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過去へ導くカレンダー

もしもあの時、違う選択をしていたら。
そんな考えは人間、誰しも1度は考えるはずだ。
もしもあの時、声を掛けていたら。
もしもあの時、あの人を止めていたら。
もしもあの時、違う台を選んでいたら。
もしもあの時、逃げ出さずに踏みとどまっていれば。
考え出せばキリが無いだろう。
何故そんな風に後悔するのかなんて簡単だろう。
その選択をした場合の未来を、誰も知らないのだから。
その先にあるのが後悔か成功か。今の選択が正しかったのか誤っていたのか。
……そして、もしも1度だけ、過去の選択を変えることが出来るなら…どうするかな?
何を変える? 何が最も後悔した事か、どんな違う世界を見たいか。
そして、その先にある選択が正しいか誤りか、知ってみると良い。
その選択を得るか、今の選択を得るか、2つに1つ。どっちが良いかは選んだ人次第だ。

「……喫茶、カレンダー? 変な名前だな」

どうやら、過去に後悔をした選択をした人物がやって来たようだ。

「……過去へ行って、選択をやり直してみませんか…だなんて…
 どうせ、どうせただの戯れ言だろう…でも、時間もあるし…」

そのお客様は少々考えた後、私の店へやって来た。
殆どの人間は過去へ行けると聞いても戯れ言だと言って入っては来ない。
だが、一部の本当に過去へ行きたいと考えている人間は入ってくる。
大きな選択の反対、その先を知りたいと考えて。

「すみません」
「いらっしゃいませ、ようこそ、喫茶カレンダーへ」
「えっと、時間を潰したく…え?」

お客様は最初に喫茶カレンダーにある大量のカレンダーが目に入った様だ。
当然だ、この喫茶カレンダーにはいくつものカレンダーが掛けてある。
このカレンダーこそ、過去へ行くための大事な道具だ。
そして、私はこのカレンダーの番人であり、その相手の過去を知ることとが出来る。

「あ、あの、この沢山のカレンダーは…その」
「はい、こちらのカレンダーは指をさした時間へ飛ぶことの出来るカレンダーです」
「へ? そんな何を言ってるんだか…どうせ、カレンダーを集めるのが好きなだけで」
「いえ、それは違いますね」
「……そ、そうですか」

お客様はカレンダーが気になったようで、店中に飾ってあるカレンダーを見始めた。
最初、指をさした時間へ飛ぶことが出来ると聞いて信じる人はまず居ない。
こんな不気味なことを言われて、すぐに信じることは殆どの人が出来ない。
あり得ないをすぐに信じる事が出来る人間などそういないのだから。
だが、本当に選択を変えたいと考える人なら、時間が経てば信じる。
本気で変えたいと思わない人は、最終的に不気味がってここから出ていく。

「…す、すみません。なんでこのカレンダー、今日の日付から先が書いてないんですか?」
「はい、こちらのカレンダーは過去を刻むカレンダーです。
 これから先の未来は記さず、未来へ行くことは出来ない」
「…か、カレンダーなのに先の日付がない? それはカレンダーとして機能しないんじゃ」
「このカレンダーは過去を記しています。過去の出来事、過ぎ去った日を記す
 そして、指をさした人物を1度だけその過去へ飛ばすことが出来る」
「……ほ、本気で言ってるんですか?」
「えぇ、私は過去を知っている。あなたの事も知っています
 泉堂 高志(せんどう こうし)様」
「…な、なんで俺の名前を!」
「言ったでしょう? 私は過去を知っている。あなたの事も知っている
 大きな分岐点を言えと言われれば、当然全て言う事も出来ますよ」

私は店に入ってきた人物の過去を知ることが出来る。
その過去には当然ながら、その人の名前も分岐点も知ることが出来る。
正し、違う選択をした未来の事は分からない。
私が知ることが出来るのは、あくまでこの人の進んできた道筋のみ。
あくまで、その人の今までの歴史書を知っているような物でしかない。
本を読んでいるような感覚であり、新しい物語を考える事は出来ない。

