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記録17 現実と目標、再確認

 ただいま、と声をかけるとトテトテとルシアが走り寄ってきた。「お疲れ様。外は暑くなかった?」なんていう気遣いを受けながらリビングへと移動して、俺は部屋着にもぞもぞと着替えた。
 着替え終わりキッチン部分へと飲み物を取りに行くと、水切りラックに食器が並んでいた。――ルシアは連日のお手伝いの中で〈食器洗い〉を覚えて以来、昼食後に出る洗い物を自分で洗っておいてくれるのだ。それを笑顔で眺めていると、ルシアが申し訳なさそうに笑った。


「エアコンをつけていても、何となく暑いと感じて。だから、この前作ってくれたアイスを一人で食べたの」

「別にそんなの、申し訳なさそうに報告することか?」

「だって、タクローは暑い中外でお仕事しているのに、何だか悪いわ」


 それは気にしなくていいことだ、と返しながら、俺は二人分のマグを持ってリビング部分へと戻った。すると、彼女は心なしか口を尖らせてポツリとこぼした。


「でも、ああいう甘いものって、幸せな気持ちになれるじゃない? ――そういうものはやっぱり、一緒に食べたいじゃない」


 ……最近、ルシアについて分かったことがある。出会った当初の彼女は、高位の神官よろしく気位が高すぎて逆に高慢だった。しかし、神官として振る舞わなくていいというのと、アクシデントとはいえ〈籠の中の鳥〉ではなくなったということで、彼女はどんどんと〈本来の自分〉を取り戻しているようだった。――その〈本来の自分〉というのがまた、可愛らしいのだ。
 〈籠の中の鳥〉状態だったときの彼女は、行動を制限され、街に降りることも滅多になかったという。そんな生活を送っていたらそれだけで心が荒んで擦り切れそうなものだが、彼女はそうはならなかったようだ。本を読んでは空想に耽り、〈いつか見ることができるであろう世界〉に思いを馳せていたというのだから、とても清らかで好奇心旺盛な心の持ち主なのだろう。実際に、初めてお出かけをしたときなんかは目をキラキラと輝かせ、見るもの聞くものにいちいち反応して興奮し、足を止めていたくらいだ。――今だって、「一緒に食べたい」と言いながらはにかみ顔をムスッとさせているのが、また可愛らしい。
 ふと、俺は〈そういえば、彼女は一体、何歳くらいなんだろう〉という疑問を持った。エルフというからには俺よりも歳上なんだろうが、上だったとしても下だったとしても、こんな純粋乙女がひとつ屋根の下でタクロータクロー呼んでくるというのは、何ともこそばゆいものがある。


「不躾かつ唐突で申し訳ないんだけど、ルシア、お前って一体いくつくらいなんだ?」

「えっ、何よ急に。本当に不躾ね……」


 先ほどまで照れくさそうにもじもじとしていた彼女は、一転して苦い顔を浮かべた。しかし、彼女は少し思案顔をしたのちに俺の質問にこう返してきた。


「実年齢で言ったら、あなたの何倍も上よ。でも、あなた達種族の年齢に換算していったら、あなたよりも十ほど下なんじゃあないかしら」


 俺は、思わず心の中でガッツポーズした。十も年下の美人、しかも性格も可愛い系に懐かれてる俺、勝ち組ッ! しかしながら、実年齢で言ったら俺の何倍も上ということは、俺が生まれるよりも前からずっと〈籠の中の鳥〉であったというわけか。そう思うと、何だか胸が締め付けられる思いがした。
 俺はウンウンと頷くと、ルシアの頭を撫でながらしみじみと返した。


「そうかそうか。……じゃあ、これからめいっぱい幸せになろうな」

「なっ、何よ急に! 当たり前でしょう! そうでないと、帰れないみたいなんですから! あなた、私のことを幸福で満たしてくれるんでしょう!? 早く満たしなさいよね! 向こうの世界は今もなお、ピンチのままのはずなんですから!」


 ルシアは耳の先まで顔を真っ赤にして顔をしかめていたが、だからといって俺の手を跳ね飛ばすということはしなかった。――うん、こういうツンデレなところも、可愛い可愛い。
 俺は笑いながらマグをひと煽りし、話題を切り替えた。今日は何をしていたのかと尋ねると、ルシアは「映画を見ていた」と答えた。昼間にやっているB級揃いの映画ショウに釘付けだったらしい。


「主役のオジサマがね、すごく破天荒で格好良かったのよ。『歯ごたえがないな。危うく殺してしまうところだった』とか言いながら、敵をバッタバッタと投げ倒してね。……あれは、ゲームのロールプレイの参考になると思うのよ」

「それを参考にしたら、パンナコッタちゃんは謎の組織に攫われないといけなくなるだろうが。――あ、そういえば、取引先の人から映画のチケットを貰ったんだよ。今度の休みにでも見に行くか?」


