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辞退してやろうと企んだら速達だ。してやられた。まさか、だ。
早朝から日本郵便さんにインターホンを押されて苛立ったが、この人には罪はない。
罪はこれ。灰色の大きな封筒、採用決定の証。
本当にかごの中なのか。
灰色の大きな封筒の中に、採用通知書。そして怪しい書類。どうして聞くんだ僕のサイズを?
私服勤務のはずだ、バイトだし。
制服を着せるつもりか、矢張り何かがおかしい。どうしたものか。
しかし、あの先輩の男気はいいと思う。
なかなか言えない、バイトで「見返す」なんて。
顎に親指を当ててパソコンを起動させた。出来る事をしてみるか。

「ん?」
サイズを記さないといけない怪しい書類の提出期限が。明日。おい、おかしいぞ。何させるんだ。
幾ら大企業とは言え、人の扱いが雑だ。切り捨てにかかる感じが否めない。
「え?」
そして検索した紳士靴の画面。これ、全部把握するのか。
価格で言うなら7千円台はローファー。
そして用途、スーツならストレートチップ。
カジュアルならプレーントゥ。これならドクターマーチンを持っているから分かりやすい。
あの丸いセンターは若年層に人気がある。これ、あると勧めやすいけどな。
外羽式と内羽式? 考えて買ったことがない。
は? ローファーにも種類がある。馬具をあしらった金具つきのビット。ああ、グッチの。
紐がついたタッセル。これは仕事を選ぶぞ、販売業くらいしか履かないな。

バン! とテーブルを叩いた。

おい。矢張りおかしい。経験者じゃないと勤まらないぞ。大企業は無茶振りする場所なのか。


他に当たる気力も失せた。
これは機会と思って勤務するか、自分で選択した会社だ。何か掴めるかもしれない。
「おはよう、常葉くん」
「おはようございます」ん? 警備の方かな。勤務するものの顔と苗字を覚えるのか。
何人勤務しているか知らないけど、このセキリュティは半端じゃない。
「タイムカードではなくてわが社はスキャンね」と渡されたクレジットカードみたいなもの。
「出勤したらここでスキャンして、自分の雇用登録ナンバーを入力。気をつけて欲しいのは時間だ。わが社は30分で一区切り。つまり、5分の遅刻は30分の扱いになる」
厳しいな。
遅刻出来ないし、ナンバーを暗記しないと手こずるぞ。僕のナンバーは7桁。これ暗記か。試されてる。
「スキャンしたら2Fね。バックヤードの突き当り。そこに制服が置いてあるらしい」
矢張りか。
厳重な警備に時間を拘束、遅刻厳禁なら恐らく残業は不可だ。
限られた時間内に成果を収めて帰社か。
想像以上だ。しかし、このクラスを乗り越えないと。多分、他社は追随する。早めに慣れる方が賢い。
「噂通りと言うか、本当に可愛い顔してるね。やさしい感じ」
礼を言うべきか。
「しかし。その顔が曇るのも直だな。甘く見たらいけないよ。ここは他所とは違うからね」
「意図が読めませんが?」

「切り捨ては随時。だから採用者は多めなんだ。きみの顔を毎日拝めて、挨拶出来るように願うよ」
「簡単に辞めさせたら社風を問われません?」
普通はそうだ。近所に住むパートさんを雇った際に憂慮するのはそこだ。
簡単に切り捨てたら、悪いうわさが尾ひれをつけて流れる。
あの会社はって後ろ指差される。

「きみが心配になってきた。警備だからあまり言いたくないがね」
頭をかくような事か?
「素直すぎる、まっすぐで真面目だ」

「大企業がそれでも存続する意味。雇用者よりもお客が多い、この競争激化の販売業でわが社が生き残り発展するのは商品だよ。品揃え。それを陳列していくのがきみの仕事。人件費を削りたい会社が何をするか、今のうちに最悪の事態を想定した方がいい」

経験だけでは渡れない。度胸だ。
確実に試されている、腹立たしい、屈しないからな、決めた。

バックヤードを歩いていたら何かを無理やり押しているゴトゴト音。
嫌な予感しかしない。
「は!」
急加速する緑色の小箱を大量に積み上げた台車、待て、何事だ、多分あなたですよね!
台車は引くものです、押すものではありません、危険回避出来ない、バックヤードが狭すぎる。
「……誰かいたのか」
想像以上の怪物。可愛い顔して乱暴だな。
見事に激突して緑色の小箱が散乱するし、中にあったらしい革靴が飛び跳ねた。
僕も片足を台車に乗せる有様だ。屈辱しか感じない。
「後輩。私服が汚れて良かったな。丁度いいじゃないか」
「災難・と仰って頂きたく思います」
「いつまで股を広げているんだ。あまり見たくないが」
「好きでしていません。引いて頂けます? 足を動かしたら売り物の靴に触れそうで留めているんです」
「おお」
「分かって頂けました? もう、早くして下さい」
「なかなかそそる」
「違います!」
「3期生。なかなかいい仕上がりじゃないか。何時の間に? これはいけるぞ、手ごたえを感じた」
「手応えとか、先輩、おかしいです」
「初見よりも格上だ。覚悟を決めた男は色気があるな。散々話した甲斐があった」
その間、売り場離れたんですよね。


