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私とやらない?

「君、いい声してるね、私とやらない?」

 とある地方国公立大学のキャンパス内を歩いている最中に、自分は唐突に見知らぬ女性からこんなことを言われた。

ほわわん

 まっすぐ長く伸びた黒髪、清楚な感じをイメージさせる顔、香水かシャンプーかよく分からない良い匂い、長身で175cmぐらいのたっぱ。一言で言えば、清純そうで綺麗なお姉さんだ。
 自分はこの手の美人にはあまり縁がないもんだから、この状況にすごくドキドキしている。しかし、同時に声に違和感を感じた。声が女性にしてはちょっと低い……。胸のサイズも膨らみはさほどなくぺったんこ、なんとなく、目の前の美しい女性が実は男性なのではないかと思った。
 つまりこの人の先程言った言葉は……!? 
 想像した瞬間、瞬時に逃げようと思った。

がしっ

 逃げる自分を逃すかと言わんばかりに、右腕に強靭な握力がかかる。自分の両の足を一歩でも前に出そうとするが、出来ない!

「逃がさないわよ、うふふ……」

 一体こいつに何をされるんだろうか。そんな不安しかない。自分は大半の人間が遭遇したくないであろう瞬間に出会ったのかもしれない……。



 ここは地方国立大学のAKT大学。キャンパス内には緑の木々が生い茂り、芝も多く、自然が多い環境だ。住みやすいからか、鳥もあちらこちらにいるみたいだ。

ちゅん ちゅん

 キャンパス内の建物はどれも古びていて、薄汚れていたり、ひびが入っていたりと、歴史を感じるさせるものが多い。もちろんキャンパス内なので学生が大半であるが、この大学近辺のおじいちゃん・おばあちゃん達もここで散歩しているようだ。
 自分はこの春から、AKT大学に通うことになった。別にここに行きたい理由はなかった。旧帝大あたりを狙っていたが、センター試験で失敗し、自分のレベルでも入れる学費の安い国立大学がどこかと探した結果がここだったのだ。いくら国公立といえども、ど田舎で建物も古く、マイナーだから自分みたいな馬鹿でもはいれるのだろう。
 理系で受験し、なんとなく面白そうだったので工学部の化学科を選択し、入学できたわけだが、この先はどうなるか、まったく考えていない。まあ工学部だから就職には困らんだろうと安直な考えをしている。
 さて、今はサークル勧誘真っ盛りの時期。コミュ障の自分はおそらくサークルに入らないと、ぼっちで寂しいキャンパス生活を送るだろうと思い、これはと思うサークルを探す。しかし簡単には見つからない。いろんな人が勧誘してくるが、サークル名だけ見て、ああこんな感じのサークルだろなと思い、スルーしていく。そもそも、中学も高校も真面目に部活をやらずに所属しているだけの幽霊部員だった。そんな自分にぴったりのゆるめのサークルはないかと探している。

ギューン

 唐突に猛スピードの自転車が自分の目の前から近づいてきた!

「ほぁ!? 」

ザッ!

 なんか普段出さないような高音ボイスをだしながら、足の先に力を入れて、身体を30cm程横にずらして、瞬時に自転車を避けた。

「あぶねぇな……」

 独り言で思わず呟いた。ちょっと時間がたって冷静になると、こんな人通りが多い中で自転車を飛ばす非常識なやつがどこにいるんだ! と腹が立った。

メラメラ

 そんな怒りのボルテージが上がっている真っ最中に肩をぽんぽんと叩かれた。肩を叩いたのは今後の自分の大学生活を支配するやつである。



ドン

 自分は今鍵をかけられているかなり狭くなぜかピアノも置かれている密室の状況で、綺麗に女装した男性から壁ドンされている。
 もう、犯罪的な事をやってもOKなシチュエーションの最中にいて、自分は何をされるんだろうかと気が気でない。さきはど良い声だのやらないかだの言ってたから……自分の尻が一番危ないかも知れない……。

「そんなに怖がらなくてもいいのよ? 出すもの出せば、痛くはしないからね~♪」

 痛くはしない。恐らくお金を払えば見逃してあげる、さもなければ痛い目に合わせるといったところだろうか。今ここで大金をなくした方が、案外良いかもしれない。

「さ~て、君の名前、電話番号、住所あたりを聞かせてもらおうかな~♪」

「え?」

 予想外の返答が返ってきた。自分は金を払うものかと思っていた。いや、今日の社会は個人情報もかなりの金になる。まさか、自分の情報をやばいところに売るつもりではないだろうか?

