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 お菓子を差し出しながら迫りくるタピタのあまりの迫力に一歩下がると、《《耳元》》から声が聞こえた。

「逃がさない。食べよう?」

 一瞬で後ろに回り込まれたらしい。総毛立つ俺を片腕で捕まえ、口に紫色の物体を押し付けてくる。くっそ、逃げられない! 

「はい……あーん。」

 可愛い女の子に「あーん。」をしてもらう事を、今ほど拒絶したことは無いだろう。口にねじ込まれる紫色の物体は、《《無臭》》でグミのような柔らかさだった。歯の隙間からジワジワと滑り込んでくる。何か、ぬめってした!
 舌に触れた瞬間、味覚がマヒする物体を必死に押し返していると給仕の声が聞こえてきた。

『はぁ、《《貸し》》ですからね?』

 黒球から伸びた腕が、歯に着いた紫色の物体《《だけ》》を分解し吸収されていく。口腔内《くちのなか》の残留物は分解してくれないらしい。
 頑張って飲み込んだ後、口をゆすいでいると腹が脈打ちゴロゴロと音を立てだした。賞味期限切れの腐った物でも食べたかのようだ……。

 皿が落ちる音が聞こえたのでタピタの方を見る。
 タピタも《《お菓子》》を食べたのか、白目を剥《む》き、泡を吹いて倒れかかっていた。かじった紫色のお菓子が床を転がっていく。

 倒れるタピタの下に尻尾を滑り込ませ、床への傾倒《けいとう》を防いだ。
 尻尾を枕に痙攣《けいれん》するタピタを見て、お菓子の破壊力を知る。

「ところで——てぃ。させねーよ?」
『くっ……。』

 紫色のお菓子を回収しようと腕を伸ばしていた給仕に問う。何が「くっ。」だよ。回収などさせない。前足で黒球の腕を叩き落とす。ついでに床に落ちた《《お菓子を食べようと》》口を近づけ、分解しておく。

 物音に気づいたタニアが台所から現れ、タピタを介抱するべくベッドに連れていった。《《誰のおかげ》》で倒れたんだったか。
 給仕が分解された際に漏れ出た燐光を見て『これを解析すれば……。』などと言っているので、ぶっ叩いておいた。

―――――――――

『そろそろ着いたようです。』
「ん?」

 タピタの部屋へ向かおうとした俺に、給仕の報告が入る。店舗《てんぽ》部分にも住宅にも俺たち以外、誰もいないが……。
 と、服飾店の入口が開き、扉に取り付けられた鐘の音が店内に響いた。

「誰もいない? ここだと言われたのにな。」
『あの者が《《案内人》》です。』

 案内人? と疑問に思う俺を、入店してきた金髪の男性が見つけ歩み寄ってきた。
長髪を括《くく》り、後ろに流している。耳や指には素朴《そぼく》な装飾品を着け、ローブの裾《すそ》から見えるブーツも含め、明るい茶色でまとめられていた。
 優男と評するには語弊《ごへい》があるかもしれない。イケメンは嫌《きら》いだが、嫌《いや》な感じはしないな。俺から目を逸らし優男は店の奥に声をかける。

『シャッツァ=フューハー、今代《こんだい》の案内人です。』
「すまない、誰かいないかー?」
『どうやら……私を視覚で捉《とら》えられないようです。』

 店の奥へ声を投げた優男は、キョロキョロと周りを見て首を傾げた。店の奥からタニアが「はーい!」と声をあげ、歩いてくる音が聞こえる。
 給仕の声は聞こえるのだろうか。
 ジィっと見ていた俺の視線に気づき、優男が再び俺を見|据《す》えた。

「店番かな? 綺麗な黒い毛並みだ。とても大事に扱われているのかな。でも、この魔力は?」
「あら、いらっしゃい。エルフさんが来るのは珍しいわね。」

 優男の独り言に若干引いていると、タニアが店舗に顏を出した。
 声をかけられた優男が立ち上がり、俺から離れてくれた。
 どうやら要件はローブの新調のようだ。細かい採寸なども終え、出来上がりの予定日を聞くと、優男は店を出ていった。
 
