バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

記録4 踏み台×2、突っ張り棒×1、シャワーカーテン×1

「ねえ、タクロー。私、湯浴みをしたいのだけど」


 食事が終わり、食器の洗い物をしていると、ルシアが凄まじく不機嫌にそう言った。ご飯時に起きた〈Tシャツからスラリと伸びる悩殺おみ足事件〉で気分を害した彼女は、「翌日を早く迎えるためにも、早く寝る!」と宣言していた。しかしながら、流石に二日連続で入浴しないというのは、彼女には耐え難いことであるらしい。――まあ、そうだよな。これは俺の勝手なイメージだが、エルフって綺麗好きな感じがするし。
 俺はギャン泣きの気配を漂わせて腕を組み、仁王立ちをする目の前の幼女に笑顔を繕うと、慌ててお風呂の準備をした。湯の量は、彼女の身長に合わせて湯船の半分以下。そしてシャワーは、手に取りやすいようにフックから外して置いておく。それらの準備が整うと、俺はルシアを呼んで〈シャワーの使い方〉などを伝授した。彼女は「どこからともなくお湯が出てくるなんて、まるで魔法ね!」と目を輝かせた。……良かった、機嫌が直ってくれて。
 バスタオルと替えのシャツを用意してやると、俺は食器を洗いに戻った。しばらくして、風呂場から必死に俺を呼ぶ幼女の声が聞こえてきた。


「何、どうかしたか?」


 脱衣所から声をかけると、ルシアは苛立ちを含んだ声で「いいから早く入ってきて!」と言った。俺がまごついていることを察したのか、彼女は再び「早く!」と怒鳴った。渋々浴室に入ってみると、彼女は大きなバスタオルを体にグルグルと巻き付けていた。また、彼女の髪の毛は中途半端に解かれていた。
 彼女は苦い顔を浮かべると、心底嫌そうにボソリと言った。


「タクロー、あなた、今から、私の髪を洗うのを手伝いなさい」

「は? 何でまた」

「後頭部に、満足に手が届かないのよ!」


 悔しそうに歯噛みしながら、ルシアは瞳を潤ませた。どうやら、幼女の短い腕では自力で頭を洗うことが出来ないらしい。俺は苦笑いを浮かべると、一旦浴室から出ていこうとした。すると、ルシアは血相を変えて声を上ずらせた。


「えっ……、ちょっと、どこに行くのよ!?」

「いや、別に。このまま洗うなら、そのタオル、濡れるだろう? だから、体を拭く用のタオルを出しとこうと思って。あと、俺もズボンを濡らしたくないから、水着にでも替えようかと――」

「あっ、脱いでくるわけではないのね!?」


 別に脱いでいいならそれでもいいけど、と返すと、彼女はまた〈汚らわしい〉を連呼した。流石に頭に来た俺は、彼女を睨みつけるとため息混じりに返した。


「あのさ。俺は君の侍女でもなければ、下男でもないんだよ。俺に頼る他ないって言うなら、もう少し、その態度どうにかならないか?」


 ルシアはグッと息を詰めて俯くと、小さな声で「ごめんなさい。お願いします」と言ってきた。渋々感が半端なかったが、まあ、今までの高圧的な態度から考えれば及第点だろう。俺は思わず、笑顔で彼女の頭をグリグリと撫でた。――どうしよう。RPGを買ってきたと思ったら恋愛ゲーだった感パないとか思ってたが、こりゃあ育成ゲームだな! またもや|沸々《ふつふつ》と父性が! こんなんで、本当に〈料理無双で異世界ハーレム〉をゲット出来るんだろうか、俺!

 箪笥の肥やしとなっているハーフパンツ丈のレジャー用水着を引っ張り出し、準備が整った俺は再び浴室へと戻ってきた。まずは髪を解くところからなのだが、彼女の髪は丁寧に編み込まれていて、どう解いたらいいのかがさっぱりだった。うっかり間違った方向に引っ張ってしまうなどしてしまい、痛がる彼女に謝り倒しながらの作業となった。


「ていうか、こんな長さじゃあ乾かすのも纏めるのも大変じゃあないか? いっそショートにでもすればいいのに」


 何の気なしにそう言うと、ルシアは勢い良くこちらを振り返ってきた。目を見開き、顔を青ざめさせて震えながら、彼女は声を張り上げた。


「魔法を扱う者にとって、髪はとても大切なものなのよ!? それを切れだなんて――」

「や、ごめん。そういやあ、そういう話、何かで見たわ。それなのに切れとか言ってごめん」

「……分かったなら、早く洗ってちょうだい! ――じゃなかった、お願いします」


 ふくれっ面で正面に向き直った彼女は、しょんぼりとうなだれた。俺は笑いたくなるのを我慢しながら、シャワーの湯を出すと「これ、熱い?」と彼女の手にかけた。


「どう?」

「大丈夫」

「じゃあ、頭にかけていくから。目、瞑ってな」

「うん……」


 俺はシャワーを彼女の頭に向け、髪を濡らしていった。しかしながら、毛量のせいだろうか。中々頭皮まで濡れていかない。俺だったらもうシャンプーを使い始められるようになっている頃合いだというのに、彼女の髪は水分を含んでいかなかった。他人の頭、ましてや女性の頭なんか洗ったことなど無いから、俺は地味に「こんなにも違うもんなのか」と関心するように心中で唸った。