「なぁ~に? まさかお金払わなきゃ、ちょっと暴力的な目にあわされるかと思った~? もしくは私にいやらしい事されるとでも思った~♪」

「……」

 一体自分は何を喋ればいいんだ? コミュ障でなくても、いきなりこういう場面に出くわせば何を喋ればいいのか分からなくなるだろうと思う。

「口開かないなら無理矢理こじあけてあげようか?」

 目の前の名前も知らない女装子が舌なめづりをする。まさか、深めなキスをするつもりか!?

「い! いえ! こんなシチュエーション初めてで一体何を喋れ良いのか分からなくなってしまってですね~!!」

 目の前の女装子が少し思考している。

「あなた、女の子と付き合った事ないでしょ?」

「ぎ!?」

 そうなんだけどさ、はっきり言うかこういう事。

「まず第一印象が恋人いない歴=年齢。あと、私に対する反応が、女性慣れしていない感じだった。正解でしょ?」

「……はい」

 正直に言うのもしゃくな気持ちはあったが、今はこの女装子に素直に従うしかないと思った。こいつには得体の知れなさがある。うかつな行動をすれば、自分は二度とまともな世界に帰れないかも知れない



「さ~て、君の名前、電話番号、住所は確認したし、もう私からは逃げられないわよ? うふふふ♪」

 結局自分は、目の前の女装子の何をしでかしてくるか分からない不気味さに負けてしまい、個人情報を吐いてしまった……。
 そして、今自分がいるのは、大学の教育学部の建物で、音楽を専門とする生徒が練習する個室であるらしいのだ。
 この個室は建物内にいっぱいあり、最低限のスペースにピアノがおかれており、まあ目の前に女装子もいてか、とにかく狭いし息苦しい。
「そういえば私の自己紹介がまだだったね、私は|岸《きし》|或斗《あると》! よろしくね! 教育学部音楽科の1年生よ。アルちゃんって呼んでいいよ。君の名前は|塩川《しおかわ》|聖夢《せいむ》くんだったね。セームくんって呼ぼうかしら」

 この人同じ一年生だったのか。まだ怖いと思うところはあるが、同じ学年と分かって少し安心した。

「普通に塩川と呼んでくれよ。自分も岸って呼ぶから」

「えぇ~、セームくんの方が響きがいいじゃ~ん♪」

「いや、そう呼ばれるキャラではないと自分は思うので、塩川で良いよ」

 自分のキャラについてだが、まず自分は小さいメガネ男子だ。身長151cmでよくからかわれることが多い。まったくおしゃれなど意識してない格好で、地味だ。性格は真面目なようでいい加減でいて、目立つのは苦手なタイプで、影が薄いと自分は思ってる。
 こんな男はセームくんというよりは塩川、いやモブキャラAとよんだほうがいいだろうと思う。

「そう、じゃあ勝手にセームくんってよばせてもらうわ♪」

 この女、もとい野郎は……さっきからこいつのペースで会話がすすんで、非常にやりづらい感じである。

「さて、君を勧誘したのは私がこの大学に合唱団を立ち上げたいと思ったからよ」

「勧誘? 合唱団?」

「私は勧誘するつもりで君に最初の一声をかけたのよ。まさか深読みして私と変な事するとでも思ったのかな♪」

「その、そういう勘違いはしてはいたが、まさか合唱の誘いとは思わなかったし……。ところで、なんで自分なんかを合唱団に誘おうと思ったんだ?」

「私の直感よ。まず、君の声。君が自転車に轢かれそうになって驚いた時にあげた奇声を聞いて、良い声の持ち主だと思ったわ。今喋ってる地声は歌の得意そうじゃない声質に聞こえるけど、歌うとスイッチして声が変わるタイプね」

 さきほど驚いて声をあげたが、まさか奇声と思われる声だったとは。恥ずかしい気持ちになった。その気持ちを悟られまいと、表情を変えずにいこうと思うが、唇がヒクヒクと動く。どうも自分は顔に正直に気持ちが出てしまうタイプなんだよな。

