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第15話 パジャマ★パーティー

 勤務を終えて帰って来た死神ちゃんが共用リビングに顔を出すと、マッコイの膝の上で天狐が溶けていた。どうやら、マッコイは天狐の尻尾を一本一本ブラッシングしてやっているようで、抱きつくような感じで膝に座る天狐の尻尾の一本を手に取り、もう片方の手を〈尻尾の付け根から先端へ〉と丁寧に動かしていた。それがとても心地よいのか、天狐は彼の胸元にべっとりとほっぺたをくっつけて至福の笑みを浮かべてとろけていた。


「さ、終わりましたよ」

「うむー……。おみつにも劣らぬ素晴らしい櫛捌きで、とても気持ちが良かったのじゃ……。マッコ、お主、中々の〈てくにしゃん〉じゃのう……。お風呂上がりと、朝にも是非頼みたいのじゃ……」

「それはいいですけど、|薫《かおる》ちゃん、帰ってきましたけど」


 マッコイは天狐と合わせていた視線を外して、リビングの出入り口へと動かした。それに釣られてこちらに振り向いた天狐に対して死神ちゃんが苦笑いを浮かべると、天狐は大きなツリ目を一層大きく見開き、顔全体を真っ赤にしてぷるぷると震え出した。


「マッコ、何故もっと早く言わぬのじゃ……。お花に恥ずかしいところを見られたではないか……。この〈四天王〉らしからぬダラけきった姿、わらわとマッコ、二人だけの秘密にしようと思うていたのに……」

「あら、そもそも、ここ、共用のリビングですよ? 薫ちゃんどころか、みんなが見ていますわ」


 天狐はハッと息をのむと、辺りをキョロキョロと見回した。そして、死神ちゃんの他にも意外とたくさんの人がいることにようやく気がつくと、ピタンと音を立てて頬に両手を添え、九本全ての尻尾をピンと立てた。


「うにゃー! 迂闊じゃったー!!」


 いまだマッコイの膝の上でぷるぷると震えている天狐と、彼女の背中をポンポンと叩きながらあやしているマッコイに死神ちゃんは近づいていった。すると、マッコイが今さらながら「おかえりなさい」と声をかけてきた。


「ただいま。なあ、お前、今日はたしか中番じゃあ――」

「有給をとったのよ」


 死神ちゃんの質問を食うように、彼は素早く答えた。彼の瞳には影が差しており、そして何も映してはいなかった。
 班長は〈次の勤務時間帯の監督者〉と引き継ぎを終え監督業務を交代すると、勤務を終えるまでに一度ないし複数回、平社員死神と同じようにダンジョン徘徊業務を行うのだが――。昨日、マッコイが引き継ぎを終えてダンジョンに出ると、突然矢文が飛んできたのだそうだ。


「は? 矢文?」

「うむ! 〈お友達のおうちにお泊り〉は、わらわの憧れなのじゃ! しかしの、おみつが『溜め込んだ〈宿題〉を全部片付けてからです』と言うのでのう。じゃからの、約束通りに片付けて〈お泊りのご依頼〉をマッコに|送って《・・・》もらったのじゃ。あの凄まじいまでの真顔はきっと、わらわが〈やればできる子〉だというのを知って、しみじみと感動していたからなのじゃろうなあ!」


 死神ちゃんは〈それは感動したのではなく、呆れ果てたのでは〉と思った。しかし、それを言葉にするのはやめておいた。死神ちゃんが無表情になっているのを気にすることもなく、天狐はマッコイの膝の上で楽しそうに話を続けた。


「〈お友達のお部屋〉でおしゃべりを楽しんでいたら、〈お友達のお母さん〉が美味しい手作り晩ご飯を運んでくるのじゃ! 〈お母さん〉役はもちろん、マッコじゃ! とても適任だと思うのじゃが、お花はどう思う!? 晩ご飯のメニューは定番のハンバーグとかオムライス、カレーあたりじゃな。あ、でも、スパゲッティでも素敵じゃのう! ご飯のあとは〈お友達と仲良くお風呂〉じゃ! 頭を洗いっこして、お背中流しっこするのじゃ! 夜は同じベッドで、眠くなるまでまたおしゃべりなのじゃ! ――あああ、いいのう、ドキドキワクワクするのう!!」


 楽しそうに肩を揺らして笑う天狐を眺めながら、死神ちゃんは顔をしかめた。天狐はそれに気がつくと、得意気に胸を張った。


「案ずることはないぞ、お花! ペドは追い払ってもらったのじゃ! だから、お泊りしても危険はないのじゃ!」


 死神ちゃんは、天狐からマッコイへと視線を移した。すると、虚ろな目をしたままのマッコイがスッと顔を|背《そむ》けた。それと同時に、周りにいた数名も何故か俯いた。どうやら、急なスケジュール変更を余儀なくされたのはマッコイだけではないようだ。
 死神ちゃんはぐったりとした表情を浮かべると、天狐にボソボソと言った。