「ふぅ、助かった。」
「キツネさんにも苦手なモノがあるのね?」
「男に寄られても嬉しくはないな。」

 あらあら、と言いながらタニアはローブの数値と型紙の作成に取り掛かっていた。
 目は、笑っていなかった。
 特に手伝えることも無いので「タピタの様子を見てくる」と告げ、店の奥に戻った。タニアの唇には、噛んだ痕《あと》があった。

『近いうちに——』

 給仕が何かを言いかけたようだ。
 しかしタピタの部屋の扉の隙間に、体をねじり込もうとする俺の耳には届かなかった。

―――――――――

 窓際のベッドで眠るタピタは、魘《うな》されているようだった。
 タニアの《《お菓子》》……恐るべし。
 ベッドに飛び乗ると、振動で起こしてしまったようだ。気怠そうな表情で、俺を見て口を開く。

「キツネさん……私、寝ちゃったんだ。」
「タピタが何とかしようとした理由が分かった。まぁ、間に合わなかったけど。」
「うん、お母さんが張り切って作ってくれるんだけどね。」

 だいたい、こんなような事をタピタは言った。呂律が回らなくなっている。
 ベッドの片隅に置かれた皿を見る目が笑っていない。中身は食べ切ったようだ。
 タピタの辛苦は推《お》して知るべし。まず、色で分かっただろうに……。
 給仕に聞くと、治療《《は》》可能との事。時間稼ぎにしかならない、かもな。
 
 「最近、急に、なんだよ?」と語り始めたタピタの傍《そば》で聞いてやる。
 部屋の臭いも吐しゃ物の分解も並行しておく。毛布代わりのボロ布を剥《は》ごうとすると、弱々しく抵抗した。

 「恥ずかしい、かな……。」と、俺にさえ負けてしまう程に衰弱したタピタは身じろぎした。
 無理にボロ布を剥がし、露わになった腹部を目に焼き付ける。
 


 タピタの脇腹には、黒変した皮膚の盛り上がりがあった。黒子《ほくろ》にしては肥大した皮膚《ソレ》を掻いた爪痕が生々しく残っている。どうやら《《痛みは無い》》ようだ。そこだけは、良かったのかもしれない。
 なぜか涙は流れなかった。「見られちゃった。」と笑うタピタに歯を食いしばり、黒球を見る。

『僭越ながら、重度の悪性黒色腫《メラノーマ》かと思われます。』

 メラ? 良く分からんな。《《真由美》》、タピタは何日《《持つ》》?

 『……改善されなければ数か月でしょうか。』と給仕の予想を聞き、考えを巡らせる。どうしたものか。タピタを治すだけで、状況は良くなるだろうか。
 かと言って、タニアに何かをした《《記憶が無い》》。黒球への指示は慎重を要するだろう。

「いつから、なんだ?」
「元々体が弱くて、みんなと遊ぼうと思っても、私だけ早く疲れちゃって。歩いた後は、こんな、だよ。」

 おかしい。街中を歩いていた子が、ここまで衰弱するか? 母親の料理に毒でも入っているのか……。と空いた皿へと視線を移す。

『僭越ながら、その皿には薬湯が入っていたようです。毒草の副作用により、痛みを和らげるつもりかと。』

 そんな物を飲まなければ、日常生活も儘《まま》ならないのか。憤りさえ覚える。

『全身に転移しています。麻酔を投与しますか?』

 事務的な報告やらは不要だ。1番目の葛藤と結果を含めた記憶が——―

 ―――タピタは助からない、と告げている。

 これから行う全てのために、タピタには聞いておかなければならない。
 タピタは、じっと見つめる俺に微笑み手を伸ばしてくる。上げ続ける事が出来ずにベッドに落ちた手に前足を置き、問う。

