彼氏と左フックと私
カンカンカン!
……ちょっと待ちなさいよ……!
『武井、敗れる! 三階級制覇の夢、ここに潰えたあああ!』
……あんたみたいなクソ野郎が……!
『やはり
……チャンピオン名乗ってんじゃないわよ……!
「……白雪、確かにお前の成績は抜群だ」
……ウザい。
「だが成績が良ければいい、というわけじゃない。それくらいわかるだろう」
……いつまで続くのよ。
「服装の乱れは心の乱れ、更に言えば生活習慣の乱れともなる」
……早助待っててくれてるかな。
「……おい、白雪。聞いてるのか?」
「………………はい、聞いてましたよ」
「嘘を言うな!」
嘘じゃないんだけど。ただ記憶する事を拒否ってただけで。
「せっかくグラビアアイドル等という
ダアンッ!
「……私の友達には、真面目にグラビアに取り組んでいる子もいます。グラドルを侮辱するような物言いは止めて下さい」
……おもいっきり机を叩いた右手が痛い……とはカッコ悪くて言えない。
「な……何だその態度は!? 先生に向かって」
やべえ。説教が延長されそうだ。
……と思った、その時。
ガラッ
「失礼します」
「ん……あ、これはこれはPTA会長! 何か御用でも」
ゴマスリに出てきた先生を押し退け、私のところへ真っ直ぐに突っ込んでくるPTA会長。何かヤバいかも。
がしぃ!
両手を振り上げたPTA会長は、私の肩に手を置く。ほんのり香る加齢臭が鼻を擽る。
「あなたが……! あなたが……!」
「し、白雪! お前はPTA会長にまで……!」
な、何もしてないわよ!
「あなたが息子を助けてくれたのですね!?」
「「……は?」」
つい説教教師とハモってしまう。
「不良に絡まれて困っている息子を、綺麗なお嬢さんが颯爽と助けてくれたそうで……! 何とお礼を言ったらいいのか……!」
キョトンとする私、固まる先生。
「……あ、あの時のガリ勉君は……」
「ウチの自慢の息子です!」
……まさかPTA会長の息子だったとは……。
「あっはっはっは!」
「笑うな早助!」
PTA会長のおかげで無罪放免となり、ようやく早助と合流できたんだけど……遅くなった理由を話した途端に大爆笑はないでしょ。
「隣の男子高の
一週間くらい前、見るからに「ガリ勉」「委員長」「もやし」を絵に書いたような男子がカツアゲ食らってたから、ついハイキックをぶちかましちゃったのだ。で、不良のバカ親がモンペだったらしく、ウチの高校へ抗議してきて……。放課後に呼び出されて説教と停学を食らうハメになった………いや、なりかけた。
結局PTA会長が乗り込んできたおかげで、私は説教と停学をスルーできたのだ。おまけに不良のモンペ親については、PTA会長が何とかしてくれるそうで。ありがたや〜〜。
「とりあえず道場行くか? 俺は大会近いから練習するけど」
「そうね〜……」
空手部に復帰してからは、私も早助が通う道場には行っている。ていうか実家だけど。
「ん〜……もう少し体重落としたいから……うん。付き合うわ」
「体重落としたいって……またラウンドガールか? そんなに好きなのな」
好きなわけないでしょ! 成り行き上断れないのよ!
「でも芸能界は引退したんだろ? よくラウンドガールなんてできるな」
……だから……やりたくてやってるわけじゃないのよ。
……あれは半年前。ちょうど例の
「……久しぶりだな、木魚」
「ええ……久しぶりです、社長」
私が
「えっと……いつぞやはすいませんでした」
「もういい。済んだ事だし、お前も芸能界追放の憂き目に会ったんだしな」
別に憂き目とは思ってないんだけど……まあいいか。
「それより……何か頼め。俺の奢りだ」
すざあっ!
お……奢り? あのケチ社長が奢り!? あまりの衝撃に後退しちゃったわよ!
「おい……何だ、そのリアクション……」
「だって! 社長ですよ!? 一円玉も他人にあげた事がない社長が!!」
「……お前が俺の事をどう思ってたか、よーくわかった」
「はっきり言って、こう思ってました」
所属も何もないから、全く恐くないもん。べー。
「……ふん。言うようになったな」
「それよりも! 何の用なんですか! 私にも用事が…… 「損害賠償」 ……へ?」
「イヤな、お前の大々スキャンダルのおかけで、
……や、やべ。その可能性を考えてなかった……。
「だから弁護士と相談して、損害賠償請求を……」
「あ、いや、その、それは……」
「……しない代わりに言う事を聞け」
「はい! わかりました! ……って、あ……」
社長はニヤリと笑った。し、しまった……。
「そういうわけだ。俺の頼みを聞いてくれたら、訴えるのは勘弁してやる」
は、嵌められた……!
