バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

守護鬼

 何が生き残るのだろう--




 陰曺地府を歩きながら、そんなことを想う。




 一体、誰が、何がこの先で、生き残るのか。
 鬼か、人か。




 それとも、神か。




 だが答えの出ぬまま、コントクは森羅殿に辿り着いたのだった。
 閻羅王の座に真っ直ぐに向かう。
 閻羅王の左右にはいつものように牛頭馬頭が侍っている。
 そして--




「ジライ!」




 兄は叫んだ。
 弟がすぐに振り向く。




「兄さん!」




 かつては人間、そして今や兄と同じ鬼と化した弟が、その鬼の牙を見せて笑う。




「大丈夫か」コントクは走り寄り、弟の肩や背に手を当てた。「痛みや苦しみは、ないか」



「ああ。大丈夫だ」弟は、人間として生きていた頃とまったく変わりなく、力を込めて頷く。「兄さんも、怪我などしていないか」



「するもんか」コントクも、やっと笑った。「お前の事が心配で、体より心の方がくたくたになっているぐらいだ」



「今閻羅王さまに、武器を与えてくれるよう頼んでいたところだ」ジライは自分の背後、座にどっかりと腰を下ろし灼熱の色の眸を向けている閻羅王を手で示した。



「武器を?」コントクは驚いた。



 自分も鬼ではあるが、閻羅王にそのような頼みをするなどついぞ思いついたこともなかった。
 弟は元降妖師、それだけに鬼も閻羅王も恐れることのない性分を、自分が鬼となった後も持ち続けているようだ。




「その武器は」閻羅王はゆるりと自分の顎に手を置いて訊ねた。「この儂の為に使うと、そのつもりで居るということか」



「無論です」ジライは振り向きざま答えた。「このままあのテンニという男を放っておけば、あ奴は未来永劫いつまでもどこまででも、閻羅王さまの命をつけ狙ってきます。一刻も早く成敗せねばなりません」




 コントクは、弟の後ろ姿をまじまじと見つめた。



「閻羅王さま」と呼んではいるが、弟が本当に望んでいることは恐らく--陽世の存続と平和、それのみだ。
 その為に、閻羅王を守るというのだ。




 --弟は、鬼が生き延びることを望んでいるだろうか?




 突如、またしてもその想いがコントクの心に浮かんだのだった。



 テンニを斃した暁には、投胎して再び人間となりたい、ただその為だけに今武器を、と閻羅王に頼んでいるのだろうか。
 コントクは、眉を寄せた。



 弟を、鬼のままでいさせたいなどと自分は望むのか?
 それは、違う。
 首を振る。



 弟が、ジライが本気でそれを望むのであれば、彼が人間になろうと鬼でいようと、どちらでも良い。



 頷く。




「コントクよ」




 閻羅王の不意の呼びかけに、はっと眼を見開く。




「は、はい」威儀を正す。



「さっきから首を縦に振ったり横に振ったりしておるが、どうしたのじゃ」閻羅王が訊く。



「あ、い、いえ」コントクは慌てた。「テンニと相対した際に首を少し、痛めてしまったようで……」もごもごとごまかす。



「なんだって」ジライが驚いて振り向く。「兄さん、さっきは怪我などしていないと言っていたのに、やっぱりしていたのか」



「あ、いや」



「貴様よもや、鼬の化けたコントクなのではなかろうな」閻羅王が眉を吊り上げ改めて訊く。



「--」鬼の兄弟は、言葉を失った。




 かかかか




 閻羅王が大笑する。



 牛頭馬頭はきょときょとと眼をさ迷わせ、コントクとジライは、気まずそうな笑いを互いに見交わすのみだった。



「さて」閻羅王は笑いを止め、ジライとコントクを真っ直ぐに見据えた。「うぬら鬼の、兄弟と呼び交わす者どもよ。では儂の手から、地獄の武器を取るがよい」横を向く。「牛頭」



「は」呼ばれた従者は叫ぶように答えた。



「三叉を」



「は」牛頭はただちに走り去り、すぐにまた戻って来た。




 それらは閻羅王の言葉通り、閻羅王の手からコントクとジライに渡されたのだ。



「この三叉は」閻羅王は二足に渡しながら言った。「鬼を溶かすことも、消すことも出来ぬ。それでもあ奴、あの元降妖師の打鬼棒に、これで立ち向かえるか」



 鬼の兄弟はそれぞれの手でその武器を受け取りながら、強く頷いた。「無論」




          ◇◆◇




 天心地胆には潜らずにいた。
 山を駆け下り、途中からは龍馬の背に飛び乗った。



 フラは、自分に従ってくれた。
 すなわち聡明鬼たちの元から走り去る前に、既に主人の行く道に先んじて待っていてくれたのだ。



 駈けて来たキオウの姿を認めるや、黒犬から龍馬へ姿を変え、主人が馬の背に駆け上るや周囲の木々をへし折らんばかりに低空を飛びはじめた。




「どこへ、行きますか」フラは訊いた。



「--」キオウは少しの間考えているようだった。



 フラは、答えが出るまで高みに昇ることを抑えていた。
 今上空に姿を見せれば、すぐにリョーマが追いかけてくるだろう。
 方向が定まるまでは、ひたすらにリョーマ、そして聡明鬼から遠ざかることだけを考えた。




