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 やがて木々の間に、祖母の丸太の家が見えてきた。

「――ついて来るの?」私は、相変わらず隣を歩いているユエホワを見てきいた。「今からおばあちゃんちに行くんだよ? いやなんじゃなかったっけ」

「一回、ちゃんと聞いとこうと思って」緑髪鬼魔は目をそらしながらむすっと答えた。

「何を?」私はまたきいた。

「――あの戦いの時のこと」ユエホワはまたむすっと答えた。

「あの戦い? クドゥールグの?」またきいた。

「ああ」また答えた。

 その直後、私たちは丸太の家の前に着いた。

「聞いてどうするの?」私は立ち止まってまたきいた。

「どうするって」ユエホワも立ち止まったけど、答えにつまった。

「まさか仇をうつつもり?」私は目を丸くしてきいた。「その作戦を練るためとか?」

「いや」ユエホワは首をふった。「そういうつもりじゃねえけど」

「えー、どうだか」私は横目でにらみながら言い「こんにちは――」と叫んだ。

「お前」ユエホワは声を殺して早口で言った。「絶対言うなよ」

「はあーい、いらっしゃーい」祖母はにこにこしながらテラスに出て来た。「まあーユエホワ、また来てくれて嬉しいわ」両手を胸の前で組み合わせて、頬をバラのように輝かせながら言う。本当に、心からうれしいんだろうな……と私は思った。

「こんちは」ユエホワは少し照れくさそうに、ぺこっと頭を下げた。

「クドゥールグのこと聞きたいんだって」私はずばっと言った。

「あっ」ユエホワが目を見ひらいて私を見たけれど、じっさいそうだもんね。

「クドゥールグのことを?」祖母は少し驚いたような顔をして、でもすぐに穏やかな微笑みに戻り「わかったわ。お茶の用意をするわね。どうぞ座っていてちょうだい」と告げ、台所の方へ入って行った。

「今日は魔法で飛ばしてこないんだな」テラスの木椅子に座りながら、ユエホワが小さな声でぼそぼそと言う。

「たぶん、お茶の葉をじっくり選んでるんじゃないのかな」私は口をとがらせて答えた。「大切な話をするときにはよくそうしてるから」

 つまり、祖母はこれからユエホワに、とっても大切な話をするつもりなのだ――鬼魔の親分のことについて。

「へえー」ユエホワはなんだか感動したように、丸太の家の奥の方を見やった。

 思った通り、祖母はいちばんお気に入りのポットとカップを使ってお茶を運んできた――たぶん、クロルリンクではない、もうちょっと高級なお店で買ったものだと思う。

 いや、クロルリンクが低級だという意味では、けっしてない。

 お茶は、ほんのりとミイノモイオレンジの香りがした。

「さあ、お待たせ」祖母は、お手製のプィプリプケーキをお皿に乗せて配りながらそう言い、椅子に腰掛けた。「何から話そうかしら」

「――あなたは何歳だったんですか」ユエホワが、いつもに比べると小さな声で切り出した。「あの戦いのとき」

「私は――十九だったわ」祖母は眸を閉じて、懐かしそうに頷きながら答えた。「魔法大学に入って二年目の、夏だった」

「へえー」私は一人、ケーキをぱくぱく食べながら感心した。「魔法大学かあ。あたしもあと五年したら、受けるんだよね」

「大学で、キャビッチスローを学んでたんですか?」ユエホワはまた祖母に質問した。

「ええ」祖母は目を細めてにっこりした。「あの頃確か、成分魔法を覚えたばかりだったのよね」

「成分魔法?」私とユエホワが同時にきいた。

「そう」祖母はこくりとうなずいた。「キャビッチに含まれる、特定の成分にだけ魔法をかけて、特殊効果を得るものなの」

「ふう、ん」私はあいまいにうなずき、

「ああ、あれか!」ユエホワはぽん、と手のひらに拳を当てて納得した。

「え、知ってんの?」私は驚いて隣のムートゥー類鬼魔を見た。

「何いってんだよ」ユエホワが眉を寄せて私を見返す。「お前一回使ったじゃん、泡粒界で戦ったとき」

「泡粒界で……?」私はテラスの屋根裏を見上げた。

「たしかアシュアムっていってたやつ」

「まあ」祖母が目を丸くする。「それは知らなかったわ! ポピー、あなたすごいじゃないの。どうやって覚えたの? アシュアム効果魔法を」

「アシュアム……ああ」やっと私のノウリにもうっすらと記憶がよみがえった。

 そう、前に、ふとしたきっかけで泡粒界という異世界を救うために戦ったことがあって、たまたま一緒に戦うことになった学校の先生から、急きょやり方を教え込まれて、強行突破で使った魔法のことだ。