「…い、言ってみてくださいよ」
「えぇ、血液型はA型、出生体重は1892gです。兄妹はおらず、一人っ子
 そして、大きな分岐点。それは、小学生4年生の時、あなたを庇って母親は事故死」
「な!」
「その後、あなたは泣きじゃくり、学校はしばらくの間不登校となった。
 しかし、その時に心配した同級生の少女の言葉でだんだんと落ち着き始める。
 小学生6年生の時、あなたは不登校から回復し、学校へ行くことになる。
 その時はしばらく来てなかったため、最初の点数は24点という低い点だったが
 あなたを心配していた同級生の少女を筆頭に周りの同級生に勉強を教えて貰い
 あなたはなんとか80点以上を取れるようになった。
 それから18歳の時、あなたはその少女と付き合う様になり
 20歳の時に結婚、現職場では平社員という立場だが、2人の子宝に恵まれている
 どうです? あってますか?」
「…な、なんで…そんな全部…」
「あなたの過去を私は知っている。信じていただけましたか?」
「……は、はい」

しばらく考えた後に小さく頷いてくれた。
だが、彼はここから逃げる事をしない。
殆どの人物はこの事を聞くと、恐怖して逃げ出すが
やはり本気で過去を変えたいと願う人は逃げ出さないようだ。

「……」
「あなたは過去を変えたいのでしょう? あなたが変えたい過去」
「…もしも、交通事故が起る前に、あんな事が起らなければ…
 母親が生きていれば……」
「その過去の選択、やり直してみますか?」
「え?」
「1度だけです。1度だけ、あなたはその過去へ行くことが出来る。
 意識はそのままです。あなたは過去へ行き、選択を変える。
 その後、最大現在の年齢になるまで、その先の未来を体験することが出来る。
 この期間はあなた自身が設定できますが、最低1年は経験することをお勧めします
 その期間が過ぎた後、私が1度だけあなたを迎えに行き、このまま過ごすか
 はたまた今現在へ戻るかを選ぶことになります。
 もしもそのまま過ごすと選択した場合、あなたはその過去で生き続ける事が出来る
 もしも戻ると選択すれば、あなたは今現在へ戻ることになる
 その場合、あなたはもう過去へは戻れない」
「……ほ、本当なんですか? 本当に…私は過去へ戻れる? 選択をやり直せる?」
「はい、1度だけですがね。正し過去を変えた先の未来は保証しません
 そこから辛い状態になるか、今よりも幸せな生活になるかは分かりません」
「…それでも良いですから、お願いします。過去へ…過去へ飛ばしてください」
「良いでしょう。では、行きたい日付を指でさしてください。
 過去から現在に戻りたいのであれば、心の中で強く、私をお呼びください
 私の名は空孔 真名(くうこう まな)、最大日時になった場合もお向かいへ行きます
 それでは、後悔の無い選択をどうぞ…2度目の、そして、唯一の」

お客様は私の言葉を聞いた後、カレンダーに指をさした。
お客様はその後、光りに包まれ、その過去へ飛んでいった。
私は傍観者。彼がどのような選択をしても、私はその選択は変えられない。
人生で1度の、そして2度目のチャンス…後悔のしない選択をすることをお祈りします。





あの喫茶店の店主に言われ、過去を指差した。
俺はその後、光りに包まれ、暗闇をしばらくの間泳いでいた。
あの時の選択、本当にやり直せるのだろうか?
俺の事を大事にしてくれて、俺のせいで死んだ母親。
あの後、父親も酷いショックを受け、仕事で失敗。
父親の出世は俺のせいで失敗し、父さんは今でも平社員。
母さんが死んだのは全部俺のせいだ。
俺の家が大変な状態になったのも、全部俺のせいだ。
お父さん、お母さんは俺のせいで…でも、きっと変えることが出来る。
あの話が本当なら、俺は…俺の家は幸せになるに違いない。
俺が選択を変えれば、家族は皆…幸せになるはずだ。

「何寝てるの? お買い物一緒に行くんでしょ?」
「え? あ、お、お母さん」

俺が目を覚ますと、目の前には懐かしい母の顔があった。
お母さんはいつも俺のわがままに付き合ってくれた。
俺が涙を流せば、優しく慰めてくれて。
俺がテストで良い点を取れば、満面の笑顔で喜んでくれた。
どんな時でも俺を優先してくれて…だから、あの時、お母さんは…

