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第80話 戦慄の歌謡コンテスト

 その日、勤務のために待機室に詰め、ダンジョンに出ていた者を除く死神課の面々とその他大勢が一様にして体調を崩し、医務室に運ばれるという大惨事が起きたという。



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 秋も深まり、食べ物が一層美味しさを増す昨今。死神ちゃんは旬の果物をふんだんにトッピングしたクレープを頬張りながら、寮前の広場のベンチでのんびりとしていた。広場の隅ではもうじき行われる社内行事〈歌謡コンテスト〉に出場を予定している者達がストレッチや発声練習をしており、それらは死神ちゃんの〈美味しいひととき〉に更なる彩りを添えていた。
 死神ちゃんが仲間達の美声に楽しそうに耳を傾けていると、楽譜を抱えた住職が通りかがった。彼は死神ちゃんに気がつくと笑顔で近づいてきて、そして隣に腰を掛けた。


「|薫《かおる》ちゃんって、その体の割に結構食うよな。胃袋と財布、大丈夫なのか?」

「元の姿の時でも、このくらいは食べていたよ。財布は――うん、気をつけてはいる。気をつけてはいるんだが、秋から冬にかけてって食いもんがどれもこれも美味いから、ついつい買い食いしちまってさあ……。この世界、〈腕輪をピッ〉で何もかも済むから、うっかりすると使い過ぎるよな」


 死神ちゃんが苦い顔を浮かべると、住職は同意の意を込めた笑顔でウンウンと頷いた。死神ちゃんはクレープをひとかじりすると、住職を見上げて小首を傾げた。


「住職も今から声出しするのか?」


 死神ちゃんがちらりと広場の隅の面々に視線をやると、住職は「ああ」と答えた。死神ちゃんは住職にニコリと笑いかけた。


「お前、実際すごく良い声してるもんな。マッコイから聞いたけど、毎年、本戦に出場してるんだろ? 俺、審査員やってくれって声かけられてるからさ、生でお前の歌声聞くの、すごく楽しみだよ」

 もはや社内のアイドル的存在と化している死神ちゃんは、今回のイベントもグルメ大会の時同様、本戦の審査員での参加をオファーされていた。住職はニヤリと自信たっぷりに笑うと、死神ちゃんに身を寄せて囁くように言った。


「ここだけの話、優勝候補のセイレーンさんが今年はデスメタルにハマっているらしくて。あの人、社内で一番歌が上手いけど〈その年のマイブーム音楽〉がまちまちだから、それによって審査員の票もかなり揺らぐんだ。だから、今年は狙いめだと思うんだ」


 セイレーンさんは五階の水辺区画のレアモンスターのモデルにもなっている音楽オタクで、彼女が歌謡コンテストの際に披露する〈マイブーム〉に合わせて翌年の〈セイレーンレプリカの歌う曲〉が決められているそうだ。そのため、彼女の動向はコンテストを楽しみにしている者以外(主に〈あろけーしょんせんたー〉の面々)にも注目されているのだとか。
 そんな誰もが注目する彼女の歌声は、身内である社員ですら惑わされてしまうほどの美声で、ファンクラブが結成され、定期ライブも敢行されるほどだ。その優勝本命馬が、今年は聞く者の好みが激しく偏るであろうジャンルにご執心だと専らの噂となれば、もしかしたら自分が優勝という栄光を掴めるかもしれないと誰もが思うのは当然のことだった。


「あー、だからみんな、あんなに気合入れて体作りとか声出しとかしているのか」

「そうそう。だから、俺としても、今年こそは優勝したいわけよ。――命を賭してもな」


 真剣な表情で物騒なことを言う住職に死神ちゃんは目を瞬かせた。そして死神ちゃんは苦笑いを浮かべると、一言「応援してるよ」とだけ返した。



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 歌謡コンテストの予選はグルメ大会の時同様に、何日かに分けて執り行われた。残念なことに、エントリーしていた〈第三〉のメンバーはことごとく落選してしまい、〈第三〉で本戦に進めたのは住職だけだった。
 彼にも、セイレーンさんほどの規模ではないにしろ、ファンクラブがあった。予選の模様はテレビでも放送されていたのだが、住職が映るたびに社内の女性陣がここそこで黄色い声を上げていた。それを聞くたびに、死神ちゃんは〈彼の歌声を生で聞く〉ということへの楽しみがどんどんと募っていった。

 歌謡コンテスト当日。死神ちゃんはグルメ大会の時同様に綺羅びやかな衣装に着替えさせられていた。ヘアメイクを施されながら、死神ちゃんは両隣で支度中の天狐とアリサに声をかけた。


