第4話 ティア・ローズブラッドVS
コウモリの群れが、一箇所に集まる。
最初は一匹一匹の蝙蝠だったが、どんどん結合されていき、いつの間にか一つの生命体になっていた。
しかし、一匹の大きい蝙蝠になったという訳ではない。
明らかにそれは人間の様な姿形をしている。
かと言って、完全に人間とは言えなかった。
背中には正に蝙蝠の様な羽が生えており、オーラからして、間違いなく人間ではない。
それは、美しい銀髪をたなびかせながら、アンドレの方に振り返る。
「ヴァンパイアか。少なくとも只の吸血鬼ではなさそうだな」
「冥府の八柱が七、ティア・ローズブラッドと申します。その予想は概ね当たりですわ」
ローズブラッドは、気品のある優雅な足取りで、アンドレに近づく。
何やら不穏な空気に気付いたアンドレは、急速にバックステップで十メートルほど距離をとった。
「あら? 逃げないでくださいまし」
ローズブラッドは歩くのをやめ、翼を使って距離を詰める。
先程までとは違い、かなりスピードアップしているため、アンドレに考える時間を与えさせない。
「……接近戦は避けた方がいいな」
アンドレはひとまず結論を出し、戦いに臨む。
実際にアンドレの選択は間違ってはいなかった。
吸血鬼は吸血のスキルを持っているため、わざわざ接近して戦うのは得策ではない。
もし吸血された場合どうなるのかアンドレにも分からないので、できる限り食らわないように立ち回らないといけない。
「ヴァンパイアバット」
ローズブラッドの下に、紅く光る魔法陣が現れる。
すると、次々に魔法陣から吸血蝙蝠たちが飛翔した。
数にすると、およそ十匹ほどである。
吸血蝙蝠たちは、赤い目でアンドレを鋭く見つめている。
空中に複数の赤い点が並ぶその光景は、蝙蝠ということを知らなければとても綺麗に映るものだった。
「攻撃せよ、吸血蝙蝠」
ローズブラッドが命令を下すと、吸血蝙蝠たちは一斉にアンドレに向かって突撃する。
吸血蝙蝠たちは二手に別れ、アンドレの背後をとり、全範囲から襲いかかった。
全範囲からの攻撃となると、流石にアンドレでも一撃で対応するのは難しい。
となると、アンドレの行動は限られていた。
「エクスプロージョン」
アンドレの周囲が一気に爆発した。
アンドレが放ったのは、ディザスターマジックの中の一つである。
言うまでもなく、周りの吸血蝙蝠たちは爆発に巻き込まれ、消し炭になった。
するとローズブラッドは、吸血蝙蝠が全部死んだのを確認すると、もう一度魔法を唱える。
吸血蝙蝠自体は、そこそこ低級のモンスターなので召喚コストは殆どかからない。
一回に召喚できる量は限られているが、召喚されている吸血蝙蝠が死ぬと、不足した分は追加で召喚できる。
つまり、このままだとアンドレがリソースを割いても、ローズブラッドのリソースは尽きないということだ。
「再召喚。吸血蝙蝠」
再びローズブラッドの下に紅い魔法陣が現れ、吸血蝙蝠たちが召喚された。
そしてまたもや、吸血蝙蝠が全範囲から襲いかかる。
「小賢しいな」
アンドレの持つ範囲魔法の種類は少ない。
さっき使ったエクスプロージョンも吸血蝙蝠程度相手には、不釣り合いなレベルの魔法である。
つまり、このまま吸血蝙蝠の攻撃を受け続けると、泥沼になり、アンドレとしても望ましくない状況になることは自明だった。
「スピードアップ」
アンドレは自分の肉体を強化し、一気にローズブラッドとの距離を詰める。
アンドレの二メートル以上ある図体からは、考えられないほどのスピードだ。
吸血蝙蝠たちは、瞬く間に置き去りにされてしまう。
「お待ちしておりましたわ」
それに対して、ローズブラッドは歓迎するようにアンドレを迎え撃った。
アンドレの最初の読み通り、ローズブラッドの得意分野は接近戦である。
殴り合いが得意というわけではない。吸血のスキルを、最大限に生かせるのが接近戦ということだ。
「ダークネスブロー!」
アンドレの拳に、暗黒の瘴気がまとわりつく。
暗黒の拳は、ローズブラッドの腹部に目掛けて、加速の勢いと共に打ち出された。
しかし、その拳に手応えは無かった。
完全にローズブラッドの腹部にヒットした暗黒撃は、そのままの勢いで振り抜かれる。
ローズブラッドの腹部は一瞬で砕け散り、上半身と下半身が完全に分断された。
最強クラスの攻撃をまともに食らったら、死は免れても致命傷は確実のはずである。
だが、ローズブラッドの腹部から飛び散ったのはどういうわけか血ではなく――蝙蝠であった。
そしてその蝙蝠たちは、空中にあるローズブラッドの上半身が重力に従い落ちてくるまでの間で、ローズブラッドに引き付けられるように体に戻った。
その光景はまるで、時間を巻き戻したかのような感覚である。
「スキだらけです!」
動揺を隠せず、一瞬固まってしまったアンドレの隙をローズブラッドは見逃さない。
吸血鬼の牙を剥き出しにして、アンドレに襲いかかる。
「スペースオペレート!」
