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記録5 その扉は開けてはならないと、俺は堅く誓ったのだった(後編)

「わあああああ! すごい! どの建物も大きくて、空に届きそうなくらい高いだなんて! もしかしてここは、王族の宮殿や神殿の密集地帯なの!?」

「いや、どの建物も商業施設だったり住宅だったりで、そんなご大層なもんではないよ」

「住宅ということは、やはり王族や貴族なん――」

「いや、ごく普通の庶民。まあ、それでも裕福なのが多いだろうけど」


 そう答えると、ルシアは驚嘆して目を丸くした。直後、彼女は新たな〈気になるもの〉を見つけたようで、目を|爛々《らんらん》と輝かせながら俺の肩を掴んで再び身を乗り出そうとした。俺は堪らず「頼むからじっとしていてくれ」と彼女に懇願した。
 先ほどまで交番で保護されて泣きじゃくっていたにも関わらず、彼女はもうすっかり機嫌も直ったようだった。おかげさまで、家を出て直ぐの頃の興奮状態に舞い戻っていた。その様は〈田舎から出てきたお上りさん〉というよりも、〈お出かけデビューしたお子様〉と言ったほうがしっくりきた。
 しかも、抱っこすることで突然姿を消される恐怖はなくなったものの、何かしらに興味を示すたびに、彼女は俺の腕の中から這い出ようとした。その都度、彼女を落としてしまわないようにと立ち止まらなければならず、電車に乗る前と変わらぬ移動速度しか結局はだせずじまいだ。――そんなこんなで、駅から〈ウニコロ〉までそこまで距離がないというにも関わらず、俺はそこに辿り着くために少しばかり時間を費やすこととなった。

 俺がとりあえずでコートと靴を見繕ってきた近所の店の子供服売り場には、〈いかにもお子様服〉というようなダサいキャラクターを散りばめたようなものしか取扱がなかった。そして、彼女の姿に変化があるとき、衣服も一緒にサイズが変化していた。――万が一そんな服装で大人の姿に戻った日には、何ていうか、可哀想なことになるだろうと俺は思った。その点ウニコロは、サイトを覗いて見た限りでは、キッズ用でも大人モノと変わらないデザインのものが多かった。だから、彼女をここに連れてきたわけだが……


「ねえ、タクロー。何着まで選んでいいの!?」

「いや、さすがにそう何着もはよしてくれよ。うち、そんな収納あるわけじゃあないし」

「でも、こんなにたくさん服があるのよ!? 私、選びきれないわ!」


 何でも、神官の階級ごとに着る衣服が決まっていたそうで、彼女はその決められた衣服と支給されたルームウェアみたいなものしか着る機会がなかったのだとか。また、自由のなかった彼女はレシピ本を読んでは料理をしている様を想像し、神殿を訪れる人々の衣服を目にしては空想の中でお洒落を楽しんでいたのだそうだ。なので料理はもちろんのこと、〈ごく普通の女の子のように、気に入った衣服を自由に着る〉というのは、彼女にとっては夢のようなことなのだという。――そんなことを、彼女は熱意を込めて捲し立てた。しかし、その声はどんどんと尻すぼみになっていった。俺が先ほど言った〈何着もはよしてくれ〉というのを思い出し、夢だから叶えたいとゴリ押すのは申し訳ないとでも思ったのだろう。
 俺はしょんぼりと俯いたルシアを可愛くて仕方がないと思った。そんなことを聞かされて、そんな態度を取られたら、叶えてやりたくなるじゃあないか! しかし、収納に余裕が無いというのも事実だ。俺は会社の事務の子が昼休憩中に読んでた雑誌をぼんやりと思い出しながら、人当たりの良さそうな女性店員にすかさず声をかけた。


「あの、忙しいのを承知でお願いがあるんですが。女性雑誌にあるような〈たった◯枚の衣服で、一ヶ月着回し術〉ってやつ、あれ、この子に教えてやってくれませんか? 俺ではそういうの、よく分からないから、服を買ってやっても無駄にしてしまいそうで……」


 挙動不審気味な俺とルシアの半ばみずぼらしい格好を見て、店員は最初、俺を不審な目で見つめた。しかし俺は心の傷が開くのを我慢して、愛想笑いを浮かべた。


「お恥ずかしい話なんですが、離婚した妻が〈再婚するからそっちで引き取って〉と言うので、着の身着のまま連れてきたんです。だから、衣服はもちろん下着やら靴下やらも買い揃えないとでして……」


 そういう|雰囲気《・・・》をきちんと出せていたのか、店員は凄まじく同情してくれた。そして、喜んでルシアにコーデ術を教えつつ服を数着見繕ってくれた。さらには必要としている衣類の全てを、彼女のおかげで恥ずかしい思いをすること無く揃えることが出来た。
 早速購入したばかりの服に身を包んでご満悦のルシアは店をあとにすると、俺を尊敬の眼差しで見つめて言った。


「タクロー、あなた、もしかしてお仕事は演者か何かなの? あの女性、あなたの嘘を完全に信じていたわよ」

「いや、何ていうか……。お前のためなら、このくらいの傷は負おうと思えたっていうか……」


 ルシアは顔を真っ赤にすると、小さく「そう」とだけ言って俯いてしまった。――ん? あれ? 俺、もしかして今、すごく恥ずかしいこと言った?

