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32.気まずさを隠せない。

 それからというものの、久遠寺(くおんじ)はぱたりと部室に顔を出さなくなった。

 別に学校を休んでいる訳ではない。天城は知っている。当の本人はいつも通り登校し、いつも通り下校していることを。別に一から十まで追っていたわけではないのだが、少なくとも確認できる範囲では今までと変わった様子はない。

 では、確認できない範囲はどうか。

 天城と久遠寺は基本、クラスでは会話をしない。その距離感は、二人が手を組む前からあったものではあるが、こと現在に至るまで変化はなかった。天城としても、部室に行けば会えるし、会話も出来るのだから困ることは無かったし、久遠寺は久遠寺で、表向きには仲が良いどころか、悪い部類として認識されている天城と、クラス内で会話をする、というのは余りよろしくないという事情も確かにあった。

 その会話の無さが今、天城にとってはネックになっている。

 今までは良かったのだ。放課後の部室に行けば、久遠寺に会えることが殆どだったし、もし仮に、そこで会えなくとも、話があると連絡を入れておけば、次の日には会えたし、話も出来た。

 その機会も、今はもうない。

 まず、部室に現れない。今までは来なくても数日で、一週間に一回か二回は必ず顔を出していたわけだから、余程急ぎの用事でも無いかぎりは、その機会をゆっくりと待てばよかったのだ。

 ところが、件の日以降、その機会は訪れなくなった。今までであれば、たまたま数日忙しいだけとか、期末試験が近いのだから勉強をしているという解釈をして終わりだったのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。何しろ、本人が「暫くは部室に行かない」と明言しているのだ。心変わりをする可能性もあったが、少なくとも現時点でその兆しは見えなかった。

 それから、連絡にも全く応じなくなった。

 星生(ほっしょう)曰く、自分の連絡にも返事がないという。自分だけが絶縁を食らったわけではないという事実が、今の天城には重くのしかかる。星生にとっての久遠寺は、学年こそ違えど友人であったはずで、その関係性にも影響を与えてしまったのではないかという事実が横たわっている。

 もちろん、手が無いわけではない。

 久遠寺は登校を拒否しているわけではないし、天城とも同じクラスである。別に天城のことを露骨に避けているわけではないから、会話も可能だろうし、なんならそこで挑発して、本性を引きずり出すということも出来るだろう。少なくとも天城にはその自信があった。

 しかし、天城はどうしても”それ”をする気にはなれなかった。

 今度こそ致命傷になってしまうのではないか。天城はそんな予感を拭いきれない。

 出会って間もない頃ならともかく、今の関係性では。

 そんなわけで、天城はあの一件以降、久遠寺と殆ど交わせずにいる。唯一交わした言葉と言えば、天城が登校し、教室の扉を開けた時に久遠寺と鉢合わせた際に交わした、

「あ」

「お、おう」

 という、会話というのもおこがましいやり取りだけであった。


 放課後。

 天城は帰り支度もせずに教室に留まっていた。

 別に誰かを待っているわけではない。友人の(やなぎ)は既にどこかへと消えてしまっていたし、久遠寺はクラスの女子数人と何やら話し込んでいる。その内容がなんであるかはここまでは聞こえてこない。天城に分かるのは、その姿が楽しそうであるということと、時折笑い声がする、ということくらいのものだ。

 ここにいても仕方が無い。

 そんなことは分かり切っていた。

 別に現代文化研究部への出入りが禁じられたわけでもないのだから、今までのように顔を出せばいい。既に期末テストまで一週間を切っているから、部活動は出来ないが、試験勉強は出来るだろう。きっとそこには星生もいるはずだし、居心地もいいはずである。図書館に行ってもいいが、この時期になると同じようなことを考える人間が増えるので、むしろ部室の方が静かだろう。

 それでも天城は、部室に行く気にはどうしてもなれなかった。

 実のところ、天城もあれ以来、部室には一度しか顔を出していない。

 その時の天城はといえば、浅はかにも、久遠寺がひょっこりと顔を出すという未来に多少ではない可能性を感じていた。彼女のことだ。ああは言ったものの、やっぱり気が変わり部室に顔を出すかもしれない。そうしたら、その時にまた話せばいい。謝る必要があることは謝ればいい。それで全て解決。そんな夢物語とでもいうべき未来を想像していた。

 しかし、その想像はあっさりと打ち破られることとなった。

 もっとも、それだけならば天城は、翌日も変わりなく部室へと足を運んでいたかもしれない。星生すら久遠寺と連絡が取れなくなっている、という事実さえ知らされなければ。

 天城はゆったりと帰り支度をする。そのさなか、一度だけ、久遠寺の方にちらりと視線をやる。そこには今までと全く変わらずに、友人と接する彼女の姿があった。その姿は全くのいつも通りだが、天城にとっては別人に見える。部室で見せる、完璧とは程遠い言葉使いに態度、時には暴力をちらつかせては天城と言い争うその姿はとは全く違う。しかし、その笑顔だけは、