「〈|第三《うち》〉からもさ、一人本戦に進んでるんだよ。あいつの生歌聞くの、実は初めてでさ。だから今日は、とても楽しみなんだ」

「ああ、あの、元僧侶の人ね。実は死神課に〈副長職〉を新設するにあたって、彼に〈第三の副長〉を打診しているのよね」

「いいんじゃないか? あいつ、意外と面倒見良いし、仲間内からの人望も厚いし」


 死神ちゃんが賛成の意を込めて頷くと、アリサもニコリと笑い返してきた。すると、天狐が満面の笑みを浮かべて元気に言った。


「そう言えば、住職には〈ふぁんくらぶ〉とやらがあるらしいのう。わらわの城下町の|女子《おなご》達の中にも、その〈ふぁんくらぶ〉とやらに属している者がいるみたいでの。んっと……何だったかの……〈みみがはらむ〉だか何だかと言っておったのじゃ!」

「……天狐、そういうことは外では言っちゃ駄目よ? いい?」


 アリサが頬を引きつらせてそう言うと、天狐は純粋な眼差しで彼女を見つめ、そして不思議そうに首を傾げさせた。死神ちゃんも苦笑いを浮かべると、深い溜め息をついた。

 支度の整った死神ちゃん達が審査員席に着くと、コンテスト本戦の幕が開かれた。本戦まで勝ち残ってきただけあって、どの参加者の歌声もとても素晴らしかった。
 優勝本命馬のセイレーンさんは前評判通り、現在ご執心中のデスメタルを本戦用の曲として選曲してきた。彼女は麗しいその顔を奇抜な化粧で彩り、いつもの〈鈴が転がるような美声〉からは想像もできないような、地響きのようなデスボイスを会場に響かせた。
 想像以上の破壊力に死神ちゃんはぽかんとし、アリサや他の審査員達は頭を抱えて俯いた。天狐は楽しそうにケタケタと笑っていた。

 歌い終わったセイレーンさんが律儀にお辞儀をして去ると、住職がステージにお目見えした。死神ちゃんは思わず、彼の姿に顔をしかめた。


「何であいつ、袈裟姿なんだよ……」


 住職は気合の入った坊主スタイルだった。予選ではバラードやポップスなど様々なジャンルの曲を、その曲に合った服装で彼は歌っていた。その彼が今身に着けているのは、紛うこと無く〈坊主スタイル〉だった。


「俺の渾身の、一番得意の一曲。どうぞ、聞いてください」


 住職は深々とお辞儀をすると、凛々しい顔つきでそのように述べた。そして彼がスウと息を深く吸い込んで歌い出した曲を耳にした途端、死神ちゃんは苦しそうに顔を歪めた。


「これは……|声明《しょうみょう》……?」


 シャンシャンと鈴を鳴らしながら、お能のような調子で紡がれるその〈歌〉を、審査員達は呆然と聞いていた。メリスマな音楽に体性のないアリサは退屈に思ったのか、心なしか眉根を寄せて戸惑っていた。彼女は隣に座っている死神ちゃんのほうを向くと、声を潜めて話しかけた。


「ねえ、この声明っていう曲、私には何だか退屈だわ。ジューゾーはどう?」


 死神ちゃんは返答するかのように「うーん」と呻くと、そのまま椅子から転げ落ちた。アリサは悲鳴を上げると、そのままへなへなと倒れこんだ。それをきっかけに、住職の美声によって〈気になるあの娘〉を奪われた男どもが野次を飛ばし始めた。


「お前のせいで薫ちゃんとアリサ様が倒れたぞ、この生糞坊主!」

「なんだそのつまらない、平坦な歌声は! 帰れ帰れ!」

「その呪いのような歌で、俺のかわいこちゃんの心と耳を奪っただなんて信じられねえ! ふざけんじゃねえぞ!」


 坊主は歌を中断すると、苦悶の表情を浮かべて言い返した。


「何故だ! 何で俺のとっておきの一曲は理解されないんだ! お前ら、芸術ってものが分からないのか!」


 そう言って、彼はゴフッと血を吐いてばったりと倒れた。と同時に、会場に応援に駆けつけていた死神課の面々やアンデット要素のある者が倒れだし、コンテストは一時中断となった。
 住職が渾身の思いで歌い上げた声明は、会場に足を運ばずテレビで見ていた者の身にも襲いかかった。声明とは仏教音楽で、お経に節をつけた声楽曲である。そのような神聖なものであるから、アンデット要素のある者にとっては大ダメージだった。
 死神ちゃんは医務室に運ばれながら「命を賭してもとは、こういうことか」と理解した。そして〈いくら優勝したいからといって巻き込まないで欲しい〉と心の底から迷惑に思ったのだった。




 ――――なお、その後コンテストは再開され、受付のゴブリン嬢が見事優勝を果たしたという。しかし、死神ちゃんは何度もあったはずの〈コンテストの模様の再放送〉を運悪く全て見逃したそうで、いまだに声すら聞いたことのないゴブリン嬢の〈貴重な声〉が聞けなかったことが〈今年の心残り〉となったそうDEATH。

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