「あと、君、歌うのは好きなタイプね。これも直感」

 こいつ鋭い。自分は人前で歌うのは嫌だが、歌うのは好きだ。気が向いた時に、近所のカラオケ屋さんでヒトカラを歌いまくってる。実家から引っ越しきたばかりで、まだこの辺の土地勘は分からないが、カラオケ屋さんがどこにあるかだけは大体把握している。
 さて、そろそろここらでお断りの雰囲気を漂わせないと本気で合唱団の一員にさせられると思った。やばいくらい係わってしまったが、これ以上はゴメンだ。個人情報がばれてしまったが、引っ越ししたり、携帯電話の番号を変えれば何とか逃げれるかも知れない。

「申し訳ないが、合唱は大嫌いなんだ。クラスで合唱を歌う機会は何度かあったけど、一人で歌うときに比べて歌が綺麗すぎてつまらなく感じるんだ。多分入ってもあまりやる気が出ずにすぐにやめるかと思う」

「なるほど、あなたの言葉、まるで昔の私の思いを代弁してくれたかのように思えたわ。私も昔は合唱が嫌いだったの」

 これまた意外な返答が返ってきた。これまでの或斗の態度から、いいから入りなさい! 言ってくるもんかと思っていた。

「学校の授業でよく合唱はあったけど、先生はとにかく元気に声を出せとばかり言ってて、技術を高めることを全く教えてくれないのよ。おまけに難易度の低い歌ばかりで、歌っててもくそ面白くないのよね~」

 その発言に大変共感するものがあった。まさに自分が学校の音楽の授業で思っていた事を目の前の或斗は言っているのだ。その共感の思いを言葉で出したくなった。

「ああ、それはすごく同意できる! なんというか、難しい歌は歌うのがストレスにもなるんだけど、上手く歌えるようになるとすっごく気持ちがいい! ただ、学校の合唱ではそういう気持ち良くなる瞬間がなかったんだ!」

 或斗の顔から笑顔がこぼれた。

「ふふ、今の会話で少しあなたが見えたわ。あなたは私の直感通り、歌に対して魂をもっているタイプね」

 しまった!
 自分が歌好きとは言え、こんな得体の知れないやつに、素の自分をだしてしまったからである。やつが狙ってこの会話を出したのだったらとんだ策士だ。この流れを変えよう。自分は話題の方向性をずらしてみようと思った。

「ところで、合唱大嫌いと思っている人がなんで合唱団を立ち上げようと思ったんだ?」

「君の合唱に対するイメージは、よくみんなが思っている合唱のイメージでもあるのよ。私はそのイメージを破壊し、新たな合唱像を創造するためにサークルを立ち上げる!」

 破壊ってとんでもない言葉を出してきたぞこいつ! なんか危ない宗教の人に見えてきたな。

「合唱団って、自分の勝手なイメージだけど、全国大会を目指して一生懸命頑張る青春系のサークルだよな? 体育会系の入ったきつく苦しい練習をするサークルは自分は絶対もたないぞ。入ったら3日で辞める人間だと断言する」

「勘違いしないで、私はみんなが楽しめる合唱を目指しているのよ。合唱は『音楽』、楽しむ音よ! 決して音で苦しむ『音が苦』ではないわ!」

 今の一言は深いなと思った。文字通り音楽であれば、自分も合唱に夢中になるかもしれない。

「あなたにはそんな合唱を世に広める仲間になってほしいのよ」

 今の自分は或斗の話術にかかっているかもしれない、ちょっと合唱やってみようかなという気持ちになっているのだ。まあ、嫌になったら全力で逃げればいいと思うし、奴は危険だが、思想は素晴らしい。

「自分は合唱に関しては、全く何もできない役立たずの人間だけど、それでも良いのか?」

 最初に期待されて入部するよりかは、役立たずですといっておいた方がハードルが低くて今後苦労しないかなと思った。

「いいわよ、まずは経験を積まないと誰も使い物にならないわよ。私だって昔は下手の横好きとか言われてたんだから。さてと、まずは会員集めね。混声のアンサンブルをやるにしてもソプラノ、アルト、テノール、ベースで最低4人は必要だわ。それについてはまた後日お話しましょう」