 昼食をとったあと、俺らはハンディーズとニッコリに行った。そこでは例の石鹸や、突っ張り棒にシャワーカーテン、そして寝具一式などを購入した。そして持ち帰りやすいようにと街なかのベンチを占拠して荷物を纏め直している最中に、俺はふと〈結構金を使ったな〉ということに気がついた。
 これ以上彼女のために日用品を購入するということはないだろうが、食費は常に付いて回る。いくら寂しい独身で、趣味は料理くらいだから金の使いみちも特にはなく、おかげで結構貯蓄があるとはいえ、嫁でもない人間を一人養い続けるというのは厳しい。――まあ、〈異世界でハーレム〉のためにも、まずは彼女を|第一夫人《・・・・》にするというのはアリかもしれないが。だからといって、もしものことを考えるとホイホイと|投資《・・》をしてはいられないと俺は思った。


「なあ、非常に言いづらいことなんだがさ」

「何よ、改まって」

「帰れるようになるまで面倒を見るのはいいんだけどさ、その、俺もそこまで裕福ではないんだよな。今日の買い物も、かなり出費がかさんだし……」


 こんな話をしたら、彼女は怒り出すだろうと思っていた。しかし、彼女は至って真面目な表情で頷いた。


「働かざるもの、食うべからずということね。当然のことだわ。でも、私、こんな姿ですし、どうしたらいいかしら。自分の食い扶持くらい、どうにか調達したいのは山々なんですけれど……。――あ、ねえ、あの大きな〈動く絵〉は何?」


 ルシアが指を差したのは、競馬場に足を運ばずとも競馬を楽しめるという施設の街頭テレビだった。それを説明してやると、彼女は適当に相槌を打って大きな画面を注視した。そしてポツリと「一着◯番、二着は△番」と呟いた。
 まさかな、と思いつつ俺も画面を眺めた。すると、彼女の言った通りの結果となった。俺が仰天していると、彼女は勝ち誇ったように胸を張った。


「私は予知専門の巫女ではないから百発百中とはいかないんですけど、でも、とても評判が良かったのよ。――ねえ、これ、今日はあと何レースあるの?」


 俺はルシアを抱き上げると、慌てて競馬の施設へと向かった。そして次のレースを、彼女の言う通りに買った。しかし、俺は怖気づいて少額しか賭けなかった。しかし――


「うおっ、当たった……」

「次はもっと高額で賭けなさいよ。でないと、今日の買い物で使った金額にも満たないでしょう? ほら、早く」

「ちょっと待てよ。こういうところに来たのなんて初めてだから、払い戻しとかどうしたらいいのか分かんねえんだよ」

「それこそ施設の人に聞きなさいよ。さっきの服屋での威勢はどうしたのよ」

「ていうか、次はどのくらい賭ければいいかな。もういっそ、本日の最終レースの頃には当分遊んで暮らせるくらいになるように――」

「何を馬鹿なことを言っているのよ! 足るを知りなさい! 足りなくなったらまた来ればいいんだし、ひとまず〈ここ数日の間に、私のために使用した金額〉プラスアルファくらいにしておきなさいよ!」


 俺は素直に反省すると、また少額だけ賭けた。その次も、少額に留めた。だが――


「いいわ、そこよッ! 一気に追い抜きなさい! 行け行け行け行けーッ!」


 俺の目の前では、ハンチング帽に着古したジャンパー、そして耳に赤鉛筆を挟んだおっさんどもと一緒に、幼女が血眼でハッスルしていた。ルシアはすっかりその場の熱気に流され染まりきり、躍動感あるお馬さんに心奪われていた。それは馬がゴールした瞬間には喜びで飛び上がり、周りのおっさんとハイタッチするほどだった。
 俺はそんな彼女を見て〈禁断の扉を押し開けてしまった〉というような気持ちでいっぱいになった。――幼女がおっさんに混じって怒号を飛ばしながら血眼で馬を目で追うとか、そんなの、凄まじく良ろしくない! 自分の食い扶持くらい稼ぎたいと思ってくれているのはありがたいが、だからといってこれは駄目だ! この絵面は、俺の良心的にも世間体的にも許容できない!
 そんなわけで、俺は次のレースで終わりにすべく、かなりの高額を賭けた。もう二度と、こんな〈いろんな意味で心苦しくなるような場面〉に直面しないように。そして払い戻しを済ませると、俺はルシアに「もう帰ろう」と声をかけた。しかし、彼女は興奮気味に拳を握りしめて「どうして?」と返してきた。


「何を言っているの!? まだまだこれからでしょう!? 次はねえ――」

「いや、もういいよ。大丈夫。これだけあれば、節約すれば当分は保つし――」

「あなた、当分遊んで暮らせるくらいのお金が欲しいんでしょう!? いいわよ、私、こんなに楽しいこと初めてだし――」

「楽しい思いなんか、これからいくらでもさせてやるよ! だから、足るを知れよ!」


 ルシアはハッと息をのむと、ようやく自分がうっかり道を踏み外しかけていたことに気がついて恥じ入った。

 駅へと向かう途中、俺は落ち込む彼女にソフトクリームを買ってやった。彼女は遠慮がちにそれを口に運ぶと、少しだけ笑顔を浮かべた。そして顔を上げた彼女は、夕焼けを眺めながら一層柔和に微笑んだ。


「ねえ、タクロー。さっきはごめんなさいね。私、どうかしていたわ」

「いや、いいよ。ていうか、どうしたんだよ、急に」

「私ね、今、少しだけだけど、足るを知ったのよ」


 そして俺を見上げると、ルシアは「人が多くなってきたから、はぐれないように」と言いながら、そっと俺の手を握ってきた。嬉しそうに笑う彼女は、心なしかキラキラと光っているように見えた。――そのまま元の姿に戻ってくれたら、最後くらいは〈素敵なデート〉っぽくなっただろうに。そんな〈一瞬頭を|過《よ》ぎった邪な思い〉を、俺は慌てて追いやった。何故なら、俺もほんの少しだけだが〈足るを知った〉からだ。俺は可愛い彼女に笑顔を返すと、その手を握り返したのだった。

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