「タピタ。お前は今、幸せか?」
「うん。私は……幸せだよ。」
「俺なら、しばらくは痛みを無くすことができるかも――」
「いいの。」

 弱々しくも前足を握り、俺の発言を遮るように放たれた言葉は、拒絶だった。
 そうか、とだけ答える俺にタピタは天井を見ながら言う。

「最後まで、私で居たいから。それに気づいたかもしれないけれど、この部屋は音が漏れないし。」
「《《あぁ、知ってる》》。」
「キツネさんは……本当に良く知ってるんだね。」
「これでも色んな大陸に行ったからな。」
「旅するキツネさん、かぁ。良いなぁ。」

 目を瞑り、小さく「そんな風に生きてみたかったなぁ。」と言ったタピタの声は、聞かなかった事にする。腹を冷やさないように剥いだ布をかけてやる。腹筋が痙攣《けいれん》しているのは、笑っているからではないだろう。
 
 真由美、苦しそうな時は麻酔してやってくれ。

『《《貸し》》を……よろしいのですか? 彼女の意向を——』

 《《命令だ》》。

 黒球が高音を発した。
 淡緑色の光に包まれたタピタを見ると、少しだけ痛みが引いたのか眠くなったようだ。目がショボショボしている。

「タピタ……今は、眠れ。」

 何かを言おうと口を開いたタピタだったが、何も言えずに意識を失い眠ったようだ。

―――――――――――

 皿を回収し、タピタの部屋から店に戻る。客はいないようだ。
 ローブを作成中のタニアの近くに行くと、俺に気づいたのか手を止める。作りかけのローブから目を離さない事を言う必要は無いだろう。

「タピタは眠ったかしら。」
「あぁ。食べ終わった皿は、どうする?」

 渡そうと持ち上げた皿を、タニアは取り落してしまう。タニアの手は、震えていた。
 悲痛な表情のタニアは口元を手で覆い、声を押し殺す。抱え込んだ思いが溢《あふ》れてしまったようだ。

 綺麗な布を掛けてやれ、と給仕に指示を出す。
 頭から布を被ったタニアの嗚咽《おえつ》を聞きつつ、足元で丸くなる。泣きたい事もあるだろう。
 


 いくつか考えておく事がある。タピタの腹部の黒変は、タニアの仕業では無さそうだ。メラ……なんとか、と給仕が言っていた病気なのだろう。

『皮膚の癌《がん》、です。|この街《ゲシトクシリ》での治療は不可能です。』

 癌か。
 俺に医学の知識など無いが、給仕はどこで知識を得たのだろうか。まぁ、聞いても、|納得する《まともな》回答は得られないだろう。

 タピタの体を蝕《むしば》む黒変を、排除したとしよう。腹部の大部分を失ったままにするわけにも……再生できるのか?

『塞ぐ事は可能です。失った臓器の再構築が必要になります。』

 再構築の代償は? と尋ねても給仕は答えなかった。できれば魔力の吸収のみが良い。《《腕》》の再生よりも時間はかかるだろうが、目の前の少女を助けたい。
 ……いつから俺は、身を削ってきたのだろう。はぁ。



『僭越《せんえつ》ながら、明日には移動して頂きます。』
「は?」

 思わず声が漏れた。目を開け、黒球を見る。もう昼下がりなんだぞ。タピタの回復が間に合うのか?

