52話 落日の夜明け
コンディションは万全だ。
日本でボクサーをやっていた頃を含めても、最高の仕上がりだと言ってもいいと思う。
肉体面も、精神面も、これ以上ないくらいだ。
この三年間、俺は黙々と練習を続けてきた。
いつになったらデビューするんだと周りに言われて。ロワードの死から立ち直れないまま、ロイムは拳奴としては終わったんだと言われてきた。
でもそれは違う。俺もバンディーニも、拳闘を諦めたわけではない。
必ずこの世界にボクシングを広めると誓ったあの日から三年間。
万全を期し迎えたこの日。
遂に、俺のデビュー戦の日がやってきたんだ。
選手控室には、シャドーをしている俺の呼吸音と、拳が空を切る音が響いている。
傍らにはそんな俺のことを、ジっと見つめているバンディーニの姿があった。
「ロイム、あまり飛ばし過ぎると、ウォームアップでバテてしまうよ」
「心配するなよ。別に飛ばしてないし、気負ってもいないぜ」
バンディーニは心配げな視線を俺に送ってくる。
「気持ちはわかるけどよ、そんなに心配するなよ」
「わかっている、君が負けるだなんて微塵も思ってはいないけれど、やはりあの日の光景を、私には忘れることができなくてね」
自嘲気味に笑うバンディーニであったが、やはり今でもロワードの死を引き摺っているように感じた。
当然だ、俺だってあの日のことは今でも鮮明に覚えている。
デビュー戦を立派に戦い抜き、見事勝利を収めたロワードの姿を忘れられるわけがない。
ボクサーロワードの姿を忘れたことなんて一日たりとてない。
この三年間で、色々と変わった。
まず俺は成長期に入ったこともあり、身長もそれなりに伸びて今では１６８㎝くらい、体重は多分、５８㎏くらいだ。
身長のわりには少し軽い気もするが、これは仕方ない。
こちらの世界では、特に俺達拳奴の食事事情は贅沢なものではないから当然脂肪は付き難いのだ。
ただ、それに慣れてしまえば難なく身体を絞ることができているとも言えるし、ボクサーとしてはベスト体重を常に維持できているとも言えた。
そして変わったことは俺だけではない。
拳闘試合のルールもこの三年間で大きな変化を見せていた。
これまでのルールではあまりにも試合中の死者が多すぎる為に、法王から注意喚起がなされたのだ。
この世界では、国を統べる王とは別に、法王なる人物がいるらしい。
非常に信心深いお国柄である為に、宗教のトップである法王の発言力は、国のトップである国王よりも絶対的であると言うのだ。
その法王から、拳闘に限らず、総合格闘技や剣闘のような、闘技場で行われる競技が残酷であるとお達しがきたのだ。
これをすぐに全面的に廃止となると、市民や経済に与える打撃が大きい為に、死者を減らすように是正せよなったのである。
拳闘試合の出場者は短期間での試合は禁止。最低でも二十日は間を開けるようになった。
そして１試合につきダウンは五回まで、五回倒された時点で負けとなる要するに５ノックダウン制になった。
その他にも、対戦相手は大体同じ戦績の者同士で行うように調整されることになった。
その結果どうなったかと言うと。
拳闘士の負担は格段に減ったものの、試合がつまらなくなったと市民達は不満に感じ始めてしまった。
要するに、死ぬか生きるかの殴り合いが、あまりにも生ぬるいものになってしまったことにより、興醒めしてしまったのだ。とは言っても現代の感覚からすれば、それでもまだ足りないくらいだとも思うのだが。
市民達は、スリルを味わう為に闘技場に足を運んでいたのだ。
その為、拳闘は一番つまらない競技となってしまったのである。
勿論原因はそれだけではなかった。
この三年間、拳闘試合はどの領土にもヒーロー不在が続いたのだ。
セルスタのような絶対的な強さとカリスマ性を備えたスターが現れなかったのである。
当然、拳闘が不人気競技になってしまった一因はそんなところにもあった。
「今日も、観客の入りは少ないみたいだ。おおよそ１５００人くらいらしい」
「へぇ、後楽園だったら８割は埋まってるじゃん」
「このコロッセオだったら約３割だけどね。これじゃあ興行主は赤字だよ」
実際に拳闘試合ではもう稼げないと言われてきている。
拳奴達にも
マスタングも最近ではあまり拳闘に力を入れていないように感じる。
ここ２年ほど、ロゼッタが練習場にあまり顔を出さなくなったのも、その所為だろうと俺は思った。
「構わねえよ、俺がこのコロッセオに客を呼び戻してやるよ」
「ははは、なんだか目的が変わっているような気がするよ」
「一緒さ、俺達がボクシングがおもしれえスポーツだってことを知らしめることができれば、拳闘の近代化だって可能な道だ」
俺が笑うと、バンディーニも納得した面持ちになり笑った。
すると、扉をノックする音が室内に響く、係員が俺のことを呼びに来たのだろう。
「行こうぜバンディーニ。この三年間で俺達が作り上げたボクシングを観衆に見せる時だ！」
突き出した右拳に、バンディーニの右拳が触れると、俺達は闘技場へと向かうのであった。
続く。