「どうしたの? なんで泣いてるの?」
「え? い、いや、な、何でも無いよ、ちょっと眠たかったからかも」
「…そう、さ、それじゃあ、一緒に行きましょうか」
「う、うん」

……この日、母は急に走り出した俺を庇って車に轢かれた。
確かあの時、横断歩道の信号は青だった。
それなのに猛スピードで走ってきた車に俺は轢かれそうになった。
その時、母は俺を庇って、俺の代わりに車に轢かれ死んだ。
結局、その車の運転手は最後まで捕まることなど無く、何処かへ逃げたらしい。
絶対に許せない…絶対に…でも、きっと変えることが出来る。
俺はあの時の事を覚えている。俺が飛び出さなければ、母は死なない。

「今日は温かいわね、そう思わない?」
「うん、そうだね」

うーん、口調は不思議といつも通り話せず、子供口調になってしまう。
理由は分からないけど、別に構わない。
自分の中にあるこの確かな意思があれば、母は死ぬことは無い。

「信号よ、止まって」
「うん」

この信号だ、この信号が青になって渡ろうとした瞬間に車が来る。
その時、俺は歩道を渡ろうとしていたから引かれそうになり、母が庇ってくれた。
つまり、すぐに飛び出さなければ母は死ぬことは無い。

「青になったわ」

青だ、ここですぐに進み出したせいで母は引かれたんだ。
ひとまず落ち着いて、左右を見て…

「あら、うふふ、そうよ、青信号になってもすぐに渡ったら危ないからね」

そして、左右を見終わり、進み出そうとした瞬間だった。
俺達の目の前を猛スピードの車が走り去っていった。
信号はどう考えても赤、それも赤になってかなりの時間が経っているというのに
一切止まる気配も無く、猛スピードでぶっ飛ばしている。
一瞬、その車の中に乗っている人物の顔を見た。
金色の髪の毛をした、ヤンキーという感じだ。

「あ、危ないわね、どう考えても赤信号だったのに…高志、あなたは大人になって
 あんな事をしたら駄目よ? ルールはちゃんと守らないと」
「うん!」

その後、横断歩道を渡り、俺は母親と一緒に買い物をして、何事も無く家へ帰れた。
これで…こんな些細なことで、母親の、そして俺達家族の運命は変わった。
俺はその後、不登校になる事無く、小学校へ行き、テストの点も結構な物だった。
何故か見慣れたような低レベルなテストでも、中々に難しいと感じた。
もしかしたら、意識だけが残っていて、知識は子供相応なのかもしれない。
その後も、俺はテストで高得点を叩きだしていた。
中学生になるときだって、かなりの高得点で過ごした。

「…高志君、本当に頭が良いね」
「え? あ、うん、ありがとう」

大谷 舞(おおたに まい)、この過去になる前、俺を必死に支えてくれてた女の子。
現時間の俺の妻、仲の良い同級生だ。

「ねぇ、高校は何処へ行くの?」
「そうだな、この高校だな」
「え? ここってかなりの名門…あはは、高志君なら通るよね」
「良い高校に行って、もっと勉強したいからね」
「う、うん、凄い志だと思うよ……う、うん」

彼女は少しだけ冷や汗をかいている、どうしたんだろうか。

「えっと、高志君、私、頑張るから」
「え? あ、う、うん」

そう言って、彼女はそそくさと何処かへ移動していった。
その後、俺はこの高校を受験して、見事通った。

「おぉ、凄いじゃないか! 高志!」
「えぇ、頑張ったわね」
「父さん母さんのお陰だよ」
「いえ、あなたの頑張りがあったからよ」
「支えてくれてた父さん母さんが居たから頑張れたんだ」
「はは、嬉しいことを言うな、高志!」
「本当ね、真っ直ぐに成長してくれて嬉しいわ」

父さんはその後、出世して、今は部長クラスだ。
家は父さんの出世のお陰で裕福になって、俺は大学へ行くことも出来る。
自分自身が頑張らないと、大学なんかには行けないけどな。
…しかしだ、その日以降から、舞はかなり元気が無くなっていた。
俺が合格したことを喜んではくれていたけど、何処か暗い。