『移動が優先されます。』
「それならタピタを半日で治せ!」
『……なぜ不要な少女《モノ》を治せ、と?』

 ダメだ、給仕の価値観では。《《すべて》》が軽視されてしまう。いきなり語気を強めた俺に、タニアが少し腫れた目を向けてくる。
 舌打ちし、給仕に答えずタピタの部屋に向かう。
 移動開始時間は日の出と同時だと給仕からの思念が届く。
 再生途中でも移動させられた《《記憶がある》》。

――――――――――

 記憶の中の患者は、大腿《だいたい》部の再生が間に合わなかった。
 給仕に「救ってくれ」と道を遮《さえぎ》った男性を容赦《ようしゃ》なく吹き飛ばし、道を作っていた。給仕に抱かれ移動する2番目の俺は、後ろで泣き叫ぶ女性と修道服の面々をじっと見つめていた。
 街から離れるまで怨嗟《えんさ》の声と懇願《こんがん》する目に晒《さら》されるが、給仕の歩《あゆ》みは止まらなかった。

――――――――――

 タピタの部屋の前で黒球を《《見ない》》ように立ち、扉の先のタピタを思い浮かべ問う。

「今まで溜めた魔力で再生できるか?」
『できません。』
「……そうか。」

 給仕の即答は予想済み。そして《《言質は取ったぞ》》。

 扉を開け、中へ入ろうとする俺をタニアが呼び止めた。その顔には俺への疑心が浮かんでいた。タニアには、独《ひと》り言《ご》ちながら歩き回る魔獣に見えているはずだ。

「タニア、俺はタピタを救いたい。もし他に手が無いなら、魔力結晶を買い込んできてくれ。」
「それで、あの子を救えるの?」
「間に合わなければ死ぬだけだ。」

 黒球に蓄えた貨幣を出させる。銀貨が多い……何かを大量に売ったのだろう。
 目の前に積まれた現金に、動揺《どうよう》を隠せないようだ。可能性を言うよりもタピタを見た方が早いな。

「タニア、部屋を見てみろ。」
「え? このお金……部屋?」

 扉を開け、中を見たタニアが吐息を漏らす。少しは《《可能性》》が見えただろう。

「ほとんど掃除もしていなかった部屋が——」
「タニア。」
「——な、何?」
「タピタを救いたいなら、日没までに買ってきてくれ。間に合わなくなる。」
「わ、分かったわ……。」

 タニアが部屋を出て行き、廊下で貨幣を搔《か》き集める音が聞こえてくる。
 ベッドに近づくと、午後の日に照らされたタピタが寝息を立てていた。
 痛みは、ぶり返していないようだ。眩《まぶ》しいのか、眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せている。

「タピタ、治してやるからな。」
『この少女の治療は、できませんよ?』
「《《真由美》》、お前はタピタの治療に関わるな。」
『……時間は厳守で、お願いします。』

 給仕が沈黙した事を確認し、黒球に「保管された物品を分解して使え。」と指示する。そしてタピタの胴体を膜で覆い、ふわりと浮かせる。髪は垂れ下がったままで良いだろう。
 今度は、黒球を見据え魔力を込めて問う。恐らく給仕の知らない聞き方だ。

「黒球、タピタを治療できるか?」
『できま——』

 シュボ

 マッチを擦った時のような小さな火が黒球の横に灯る。給仕は目を見開いているだろう。給仕の操作無しに黒球が魔法を使う事実と、その意味を《《お前は知らない》》。
 給仕が止める前に始めてしまおう。

「治療しろ。」

 今までにないほどの高音に耳が痛い。緑色に発光した黒球とタピタを見ながら、経過を見守る。
 へその窪みから肋骨にかけての皮膚が分解されていく。黒変した小腸が病状の進行を物語る。どうやら3センチほどを分解したようだ。まぁ、普通の人であれば死んでいるだろうが。耳の付け根辺りがキリキリと痛む。

 大腸や腎臓、肝臓にも転移しているようだ。黒球が次々に分解していく。やはり分解する作業で消費する魔力は少ないな。軽い散歩をした程度の疲れで済んだ。

 正味《しょうみ》1時間弱で、すべての黒変を分解した。だが、まともに立っていられないほどに疲れた……。前足が震えている。
 保管している食料や魔力を帯びた鉱石を分解し、補充する。じわじわと楽になっていくが、とても腹部の再生に足るとは思えない。

「何か、無いのか。」
『皆様、同じように悩み……同じように壊れていきました。』

しおり