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人づてに聞いた、きみの昇進。
へえ、それは良かったじゃないか。張り切っていたから。

「部長の直属になるらしい。スピード出世だな」
は? 俺と組んでいるのに何処へ行くんだ。
俺の営業事務担当だろうが?
手離してたまるか、追い掛けてくれる。

「おい、待て、東蔦(ひがしつた)。あの子も部長に落ちたらしいからいいじゃないか」
何だって?
「東蔦 結宜(ゆき)、おまえは人材補充がされるまで独りで営業と事務を熟すんだな、主任職だから直に新人が組むさ」
何時に成るんだよ。

「ゆきちゃん! このショコラブラウンで前髪重めのラフフォワードマッシュ・無造作ヘアー風の項曝け出し艶男。待ちなさい」
「靴音鳴らさないの、ゆーきちゃん! 24にして完成した色香漂う営業担当。見るからに絹の肌を持つ器量よし。事務担当が逃げるのはゆきちゃんが冷たい態度を取るからだろう」

冷たい?

「相手は部長だから進言をせんようになあ。全社が揺れる。おれたちを巻き込む雪崩は勘弁だぞ」





アスファルトに粉雪が舞い降りて滲んで行く。
夕方に降る雪は暮雪と言うらしい、そう言えば昼間から空が灰色の雪曇だった。

「矢張り、車で動くべきでしたね。終電は0時5分ですよ。それ迄には電車が動いて欲しいものですが」

俺が聞きたいのは終電の時間でも部長の提示内容でも無くて、ただ、きみの前では笑顔で居るように努める事をどう思うのかなんだけどな。

「部長は無事にご帰宅されたかなあ」

きみが恋に落ちていく様を見てしまったから何も言えない。
横でこうして並んで座るだけ、そしてきみの部長への思いをただ聞く役割だなんて、居心地が悪い。
半年前は俺を追い掛けて「東蔦主任、受注内容なんですけど数量が通常の倍で来ています、これはおかしいのでお店へ問い合わせますね?」面倒なくらい、細かい事迄報告してくれたのに。
部長の側近になり、俺から離れていったきみ。
それなのに部長は自分の海外視察の期間中、業務の代行を管理職である課長では無く、主任の俺に託すと言い出した。

「ゆきちゃん。あ、失礼。東蔦主任なら西明(さいみょう)くんと以前、同士だったから馬が合うだろう。2週間頼んだよ」

嬉しいというより切ない気持ちが込み上げていた。
元同士の西明が部長に落ちているから。
でも離れて知った、俺には西明が必要で大事で、傍に居て欲しかった。
些細な事項迄、気を配る事務担当だったきみの重要性に離れてから気付くなんて、我ながら情けない。
一緒に同士のままで職位を上げていきたかった。
未練がましさが伝わるのか、座る駅の椅子もひとつ開けている。
誰が座ると言うのか、ああ、ここにいない部長なんだな。
そうか。
きみに嫌われたく無いから笑顔で居るんだけど、それに、また組めたらと思うが部長が相手では難しい。
だが、半年ぶりにようやく会話が出来そうだから伝えなければならない。きみを正さねば。
部長は既婚者だと言う事を西明は知らない。


さらさらと舞い落ちる粉雪が口を閉ざしてしまう。
蕭蕭(しょうしょう)と物悲しく降るように映ってしまうから。

スーツの上にチェスターコートを羽織る俺はポケットに手を突っ込んだまま、西明の横顔を見た。
フェイクファーのコートなんて着るんだな、もこもこで暖かそうだし、ブランドだろう。
半年前はスーツでもブランドを選ばなかったのに、部長直属に成ったら身なりを整えているのか。
気を遣うんだなあ、相変わらず。