「ようし、売り場に立たせるから着替えろ、後輩」
「は?」
げっ。
今日は何だ、何処かでパーティーでもあるのですか。あなた幾つですか。
喉元まで来てるのに言い出せない。もどかしい、わだかまる。
「そうか。俺が見たいか。今日の服装も借りものだがな」
ああ、毎日お借りしているんですね。……断ればいいでしょう。
それもあなたの覚悟なんですか。
僕はあなたの男気にひかれ、は?
「透かし生地にストライプ。鎖骨がギリギリまで見えない程度のネックラインに大きめリボンのシャツだ。レトロクラシックとでも言って貰おうかな。俺は華奢だからなレディースが似合うんだ。どうだ!」
変態。
「先輩。それより台車」
「それはセール用の2千円の靴だから、構わないぞ。蹴散らせ、後輩」
おい。おかしいだろう。
もう、仕方がない、身を起こすから知らないぞ。
あ。手で箱を潰してしまった。結構固そうに見えたのに容易いな。
これから気をつけよう。

「後輩。そうやって叩き潰せよ」
「何を、です」
「この先の未来だ。確信した。後輩、おまえは何処かへ連れ去られる。この売り場に居るのは短期だ」

誰が選んだか想像がつく辺り、僕の世界は狭いらしい。
「似合うぞ、後輩」
おのれ先輩。何ですか、ボトムはストレッチ効いているし問題はシャツです。
これ、女性が着る襟抜きですよね。襟と袖口だけ白色で全体が水色と白のストライプ。
配色は寛容の志で認めましょう。しかしだ。
項だ。
僕はそんなつもりでここに来たのではありません。
「靴について勉強したんだろう」
「ええ、一応。ネットで検索して、後は専門店をまわりました。買う振りをして接客の姿勢とか見たり」
「前向きだな。囲われたのに」
「あまり聞きたくありません。先輩、そんな事はないと思います。僕が採用されたのは偶然です」
さて、この少ない日数で得たもので励めるか。
前向きに行かないと潰される、それくらいは分かる。次を探すか留まるか。
それは僕が決めるのではなく、この会社だ。大きな相手だ。
「じゃあ、売り場へ行くぞ。先ずは掃除な」
ああ、そうだな。子供服屋でも最初は掃除機をかけて、鏡を拭く。
良かった、少しは経験が役立つ。戦えそう。
しかしだ。
先輩。お待ち下さい。先程は気がつかずに申し訳ございません。
そのおみ足の先、何をお履きに。
「大変恐縮ですが。先輩。1つ進言したく存じます」
「前髪を切らなかった件か。後で切ってやるから気にするな。俺はうまいぞ、任せろ後輩」
「いいえ。今、カツカツ言いましたよね」
「何がだ、後輩」
「今も軽やかにリズミカルに」
「躊躇うな、後輩。さあ、おまえの晴れ舞台へ行くぞ」
「あなたとですか。じゃあ、お履きになられている5.5センチと推定するローヒールのパンプスを」
「後輩。アーモンドトゥだ。学べ」
嫌だ、叫びたい。でも、もどかしい。
「7センチの方がいいかな」
「先輩って自由ですよね。毎日が楽しそうで羨ましいです。でもあなたみたいに成りたくありません」

売り場は6畳もない。狭いな、それなのに課せられている目標金額が大きすぎる。
1足9800円の靴を毎日5足は売らないと累計に関わる。
月度目標金額は先輩から聞いた、500万。成程、強固な姿勢で挑まないとならないか。
今までの日別売り上げが無残だ。0の日もある。
こんな数値、子供服屋で見た事がない。
ショッピングモールで高価な靴の販売は不向きだと分かるが。
何か意図があるのか。
この店は最近出来た。出店ラッシュだから、次に繋げる構えかも知れない。
ならば期待に応えるか。
そうか。
先輩、そのつもりか。
3センチ幅のガラスの板に乗せられた靴。これが会社と履く人の未来を担うのか。

変態だけど男気は買う。

しかしだ。おかしい。何処へ消えた。先輩、まさかお着換えではありませんよね。

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