 俺の提案に、ルシアは瞳をこれでもかというくらいに輝かせて頬を上気させた。

 そしてやって来た、次の休日。俺達は約束通り、映画館にいた。ルシアは家とは違う巨大なスクリーンに感動し、ポップコーンの香りに胸を躍らせた。――ちなみに、取引先から頂いたチケット対応の映画は、いわゆる〈多くの種族が指輪に振り回されながら旅をするアレ〉と同カテゴリーの〈中世風ファンタジー映画〉だった。
 映画が始まった直後は、ルシアはワクワクとした面持ちでスクリーンを眺めていた。モシャモシャとポップコーンを食べながら、うずうずわくわくとしていた。しかし、話が進むに連れてポップコーンへと手を伸ばす回数が減り、笑顔が消えていった。最後、彼女は大粒の涙を声もなくボロボロとこぼしていた。


「もしかして、好みじゃあなかった?」


 俺が困惑してそう尋ねると、彼女は「違う……。違うの……」と言いながら涙を拭った。どうやら、序盤に出てきた街の風景がルシアのいた神殿のある街並みにそっくりだったらしい。街並みだけでなく、人々の生活ぶりも似ていたそうだ。しかも、そんな〈そっくりの世界〉が危機に見舞われて、選ばれし者達が世界を救うべく旅に出るというないようだったから、余計に心に迫るものがあったようだ。


「神様は、常に平等なのよ。平等だからこそ、この映画の中のお話と同じように、あまり世界に干渉はなさらない。どんなに愛した世界であろうともね。見かねて手を出す場合に〈全てをリセットするくらいの規模〉になるのも、全てにおいて平等を保つためなのよ。――だからね、あなたは私の世界に来たがっているけれど、もしも来たとしても、仮にあなたが本当に勇者であったとしても、あなたが言っていた〈神様からスキル付与を受けて俺最強〉みたいな依怙贔屓が発生することはないのよ。つまり、この映画みたいに、旅の途中でパーティー内の誰かが死にかけたり、むしろ死んだりっていうことが起こる可能性があるわけ。……あなたはとてもいい人だから、私はそんな苦しみにあなたを巻き込みたくなんかないわ」


 ハンドタオルを手にズッと鼻を鳴らす彼女を抱き上げると、俺はとりあえず映画館から退散した。係の人が退出の声掛けを始めたからだ。
 移動している最中、ルシアは小さく震えながら、俺にずっとしがみついていた。俺は、ただただ彼女を抱きかかえていることしかできなかった。

 彼女が向こうの世界について話したがらないのは、俺を巻き込みたくなかったからだったというわけだ。そして、俺は〈異世界〉を軽く考えすぎていた。向こうよりもこちらのほうが優れているということはないし、こちらの世界出身者が無条件に強くなるということだってない。力を得ることができないなら知識チート……なんてのも都合よくあるはずがない。何故ならば、こちらとあちらとでは〈世界〉が違うのだから。
 彼女が壁を作るのは俺に対しての優しさだったと知って、俺は自分のことがとても恥ずかしいと思った。〈異世界〉というだけで何となく非現実と思っていたのかもしれないが、たしかに彼女は存在するし、つまるところ彼女の世界も現実なのだ。それなのに、どうして俺は自分の欲望についてばかり考えて、楽観的にいることができたんだろうか。

 そして自分を恥じるのと同時に、彼女のことを愛おしいと少なからず思った。自分の世界を思って涙する彼女は、俺のことを思って一線を引こうとする彼女は、しかしながら大切なことはきちんと打ち明けてくれる素直な彼女は、とても美しいと思ったのだ。――異世界転移とかハーレムとか、この際どうでもいい。とにかく、とりあえず、この魅力的な彼女のことをもっと知りたい。……そう、思ったのだ。


「世界が大変なときに私だけこんな安全な場所にいて、幸せな毎日を送るのは、やっぱり気が引けるし、罪悪感もすごいし、早く戻らなきゃって焦るし、でもこの幸せを失いたくないという欲も膨らんで苦しいし……。――どうして、こんなことになってしまったのかしら。あの映画を見ていたら、現実に引き戻されたの。私、危機的状況にある世界を差し置いて、幸せになんかなれないわ……」

「じゃあ、俺は何が何でもお前を幸せにするよ」


 公園のベンチでしゃくりあげながらもうなだれるルシアに、俺は毅然とそう返した。ルシアは驚愕していたが、俺には知ったこっちゃなかった。


「お前は今までずっと〈籠の中の鳥〉で、幸福なんか知らないで過ごしてきたんだろう? ――俺さ、幸福を知らないヤツが、世界を救うことなんてできないと思うんだよ。知らないままだと、義務感で動き続けるってことだよな? それって、最後まで続けられるか? でも、幸福を知っていたら〈今は苦しいけれど、もう一度幸せになりたい〉と思って頑張れるじゃあないか。……だから、俺は約束通り、お前を幸せにするよ」

「前から思っていたんですけれど、タクローって馬鹿よね。天然っていうか……」


 こちらはすごく真面目に話しているというのに、ルシアは真顔でそのように返してきた。失礼だなと思いつつも、俺はアイスの日に掲げた〈ルシアときちんと向き合おう〉という決意を新たに胸に刻んだのだった。

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