互いに見かけが変わったと思う。
俺は半年前より痩せたし、きみも綺麗に成った気がする。

全社では営業部のホープで容姿を賛美される俺だけど、そのものさしが曖昧で今一つ自信は無かったが、営業先へ出向くたびに相手側に重宝され、自覚するように成った。
スーツを着たら変わるのか、学生時代はそうでも無かったのに。
でもこの会社できみが「少しお痩せになられました?」とか「髪型が似合っています」少しの変化でも気付いてくれて自分に自信を持てるように成り、益々営業活動に精進した。
「東蔦に任せたら必ず提示内容を承認させられる」と上司に認められて職位を得たいと思った。
事務担当であるきみとコミュニケーションを図るべきなのに、お任せして営業先へ飛び回る始末。

見捨てられても仕方が無いか。
しかし、離れてようやく気付くなんてどうしたらいいものか。

半年もすれ違ってしまった、同じ社内に居るのに声がかけづらいのは西明が部長直属で主任の俺より職位が高いせいか、そして部長に落ちているから取り戻すのに、二の足を踏んでしまう。
これ以上、きみに嫌われたくない気持ちが降り積もり、結晶の壊れた『こしまり雪』になっている。
頑なな心はスコップでも掘り起こせない。



数時間前の取引先との商談。
突然席を外した部長の代わりに西明が代表を担った。
部長の提示内容も理解し、自分で説明するさまに、俺の知らないきみを見た。
業務上取引先最大手のコンビニF社へ、お客様に渡す使い捨てスプーンの提案だ。

「現状ではガゼット袋は乳白色をご使用されておられるので、透明のスプーンを袋に入れてお客様にお渡ししても一見では分かりづらく『入っていない』というクレームが多発していると聞きました。それで、こちらを」
透明の袋に緑の切り取り線が印刷されたスプーンだ。

「ライバル会社のS社では黒いスプーンを検討している模様ですが、あれは別注品扱いですのでコストがかかります。しかもそのコストを最小限に抑えるべく、どうやら小型の8センチスプーンにサイズ変更のようです。それではお客様は大きなプリンなどを食べられません」

コンビニF社ではパフェも展開しているはず、そうか、だからこのサイズ・10センチ。

「海外生産・マレーシアですが、そちらで1ロット8000本の生産ラインで動けます。1日フル稼働で20万は確約出来ますが、如何でしょう。勿論、スイーツフェアなどの催事には早めにコンテナ輸送の手はずを整えます」

「1本、幾らで提示するかね、部長代理の西明くん」
「3円8銭で承認いただけますと幸いです」
「予想より高値で提示か。1袋は5連入り100本かな? 会社としては、この単位でお店へ卸すが、納品はロット単位で配送センターへ納めて貰うから経費が掛からないはずだろう」

痛い所を突く、自社配送なら人件費しか乗せられない。粗利ぎりぎりの卸値で提示だろうか。
西明を見るとタブレットで計算をしている。
余り待たさない方がいいぞ、相手はコンビニ最大手だから。

「時間がかかりそうだな。西明くん、日を改めよう。もう少し卸価格を落として貰おうか。お店側の経費だから軽んじれない。経費圧迫で逃げだすオーナーが出ると社会問題に発展するから」
「畏まりました」
「一つ案件を増やしておく。淡雪が掬える程度のスプーンが要ると思うんだ、柄の長いものも検討してくれたまえ」

コンビニのレジ袋・通称ガゼット袋も我が社だよな、年間5億の取引って本当なんだ。凄いな、部長は。
俺が担当している営業先は年間8000万が精々だから桁が違う。
その5億の営業先、営業事務担当が、きみなんだ。
こうして部長代理まで任されて最早、俺の知っているきみじゃない。

独りで何でも出来る子に成っていた。




「降りやまないですねえ」
西明が空を見上げている。粉雪は形状を変えて粒雪と化していた、これは積もる。
霏霏(ひひ)として絶え間なく降り続けているから電車が来るかどうか危ぶまれるな。

「東蔦主任、ご予定があったんでしょう? お相手にLINEされました?」
「どうして」
「あなたがお相手に困らないくらい、半年前から知っています。大事にされて下さい」
言葉に距離を覚える。
あんなに俺を追い回した嘗ての事務担当が別人に思えてしまう。

