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記録20 とりあえず、俺にもその写真送ってくれよな

『それにしても、まさか拓郎さんが男にナンパされる日が来るとは思いもしませんでしたよ』

「俺だって思いもしなかったわ。勘弁しろよ、マジで」

『そんな美味しそうな名前にしてるからいけないんじゃあないですか?』


 小人族キャラとリアルの出会いを求められるという痛ましい事件の直後、ようやく大笑いの落ち着いた|大島《おおじま》がそんなことを言い出した。ルシアはパソコンの画面を見つめたまま「美味しそう?」と不思議そうに首を捻った。すると、ゲームの裏で立ち上げていたチャットアプリが少し間を置いてピロンと鳴った。どうやら大島はパンナコッタの画像を送って寄越したらしく、ルシアは画面を心なしか睨んだ。


「この白いの、何か黒いつぶつぶが混ざっているのはゴミでも混入しているの?」

『違うよ、ルッチィ! それはバニラビーンズだよ!』

「これが? ビーンズと言うくらいだから、もっとお豆な形を想像していたわ」


 ルシアは驚いてくりくりとした目を瞬かせた。その合間に、パソコンからは大島の『これがパンナコッタだよ。美味しいんだよー!』という声が流れてきた。ルシアはそれを聞くやいなや、俺のほうに勢い良く顔を振った。彼女の顔には輝かんばかりの〈食べたい!〉でいっぱいだった。俺は苦笑いを浮かべると、明日一緒に作ろうかと提案した。ルシアは頬を上気させると、嬉しそうに頷いた。

 翌日、俺は超絶不機嫌に帰宅した。隣には、超ご機嫌の大島がいた。おかげで、またもや大家に遠目から〈あらあら、まあまあ〉というような目を向けられた。本当に、勘弁して欲しい。
 ルシアは俺と大島を出迎えると、早く調理に取り掛かりたいとばかりにそわそわとしながら俺を注視した。部屋着に着替えている間もずっと見つめてくるので、俺は「破廉恥!」と声を上げた。ルシアは一瞬きょとんとしたのちに、「なんでよ!」とプスプスと怒り出した。その後ろで、大島がニヤニヤと笑っていた。俺は問答無用で、大島にクッションを投げつけた。
 俺は溜め息をつくと、気を取り直してキッチン部分へと向かった。


「はい、さて、作りますよ、パンナコッタ」


 すると、ルシアが嬉しそうに笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。その後ろから、大島がスマホを手に持ちやってきた。彼女は爽やかに笑うと、カメラを俺とルシアに向けた。


「あ、私のことはお構いなく。――ルッチィ、あとで撮った写真送ってあげるからね!」

「カティは今日、遊びに来たのではなくて記録係だったのね! ――任せて! きっと美味しいパンナコッタを作ってみせるわよ!」


 ルシアがカメラに向かって胸を張ると、大島が幸せそうにシャッターを切った。――俺は幸せなルシアを見たいんだよ。なんでお前が幸せそうにしているんだよ。

 俺はルシアに声をかけると、材料の準備にとりかかった。ルシアは俺に促されながら、緊張した面持ちで砂糖や粉ゼラチンの重さを量っていった。なお、ゼラチンは水でふやかしておく必要がある。少量のため計量カップで計るのも面倒なので、こちらも|秤《スケール》で量っていいにすることにしたのだが――


「大丈夫か? 俺がやろうか?」


 ルシアは緊迫した表情でぷるぷると震えながら、水をゼラチンの入った器に注ぎ入れていた。そして俺が声をかけたことで注意が散漫になったのか、少しばかり多く注いでしまったらしい。彼女はしょんぼりと肩を落とすと、水を吸って膨張していくゼラチンを見つめてポツリとこぼした。


「お水を入れるだけなのに、こうも難しいだなんて……」

「いや、このくらい許容範囲内だし。ていうか、少ない量を計るのって意外と大変だよな」


 俺が苦笑いを浮かべると、ルシアは少し持ち直した。そして次の作業のために鍋を取り出したころには、彼女はすっかり立ち直り「次は何をするの?」と目を輝かせた。
 俺は生クリームと牛乳を鍋に投入すると、バニラオイルを取り出した。本当ならバニラビーンズを使いたいところだが、そう滅多に使うものでもないのに、近隣の店にはまとまった本数の入ったお高い瓶詰めしか無かったのだ。お手軽に買えるバラ売りがあってくれてもいいだろうに……。


「とういわけで、元々我が家にあったこのバニラオイルを本日は使います。――表面が茶色くなって、顔を近づけたらバニラ臭漂うくらい入れてください」

「味や風味って変わるもんなんですか?」


 わくわくとした面持ちでルシアが鍋にバニラオイルを何度も振るうのを写真に収めながら、大島が興味深げに尋ねてきた。パンナコッタはバニラの香りがポイントになるので、もちろんビーンズを使ったほうがいい……らしい。ぶっちゃけ、俺もビーンズを使っては作ったことがないから、よく分からない。なので、俺はにっこりと笑って大島に返した。