「イ、イヤですよ! ヌードとかAVとか言ったら舌噛んで死にますからね!」
「誰もそんな事は強要しねえよ。やってほしいのはラウンドガールだ」
「…………はい?」
私が大スキャンダルを起こしたのは、ラウンドガールしてた時なんだけど……?
「は、はあ……条件次第ですけど……」
「よし、なら条件を詰めようか」
……何で今更、ラウンドガール?
「社長、木魚ちゃんは?」
「ああ、引き受けてくれたよ」
「今度はボクシングのラウンドガールですか……確かチャンピオンのご指名とか?」
「ああ。グラドル時代からのファンだったそうだ、が……」
「……あのチャンピオンですからね……大丈夫でしょうか?」
「いや、逆に木魚の方がいいかもしれん。女だてらに男の選手をノックアウトしたのは伊達じゃないからな」
「しかし……また木魚ちゃんがやっちゃったら……」
「……それだけが心配なだけだ」
「ふああ……」
……朝チュンだ。
しまった……泊まっていくつもりは全くなかったんだけど……。
寝てる早助を起こさないようにベッドを抜け出し、手早くシャワーを浴びる。
冷蔵庫に入っていた食パンを出して丸かじりし、残り物と合わせてサンドイッチを作っておく。
「……どうせ起きてこないからなあ……」
朝に弱い早助を見てバイバイ、と手を振ってから玄関を開いた。
小走り気味に駅に向かう途中。
『サンドイッチありがと。頑張れ』
……とLineが入った。起きてたな、あいつ……。
「おはようございまーす」
ラウンドガールの控え室に入ると昔からのグラドル仲間がいた。
「あれ!? 木魚じゃん!」
「どしたの、引退したんじゃ!?」
「…………社長に嵌められた…………」
「「……あの社長だもんね……」」
……あなたの腹黒さは業界の共通認識みたいです、社長……。
「と、とりあえず選手に挨拶してきたいんだけど、チャンピオンと武井さんは?」
「武井さんは控え室だよ。チャンピオンは……止めといたら?」
……止めときたいのは山々なんだけど……チャンピオンのご推薦となると、挨拶しないわけにはいかないじゃない……。
「………………はあ」
……なんだよ、あのチャンピオン。バリバリ元ヤンじゃん。
しかも最年少でチャンピオンになったもんだから「オレ最強じゃん?」って感じで……質が悪い。
私が挨拶に行った時も「彼氏いんの? 別れちゃいなよ、ねえねえ」ってしつこいの何の……。前回のバカ並みに厄介だ……。
「おーい、木魚ちゃん」
「……え? あ、武井さん」
挑戦者の武井さんとは昔からの知り合いだったりする。元々突き系が得意だった早助が、更に磨きをかける為にボクシングの技術を学んでいた。そのジムに武井さんが所属していて、私もその縁で知り合ったのだ。
実は突きが苦手だった私は、武井さんからレクチャーしてもらってたりする。私が最近得意にしている左フックは、武井さんの得意なパンチでもある。
「どうだい、左フックの調子は?」
「上々です。この間は早助にも一発入ったんですよ♪」
「へえ! それは凄いね!」
……後から倍になって返ってきたけどね。
「そういえば早助は?」
「今日は全国大会の選考会なんで欠席です。武井さんによろしく伝えてくれって早助が」
「そうか、早助も強くなったね……。それにしても、今回のラウンドガールが木魚ちゃんとはね……縁があるみたいだ」
「あはは……チャンピオンのご指名でして……」
「芸能界を引退したと聞いてたから、変だな……とは思ってたんだ。そうか、あのバカが……」
「武井さんが対戦相手をバカ呼ばわりって珍しいですね……」
「当たり前だよ、あいつの素行の悪さは有名だからね」
……確かに。メディアからも散々叩かれてたしなあ……。
「じゃあ武井さんがブッ飛ばして下さいよ。三階級制覇の良い記念にしてやって下さい!」
不真面目なチャンピオンと違い、努力家で人望もある武井さんは人気がある。年齢的にも三階級制覇が狙える最後のチャンスだから、余計に世間は武井さん寄りだ。
「……まあ……そうしたいんだけどね……」
……?
珍しいな。武井さんは弱音を吐くイメージは無かったんだけど……?
「あの……? どこかケガでも……?」
「違うけど……あれ? 木魚ちゃんは知らないのかい?」
……何を?
武井さんは教えてくれなかったので、電話で早助に聞いてみた。すると……。
「た、体重オーバーですって!?」
『ああ。約三ポンドの超過だってさ。あり得ない』
珍しく早助が怒っている。だけど無理はない。三ポンドも体重オーバーなら、パンチの重さも随分違う。
『プロ興行だからね、中止にはできなかったみたいだ。一応王座は剥奪らしいけど』
……それってわざとだったら……卑怯よね。
「武井さんは強敵だから、わざと体重オーバーしたのかも……」
『武井さんが負ければ、おそらくは引退。そうなれば今のチャンピオンに敵うヤツはいない』
……王座を取り返すのも楽勝ってわけ!?