 キャビッチに含まれる、アシュアムという成分にだけ、魔法をかける、という。

「あれのことかあ」

「まあ、そう……泡粒界で」祖母は、私たちがかわるがわるに話すことをすべて聞き終わってから、深いため息まじりにそう言った。「そんな大変なことがあったなんて……フリージアからはなにも聞いていないわ」

「あっ」そこで私は初めて気づいた。

 泡粒界へは、母にはだまって行ったんだった、ということに。

「あ」ユエホワも気づいたらしく口に手を当てたけど、私にとってはそんなどころじゃなかった。

「あっ、あの、えと、ママにはっ」私は、連続キャビッチ投げを食らったモケ類のようにあわてふためいておたおたした。「おばあちゃんお願い、ママにだけはっ」

「あらまあ」祖母は肩をひょいとすくめて言ったけれど、すぐにくすくす笑って「でもそうよね、あなたたちが一緒に異世界へ行ったなんて知ったら、あの子町を破壊するぐらい怒りまくってしまうだろうから、言わない方が世の中の平和のためね」

「あははは」私は、母がキューナン通り――クロルリンクもミヴィズも聖堂も――をめちゃくちゃに壊しまくっている光景を想像して、泣き笑いした。

「うっへえ」となりでユエホワが顔をしかめる。

「もう!」私はユエホワに文句を言った。「あんたがよけいなこというから!」

「あれ、なんでそうなる?」ユエホワは目を見ひらいて反論してきた。「だって俺、お前が母ちゃんに話してないなんて知らなかったし」

「話せるわけないじゃん! あんたといっしょに泡粒界行くなんて言ったらあたし、ママに半殺しにされるし」

「お前の母ちゃんだろ。半殺しにされるなら俺の方だし」

「そもそも泡粒界なんてあたしは行く気なかったのに、あんたが無理やり」

「あれえ、いまさらそんなこと言う? 卑怯だぞお前」

「どこが卑怯よ」私はついにリュックに手を伸ばした。

「これ!」祖母が大きな声でぴしっと言った。

 私とユエホワは、文字どおりかたまった。

 弱い魔法をかけられたんだと思う……けど、大部分は祖母の声の迫力で、私たちはぴきっと静かになったのだ。

「おやめなさい! 泡粒界に行くのはいいけれど、喧嘩はだめ!」祖母はそう言って叱った。

 私たちはしゅんとしおれて反省しながらも、

 ――泡粒界に行くのは、いいんだ……

と心の中だけでつぶやいていた。

 ふ、と祖母は息をつき、「まあいいわ。とにかくそのアシュアムのような、成分魔法を覚えて私は……そうね、ちょっと天狗になっていたのだと思うわ」

「天狗に?」私は驚いた。

「ええ」祖母は少し苦笑いをした。「当時はとにかく、その覚えたての効果をいろいろ試したくて、暇をみつけては森や海へ行って、鬼魔を探していたの」

「ええーっ」私はさらに驚いた。

「災難だな」ユエホワもぼそっとつぶやいた。

「ごめんなさいね」祖母はますます苦笑いした。「若気の至り、というやつね」

「一人で?」私は、祖母の昔のことなのに、鼓動がどきどき早くなった。「怖くなかったの?」

「ぜんぜん」祖母は首をふった。「自分が負けるなんて、いちども考えたことがなかったわ」

「すげえ」ユエホワがまたぼそっとつぶやいた。

「そう」祖母はユエホワを見て、しずかな表情で続けた。「自分が負けるかも……そんな風に思ったことなんてなかった、クドゥールグと戦うまでは」

 ユエホワは、赤い瞳をもういちど見ひらいて、祖母をまっすぐに見つめ返した。

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