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記録7 一人でガスコンロを使わせるのは、絶対にやめよう……

「シャワーカーテンの設置も済んだから、湯さえ溜まればもう風呂に入れるからな」


 そう言いながら俺がリビング部分に戻ってくると、満腹による幸福感でチラチラと薄く発光しながらまどろんでいたルシアがカッと目を見開いて覚醒した。


「じゃあ、その前に保湿クリームを作らないと! タクロー、必要なものを煮沸消毒する用と湯煎用に、二つの鍋にお湯を沸かしてちょうだい!」

「はあ、それはいいんだが……。保湿クリームなんて、一体何に使うんだよ」


 俺が不思議そうに首を傾げさせると、彼女は困り顔を浮かべて「朝起きたら肌が乾燥していたのよ」と言った。どうやら、元の成人女性の姿のときよりも乾燥していたそうで、結構かゆみが気になったらしい。
 

「幼児ってピチピチのツヤツヤなイメージがあったんだがなあ」


 彼女の頬をツンツンとつつくと、彼女は愕然とした表情でピシリと硬直した。そしてわなわなと震えると、顔を真っ赤にして素っ頓狂な声で叫んだ。


「破廉恥! ――あれよ、幼児のほうが皮膚が薄いから、実は大人よりも乾燥しやすいって何かの本に書いてあったわ! そういうことなのよ、きっと! ……もう、だからつつくのやめてったら、破廉恥ーッ!」


 たかだか頬をつつかれたくらいで破廉恥か。そんな、もっと恥ずかしいことを既にいっぱいしているのだし、今さらではないか。でも、昨日までの〈汚らわしい〉よりはマシか。
 俺は苦笑いを浮かべて適当に謝罪すると、鍋の用意をし始めた。するとルシアは嬉しそうに踏み台をキッチン部分へと運び、本日の戦利品であり今からの作業に必要となるもの達をテーブルの上に並べていった。

 鍋の湯が沸くと、ボウルにビーカーとシリコンゴムベラ、皿二枚と鮭フレークか何かが入っていたガラスの空き瓶を入れて熱湯をかけた。そして湯から上げてキッチンペーパーで水気を拭き取ると、それらを全てテーブルに運んだ。すると、ルシアが秤《はかり》を所望した。俺がキッチンスケールを持っていくと、彼女は顔をしかめていった。


「おうどん様やラザニアを作ったときにも、それを使っていたわよね。天秤も分銅もないのに、どうやって重さを量るの?」

「実演するから、見てろよ。――蜜蝋とシアバターは、何グラム必要?」


 そう言いながら、俺はスケールの電源を入れた。窓枠部分に数字のゼロが表示されたのを見て、ルシアが感嘆の声を上げた。
 皿を載せ、その重さが表示されたのを電源ボタンを再び押してリセットする。次に、シアバターを量るべく手に取ったのだが、中身が出てくる気配がなかった。しかし手の温かさでじんわり溶けているようなので、少しモミモミしたら少量ずつ押し出すことができた。
 ルシアは変化していく窓枠の数字に、いちいち感嘆の声を上げていた。そしてシアバターが必要分皿の上に出ると、目を輝かせて「蜜蝋は私が量るわ!」と宣言した。新しい皿に蜜蝋を出しながら、彼女は静かに頬を上気させていた。――何だこの、可愛い生物は。可愛すぎだろ。

 植物オイルをビーカーに入れ、そこに先ほど量ったシアバターと蜜蝋を投入。ここからは、湯煎作業である。


 ルシアはビーカーを手にすると、我が物顔でキッチン部分へと移動した。正直、俺は一抹の不安を覚えた。


「なあ、お前、本当に大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ! なにせ、薬作りは唯一やらせてもらえた作業ですから!」


 食事前に、彼女は〈自分の世界では、何でもかんでも魔法には頼らない〉というような話をしていた。大事な局面で魔力切れを起こしてしまっては元も子もないからだ。そのため、小さな怪我や病気などはハーブなどで薬を作り、それで直しているのだそうだ。ルシアは神官なので〈薬作り〉なんていう作業とは無縁だと俺は思っていたのだが、有事の際には何でもできるようにと、神官達も薬学的なことを学ばされているのだとか。


「だから、心配しなくても大丈夫よ! ただちょっと、学んで実践したのが結構前なのよね。でも、うん、大丈夫よ!」


 俺は、上げかけていた感心の声を飲みこんだ。不安が、一層膨らんだ。

 湯煎用の鍋は、湯の温度が下がらぬようにと弱火にかけたままだった。ビーカーとゴムベラを手にしたルシアは意気揚々と踏み台の上に立つと、ビーカーを鍋に浸けた。そしてビーカーが動かぬようにと縁の辺りを押さえながら、ヘラで中身をかき混ぜ始めたのだが――


「あつっ! あっつ! 熱いッ! あっつーッ!」

「馬鹿! 落ち着け! 落ち着いてゆっくり手を離せ!」


 立ち上る湯気の熱さに負けた彼女は、ビーカーに触れた状態のまま激しく身じろいた。そのせいで湯の表面が波打ち、ビーカーの中に湯が入っていきそうになっていた。それだけではなく鍋がガタガタと揺れていて、うっかりひっくり返してしまうのではないかという怖さがあった。
 俺が慌てて声をかけると、ルシアは恐る恐るビーカーから手を離した。俺はシリコントングを出してくると、それでビーカーを挟み固定してやった。