「西明は変わったね」
「あなたもやさしく成られました。僕が何かにつけて報告すると、正直、面倒だったんでしょう、追い払うような感じでした。今では笑い話ですけれども」
傷付けていたの。

「東蔦主任の営業事務担当を務めたからこそ、今は幹部の事務担当です。有難いと思っているんです、あなたがやさしかったら離れられなかったと思うから」

胸に衝撃が走る、聞きたく無い話だった。

頬に白い粒雪が落ちてきて冷たく、心に痛みが走る。まるで棘のように深く刺さってくる。

冷たいのはそう、俺の心。

受注内容の問い合わせをして「これでいいそうです、お得意様の業績向上は我が社にも貢献してくれます、ひいては東蔦主任の営業成績にも、ですよ」
あの暖かな光をもっと大事にすべきだった。
まるで粉雪のように儚く消える。
ただ、俺の心に相手の痛みを知らせて、沁み込ませながら。

このままでは長い夜が続いていくし、街の明かりは次第に消えていく。
打つ手の無いまま半年も経過してしまったが。

『いつのまに 踏み迷いたる 美雪かな』原堰鼎(せきてい)さんの俳句通り、俺は迷い込んでしまった。
でも取り戻すなら今日が好機かもしれない。

「西明、部長は」
切り出そうと決めた。


「何でしょう? 妻帯者という事は知ってますし、僕は部長を尊敬していますよ」
「きみは2番目でもいいの?」
「その積りですが」

何だって? もう看過しない、きみを部長から取り上げて連れ出すしかない。
思わず椅子から立ち上がると西明が俺を見上げた。

「眉間に皺を寄せてどうされました。まるで少し前の、あなたに戻ってしまったような」
いつまで平気そうな顔をしているのだろう、過ちを正したい。

「あのね、きみは間違っているから俺が職位を賭けてでも進言、」
「東蔦 結宜 主任」
えっ?
「俺のフルネームを覚えていたんだ?」
「大事な同士ですから。今は一緒に行動出来ませんが、業務を任せて下さったあなたへの恩は忘れません。あのですね、入社して初めて覚えた名前、あなたなんです」
「なんで?」
「似ているんです、僕はゆうき・と読みますが」

確か侑希のはず。
俺も似ているから初見で覚えたけれど、人の名前を憶えて呼ぶ事を最初に教えてくれたからと続けてくれて、俺が投げ掛けた言葉一つ一つを覚えて居てくれたのかと、温もりを覚えた。
こんな、粒雪の降る夜空の下なのに。



きみを失って気付いた感情があるんだ。
ただの営業事務とは捉えられない。高ぶる感情を呼び起こしていた。
そして余裕を失くした。
腑抜けと言っても過言じゃない。
他の誰かを愛する事さえままならぬ俺は今も、平気な素振りをして笑顔を取り繕い日々をすり抜けた。
きみをなくした時に初めて自分が独りでは何も出来ないと思い知らされた。

散々、きみを振り回したに違いない。
受注の数量だって本来は営業担当が把握すべき数値だったのに、押し付けてしまった。
気持ちがすれ違う感じはしていた、だんだん俺の元へ駆け寄らなくなったし、社内電話の回数も減り、代わりに部長宛ての電話内容を伝えている様子を見るようになった。
何時からなんだろう。
それさえ把握できないなんて、俺は。

ん? スマホが鳴ってる。
『ゆきちゃん? もう帰宅しただろうな? 同僚の清水だけど』
「お疲れ様。まだ電車が遅延して」
『事務を失い余裕の無いゆきちゃん、路頭でさ迷うなよ? きみは立てば芍薬座れば牡丹・走る姿はカサブランカ。裾を捲り上げた花弁のようなゆきちゃんを凝視するだけで眼福の極み。漲る性欲を抑え込むのに一苦労。雪に埋もれて蹂躙されないように周りを注視。転んで怪我して嬲られないよう留意』
「お疲れ」
いつから俺は?


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