「高志君…あの…あ、いや、何でも無い」
「ん?」
「……ごめんなさい」
「え?」

暗い表情のまま、彼女は何処かへ移動していった。
その後、俺は高校でもかなり良い成績を残し、大学へ行くことも出来た。
これで俺は将来、出世街道まっしぐらだろう。
お金も沢山貰えるだろうし、両親も苦労をさせないはずだ。

「……ねぇ、高志君」
「ん?」

舞と俺の家は近いから結構な頻度で出会う。
その日、舞は俺に話し掛けてきたけど、妙に暗い雰囲気だった。

「あの…実は言いたいことがあるの」
「どうしたんだ?」
「……ねぇ、高志君…今まで、ありがとうね」
「え!?」
「引っ越し…することになったの」
「なんで!?」
「お父さんが転勤することになって…それで、私…」

そんな! そんな話、聞いたことが無いぞ!?
そんなの…あ、そ、そう言えば…あの人が言っていた。
過去を変えた先の未来は保証しないと!
もしかして…これが過去を変えたことによって起こった事!?

「それに…私は多分、高志君には相応しくない、頭も悪いし、同じ学校にも行けない。
 きっと、高志君なら良い出会いが待ってるから…さようなら」
「そんな! 待ってくれよ!」
「……また、何処かで会えたら…その、時は……うぅ!」
「待って! 舞!」

舞は涙ぐみ、その場から走り去ってしまった…こんな事。
……こんな事があっても良いのかよ…そんなの…
その後、舞は引っ越しして、別の誰かと結婚したと聞いた。
俺は大学へ進み、社会人になり、エリートと言われるようにもなったが
どうしても…どうしても舞の事が忘れられず、辛い。
舞を失う…それは大事な家族を失うと言う事。
でも…このまま戻れば、俺は母を失う。
折角……折角救った母親を、俺は失うことになる。
俺は…俺はどうすれば良い? 選択の時間は刻一刻と近づいてくる。
俺は…どっちを選べば良いんだ…俺は…俺は!

「……どうしたの? 高志」
「…か、母さん…」

俺は我慢できず、母親に全ての事を話した。
信じてくれるわけもないだろうけど、自分が未来から来たと言うことも全て。

「…そう」

絶対に信じてくれないはずだが、母は俺の言葉をあり得ないなどと否定はしなかった。
むしろ受入れてくれているように思えた。

「…疑わないの?」
「疑わないわ、そんな嘘を、あなたが言う必要は無いと思うから」

…俺がもし、息子から未来から過去を変えるために来た、なんて言われたら
きっと、信じることは出来なかっただろう。そんなの戯れ言。
あり得ないと言っていたと思う…でも、母さんは信じてくれた。
本気で信じているのか、ただ話を合わせてくれているだけなのかは分からないけど。
それでも、この言葉は俺にとって大きな救いになった。

「…だからさ、もしも…俺が戻ると、母さんは死んだことになるんだ」
「…そうなの」
「父さんも出世はしないし、俺も大学には行ってないし、今の就職先では無くて
 小さな会社の平社員…でも、このままだと」
「…あなたは、どっちが良いの?」
「え?」
「大事なのはあなたの選択なんでしょう? なら、選びなさい
 大事な物を見失わないで、自分の選んだ選択に自信を持って
 確かに、生きている中で選択を誤ることもあるでしょう
 でも、大事なのはその先なのよ、例え選択を誤っても
 その先の未来を幸せな物にすれば、その選択は正しいと言えるの。
 大事なのは幸せにしようとする努力なの。選択した後に後悔するなら
 選択した未来を幸せにしようと頑張りなさい。
 私はね、あなたが幸せならそれで良いの。
 例え、その先に私が居なくても…きっと私は天国からあなたを見守ってる。
 そして、幸せなあなたを見て、きっと微笑んでいるから」
「……母さん、良いの? だって」
「良いのよ、あなたが幸せになるなら、私はその場に居なくても
 大事な大事な可愛い子供の幸せを見る方が、私は幸せ。
 辛そうな顔をしているあなたを見る方が、私は辛いの。
 でも、あなたの選択にこれ以上何かを言うことはしない。
 あなたが選んで…あなたが進んだ道なら、私は何も言わないから」

