄った。
 そして、目の前に転がっている物体を見下ろすと、僅かに眉をひそめる。
(……午後になってずっと姿が見えないと思っていたら。まったく、もう!)
 リーシェは深い溜息をつきながら、持っていた藤かごを邪魔にならない場所の地面に置いた。
 そしてその場に屈み込むと、ぱちん、と音がする程度に手で叩く。

 その物体――仮にもリーシェが仕えている主人なのだが――の顔を。

「…ん……なに……?
 ……顔が、イタい……気がする…?」
 叩かれた痛みで目が覚めたのか、目の前の物体がもそもそと身じろぐ。
 まだ半分ほど寝ぼけた状態で呟きとともに開かれた瞳は、透き通った薄蒼色。
  その瞳にリーシェの姿が映った瞬間、やわらかで綺麗な笑顔がぱっ、とあらわれた。
「――リーシェ」
「『リーシェ』じゃないでしょう。こんなところで昼寝なんてして」
 あまりにも暢気すぎる相手の様子に不安を覚えてしまったのは、リーシェの方だ。
「んー、大丈夫大丈夫。オレのことなんて、他の連中はわざわざ気にしないし……」
 ゆっくりと上半身を起こすと、そのまま両腕を伸ばし大きく背伸びをする。
 その反動で、高い位置で一つにまとめてある雪銀色の髪がさらりと揺れた。
 髪の長さはリーシェと同じぐらいあるが、癖のない彼の髪は腰まですっと流れ落ちている。
(……いつ見ても、綺麗な髪よねぇ……)
 陽の光りがなくてもきらきらと輝く髪に、リーシェがつい見惚れてしまったことは今は内緒にしておく。

「わたしが気にするの。
 そんなことわかってるでしょう、わたしの主人であるレザート王子様?」

「もちろん知ってるよ。
 第二王子のオレ付きメイドのリーシェ?」

 そうなのだ。目の前にいるこの人物が、リーシェが仕えている主人であり、紛れも無くこのエオリア国第二王子レザート・エオリア本人である。


 ――レザート・エオリア。

 容姿端麗、外見だけなら全く申し分のない王子。

 だが。

 ―――通称『駄目王子』である。




エオリア国王家には、稀に雪銀の髪と蒼氷の瞳を持つ者が生まれることがある。
 これは遠き昔、この国が創られる時に深く関わったとされる女神エオリアが、祝福の証に自分の名を分け与え、さらに自分の髪と瞳の色を加護として贈ったと伝承されている。
 女神の色を持つ彼の者は、代々賢王となり、エオリア国繁栄に貢献してきた存在だった。

 だが、例外というものはどこにでも存在するものである。
 今回、エオリア国史上、異例と呼べる事態が起きた。
 まず一つは、女神の加護の色である雪銀の髪と蒼氷の瞳を持った王子が第二王子であったことだ。
 女児がその色を持って生まれてきたことも過去にはあったが、男児にしろ女児にしろ今まで第一王位継承者以外で女神の色を受け継いだ者はいなかった。

 そして、もう一つ。

 その第二王子は、賢王の資質はおろか、何をやらせてもいまひとつどころか、いまよっつほどになる残念な能力の持ち主であったことだった。

 それでも、幼少の頃は他の子達よりもあきらかに能力が高く、周囲からの期待も大きかった。
 だが、歳を重ねるにつれ、成長が見るからに遅くなった。さらに言うのであれば、一定以上の結果を出すことが出来ないのだ。
 努力をしても結果にあらわれず、むしろ出来なさ加減ばかりが際立っていくばかり。本人もそれはわかっていたのだろう。
 一通りのことは習ってみるものの、同じように習った他の子達と一緒のレベルにならなければそこで諦めるようになった。
 そして、 それはほとんどの物事において、第二王子が一番の落ちこぼれになる結果となっていた。
 最下位でなかった場合でも、良くてその上、下から二番目にしかとどまれない。幼い頃は、ただ単に他の子より成長が幾分早かっただけらしい。


 女神の色をその身に持っているというだけで、第二王子に自分勝手に期待し勝手に幻滅した人々は、次第に彼のことを軽んじるようになった。
 力量のなさを噂し、折角生まれ持った女神の色もただの飾りだったと嘲笑の対象にした。
 当の第二王子本人といえば、嘲笑や噂について何かをすることもなかった。
 怒ることも否定することも、泣くことさえも。
 もともと人との争いごとを好まない性格だったが、簡単に諦める癖がついてしまった王子はこの時点で既に諦めていた。
 何事にも本気で取り組むことが無くなった彼は、勝手気ままな生活を送るようになる。
 楽しく過ごせれば、それでいい。誰に馬鹿にされても、事実だから仕方がないと自ら笑い飛ばす始末だ。