アンドレは咄嗟にゴッドマジック・スペースオペレートを放つ。
その瞬間から、アンドレから半径十メートルの空間は捻じ曲がる。
どうなったかと言うと、アンドレ以外の全て、空気でさえもが、超スローモーションになった。
今、ローズブラッドは、アンドレの前で牙を剥き出しにしながら、空中でゆっくりと移動している。
「面白いタイプだな。物理攻撃は殆ど無効ということか?」
かなりの余裕ができたアンドレは、冷静にローズブラッドの能力を分析する。
先程放ったアンドレの暗黒拳は、完全に受け流されていた。
ローズブラッドの態度を見ても、殆どダメージを受けていないことがわかる。
「……ならばロックオンストライク」
アンドレは体力を犠牲に、完全必中の攻撃を繰り出す。
完全必中のため、敵がどのような回避スキルを持っていたとしても無意味である。
それがたとえ、ローズブラッドでもだ。
アンドレは、未だ空中に留まっているローズブラッドの顔面を、全身全霊を込めてぶん殴った。
空間操作は攻撃が当たるか、時間によって解除されるため、空間は元に戻りローズブラッドは後ろに吹っ飛ばされる。
「――キャァ!」
ローズブラッドは、派手に壁に衝突する。
空間操作中による感覚の影響は、ローズブラッドには無いため、ローズブラッドからすると、襲いかかろうとしたら何故か自分が吹っ飛ばされている状態であった。
完全に隙をついたはずなのに、倒れているのは自分である。
更に、攻撃を無効化するスキル《インヴァリデイト》も発動していない。
何が起こったのか分からないローズブラッドは、少し再起が遅れてしまった。
今度はアンドレがその隙を見逃さない。
加速の効果を受けているアンドレは、吹っ飛ばされたことにより、かなり空いてしまった距離を、走って追いついた。
「ダメ押しだ!」
二発目の必中打撃を、またもやローズブラッドの顔面に撃ち込む。
ローズブラッドは、空間を操ることは出来ないため、何の抵抗も出来ず、モロに食らってしまった。
やはりその衝撃は大きく、引き抜いたアンドレの手には、真っ赤な血がベットリと付着していた。
だがローズブラッドは、今の状態とは裏腹に、余裕そうな表情を見せる。
「フフフ、変な魔法を使ったからか、全然威力が足りませんわね」
「強がらなくてもいいぞ。お前はもう瀕死のはずだ」
瓦礫の上に寝そべった状態のローズブラッドは、挑発的な言葉をアンドレにかける。
しかし挑発をするには、あまりにも迫力が無い。
遺言にもなるかもしれないその挑発は、やはりアンドレに効果はなかった。
「牙も折れているし、もう吸血に注意する必要はなさそうだな――さて、本格的に勝ち目がなくなったのではないか?」
「……順調に体力は回復しているわ」
「そうか、ならば早めにケリをつけよう」
そう言うとアンドレの両腕が、鮮やかな光に包まれる。
光が苦手なローズブラッドは、その燦然たる光を直視することは出来なかった。
「まさか……使えると言いますの……?」
「そのまさかだ。ホーリーライト!」
アンドレが放ったのは、魔族に対して有効な、神聖属性のスキルであるホーリーライトだ。
暗黒属性を主に戦う者ならば、普通は神聖属性のスキルを使うことは出来ない。
しかし、圧倒的な才能は不可能を可能にする。
アンドレは属性の壁を、はるか昔に乗り越えていた。
そして神聖属性の攻撃は、ローズブラッドにとって、恐ろしく相性の悪い属性だ。
それを残りの体力が少ない状態で受けるとなると、耐えることは完全に不可能であった。
「――こんな所でぇ!」
「ライトウェーブ!」
光の波動がローズブラッドに向かって押し寄る。
その眩しすぎる光は、燃えるように熱く感じ、段々と体が滅びゆく感覚をローズブラッドに与えた。
強烈な光の効果が終わると、元の明るさに戻った部屋には、アンドレとローズブラッドの姿があった。
しかし、ローズブラッドは一ミリたりとも動かない。
ローズブラッドは彫刻の様に、体の形を保ったまま、灰になっていた。
「相手が悪かったな、ローズブラッド」
アンドレは、ローズブラッドにはもう届かないであろう慰めを言う。
アンドレ自身も、この決着に満足してはいなかったのだ。
相手の弱点をつくようなことは、アンドレはあまり好きではない。相手が一人で向かってくる場合なら尚更だ。
ローズブラッドの未知数の能力にたじろぎ、神聖属性の攻撃をしてしまったことは、アンドレにとって、思いを残す結果となった。
「別の機会で戦えたらな」
アンドレは、動くことのないローズブラッドに触れる。ローズブラッドの体からは、灰がパラパラと砂時計の様にこぼれ落ちていた。
アンドレが手を離すと、ローズブラッドの体はバランスを崩し、後ろ向きに倒れた。
ローズブラッドの体は、その倒れた衝撃でバラバラに砕ける。
その光景はまるで、美術館の貴重な彫刻を壊してしまったような光景だったが、アンドレはそれ以上気にすることは無く先を目指した。