 「……帰るか」

 言葉にして、口から出して、漸く身体が動く。ここに座っていても、何が変わるわけでもないというのに。

 天城はゆっくりと、音も立てないようにと教室を後にする。部室に行くつもりもない。とっとと帰ろう。帰って試験勉強でもしよう。学生なのだから。そう心の中で呟いて、昇降口へと、

「ちょっといいかしら?」

 呼び止められる。良く通る声だ。天城はこの声に覚えがある。

「なんだ?」

 振り返る。予想通り、そこには鷹瀬(たかせ)の姿があった。

「なんだ?ではありません。貴方、このまま帰るのですか?」

「そうだが……何でそんなこと聞くんだ?」

 鷹瀬はふうっと息をついて、

「やっぱり、そうなりましたか」

「やっぱり……ってどういうことだ?」

「貴方、あの女……久遠寺となにかありましたね」

「……っ」

 表情に出てしまったと思う。

「やっぱり、ですか」

「……久遠寺から聞いたのか?」

 鷹瀬は鼻で笑って、

「私があの女とそんな会話をするとでも思いますか?」

「……しないな。じゃあ、なんで、」

「何となくの予感、ですわ」

「予感?」

 首肯。

「そう、予感。この間星生から聞いたんです。最近、久遠寺と連絡が取れない、と」

 久遠寺と連絡が取れない。その事実が天城に再びのしかかる。

「細かなことは教えてくれませんでした。でも、推測することは出来ます。久遠寺は星生と連絡を取らなくなった。連絡が取れない、というくらいですから、恐らくあの部室に顔を出すこともしなくなっているでしょう。その原因はいくつか考えられます。ひとつは、連絡が取れないと私に行ってくるくらいですから、星生と仲違いしたわけではないでしょう」

 言葉を切り、

「二つ目は、久遠寺自身が、そもそも放課後部室に顔を出せなくなっているという可能性。ただ、それならば星生からの連絡に応じない理由にはなりません。そして、三つ目は、」

 再び言葉を切り、

「天城征路(せいじ)さん。貴方と久遠寺が仲違いをした、という可能性。どういうことがあったのかは分かりません。しかし、貴方とあの女が仲違いをしたのならば、あの女が部室に行かないのは納得が行きます。貴方と顔を合わせることになりますからね」

 天城は無駄な足掻きを試みる。

「……星生はどうしてだ?」

「それは……まあ、色々あり得るでしょう。彼女のことですから、恐らくは貴方と近い立ち位置にいた星生にも複雑な感情を抱えているんじゃないですか?どうやらあの子も色々と裏で動いていたみたいですし」

 裏で動いていた。

 その言葉は言うまでもない。鷹瀬のグレーゾーンな行為に対するバランスを図った行いのことである。

「……星生が話したのか?」

「何がですか?」

「その、二木さんのこととか」

「ええ」

 あっさりだった。

「天城さん」

「何だ?」

「今時間有りますか?」

「……ないと言ったらどうする?」

 鷹瀬は意地悪げな笑いを浮かべ、

「言わない方がいいと思いますよ?きっと貴方にとって有意義な誘い、ですから。こう見えて私、色々知ってるんですよ?久遠寺のこととか、貴方のこととか」

「俺のこと?」

「ええ。貴方のことも。そう、貴方がアドバイスをする側ではなく、受ける側だったころのことも」

「なっ……」

 声に出てしまった。

 前者は言うまでもなく今の状況のことだろう。天城は確かに久遠寺の書いた作品や、書こうとしている作品にアドバイスを加えた。そのことは鷹瀬が知っていてもなんらおかしくはない。

 ところが、後者は違う。

 確かに、天城はかつて、アドバイスを受ける側だったことがある。小説のような何かを書き、それを読んでもらい、アドバイスを貰う。そんなことをしていたのは事実である。

 しかし、

「なんで、それをお前が知ってる?」

 知っているはずはないのだ。

 その記憶は、天城が中学生のころのものであるし、同じ中学校に通っていた人間は、誰一人この高校にはいない。犯罪に手を染めていたり、警察に厄介になったのなら話は別であるが、そんなレベルにない、些細な、本当に些細なその事実は、同じ学校に通っていなければ知らないはずであり、少なくとも目の前に居る鷹瀬紫乃(しの)の口から語られることは無いはずなのだ。

 鷹瀬は相変わらず笑いながら、

「もちろん、その種明かしもします。だから、少しだけお付き合いいただけますか?”せーちゃん”?」

 心臓が止まったような気がした。

 どうやら、拒否する、という選択肢ははなから無いようだった。

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