バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第30話

「……オ。…………! 目を…………」

 彼女の意識内に響き聞こえてくる、何者かの声。途切れ途切れに聞こえていた、その霞み声は、徐々にはっきりとしたものになっていく。

「……ナオ。ナオ……起きて」

(澄人……?)

 声の主が澄人だとわかったナオは、ゆっくりと目を開けた。

「ナオ! よかった……目を開けてくれて。僕がわかる?」
「はい……わかります」

 ナオが返事をすると、澄人は安心したように笑顔を見せた。その彼の作業着には、ナオのものと思われる、体温調節用の冷却血液(クーリング・ブラッド)が付着し、汚れていた。

(施術は……もう、終わった……?)

 まだ目覚めきっていない意識の中、ナオは時刻を確認してみた。

 十七時五十七分。試験終了まで残り三分。澄人は時間いっぱいまで、施術をしていたようだ。

『アーティナル・レイスのディープスリープモードからの復帰を確認した。これにて試験は終了とする』
「はい」

 スピーカー越しに、荒山から試験の終了を伝えられると、澄人は額から流れている汗を袖で拭った。 

『これから縫合箇所のチェックをした後、H.S.G(人工皮膚)の修復装置へナオを移す。それが終了次第――遅くとも三時間後には、ナオをお前の部屋へ帰す。それまで休んでいろ』
「わかりました。それじゃあ、ナオ。後でね」
「はい……」

 澄人は部屋から退出し、更衣室へと入っていった。

「成功……したのでしょうか?」

 仰向けで横になっているナオは、天井を見たまま呟く。すると、荒山の声がそれに答えた。

「成功だ」
「荒山総主任……」

 どうやら澄人が退室してからすぐ、この部屋に入ってきていたようだ。

「柳原澄人は、実に見事な施術を行った。お前の体の不具合は、ほとんどなくなっているはずだ」
「そうですか……」

(よかった……)

 荒山がそう言うのであれば間違いないと――澄人は合格になるだろうと思ったナオは、安堵の息を静かに吐いた。

「しかし……まさかここまで完璧にやり遂げるとは」

 荒山は、澄人が縫合を行ったナオの人工皮膚をまじまじと見ながら、感心するように言った。

「荒山総主任は、澄人が失敗すると思っていたのですか……?」
「大きな失敗はしないだろうが、何かしらのミスはすると思っていた。今までこの試験をした者は、必ずと言っていいほどミスをしている。だが……あいつは一切ミスをしなかった。しかもそれだけじゃない。手を抜くことなく――迷いのない動きで、施術をしていた。ここの社員でも、あそこまで手際のいい施術ができるやつは、ほとんどいない」
「澄人が……社員の方よりも……?」

 ナオは荒山が冗談を言っているのではないかと思ったが、彼はそんなことを言うような人間ではない。澄人は今回の施術試験で、荒山にそれだけのことを言わせる腕を見せつけたのだ。

(澄人……荒山総主任が、あなたの腕を認めていますよ。第一研究所のトップが、あなたのことを……)

 嬉しさのあまり、ナオの目は潤んだ。

「……やはり、あいつには能力(ちから)があるな」

 荒山は突然、そんなことを口にした。

 澄人が遺伝子操作に失敗して生まれたことを、荒山は忘れているのではないかと思ったナオは、すぐにそのことを言おうとする。

「荒山総主任。澄人は、生まれる前の遺伝子操作で……」
「……以前言っただろう。才能を持って生まれなかったからといって、それは才能を持てないという意味ではない……と。あいつは努力を重ね……そして得たのだ。それも遺伝子操作では得られないものを」
「遺伝子操作では、得られないもの……?」
「……大切なもののためならば、自分の能力(ちから)を――限界まで引き出すことができる才能だ。私には、あいつにそれがあるように思えた」
「大切なもの……」
「お前を救いたいという強い思いが、自身の能力を最大限まで引き出し、初めての施術にも関わらず、あれだけの腕を発揮させるに至った。そうでなければ、あれだけ必死に施術をすることはしなかっただろう」
「そこまで、私のことを……」
「逆に言えば、お前が施術対象でなければ、今回の試験は成功しなかったかもしれん。そういった意味では、もっと経験を積んで成長する必要があるだろうが……」

 気がつけば、荒山の顔には笑みが浮かんでいた。

「ナオ。もうしばらくの間、柳原澄人のことを頼む。あいつはおそらく……この世界に――この先の時代に、必要な人間になる」
「はい」

 ナオは強く頷いた。

 荒山がそれだけ言うのであれば――澄人は間違いなく、この世界に必要な人間になる。そのためなら、自分は彼の役に立ち、そして支えてみせる。最後の時まで……。

しおり