 こんせい? あんさんぶる? ソプラノとかテノールは女性とか男性が言われる言葉だよな・・。そこまで音楽に詳しくない俺は頭の中に? を思い浮かべた。

「そうだ、せっかくピアノがあるし、君の音域見ておこうか。君がベースをやるか、テノールをやるか、もしかしたらアルトをやるかもしれない。それを今決めるわよ」

とぉーん

 或斗はピアノの音を試すように一音出した。なにやら納得がいかない感じの顔をして、もう一度音を出して、首をひねった。

「ここのピアノ何回か使っているけど、どの個室もピアノの調律がちゃんとされていないのよね。分かるでしょ? 音が微妙に低かったり高かったりして気持ち悪いのよ!」

とぉーん とぉーん

 或斗が音の悪さを主張するようにピアノをならす。

「いや、自分にはよく分からないな。特に問題ないように思えるんだけど」

「分からないの? これドの音」

とぉーん

 或斗がピアノの鍵盤を叩いて、ドと思われる音を出した。

「普通にドじゃないの?」

「微妙に違うのよね。しゃあない、君は私の声に合わせて声を出してね」

 というわけで或斗の声に合わせて声を出すことになった。

「はい、あ~♪」

「!?」

 或斗は男性とは思えない綺麗な声を出している。正直自分はシャイだし、気が小さいから人前で歌うのは苦手だ。しかし、自分が根っからの歌好きと言う事もあってか、こいつに負けたくない! という気持ちが出てきた。そのおかげか、いつもカラオケで歌うよりも良い響きで歌えている感覚がある。といっても今声を出している或斗以上に良い声が出せない。或斗の領域にたどり着きたい。そんな思いを抱きながら、声を出している一秒一秒どうすればより良い歌声を出せるか考えながら歌った。やがて、二人のミニ合唱は終了した。

「お疲れ様。私の思ったとおり、磨けば光る原石ね君は。もっと磨いて光らせる必要があるけどね」

「えぇと、どうも……」

「さて、君の声質はバリトンね。でも低音よりも高音の方が得意そうだから暫定テノールにするわ。」

「あの、ベースとかバリトンとかテノールとか言われてもぴんとこないんだけどさ……」

「そうか、まずそこから教えないといけないか。男性で高い音程を歌うのがテノール、低い音程を歌うのがベース、その中間がバリトンと思って貰えば良いわ。余談だけど、私の知り合いの合唱の指揮者さんから、日本人男性の大半はバリトンであるという話を聞いたの。だから日本人男性だけのグループでパート分けをする場合はバリトンでもテノールよりかベース寄りかで決める事が多いわ」

「へぇ、そうなんだ……」

「あと、女性が少ない場合はテノールに女性をいれるパターンもあるわ。ただ、合唱にするとどうしても声が合わなくなるから、精々二人が限度ね。女性の場合、男子が高音を出すのが苦手な傾向があるからその補助でいれる意味合いが強いわね」

「うわ~、合唱って思ったよりも考えてやるんだな~」

「そうよ、でもこれは合唱の難しさのほんの一部よ。今後はもっと厳しい問題が出てくるわよ」

「やばい、自信がねえ……」

「自信がなければ経験しなさい。場数を踏みなさい。それで自然と自信も付くわよ」

「そういうもんかな?」

「経験者が言うから間違いないわよ。ああそうだ、セーム君の連絡先を教えて貰ったし、私の連絡先も教えておくわね」

 或斗はそう言って、スマホをいじって、自分の携帯に連絡をした。或斗と思われる電話番号から着信があった。

「これであなたからも私を呼び出せるようになるわ。デートしたかったら時間の良いときに付き合うわよ♡」

「誰が誘うか! というよりそんなに綺麗な容姿だから、彼氏でも彼女でもいるんじゃないのか!」

「なによ~、女の子と付き合った事がなさそうだから、お姉さんが練習がわりにデートしてあげるって言っているのよ!」

「お姉さんって……あなたの性別男ですよね」

どん

 不意打ち的な壁ドンをされた。或斗の男を魅惑する顔が自分の顔に近づく。

「心は美しき女性よ! なんなら、あなたの体に私がいかに女性であるか教えてあげようかしら♡」

 或斗の顔からかなり危ない気配を察した。

「結構です! 或斗さんは十分に身も心も女性です!」

 或斗が自分から少し距離を離した。

「よろしい。では後日、合唱団のメンバー集めのために、改めてお会いしましょうか」

 或斗がそう言って、各自解散となった。
 自分のキャンパスライフに特に夢も希望もなかったが、今日出会った或斗によって、大きな不安を持たされたのであった。
 あと、携帯に親以外の連絡先が登録されて、少し嬉しい気持ちになった。

しおり