母さんは俺の顔を見てニッコリと笑ってくれた。
……幸せ、俺は元の世界で、それを感じていなかっただろうか。
いや、そんな事は無い。舞と一緒に子供達と一緒にすごしていて
確かな幸せを感じていた。掛け替えのない幸福を感じていた。
その場に母が居ないことを後悔していた事もあったけど。
それでも、ちゃんと幸せを感じていたんだ。
失いたくない、掛け替えのない家族。
その中に勿論、母も居る…でも、母は俺の辛い顔を見るのは嫌だと言う。
俺はこのまま過ごせば、きっと後悔を残したまま…ずっと生きる事になる。
それはどっちの世界でも同じだろう。
元に戻っても、母親を救えなかったという後悔を残したまま生きる。
でも、このまま生きていても、俺は舞を、家族を捨てたという後悔のまま生きる。

「……幸せになりなさいね、高志」
「…母…さん…」

俺は悩んだ、ずっとずっと、今までにない程に悩んだ。
大事な家族を…どっちの家族を捨てるかなんて言う選択。
辛すぎる選択。どちらを選んでも確実に後悔する選択肢。
……それでも、時間は過ぎ、その時がやってくる。

「……お迎えに参りました、高志様」

俺の目の前に、あの店主が現われた。
眠っているタイミングに現われると言う事は、夢の中。
でも、きっとこれは夢じゃない、この選択で全てが決まる。
夢なら、こんなにもハッキリと意識は無い。

「あなたはこのまま生きるか、それとも実時間へ戻るか
 その選択の時です。あなたはきっとどっちを選んでも後悔する。
 ですが、選ばなくてはならない。どちらの後悔を選ぶか
 そして、どちらの幸せを選ぶかを」
「…お、俺は…」

俺はどうする? どうすれば良い? どっちを捨てても後悔する。
母を捨てようとも、舞達を捨てようとも後悔する。

「……選択を」

……何日もの間、迷い続けても出て来なかった答え。
だが、その答えはふと思い出した、一言で決まった。
それは、あの時、事故が起ったときに母が残した言葉。
薄い意識の中でしか覚えていなかったが、今、ハッキリと思い出した。
(…高志、ごめん…ね、幸せに…なって…ね? お母…さんは…天国で…見守ってる…から)
…母さんは、母さんはどっちの時間でも…俺の幸せを願っていた。
この時間でも、母は俺に幸せになりなさいと言ってくれた。
実時間でもそうだ、死の直前でさえ、母は俺の幸せを願っていた。
……俺は…起った過去を後悔しないで、幸せにならないといけないんだ!
誤った選択の先を幸せにしないといけない…それは母の言葉!
大事な母の、最後の願いを俺は果たさないといけない!
俺は…この過去を踏み越えて、幸せにならないといけない…母の為にも、舞達の為にも!

「……戻ります、俺は元の時間に戻る」
「良いのですか? 元の戻れば、あなたの母親は死んだまま」
「…分かってます、でも、母に言われて思った
 俺は母の為にも、過去を踏み越えて幸せにならないといけないと!
 もう迷わない、俺は誤った選択を踏み越え! 幸せを掴むと!
 後悔はしない、俺は過去を受入れて、未来を幸せにする!」
「……分かりました、では、戻りましょう。現実の時間へ
 あなたを待っている、大事な家族の元へ。大事な母の願いを叶えるために」
「はい」

俺はまた光りに包まれ、今度は光りの中を泳ぎ続けた。
こっちに来たときは先の見えない暗闇だったが、今は光りの中だ。
これはきっと…俺の気持ちがハッキリと定まったからだ。
当然、後悔が無いわけじゃない。この選択が正しいかも分からない。
でも、俺はこの選択も、過去も全て踏み越えて幸せになる。
大事な願いを捨てるわけにはいかない。泣き続ける過去の未来を選ぶよりも
涙を拭い! 踏み越え! 辛い思いを残しながらも! 幸せに進める未来を選ぶ!
母の願いを叶えるためにも、俺は幸せにならないといけないんだから!

