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 木漏れ日も優しい刻限。

 ロイズは執務室で丁寧にコーヒーではなく、香りのよい紅茶を淹れて応接スペースにいる客人に出した。

 その客人は、出された紅茶にすぐ手を伸ばさずに拳を膝の上で固く握り締めていた。

 その様子から、ロイズが今から言い渡す言葉を待ち構えているからだろう。

 ひとまず、緊張状態をほぐすべく、ロイズは待ち人になってたエリーに言い渡す事にした。


「審議の結果が出た。合格だ、エリザベス=バートレイン」
「っ!…………ありがとうございます」


 ロイズが久々にフルネームを呼んでやれば、エリーはソファに腰掛けながらも深く腰を折った。

 そこまでしなくともいいのだが、形式上仕方ないのかもしれない。これは、普段の掛け合いどころか正式な『契約』なのだから。


「これにて、我が商業ギルド直轄の『スバルのパン屋』への正式な採取狩人(ハンター)に任命する」
「精一杯、務めさせていただきます」


 ロイズが宣言したように、今日でエリーはスバルが切り盛りするポーションパン屋の狩人(ハンター)となった。

 一定の魔物の素材、薬草などの採取を専門に行う職業。

 冒険者じゃなくともその職業にはなれるが、冒険者も依頼の一端として請け負うことは出来る。

 だが、遠征する事が少ない冒険者達の場合、常駐してる街の中で契約することもあるのだ。エリーの場合、そのパターンと同じ。

 それに、生まれ育った街だからこそ、周辺の状況には詳しい。


「しっかし……ラティストもだが、よく男所帯のあそこで平気だったな?」


 専門の狩人(ハンター)になりたいと数日前に申し出てきた時は何事かと思ったが、エリーの目は冒険者試験を受けた当時と酷似していた。

 だが、今も口にしたようにあそこは男しかいない店。

 男性恐怖症の体質のせいで、一部を除いてほとんどの男らを牽制の態度で遠去けてきたエリー。

 そのエリーが、スバルのパン屋に行ったらしいあの日に、落ち着き払った態度でギルドにいたロイズとルゥに申し出てきたのだ。



『スバルのパン屋の品質向上のためにも、自分が狩人(ハンター)になります!』



 一体何事かと、ロイズらもゆっくり聞いてみたが、内容と彼女の決意は変わらなかった。

 そして、契約完了した今も、決定がわかれば彼女はゆっくりと長く息を吐いていた。


「……今までを思うと、信じられません。けれど、スバルの前に立つと、不思議と恐怖感が出る事もありませんでした」


 その回答に、ロイズは『あいつなら、やりかねない』と思い紅茶を一口飲む。

 それにならうかのように、エリーもようやく紅茶に口をつけてくれた。


(だが、エリーの恐怖症はそう簡単に克服出来るもんじゃなかったはずだが……)


 ロイズは当事者に近い位置にいたからこそ、そう思ってしまうのは無理なかった。

 エリーは冒険者になる数年前の少女時代、彼女の父親の事業を妬む悪どい同業者の手によって奴隷商人に売り飛ばされかけた事態があった。

 無論、彼女の父親はすぐに気づき、当時現役だったロイズを含める高ランク冒険者が救助に向かったが。


(だが……あの時、一歩でも遅ければ)


 ロイズら救助隊が向かうのがほんの少しでも遅れていれば、エリーは今のように冒険者を目指すような事もなく、もっと心に深い傷を負った状態だっただろう。

 救助隊が助けた時、エリーはほぼ身包みを剥がされ、奴隷商人により烙印の証を押し付けられる寸前だったのだ。

 商人の、取っ捕まえたその後の処理については、国に預けたのでロイズも知らないが死罪に近いはず。だが、罪をいくら被せても、エリーの心の傷は未だ完全には癒えていない。

 父親と同じかそれ以上の齢の、下衆な輩から身包みを剥がされ、荒く汚い吐息で近づかれながら烙印を押されかけたのだ。

 ロイズとて、同じ年頃で弱い少年であったのならば、記憶から抜けないトラウマで済まない事態だ。エリーはその事件がきっかけで、しばらくは本当にどの男性とも接触することが出来なかった。


