34話 小さな悪魔
バッティング。
頭や肩、肘などを相手にぶつける反則行為である。
ボクサーは試合中に密着状態で打ち合うことも多々ある。故意でなかったとしても偶然当たってしまうこともあるのだが、それが数回続けば注意、減点される。
もちろん故意にやった場合には反則となり、減点ではなくそのまま反則負けとなることもある行為だ。
俺の言った意味を理解できない皆は怪訝顔をしている。
「ロイム、バッティングってなんだ?」
「あのルクスって野郎、審判に見えないように頭突きしやがったんだ」
「でもさあ、ルクスの方が小さいしエルナンドが覆い被さる恰好だったから、偶然当たったんじゃないのか?」
確かにヤクの言う通り。エルナンドがダウンする直前、ルクスはパンチを繰り出しているようにも見えた。
しかしあれはフェイクである。パンチを出すように見せかけて、頭をエルナンドの顔面に叩きつけたのを俺は見逃さなかった。
とは言うものの、はっきり言ってこれは俺の主観によるものである。
打ち合っている最中のバッティングについては、それが偶然か故意かを判別するのは難しい。
こちらの世界でもそれは同様だ。ましてやビデオなどないのだ。審判が直接目にした現行犯でない限り、やったやらないの水掛け論にしかならない。
結局そのままエルナンドは降参となり、ルクスの勝利となってしまった。
俺は、腸が煮えくり返る思いでルクスのことを見ていた。
「納得いかねえぜ……」
「同感ね」
俺の呟きに答えた声に驚き、振り向くと。
そこには、なぜかロゼッタが居た。
「な、ななな、なんでおまえが?」
「ねえあなた。あの金髪チビがやったことを説明しなさい」
「なんで俺が」
「いいからっ!」
ロゼッタが苛立ちを見せ声を張ると、周りにいた奴らがどよめく。
しかし、ロゼッタが一睨み効かせると、皆俯き知らん顔をするのであった。
仕方がないので俺は、ロゼッタの質問に答えてやる。
「あいつは、なにをしたの?」
「バッティングって言う反則だよ。わざとエルナンドの顔面に頭突きをしたんだ」
「なんでわざとだってわかるの?」
「わかりゃしなさいさ。でも、あれは
俺の説明にロゼッタは不服そうな表情になる。
「それじゃあダメだわ。わざとやったって証明できなければ、あなたが彼に対して難癖をつけているだけじゃない」
「そうなるな。要するにやったもん勝ちってことだ。ムカつくぜ」
「ええそうね、腹が立つ。そんなことは絶対に許される行為じゃない。だから、どうしたらいいの?」
「どうしたらって……」
ロゼッタはいたって真剣な表情で俺に問いかけてくる。
その目は、顔は、俺のことを困らせてやろうとか、意地悪をしてやろうとか。
そう言うつもりで質問を投げかけてきているようには見えなかった。
彼女は本当に俺と同じように、ルクスのやったことに怒りを覚えているのだ。
すると、いつから聞いていたのか。
バンディーニが後ろから話しかけてくる。
「ロゼッタお嬢様の言う通りだね。ロイム、どうすればいいと思う?」
「いつから居たんだよそこに……。どうすればって、もっとちゃんとレフェリングをするようにするしかないんじゃないか?」
「なるほど、審判の質を上げることか。確かにそれも重要だね。けれど、こちらの審判も馬鹿じゃあない、ちゃんとルクスのしていたことは見ていたさ」
「じゃあなんで注意しないんだよ」
「君も今、ロゼッタお嬢様と話していたじゃないか。言った所で水掛け論になるからさ」
話が堂々巡りである。
なんだか、からかわれているような気分になっていると、バンディーニは周りの皆には聞こえないように言う。
近くに居るロゼッタには聞こえてるかもしれないけど。
「これが現実だロイム。
「俺とあんたと、二人だけでそれをやるってのかよ?」
「二人だけじゃないさ」
そう言うとバンディーニはロゼッタの方を見てウィンクして見せる。
ロゼッタは不思議そうな顔をした後に、不愉快そうな表情になった。
「様々な人間を味方に付けるんだロイム。その為に、君は真っ直ぐにただ愚直に勝ち進め」
「やれやれ、結局そうなるのかよ。まあ、俺がやらなくてもあんな反則野郎、次のベルナルドがボコボコにするかもしれないけどな」
観客席から下を見やると、次の試合が始まろうとしていた。
ベルナルド対ルクス。
ベルナルドは160㎝後半くらいの身長で、肩周りがガッチリとしたこれまたパワータイプの選手だ。
試合が開始されると、ベルナルドは一気にルクスとの距離を詰めて右フックを繰り出す。
威力は凄そうだが随分と大振りだ。
ルクスはそのパンチをダッキングで簡単に躱すと、ベルナルドの懐に入り右を出した。
その瞬間、ベルナルドは俯いて左手で、左の瞼の辺りを押さえた。
異変に気が付くまでのほんの一瞬、審判が止める間もなく再びルクスの右ストレートがベルナルドの顎を打ち抜くと、それで試合終了。
ルクスのKO勝利となった。
ベルナルドは、左瞼から血を流していた。
ルクスの最初の右で切ったのだろう。
それを見て、バンディーニは様子を見て来ると言って試合場に降りて行った。
俺は怒りに震えていた。
ルクスは間違いなく、親指を立ててベルナルドの目を突いた。
しかし証拠はない。現代のボクシンググローブと違い、指が露出している拳闘では、こういった事故はよく起こることなのかもしれない。
それでも、あれだけの反則行為のオンパレードを見せてきたルクスだ。
間違いなく故意に目潰しをしたに決まっている。
結局、エルナンドとベルナルドの負けたツーマンセルチームは、残りの奴らもルクスの餌食となり、一回戦敗退となるのであった。
続く。