「泊まりにくるのはいいとしても、直前じゃなくて、もっと事前に教えてくれないかな。――そう、できたら、翌月のシフトを作る前までにとか。でないと、〈お母さん〉も〈おうちの人〉も、みんな困るから」



   **********



 死神ちゃんの自室に移動すると、天狐のテンションは跳ね上がった。目をキラキラとさせ、しばらくぷるぷると震えていたかと思うと、自分がいかに今嬉しくてたまらないかということをマシンガンのごとく話し出した。
 そのまま、最近の出来事などを天狐がしゃべり倒すのを、死神ちゃんは頷きながら聞いていた。話が途切れたところで、死神ちゃんは度々話題に上っていた〈宿題〉とやらについて聞いてみた。すると、天狐は少々苦い顔をしてポツポツと説明してくれた。

 天狐は、元々はこことは別の世界の住人なのだという。両親は揃って大妖怪で、特に母は地主神を務めるほどの力の持ち主なのだとか。そんな血筋のせいか、天狐は生まれたときから既に妖狐だった。本来妖狐というものは、まず成熟をし、そこから数十年後にようやく〈妖狐になるための修行〉が始まり妖狐となる。しかし天狐はその特異な生い立ちのせいで、結果的にその〈修行〉の部分をすっ飛ばすこととなってしまった。そして〈お勉強〉や〈宿題〉というのは、この本来行うべき〈修行〉のことなのだとか。
 天狐の尻尾は修行を行う余裕もないまま、増大する妖力に合わせて一本二本と増えていき、あっという間に九本にまで増えたという。力をコントロールする術を身に着けていないため暴走することもしょっちゅうで、彼女の母親は頭を抱えていたそうだ。そして娘の〈妖力を抑えるのだけで精一杯で心身の成長をしている余裕もなく、修行する余裕すら持てない状況〉に危機感を募らせた母は、灰色の女神に助けを乞うたのだとか。
 以来、天狐は溢れかえる妖力を〈アイテム開発〉のために提供しており、それによって落ち着いた毎日を送れるようになったそうだ。


「おかげで〈お勉強〉する余裕ができたわけじゃが、いかんせん、わらわは〈お勉強〉よりも、町に出て|皆《みな》の作るおもしろいものを見て回ったり、遊んだりするほうが好きでのう……」


 天狐がしょんぽりと肩を落とすと、ぱたぱたとせわしなく動いていた尻尾もぺたりと床に寄り添った。死神ちゃんはフウと息をつくと、ゆっくりと口を開いた。


「どんな勉強も、必ず何かしらの役に立つ。だから無駄なんてものはない。しかも、お前の場合、生きていくために必要なんだろう? だったら、後回しにしたらいけないな」

「それは分かるのじゃが……」

「じゃあ、こう考えよう。苦手なものと楽しいもの、あとに待ち構えているのはどっちのほうがいい? 俺だったら〈楽しいもの〉だな。楽しいもののためなら、苦手なものも頑張って片付けられるからな。――きちんと〈宿題〉を片付けたからこそ、泊まりに来られたんだろ。これからだって、やるべきことをきちんとやれば、好きに遊びにもいきやすくなるだろうし、お泊りだってしやすくなるだろうさ。お前は〈やればできる子〉なんだろう?」


 天狐がコクンと頷くと、タイミングよく部屋の外からマッコイの声が聞こえた。ドアを開けてやると、彼は二人分のトレイを器用に片手で持ち、もう片方の手にはジュースの入った水差しを持って部屋に入ってきた。
 トレイには〈天狐の夢〉が、カレー以外全て実現されていた。ミニハンバーグにミニオムライス、スパゲッティにサラダがワンプレートに乗っていて、さらにはデザートにプリンまでついていた。

 |爛々《らんらん》と目を輝かせた天狐は、元気よく「いただきます」の挨拶をすると、それらを幸せそうに頬張った。


「すごく美味しいのじゃ! マッコは何でも出来るのじゃなあ! 本当に凄いのじゃ!」

「喜んで頂けて嬉しいですわ」


 
挿絵




 口の周りをソースでべちょべちょにして喜んでいる天狐と、照れ笑いを浮かべるマッコイを交互に見つめると、死神ちゃんも一口頬ばった。そして目を見開くと、死神ちゃんは勢い良く彼を見上げた。