「…あ」

ゆっくりと目を開けると、俺はあの喫茶店のテーブルに座っていた。

「おはようございます、どうぞ」

あの店主は俺の席の前に温かそうなコーヒーを出してくれた。

「これは?」
「サービスです。あ、安心してください、記憶を消すような物ではありません」
「こう言う、過去へ戻った後は記憶が消える物だと思いましたけど」

小説やドラマではよくあることだ、過去へ行った記憶は全て消える。
その後は何事も無かったかのように日々を過ごす。

「まさか、過去へ行き、得た大事な意思や決意を消すような野暮はしませんよ」
「…そうですか」
「しかし、さぞ辛かったでしょう? 最後の選択は。どちらを選んでも
 あなたは大事な家族を捨てる事になるのですから」
「…はい、でも、後悔はしませんよ、母の願いを果たすためにも」
「たまには後悔も良い物ですよ。でも、やはり大事なのはその先
 後悔して、それを踏み越えることが出来るかどうかでしょう。
 後悔しないで過ごせるはずがありませんからね」
「…はい」
「では、そちらを飲んだ後、お帰りくださいませ
 大事な家族があなたを待っていますよ」
「…はい!」

俺は出されたコーヒーの飲み干し、お代を払おうと財布を取り出そうとした。

「いえ、お代は結構です」
「え? ですが」
「ただのサービスなのですから」
「……いえ、やはりいくらかは払わないと気が済まない
 大したお金も無いのですが、気持ち分は払いたいんです」

俺は財布の中に入っていた1万円札をカウンターに置き
そのままこの喫茶店を出て行った。

「…どうぞ、お幸せに」

喫茶店の店主は俺を手を振って見送ってくれた。
不思議とその店主に俺は母の姿を重ね、母が見送ってくれていると感じた。
何処か安心出来る優しさに包まれ、俺は1直線に家に帰る。
そして、舞から本当の事を聞く事になった。
本当は、あの過去で体験した、舞が引っ越すという運命。
あれは実の時間でも起きていたらしい。
だが、その時は舞は駄々をこね、この場に無理矢理残ることになったそうだ。

「だって…あの時の高志さんは私が居ないと、死んじゃいそうだったし
 でも、どうしたの? 帰ってきていきなりそんな事を聞いて
 と言うか、何処で知ったの?」
「色々とあってな、でも、本当に俺はお前が居ないと死んでただろう。
 …舞、本当にありがとうな」

俺は出迎えてくれた舞を抱きしめた。
舞を抱きしめるなんて、何年ぶりだろうか。
優しい温もり、この温もりは何処か母を思い出した。

「え? あ、あ、ありがとう…え、えへへ」

舞は少し恥ずかしそうにほくそ笑み、顔を赤くして笑った。

「あー! お父さんとお母さんラブラブ!」
「抱きしめ合ってる! ラブラブ-!」

そんな俺達に気が付いた、可愛い娘達が駆け寄ってきてからかってくる。

「こ、こら! やめ!」
「へへ、そうだろ? お父さんとお母さんはラブラブなんだ」
「へ? あ、あぁ、あぅ…う、うん、そうだね…え、えへへ…」
「……ありがとうな、舞、お前のお陰で俺は幸せだよ」
「え? あ、ど、どうしたの? 今日は何だか…何か良いことでもあったの?」
「良いことと言えば良いことだが、悪い事と言えば悪い事かな」
「ん? まぁ、よく分からないけど、お帰りなさい」
「「おかえりなさい!」」
「……ただいま」

この一言…この一言は俺にとってはかなり大きな一言だった。
何でも無い、いつも通りの挨拶。ただいまとおかえりなんていつも言ってる言葉。
でも、今日は何故だかこの言葉が、凄く重たい物だと感じた。





「…これから先、彼にどのような事が起るかは分かりません。
 ですが、間違いなく幸せな日々が続くでしょうね。
 過去の選択、周囲からの支え、本当、彼は幸せ者です
 あなたの願い、叶いましたね…高志様のお母様」

彼はもう過去を悔やむことは無いでしょう。
母親から言われた言葉を胸に刻み、後悔を踏み越え進むはず。
あの過去を踏み越えた彼なら、きっと幸せに生き続けることが出来るはずです。
彼を必死に支えてくれる、大事なご家族も居ることですしね。
さぁ、戻りましょうか。お客様はまだまだ来るでしょうからね。
後悔がこの世界から消え去ることなど、あり得ないのだから。

しおり