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仕事


 すでに開拓された山道を歩くのは易しく、勾配がきついことを除けば、昼下がりのピクニックのような風合いだ。

 しかしシンとアオバは気配を殺し、逆に周囲の気配を感じ取る。
 未だ不仲な二人だが、この森の危険性を理解していた。

「……おい。あまり急ぐなよ」
「遅いヤツが悪いんだ」
「迷うぞ」
「迷わない」

 どこまでも反抗的な態度に、怒りを通り越して呆れすら感じる。
 ここまで感情で動くバカだとは思っていなかった。

「依頼が終わったらすぐに除名申請してやる……」

 会長の意向に背くことになるが、もはや知ったことではない。
 なるべく早く彼女を遠ざけなければ、精神的な安定がことごとく崩れ去るだろう。

 が、今そんなことはできず、不服ながら仕事をしている身の上だ。
 沸騰寸前の腹を押さえ込んで、口を開く。

「自信があるのは良いが、迷うヤツが何人か居るんだよ」
「そんなのは間抜けだ」
「全くそうだよな。たとえばあそこに分かれ道があるだろ? 一見右側が開けてて道っぽいけど、正解は反対だ」

 と、言ったタイミングでアオバは右の道に片足を進めていた。
 途端、油の切れたネジのように、ぎりぎりと頭をこちらに向け、睨んできた。
 ただ、顔が赤い。

「どうした? 迷わないんだろ」
「ぐっ、あ、ああそうだよ。これはその、足が滑っただけだっ」

 啖呵をきったつもりのようだが、シンにしてみれば言い訳だ。
 もっともこの分かれ道は間違って当然なので、これ以上追求するつもりはない、下手をすれば痛い目を見る。

 が、さっきまで生意気だった後輩が恥じをかくのはおもしろく、シンは意地が悪いと理解しつつもほくそ笑んでおちょくる。

「そこは左……っぽいけど右」
「むっ」
「それは右、じゃなくて左だったな」
「むぐぅ……」
「あれは一見左っぽいけど」
「右なんだろ!?」
「いや、普通に左」
「……っ!」