 その為、今では『駄目王子』と呼ばれ、国内だけではなく近隣諸国にまでその名が知れている。


 *****


「ねー、リーシェ。お茶にしようよ。さっき、三時の鐘鳴ってたでしょ。
 オレ、いつものリーシェのパンケーキがいいなー。作ってくれる?」
 昼寝から目を覚ましたレザートは、にこやかに微笑ってリーシェにそんなお願いを口にする。
 だが、すぐに何か言いたそうなリーシェの視線に気づくと、軽く首を傾げた 。
「リーシェ?どうかした?」
「……わたしが起こす前から起きてたでしょう?」
「あ、わかってた?」
「当然でしょう。どれだけの付き合いだと思ってるのよ」
 やっぱり、とリーシェは小さな溜息をつく。
 三時の鐘が鳴っていたことを知っているレザートは、どうやらリーシェが起こす前から目を覚ましていたらしい。
 それでも寝ていたふりをしていたのは、リーシェに起こしてもらいたかったからだ。
 それぐらいのことをわからないリーシェではない。
 だからこそ、わざわざ顔を叩くような真似をしたわけだが。
「リーシェに起こしてもらったら、そのままキス出来るかなーと思ってたのに。
 顔を叩いて起こすなんて、リーシェってばひどいんだから」
 くすくすと笑ってわざとらしく頬に手をあててみせたあと、レザートはリーシェに近付いた。
「起きたご褒美に、リーシェにキスして欲しいなー」
「勝手に外で昼寝して、勝手に起きた人にご褒美って、どんな理屈なの」
「えー?じゃ、ご褒美じゃなくていいから、キスして?」
「それこそどんな理由よっ!?」
 まったく意味のない理由に、リーシェはつい声が大きくなった。
「だってー、いつでもどこでも思わずキスしたくなっちゃうぐらい、リーシェが可愛いんだもん。
 それじゃ、ダメ?」
 軽い口調と、へらっとした笑顔。
 けれど、そこに嘘はない。
 レザートは本当にリーシェのことをそう思っているのだ。
「……っ、馬鹿…!」
 嘘のない真っ直ぐなレザートの眼差しに、リーシェの顔が真っ赤に染まる。
「??うん。知ってる。だから、諦めて?」
 しまった、と思った時には遅かった。
 左腕を掴まれ、リーシェはレザートに難無く引き寄せられる。
 わずかにあったはずの距離が無くなっていた。
「ちょっと待って。ここ外だから!誰かに見られるから!」
「『駄目王子』が自分付きのメイドにしちゃうぐらい、幼なじみのリーシェのことが好きなことは、城中に知れ渡ってる事実だし?
 今更誰に見られたって大丈夫」
「大丈夫じゃなくて!
 こういうとこ見られたら、普通に恥ずかし……んっ……」
 出来る限りの抵抗をしたリーシェの意見は聞いてもらえず、そのまま言葉ごと封じられる。
 少ししてお互いの顔が離れても、リーシェの顔は赤いままだ。
「リーシェってば、真っ赤なままで本当可愛いー」
 レザートは嬉しそうに呟きながら、リーシェのヘッドピースのリボンを指に絡ませた。
「もう一回しよっかな」
「えっ……ダメ!」
「いいでしょ。ね、リーシェ」
 リーシェの名を呼んだレザートが、身体の位置を少しだけずらした瞬間。
 レザートの足が横に置いてあった藤かごにぶつかった。
 軽くぶつかっただけのはずだが、藤かごはそのまま倒れ、勢いづいて足元から離れるように転がっていく。
 運悪く、日陰に残っている水溜まりの近くまで。
 円筒形の藤かごに罪はない。
 が、当然のことながら、地面の上に中身が零れ出た。
 真っ白でやわらかなシーツとタオルが。
「………あ」
 思わずレザートの口から呟きが洩れる。
 まだ渇ききらない湿り気を帯びた土が、しっかりとその白地を染めていた。
 リーシェとレザートの間に、気まずい空気が流れる。
「え…と、ごめん……?」
 どことなくばつの悪そうな表情で、レザートが謝る。
 ――しかし。

「――こ…のっ、馬鹿王子ーーー!!」

 肩を震わせたリーシェの声が、中庭に響き渡った。




 ――この日、レザートがリーシェの作るパンケーキを食べることは出来なかった。

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