「じゃあ、今度、バニラビーンズを買ってきてくれよ。そしたらまた、ルシアのお手製が食えるぞ」

「なにそれ絶対買います!」


 大島は間髪入れず声を張り上げた。こいつがルシアだったら、今ごろ〈幸福の光〉がチカチカ目に痛いだろいうというほどに興奮しているようだった。――ちょろいな、大島。きっとこれからもルシア会いたさにウチに来るだろうから、この手口で食材調達係に使ってやろう。

 バニラオイルの投入が終わったら、次は砂糖を振り入れる。そしたら中火で温めるのだが、ヘラで絶えずかき混ぜていく。一気に温めたり混ぜないでいると、乳成分が変質して膜が張ったり味が変わったりしてしまうのだ。
 沸騰したら火を止めて、ふやかしておいたゼラチンを加える。ここで気をつけるべきことは、沸騰した状態で入れてしまうとゼラチンが固まってしまうということ。なので、ゼラチンを入れるのは絶対に火を止めてからだ。

 俺はルシアがゼラチンを入れている間に、ボウルを二つ用意した。片方に保冷剤をいくつか入れて水を張り、そこに空のボウルを重ね置く。さらにそこに万能|漉《こ》し器を置くと、俺はルシアから鍋を譲り受けた。そして、鍋の中の液体を漉した。


「綺麗に全部溶けたわね。全く漉し器に残ってないわ」

「ちなみに、もしも漉し器に溶け残ったものがダマが残ってても、そのまま捨てます。じゃないと、口当たりが悪くなるからな。――さ、次からは我慢勝負だ。泡立たないように気をつけながら、底のほうからゆっくりと混ぜ続けて」

「なんで我慢勝負なの?」

「時間にして十五分くらい、この作業を続けます。とろみがつくまで混ぜないと、固めている間に分離するんだよ。あと、底のほうからまんべんなく混ぜないと、ところどころ固まっちまって滑らかさ皆無になるから手は休めるなよ」


 ルシアは最初作業時間の長さに驚きはしたが、音を上げること無くこの地味な作業をやりきった。その際、泡立たないように気を遣い手を動かし続けながら「パンナコッタの滑らかさと籠めた愛情の量は、きっと比例するのね」と彼女は言った。そのせいで、俺はうっかり胸がキュウとなるのを感じた。――落ち着いた乳白色へと色を変え、もったりとした手応えを帯びていくパンナコッタ液を愛おしそうに見守るお前と、お前のその発想のほうがよっぽど愛おしいよ!
 ちなみに、大島もそんなルシアを愛おしいと思ったらしい。写真を一枚撮ったあと、彼女は〈尊い……〉と言いたげなほっこりとした表情を浮かべていた。――エルフの慈愛、マジで最強レベルだな。おかげさまで、ここにいる全員が幸せモードだよ。

 我が家には専用の型などはないので、出来上がった液はコップに流し入れた。そして二時間ほど冷やす必要があるため、その間に簡単に飯を作って食した。
 食後はカードゲームをして遊んだり、大島がルシアに耳つぼマッサージを施してアンアン言わせているのを聞きながらアレやソレに耐えるという苦行を行った。そうこうしているうちに、とうとうパンナコッタが完成した。
 ルシアと大島は嬉しそうに目を輝かせると、ひとくちパクリと頬張った。そして二人は幸せそうに相好を崩した。


 
挿絵




「すごくミルク……。きちんと滑らかにできたから、まるで溶けていくかのようね」

「ビーンズを使わなくても、十分美味しいじゃあないですか! むしろ、すごく幸せな味がする……。――あはは、ルッチィもチカチカしてるー!」

「だって、これ、本当に、すごく幸せな口溶けと味なんですもの……! コクがあって、甘くて、ほっぺた落っこちていきそうなくらい美味しくて!」

「ちなみに、生クリームと牛乳の量を変えて、バニラをアーモンドスライスに変えたらブランマンジェになるんだぜ」

「なにそれ、食べてみたいわ! 今度はそれも作りましょうよ!」


 暖かな〈幸福の光〉をまとうルシアに、俺は笑顔で頷き返した。その隣で至福の息を漏らしながら、大島がうっとりとした口調でポツリと言った。


「いやあ、それにしても……。これは直結待ったなしですよ。だってこんなに美味しいんですもの。お持ち帰りして、食べちゃいたくなるのも無理はないですって」

「おい、その意味深な言い方、やめろ」


 俺はすかさず、大島を睨んだ。ルシアは意味が分からずぽかんとしていたのだが、先日のナンパ事件に絡めた発言であると気づいたのか、にっこりと笑顔を浮かべると大島から優しくパンナコッタを取り上げた。


「えっ、ルッチィ、なんで!?」

「なんか、食べさせたらいけない気がして。――パンナコッタ姫をお守りするのは、このルキウスの使命ですからね。責任持って、全部私がいただくことにするわ」

「そんな~!」


 ぴーぴーと嘆く大島に笑いかけると、ルシアは「パンナコッタは私のものなの」と宣言した。俺はもくもくと嬉しそうにパンナコッタを口に運ぶルシアを眺めながら、何となくくすぐったい思いがしてニヤニヤとした。そして大島はというと「ごちそうさまです」と言いながら俺らを写真に収めたのだった。

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