「ほら、俺がビーカーを押さえておいてやるから」

「ありがとう、タクロー! これなら安全に作業できるわね! ――うーん、ビーカーを入れた際にお湯の温度が下がっちゃったかしら。たしか、火を強めるのって、これよね…… ええええええええッ!?」

「ああもう、一気に強火にするなよ危ないな!」


 鍋の底から勢い良く火が溢れ出してきて、ルシアは驚いて身を引いた。もちろん、踏み台はそう幅があるわけではいないから、真後ろに倒れ込んだ。
 俺は空いた片手で慌てて彼女を抱きとめると、トングを持っていた手でコンロの火を消した。すると、彼女はしょんぼりとうなだれながら、俺を見上げて言った。


「ごめんなさい。もう勝手しないでタクローの言う通りにするから、最後まで作業してもいい……?」


 潤んだ瞳で見上げてくるのは、何とも暴力的でずるいと思う。そして、それに簡単に絆されてしまう自分も、随分と甘いと思う。つまるところ、俺は〈駄目〉と言いかけたのを、うっかり〈いいよ〉と言ってしまったというわけだ。嬉しそうに最大級の笑みを浮かべながら「ありがとう」と頬を染める彼女を見下ろしながら、俺はこっそりと頬の内側を噛んだ。――もしまた危険行動に出たら、今度こそ〈もうおしまい!〉って言わなくちゃな。ていうか、不安的中だよ! もう絶対に、一人でキッチンに立たせるのはやめよう!


 しばらくすると、ビーカーの中身は完全に溶けて一つとなった。湯から取り出してテーブルに運んだあとも、ルシアは一生懸命に中身をかき混ぜていた。こうしたほうが粗熱が取れやすいし、滑らかなクリームになるらしい。しかし、彼女はとても不器用で、時折中身をビーカーの外に跳ねさせて手を汚していた。
 もったいないからといって、彼女はその手についた〈クリームになる予定のもの〉を薄く伸ばして手に馴染ませていた。しかし、何度もそれを繰り返していると、さすがに手が吸わなくなってきた。すると彼女は俺を呼びつけて、俺の顔に手を伸ばしてきた。


「はい、タクローにもお裾分け。――あら、あなた、結構乾燥しているじゃない。このクリームが出来たら、あなたも毎日使ったら?」

「お前、人に破廉恥言う割には、結構大胆だな」


 そう言いながら、俺は両頬に添えられた彼女の手を握り返してやった。すると、彼女は耳まで顔を真っ赤にして俺を睨みつけて、ギリギリと頬をプレスしにかかった。


「ううううるさいわね! 作業に戻るんだから、早く手を離しなさいよ!」

「あい、ふいあへんれひた」


 ルシアはぷりぷりと怒りながら、粗熱取り作業に戻った。俺は心なしか、ニヤニヤと顔がほころんだ。――ホント、こいつ、何だかんだいって可愛らしいな。最初は、本当にふてぶてしくて嫌な感じだったってのに。

 粗熱がとれて黄金色だった液体が黄色みの濃い乳白色になってくると、彼女はカモマイル、ラベンダー、ティートゥリーの精油をクリームらしくなってきたものの中に投入した。これらの精油は殺菌作用があるだけでなく、肌を整えたり、打ち身や傷にもいいそうで、結構万能な組み合わせなのだとか。そして精油がしっかりクリームに馴染むと、保存容器代わりのガラス瓶に移し入れた。


「さ、これで冷えて固まったら完成よ!」

「おお、結構いい香りだな。俺、香水とかは苦手なんだけど、こういうのだったらいいわ。これなら俺も毎日使えるよ」

「でも、二人で使うなら、もっと多めに作ればよかったかしら? まあ、無くなったらまた作ればいいわよね!」

「……作業は、俺がいるときに一緒にだからな」


 う、と気まずそうに息をのんだルシアは、そのままそそくさと風呂に向かっていった。その間、冷蔵庫に突っ込んで冷やしていたのだが、しっかりとしたクリームとなっていた。


 
挿絵




 指で掬い取ると柔らかくて、そして手のひらの上ですぐ溶け、滑らかで肌への馴染みもよかった。
 上々な出来上がりに頬を緩めつつ、俺はトラブルだらけの製作過程を思い出して肝を冷やした。そして再度、一人でキッチンを使わせるのは絶対にやめようと固く誓ったのだった。





〈◯月◯日 追記〉

 最近、何故か微妙に営業成績が上がってきた。理由がいまいち浮かばなかったから|大島《おおじま》に聞いてみたら「拓郎さん、最近、肌が綺麗になってきましたよね。それじゃないですか?」と言われた。なんか、肌が綺麗になったことで見た目の印象が良くなったとか何とか?
 ……マジか。つまり、ルシアがクリームを作ってから、俺も毎日を使ってたからってことか。……マジか、びっくりだわ。

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