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第36話

「澄人。これを使ってください」

 少し歩いたところで、ナオはバッグから厚手のウェットティッシュを出し、澄人に渡した。

 それで手を拭きながら、「ごめんね。僕のお節介を手伝わせちゃって」と言われた彼女は、首を横に振る。

「いいえ。澄人なら、あのようにすると思っていました。ただ……他の人間の方達が、澄人のことを笑っていたのは、少々不快でした」

 ムッとした表情をするナオに、澄人は微笑みを浮かべてみせる。

「いいんだ。ああいうのは慣れているし」
「慣れているというのは?」
「……小さい頃から、ずっといじめられていたから」
「あっ……」 

 しまったと、ナオは右手を口に当てた。

(澄人がいじめを受けていたことは、姉さんから聞いていたのに……なんで慣れているなんて言ったのか、少し考えればわかったはずなのに、私ったら……)

 嫌なことを思い出させて、気分を悪くさせてしまったのではないかと、ナオは澄人の顔色を伺うと、彼の微笑みは崩れていなかった。

「まあ、全然辛くないって言ったら嘘になるけど、あのアーティナル・レイスを手助けしたことを、後悔はしていない。所詮自己満足だけど、役に立てたのが嬉しいし、それになんていうか、はるに恩返しができている気もするから」
「恩返し?」
「いじめられて、両親からも見放されて……誰も信じられず、引きこもりになっていた僕の汚れた体を、はるは抱きしめてくれて……優しく笑いながら体を洗ってくれた。しかも、僕がゴミだらけにした部屋も片付けてくれた」

 それを聞いて、ナオは気づく。澄人は重ねていたのだ。過去の自分と、あのアーティナル・レイスを。

「他にも数え切れないくらい、はるに助けられた。けど、今ははるにその恩を返すことはできない」
「だから、アーティナル・レイス達の手助けることで、澄人は姉さんから受けた恩を返そうと思っているわけですね」
「まあ、それで返しきれるとは思っていないけど。将来、はるとまた再会できる日がきた時に、アーティナル・レイスの手助けをした話をしたら、喜んでくれると思うんだ」
「そうですね。姉さんも澄人からそういう話を聞けたら、きっと嬉しいと思いますし、もしかしたら澄人のことを、もっと好きになってくれるかもしれませんよ?」
「えっ!? そ、そうかな?」
「はい。姉さんの妹である私がそう思うのですから、間違いないです」
「はるが僕のことを、もっと好きに……かぁ」

 澄人の表情が緩む。それを見たナオの心は、少々落胆の色に染まった。

(わかっていましたけど、そうなりますよね……)

 実は彼女、自分の想いを遠回しに澄人へ伝えていた。

『そういう話を聞けたら、きっと嬉しいと思いますし、もしかしたら澄人のことを、もっと好きになってくれるかもしれませんよ?』

『妹である私がそう思うのですから』

 それらの言葉に含ませ、ナオが澄人へ伝えていた想いはこうだ。

――その話をすでに知っている私は、あなたのことがもっと好きになってしまいました。

 気づいてくれるとは思っていなかった。いや、気づいてほしかったが気づいてほしくないという、複雑な心境だった。

(気づいてほしかったといえば、ほしかったですけど、気づいてくれなくてちょっと安心です。遠回しとはいえ、つい言っちゃいましたが……私、まだ心の準備ができていませんし……それに、姉さんを隠れ蓑にした卑怯な伝え方でしたから)

 反省しながら、澄人の方を見る。

(気づいてくれていたら、澄人はなんて言ってくれていたのでしょうか? ごめんと断られたとしても、手を繋ぐくらいはしてもらえたとか……?)

 ナオの視線が、また澄人の手に移る。と――

「ナオ」
「は、はいっ!?」

 いつの間にか、緩んでいた表情を元に戻した澄人に突然呼ばれ、びっくりしたナオはつい大きい声で返事をした。

「ちょっと、あそこに並んでいる露店を見てみない? いろんなものが売っているみたいだから」
「は、はい! いい、いきまひょ!」

 慌てたナオは、舌が変なふうに動き、意図せずに別の地区の方言が出てしまう。

 それを聞いた澄人は、笑い出した。

「――ぷっ、いきまひょって……くふふ、あははは」
「あっ、ち、違うんです! これは間違えたというか、慌てて返事をしたせいというか……」
「ふふふ……いや、わかっているよ。けど、ナオでもそういうことあるんだね」
「澄人が急に呼んだせいですよ! ううぅ~……」
「ごめんごめん。でも、施術前だとナオのそういう表情とか、慌てているところを見ることがなかったからギャップがすごくて」
「これが本当の私なんです!」
「みたいだね。だいぶ表情も豊かになって、自然な感じが出てきているし」

 澄人がそう言うと、ナオはある質問をする。

「……澄人は前の私と今の私、どちらが……その……好きですか?」
「どっちも好きだよ」
「――!」
「前のナオも今のナオも、ナオであることに変わりはないからね」
「そうですか。好き……ですか。うふふ」

 わかっている。澄人がそういう意味で言ったのでははないことを。
 
 だがナオの心は一気にピンク色に染まり、飛び跳ねるくらいに踊り舞う。

「それがどうかしたの?」
「いえ。さあ、露店を見に行きましょう!」

 ナオは満面の笑みを浮かべると、スキップ気味の足取りで、澄人と露店の方へ向かうのであった。

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