(時間をかけて……俺や親父さんとかごく一部には良くなってきたものの)


 それ以外は、強気に出て誤魔化すだけで、極力男性とは接触しようとしなかったエリー。

 だが、ほんの少しだけ接触したあのパン屋の二人だけには、それも通用しなかった。どころか、こっそりルゥが精霊を通じて調べさせたところ、良好な関係を築けたらしい。

 さらに、その時同席していたイレインの前でも、堂々と発言出来ていたんだとか。


「スバルの外見に惑わされたかとも思いました。けど、あの人はそうじゃない……はじめから真摯に向き合ってくれたから、きっとあたしでも大丈夫だったんでしょう」
「…………ありゃ、素だがな」
「この街であたしを知らない人間はいないでしょうに。スバルはそうじゃないから、全然気にしてませんでしたよ」


 資産家の娘としてでも、そこそこ高ランクの冒険者としてのエリーも、スバルは時の渡航者故に知る訳がない。

 今日、合格の通知をする際にそれも告げるつもりでいるが、どう反応するか見ものだ。


「だが、こんな短期間とは言え変わったな。おまけに、ルゥの試験もあっさりクリアするとは」


 狩人(ハンター)になることについては、エリーの実力ならすぐにでも可能だが、スバル専属となれば話は別。

 ある程度の条件を課し、乗り越えさせねば時の渡航者だと言う事実も簡単には告げられない。

 だが実際は、エリーの障害にはならなかった。

 試験内容と言っても、一定のランクの男性冒険者とペアを組み、依頼をこなすだけ。男性恐怖症持ちのエリーでは今までなら考えられない内容だが、スバルと出会ってからはほぼ滞りなくこなせたのだ。


「あそこは……今でこそロイズさん達の管轄だから、のどかに運営出来ています。しかし、この前のように貴族達まで依頼が来るとなれば……品質の保証も必要になるでしょう」
「さすがは、バートレイン氏の娘か」
「品によりますが、赤ん坊から慣れ親しんできた家業なので」


 事件の前後、意気消沈しがちであっても、彼女は家業も大事にはしてきた。

 今の冒険者稼業も、その真贋を鍛えるべく、ソロでも品質の良い素材を数多く採取している一端に過ぎない。

 だが、いずれ戻る家業のためにも、スバル専属の狩人(ハンター)となれば、その実力はさらに研磨されていくだろう。

 ロイズも、それだけは応援したかった。


「そのお眼鏡に叶う品になり得るわけか?」
「品質が上がれば、更に効果も上がるでしょう。通常の品もですが、一部販売してる魔物や薬草素材などでも……完璧は厳しくとも、ほぼ間近はあり得ます」


 そのためにも、専門のハンターが必要なはず。

 そう続けたエリーの紫の瞳には、覚悟を決めた色が写っていた。

 これなら、もう告げていいとロイズはカップを卓に置いた。


「考えてはいたんだが、俺とルゥが見込んでたお前になら……スバル達の事情も話せそうだな」
「事情?」
「今から言う言葉、俺やルゥ、ヴィー以外の前で言うなよ?」
「……わかり、ました」


 軽く唾を飲み込んだ音が聞こえた気がしたが、ロイズも一度軽く呼吸を整えてから口を開ける。


「……………………スバルは、『時の渡航者』だ」
「……………………え。スバル、が?」
「ついでに言っとくが、ラティストは人間じゃねぇ。世界を加護してたとも言われる『大精霊』だ。どっちもおとぎ話だった存在だが嘘じゃねぇ」


 さあ、どう来る?と思った矢先に、エリーは力が抜けたのかソファから転がり落ちてしまった。

 おまけに、すぐに起き上がれずにその場で動かなくなってしまう。


「お、おい。大丈夫か?」


 予想以上に面白い反応を見せてくれたが、ここまで教えるのは早かったかと心配になるも、エリーは少ししてから卓に手を置いた。


「…………なる、ほど。二人とも、世間知らずなのが、よくわかりました」


 顔が見えた時、その表情は飽きれるどころか苦笑いでいた。

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