「ねえ。洗うって、シャワーで濡らすだけ?」


 出し抜けに、不服そうな声でルシアがそう言った。俺が〈髪が濡れていかない〉と伝えると、彼女は〈髪を揉んだり掻き分けたりすればいい〉と教えてくれた。――ああ、そうか。そうすりゃあいいのか。そういえば、小学校時代とか、雑巾が新品で中々濡れていかないときとかにそうしていたっけ。……おっと、人の髪と雑巾を一緒にしたら失礼だな。これは申し訳ない。でも、要はあれと同じなわけか。
 俺は一人納得すると、手探り状態ながらも、彼女の髪を揉んだり掻き分けたりした。すると段々と水気を含んで重たくなってきたので、そのまま頭皮も同じように濡らして行こうとした。しかし力が強すぎたのか、またもや「痛い」という抗議のオンパレードだった。俺は再び謝罪を繰り返しながら、力の調整をしていった。


「よっしゃ。そろそろシャンプーするぞー」

「ねえ、ところで、シャンプーっていうのは石鹸の一種よね? この世の中には、そんなにたくさんの種類の石鹸があるの?」


 シャンプーを手の上で泡立てていると、ルシアが不思議そうに首を傾げさせた。彼女の世界では、大雑把に言えばどれも〈油を固めて作ったもの〉らしい。そういうのもあると教えてやると、彼女は心なしか申し訳なさそうに肩を落とした。


「じゃあ、明日の買い物で、その石鹸も買ってもらってもいいかしら? このシャンプーっていうのは、香りがちょっと、私にはきつすぎるというか……」

「ん、了解。他にも何か必要なもの、あるかなあ?」

「今のところは、まだ思いつかない―― あ゛~、凄く気持ちいい~……」


 突如、ルシアはおっさん臭いというかババ臭いというか、そういう〈至福の声〉を漏らした。例えるならば、そう、重労働の後にビールを煽ったときに漏れ出るような感じの声だ。しかし、気持ちが良いと言われると、こちらも気持ちがいい。思わず、俺は嬉しさで笑みを漏らした。直後、ほんのりと彼女が発光しているように見えてドキッとした。――いやいや、まさか。湯気の揺らめきでそう見えるだけであって欲しい。俺はまだ、社会的にも物理的にも死にたくはないんだ!
 〈この状態で叫ばれて、もしも大家さんが踏み込んできたら、俺の人生は終わるな〉とか、〈不可抗力とはいえ裸を目撃してしまったら、即死魔法を食らってお陀仏するんじゃあ〉とか、そんな心配が脳裏を|過《よ》ぎって俺は肝を冷やした。しかしルシアは呑気に至福の吐息を漏らしながら、|蕩《とろ》けきった声で続けて言った。


「自分や侍女では、その力加減では洗えないわ。本当に、気持ちがいい……。今までの人生の中で、一番気持ちが良いかも……。でも、そのために毎日羞恥心に耐えるのは、流石に辛いものがあるわね」

「だったら、湯船の辺りにカーテンを設置すればいいよ。湯船の縁とカーテンの間から頭だけ出してもらえば、体を見ずに洗えるだろ。そうすれば少しはマシじゃあないか?」

「いいわね、それ!」

「じゃあ、明日買い物に行く際に〈ニッコリ〉にでも寄って突っ張り棒とシャワーカーテンを買ってくるだな。――あ、浮遊魔法無しで浴槽に入れるように、踏み台もあったほうがいいよな。それも見てみよう。君に馴染みのある石鹸は〈ハンディーズ〉に行けば見繕えるかな……」

「わあ……。私、これからも、髪を綺麗に保てるのね……。しかも、こんなにも気持ちのいい洗髪してもらえるだなんて……。凄く嬉しい……!」


 ルシアは至極幸せという声で、吐息混じりにそう言った。その瞬間、彼女は眩く光って元の姿へと戻った。俺は思わずシャワーを落っことし、荒れ狂うシャワーの餌食となって全身ずぶ濡れとなった。
 俺がシャワー責めでパニックを起こしている間に、ルシアは幼女姿に戻っていた。彼女の耳は、先のほうまで真っ赤に染まりきっていた。


「……見た?」

「大丈夫、背中しか見てない!」

「本当に!?」

「君、ずっと背中を向けてただろう! それに、タオルだってしっかり巻いてるじゃあないか! だから、今度は本当に!」

「……ごめんなさい。後は魔法で何とかするから、出ていってもらえないかしら」


 俺は足元が滑って転びそうになりながらも、慌てて浴室から出ていった。ずっと幼女でいられたら、それはそれで父性が沸き起こるばかりで〈恋愛ゲーム〉的には詰んでしまう。しかしながら、予期せぬところで元の姿に戻られると、それはそれで心臓がもたない。……その、色々な意味で。
 とりあえず、俺は手早く着替えを済ませると、気持ちを落ち着かせるついでにスマホでネットサイトをチェックした。そしてシャワーカーテンと突っ張り棒は〈ニッコリ〉で買えると分かったものの、浴室や浴槽内でも使える踏み台は売ってはいなかったので、それだけはすぐさま〈ジャングル〉でポチったのだった。

しおり