 アオバは振り返り、リンゴ並に赤くなった顔を寄せてくる。

「お、お前、バカにしてるのか?」
「今更?」
「ナメやがって……」
「恥かきたくないなら先輩に従えよ」

 すると見る見るアオバは目尻をつり上げ、拳を硬く握りしめる。
 しかし堪えたように笠を深く被り直し、歩き出した。
 やや歩速を緩め、そっとシンを前に行かせる。

 ようやく素直になったと嘆息を吐くが、背後を取られるとそれはそれで怖い。

「どっちになっても落ち着かないな……うぜえ」

 ボソリと呟いた途端、背後で剣が抜かれる音が響く。
 胸元の導銃に手を伸ばしつつ振り返ると、アオバは剣を手に握っている。

 片刃でやや細く、漆喰を塗られた鞘と銀色の刀身が目に映る。
 たらりと冷や汗が流れた。

「……」
「なんだ、斬ると思ったのか?」
「やりかねないからな」
「ビビリめ」

 顎をしゃくる。
 その先、というよりずっと先の樹間に、黒っぽい何かが見えた。

 片目望遠鏡を取り出して良く見ると、それは大狼と呼ばれる魔物だった。
 こちらには気づいていないが、臭いを感じているのか警戒している。

「あれが見えたのか」
「ふん」
「そう尖るなよ。にしても驚いたな、この距離でとは」
「あたしにとっては当たり前だ」

 まんざらでもない様子だが、決して笑みは覗かせない。
 自然体に剣を構え、スリットの入った衣服から右足を伸ばす。

 足が地面を捕らえ、その白い太ももは力が巡っているのか、静かに脈を打っていた。

「この距離だ。様子を見ながら……」
「あれを殺すのも仕事なんだろ?」
「だからって、おいっ」

 止める間もなくアオバは走り出した。
 猛烈な速さだ、凹凸の激しい地面や、茂みに倒木といった障害物を難なく踏破していく。

 異様な気配が迫っていることに気がついたのか、大狼が吠えた。
 近場の茂みから群れらしき数頭が飛びかかる。

「ふんっ!」

 しかし刃が煌めいたと同時に、大狼は真っ二つに切断された。
 さらなる追撃をアオバはひらりと回避し、その間隙を縫うように切り裂いていく。

「おいおい、化け物かよ。呪文も使ってないんだぞ……」

 ようやくシンは追いついたが、暴風雨のごとく振り回される刃と、それに切り刻まれる肉片で、加勢に入れない。
 ただ呆然と導銃を握りしめる。

 そうして間もなく最後の一頭が鼻先から尾まで、まさしく真っ二つに切断された。
 剣の血を振り払い、納める。

「……その剣には呪文がかかってるのか?」
「かかってないし、これは刀だ」
「刀? そんな剣種があるんだな……ともあれ、驚いた」
「道案内さえしてくれれば、他はあたし一人で十分だ」

 笠の下から挑発的な視線が光る。
 しかし事実である以上、シンは舌打ちしつつ頷く。

「だけど協調性は必要だ。協会は相互扶助で成り立っている。スタンドプレイは問題を起こすし、自分自身も危うくする」
「そんなことは知らない」
「その態度くらいはさすがに直せよ。まったく」

 穏やかな口調を心がけるが、会話を交わす度に口が暴発しそうになる。
 どう接しても噛みつく態度にうんざりしかけたとき、シンは目を真開いた。

「まずいな」
「うん?」
「周囲の魔素が濃くなってるような気がする。障気がくるぞ」
「なんだよそれ」
「はぁ?」

 常識を質問されて、思わず素っ頓狂な声が出た。
 怒りとか苛立ちより先に、驚きが大きい。
 が、みるみる内に空気中の魔素の濃度は膨れ上がっていく。

「逃げるぞ。障気に包まれたらヤバイ」
「だからなんだよそれは……おっ」

 アオバが遠くを見やる、すると一頭の大狼が茂みに隠れていた。
 仲間の惨状を目にし、仇を打つか逃げるか、迷っているような雰囲気だ。

 だが獲物は獲物とばかりに、アオバは身を翻す。
 と、その瞬間、大狼の向こうから黒い霧がうっすらと現れた。

「まずい、よせ!」
「……?」

 獲物しか見えていないようだった。
 向こうからは障気がゆっくりと、その色を強めつつ迫ってくる。

 シンは引き金を引いた。
 銃身内で魔素が炸裂し、それ自体が弾丸となって大狼に直進する。

 もちろん拳銃ゆえ、当てるつもりはない。
 だがその音は怯える大狼を追い払うのには十分で、一目散に障気の中へと駆けだしていった。

「なっ、おい、邪魔を……!」
「黙って逃げろ! 死ぬぞ!」

 腹から声を絞り出す、さすがのアオバも一瞬戸惑い、迫る障気から逃げ出した。
 確認し、シンも踵を返して走り出す。

 肌のヒリつきが消えてなくなるころには、二人は森の麓にたどり着いていた。
 大きく肩で息をし、汗を拭う。

「どうしたんだ?」
「ふう、はあ……障気が発生した」
「マジか。おおよその地点はわか……」

 運転手の質問を無視して、シンはアオバの前に立つ。
 そして、思い切り頬を張った。

「いい加減にしろ。強くてもお前は素人なんだよ。ちょっとは落ち着いて行動しろっ」
「……」

 手のひらがジンジンと痛い。
 平手とは言え人を殴ったのは久しぶりだ。
 が、こうでもしなければならないと、半ば無意識の行動だった。

「どうせ殴ったって、お前は動じないんだろう、けど、な……?」
「……」

 笠の下に見える頬、一筋の涙が伝っていた。
 予想外の反応に、怒りがしぼむ。

「いや、殴るのは良くないかも、だけど……」
「っ!」

 アオバが右手を振り抜き、シンの左頬に鋭い衝撃が走る。
 しぱぁん、と甲高い音が森に響いた。

「……先に殴った方に同情するのは、始めてだ」
「ああ、そう……」
「……」

 帰り、運転手は気まずそうに笑う。
 シンの頬は痛々しく、ともすれば笑ってしまうような大痣が浮かんでいた。
 頬を撫でる風すら痛い。

 不満というには多すぎる黒い感情を抱きつつ、シンはそっぽを向いて空を眺めた。
 ゆえに、ごめんなさいという言葉は耳に届かなかった。

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