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31話 顔はやめな、脛にしな

「あ、あ、あいつだ! しょんべん女! ヤク、嘘じゃなかっただろ!」

 俺が女の子を指差しながらそう言うと、ヤクは目を真ん丸にして唖然としていた。
 振り返ってみると他の奴らも同様で、そんなに女の子が珍しい生き物なのだろうかと不思議に思う。
 まあ確かに訓練施設は男所帯で、女なんて居ないからな、無理もないだろう。

 そんな感じで不憫に思っていると、ヤクがあわあわと慌てた様子で俺のことを見ている。
 何かと思いその視線の先に振り返ると、女の子が俺の目と鼻の先まで迫ってきていて右手を振り上げていた。
 そのまま俺の顔目がけて手を振り下ろしてくるのだが、俺はバックステップでそれをひょいと躱してみせる。

「ふっ……俺はボクサーだぜ? そう簡単にもらうかよ」

 余裕の表情を見せると、女の子は顔を真っ赤にしながら再び張り手してくるのだが、またも俺はそれを躱す。
 ひょいひょいと躱すもんだから女の子はムキになり、手を振り回し続けた。

「あんた! 避けるんじゃないわよっ!」
「嫌だね。悔しかったら当ててみろよ」
「なんですって? きぃぃぃいいいいっ!」

 女の子が奇声を発し、右手を振り上げた瞬間。

 ガンっ!

 右足の脛に激痛が走ると俺はその場でもんどりうった。

「ぐああああああっ! てめっ! また脛っ! いてえええええええっ!」
「おーほっほっほ! このお馬鹿さん! 上にばかり気を取られているから足元がお留守になるのよ」

 なんて女だ。まさか上下の打ち分けをしてくるなんて、なかなかに心得ているじゃないか。

「ロゼッタ、いい加減にしないか。こちらに来て大人しくしていなさい」
「だってパパ、あの拳奴が悪いのよ! 観衆の面前でレディを侮辱するようなことを、許せないわ!」

 ロゼッタと呼ばれた少女はマスタングに抗議するのだが、今は試合の最中だから後にしなさいと言われて、渋々座席に着くのであった。

「くっそぉぉ、ひでぇ目にあったぜ」
「お、おいロイム、おまえ、お、お嬢さんと知り合いなのか?」

 ディックが俺に聞いてくるのだが、どうやらその言い方からやはりあの少女、ロゼッタはマスタングの娘なのだろう。
 さすがにそんな子を、しょんべん女、と呼んだのは不味かったかなと少し反省するのだが、俺は三度も脛を蹴られたのだ。超痛かったからおあいこだろ。
 まあ子供同士の喧嘩だと、マスタングもそこまで気にして……。

 あれ? なんかすんげえ目で俺のこと睨んでね? やばいかな?

 もしかしたら俺はこの後、マスタングに消されるかもしれないと思った。

 そんなこんなで茶番を終えると、すっかり水を差されて緊張の途切れたロワードが、かなり切れ気味に言った。

「おいロイム、てめえにはもう回って来ねえから、帰って寝てろよ」
「おうおう、そいつはありがたいね! 余裕ぶっこいてると痛い目みるぞ!」

 雑草組達のさっきまでの団結はどこへやら。
 やはり女の存在は男の友情に罅を入れるから良くないなと、俺は思うのであった。

 さて、第五試合目は、副将同士の対戦だ。
 相手はかなり締まった体をしている。
 なるほど、流石に良い身体してるぜ。
 男子は成長期に入ると、15歳くらいから筋肉が付きやすくなると言われている。
 子供の頃に筋トレをすると身長が伸びなくなるとよく言うが、あれは医学的根拠はない。
 むしろ、身体を鍛えることは良いことで、身長も伸びやすくなると言われている。
 しかし、あまり早くに筋トレを始めても、筋肉はまだ付き難いので意味がないのだ。
 だからバンディーニも、今は筋トレよりももスタミナを付ける為のトレーニングを、俺達に奨めているのだ。

 そして相手選手は16歳。ロワードよりも2歳年上だ。
 身長もロワードより高く、筋肉もある。
  あれだと体重差もかなりあるだろうから、これは一筋縄でいかない相手だろう。

 そうこうしている内に試合が始まった。

 相手はロワードの出方を窺っているようだ。
 右手をちょいちょい出して牽制しつつ、相手のリズムに乗らないようにしている。
 ロワードも、パワーのある相手からの、出会い頭の一発は避けたかったのだろう。
 すぐには飛び込まず、ステップを踏みながら様子見だ。

「なあロイム……ちょっと聞きたいんだけど……」
「なんだよヤク?」
「いや、おまえさ……」

 やけに神妙な面持ちのヤクに、俺は固唾を飲む。
 なにかロワードの対戦相手のことで気になることがあるのだろうか?
 こう見えてヤクは結構、鋭い観察眼の持ち主だからな。

「お、おう、なんだ?」
「おまえ、ロゼッタお嬢さんの便所覗いたのか?」
「はあ?」

 ちょっと頬を赤くしながら言うヤク。
 このエロガキが、あんなしょんべん臭いガキのトイレなんか誰が覗くか! て言うか、俺はそんな変態じゃねえっ!

「アホかっ! 覗くわけねえだろ、いいから試合に集中しろバカたれっ!」

 ロゼッタの方を横目で見ると、なにやら物凄い形相で俺達のことを睨んでいる。
 まさか今の聞こえてないよな? 用を足すところを覗いていたなんて勘違いされたら、俺は間違いなくマスタングに八つ裂きにされるだろう。

 下らない事を考えていると、ワっとギャラリー達の沸く声がする。

 ロワードが相手のパンチを食らいよろめいたのだ。

「ロワードっ!」
「大丈夫、ガードの上からだったからそんなに効いてないよ」

 その瞬間を見逃した俺が焦ると、ちゃんと試合を見ていたディックが解説してくれる。
 いかんいかん、試合に集中しないと、もしかしたら俺の対戦相手になるかもしれないんだ。

 しかし、そんな俺の心配も余所に。
 ロワードはリズムを立て直すと、相手の望み通り接近戦の打ち合いに乗る。
 体を揺らしながら、左右のパンチをテンポよく打ち込むロワード。
 相手のパンチは、ロワードのウィービングに翻弄されて空を切る。

 体の大きい相手とのガチンコ勝負を、ロワードは力で捻じ伏せると、右拳を突き上げて雄叫びを上げるのであった。


 続く。

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