「でも、中止にしないと危険じゃ……」
この体重差は、下手したら命に係わる……!
『無理だ。武井さん側も相手と協議済みなんだろ?』
「それは……まあ……」
ファイトマネーの没収で話はついてるらしい。
『なら止められないよ。こうなったら、是が非でも武井さんに勝ってもらうしかないね』
……そうね……。武井さんを信じるしかないか……。
だけど……。
やっぱり三ポンドの壁は大きくて……。
『あ〜〜! 武井、ダウン! ダウンです! ……が、どうにか立ち上がった! やはり武井はキツいか!?』
2ラウンド前半に一発貰ってダウンしてから、一方的な展開になり……。
『チャンピオンの連打、連打ー! 武井の左フックは空を斬るばかりー!』
『ああ、二度目のダウン! …………武井、どうにか立ち上がるが……あああ!! チャンピオンが殴りかかる! まだ試合は再開していないぞ!』
『連打で押しまくるチャンピオンに……あああ! 審判が止めた! 止めたあ! TKO! TKO! 武井敗れたあああ!』
……武井さんは静かにマットに沈んだ。
「あんなのありなの!?」
「反則ばっかじゃん! 卑怯よ!」
……ギリ……
思わず噛みしめた奥歯が鳴る。
「木魚ちゃん、花束贈呈お願いね〜〜」
「…………」
「? ……木魚ちゃん?」
「……あ、はーい……」
……耐えろ、耐えるんだ私……!
私は渾身の忍耐で笑顔を作り、リングに上がる。
『……それでは、花束贈呈です』
アナウンサーが私の出番を告げる。よし、木魚! 忍耐忍耐……。
「おめでと〜ございま〜す……」
……視線の先に、ダウンしたままの武井さんの足が映る。耐えろ、耐えるんだ……!
「おー、木魚ちゃん! ありがとう!」
花束を渡すと、さっさとリングから下りる……。
「え〜、木魚ちゃん待ってよ」
……無視無視。聞こえない聞こえない。
「こんな
!!!
「つーかさ、オレのチャンピオン復帰はあっという間だぜ!」
……ギリリ……
「だからさ、今の彼氏フッちゃいなよ! オレの方が断然カッコいいぜー?」
……ギリリリ……
「
ギリリリリばぎぃ!
私は再びリングに上がる。
「お、おお? やっぱオレの方が魅力あるー?」
私は精一杯、ニッコリと笑ってから。
「…………いっぺん…………」
左手を握りしめ。
「死んでこおおおおおおおおいいいいっっ!!」
ばごおっ!!
「ふごおっ!?」
飛び散るチャンピオンの歯。砕ける私の指の骨。
ザワッ
観客の一瞬のざわめきの後、チャンピオンは白目を剥いて倒れた。
……チャンピオン、KO。
白雪木魚、Win。
ピンポンパンポーン♪
『次の方、二番の診察室へどうぞ〜』
……痛い。
「どうだった?」
「……奥歯か一本粉々。指が三本粉砕骨折。次の大会は絶対に無理」
……必死に笑い堪えてるの丸わかりだからね、早助。
「……しまったあ……またやっちゃった……」
当然と言えば当然なんだけど、大騒ぎになった。はっきり言って……前回以上に。
ただし……チャンピオンの素行の悪さと、あまりにも酷い言動のおかげで、世間の大半が私と武井さんに味方した。
さすがに今回のチャンピオンの違反は看過できなかったらしく、公式試合への無期限の出場停止となった。私にKOされたシーンは動画となって拡散されまくったから、復帰するのもたぶん無理。事実上の引退っぽい。
一応。一応だけど、お詫びを兼ねて見舞いに行ったけど……悲鳴をあげて逃げていった。ざまあ。
一方、武井さんはというと……。
『えー、わたくしは本日を以てボクサーから引退する事に致しました』
ちょうど待合室のテレビに、武井さんの引退外見が流れていた。
「引退かあ……。網膜剥離しちゃったってね?」
「あのバカのパンチ、武井さんの目を明らかに狙ってたからな……」
結局、武井さんの三階級制覇は幻となった。
「……でも武井さん、笑ってない?」
「そうだな。悔しくないのかな」
私と早助がそんな会話をしていると、ちょうど記者の一人が私達と同じ疑問をぶつけた。
すると、武井さんは。
『え? 後悔? ないない。全然ない。だってさ……俺の代わりに
……私は後悔しまくりなんですけど……。
……でも、武井さんの笑顔は……忘れられそうにない。