「これ、本当に全部お前が作ったのか? 他の|女性陣《ヤツら》じゃなくて?」

「ええ、そうだけど」

「すごいな。本当に美味くて、正直驚いた……」


 嬉しそうにはにかむ彼を、死神ちゃんはぽかんと見つめた。それを見た彼が不思議そうに首を傾げさせ、死神ちゃんは慌てて少し赤らんだ顔を伏せた。そして「何でもない」と言うと、オムライスを食べ始めた。



   **********



「二人だけで入れるかしら? 大丈夫?」

 風呂場の脱衣所で、死神ちゃんや天狐が服を脱ぐのを手伝いながら、マッコイが心配そうに言った。大丈夫と答えつつも〈マッコも一緒がいい〉と天狐はせがんだ。


「アレじゃな!? 身体が|男子《おのこ》であることを気にしておるのじゃな!? わらわは里帰りしたら必ず父上と一緒に湯浴みをするからの、うっかり〈ぽろり〉しても気にしないのじゃ! だから一緒に入るのじゃ!」

「んまっ、もふ殿、破廉恥ですわよ! 女の子がそういうことを言ったら駄目です! すぐそばにはいますから、何かあったら呼んでくださいね」

「嫌じゃー! 一緒に入るのじゃー!」


 また今度と言いながら、マッコイは駄々をこねる天狐を浴室に押し込んだ。そのやり取りを見守っていた死神ちゃんは、溜め息混じりに言った。


「ああ言ってるんだし、気にせず一緒に入ってやればいいのに」


 そうじゃなくてねと言いながら、マッコイが目を伏せた。彼の視線の先には、書類らしきものがごっそりと詰まった手提げが置いてあった。
 死神ちゃんが健康診断を受けた日、彼は休日のはずだったのだが、実際は寮の管理業務と並行して雑務をいろいろと片付ける予定だったらしい。新人指導のために発生した〈普段は行わない雑務〉が大量にあるため、いわゆる〈持ち帰り残業〉をしないことには処理しきれないのだとか。しかし、ビットの無茶ぶりのせいで、作業ができずじまいだったのだという。――つまり、付きっきりで天狐の対応をしたくても、そうも言ってはいられないらしい。


「何て言うか、ごめんな……」

「いいの、いいのよ。薫ちゃんは何も悪くないんだから、謝らないでちょうだい……」


 死神ちゃんは乾いた笑顔を浮かべると、肩を落としてトボトボと浴室へと入っていった。

 浴室では、天狐が得意げな笑顔で待ち構えていた。シャンプーを泡立てて待機していたようで、彼女はこんもりとした泡の塊を手に「早く髪を濡らすのじゃ!」と胸を張った。
 髪を洗い合い、その髪をタオルで束ねようとしたが二人とも上手くいかず、マッコイに助けを求めた。背中を流し合い、そして湯船に浸かると、死神ちゃんはふと〈あろけーしょんせんたー〉で見た〈四天王〉のホログラムのことを思い出した。それについて話をすると、天狐は水面をパチャパチャと叩きながら自慢気に言った。


「わらわの母上は世界一の美人さんなのじゃ! 自慢の母上なのじゃ! 父上もの、すごく優しくて〈だんでぃ〉なのじゃぞ! 今度、お花にだけ特別に〈ぶろまいど〉を見せるのじゃ!」


 風呂から上がって身体を拭いていると、天狐が何やらニヤニヤとしながらもじもじとし出した。どうしたのかと尋ねると、プレゼントだといって包み紙を渡された。中に入っていたのはネグリジェで、事前のリサーチによって死神ちゃんが特にパジャマなどは持っていないと知り、それならばとお揃いで用意したのだそうだ。
 その場でそれに着替えてやると、天狐は湯に浸かって赤みの差していた頬を一層赤くして喜んだ。

 部屋に戻ってベッドに潜り込むと、〈眠くなるまでおしゃべり〉と意気込んでいたはずの天狐はすぐさま夢の中へと旅立ってしまった。今日という日がよほど楽しくて、全力で満喫して、思っていた以上に疲れたのだろう。幸せそうにむにゃむにゃと寝息を立てていた。

 もしも、生前に家庭を設けていて、娘がいたとしたら。きっとこんな一日を当たり前のように過ごしていたのだろう。
 女神に〈死神として生きること〉を打診されなければ。さらには、幼女の体にされなければ。天狐と知り合うこともなく、このような経験をすることも無かったかもしれない。

 そんなことを考えながら、死神ちゃんは天狐の頭をそっと撫でた。そして、こっそり笑顔を浮かべると、死神ちゃんも夢の世界へと旅立っていったのだった。




 ――――こうやってたまに天狐に振り回されるのも、幼女の体にされたのも、まあ悪くはないんじゃないかなと、ちょっとだけ思ったのは内緒なのDEATH。

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