「フラ」やがて、模糊鬼が声をかけた。「お前の仲間を、探してくれないか」



「--仲間?」フラは驚きを隠せずに訊き返した。「おれの、仲間、ですか?」



「ああ。つまり龍馬を、だ。無論リョーマ以外のな」



「--」どうして、と問いたいところを、フラは飲み込んだ。「かしこまりました」ただそう答え、龍の首をぐいと上に向けて高みへと昇りはじめた。



 キオウはフラの背を撫でた。「ありがとう」



 フラが主人からその言葉を聞くのは、これが初めてだった。
 主人が、内心ではいつも自分に対しそう思ってくれていることは、勿論充分に承知していた。
 だが言葉としてそれを聞いたことは、これまでなかったのだ。



 キオウの心の在り方というものが、まさにスンキという存在を得て変化したのだろう。
 フラは、そんな風に感じた。
 そして同時に、スンキという存在がどれだけキオウにとって大きく重要なものであるのかも。



 少しばかり、複雑な想いもあった。



 自分は一度、陽世に置き去りにされた。
 主人は、すぐにまた会いに来ると約束してはくれたが、いつも共にいられることはもう決してないのだ。



 自分はもはや、主人にとって何よりも大切な存在ではなくなったのだ--




 フラは龍の首をぐっと下げ、それを持ち上げ、そうやって体を強くうねらせて速度を高めた。




 今はそんなことを想っている時ではない。
 今主人は、自分の背の上に乗っているのだ。
 そして自分に仲間を探してくれと頼んだのだ。



 仲間を探せ、と命令したのではなく。



 フラは龍の眼をかッと開いた。
 従者である自分に「ありがとう」と言ってくれる主人に、今こそ全霊を尽くし応えなければ龍馬の価値など芥子ほどもありはしない。




 龍馬を探すのだ。




 自分と同じ、龍の首に馬の体を持つ巨大な霊獣を、一刻も早く。




          ◇◆◇




「貴様、人間か」不意に、おぞましき声が背後からかかる。



 肩越しに首だけ振り向けば、いかにも陽世を恨み人間というものを根絶やしにしてしまおうと企む、絵に描いたような悪鬼の姿があった。



「いかにも」リンケイは首だけを向けたまま応えた。「俺は人間だ。生きたまま、ここへ来た」



「人間」鬼は口をかッと開いて牙を剥き出し叫んだ。「喰ろうてやる」



「打鬼棒を探している」リンケイは静かに言った。「見たことはあるか」



「打鬼--」鬼は、息を止めた。



 周囲にいた他の鬼どもも、揃ってリンケイを見て体を凍りつかせた。「打鬼棒?」



「そうだ、打鬼棒だ」リンケイもぐるりを見回して応える。「見た者はいるか」



「貴様、あの男の仲間なのか」
「あの、黒焦げになった男の」
「貴様も俺達を血に変えてしまうのか」
「そんなこと、させるか」
「やってしまえ」
「喰ろうてしまえ」




 鬼どもは、次から次へわらわらと集まり、口々に叫んだ。




 --すごい数の鬼だ……ああ、ここは地獄だったな。




 リンケイはそう想い、それから余りにも呑気な自分にふと苦笑した。




「こいつ、笑ったぞ」
「何が可笑しい」
「喰らえ」
「喰ろうてしまえ」




「これほどの鬼と闘うのは、初めてのことだな」リンケイは斬妖剣を抜いた。「だが簡単に喰らえると思うなよ」




 まずは正面から来た鬼にその速度よりも速く近づき下から斬り上げ、直後右足をどんと踏んで上に跳び体を回して右手からの鬼の首を撥ねる。
 着地すると同時に左手に剣を降りそこの鬼の体を二つに分け、返す剣で上から降ってきた鬼を刺し、すぐに下に振り抜きざま背後から来ていた鬼を右斜め下より斬り上げる。
 リンケイは右と左に交互に剣を振り、合間に上へ跳び下へしゃがみして、迫り来る鬼どもを無駄な動きの一つなく斬り捨てていった。



 尽きることを知らぬかと思うほどの鬼が、次から次へと攻め立ててくる。



 リンケイはそれらを斬り捨て、また斬り捨てしながらも、心はただ一つの方向、すなわち森羅殿を目指してそちらへと移動していた。



 そうする中でも鬼のひね曲がった爪が頬を擦り、髪を掻き、脛をかすめはする。
 僅かながらではあるが、陰陽師の肌のあちこちは傷つき血を滲ませた。




 しかし心に絶望の影などが落ちることはついぞなかった。
 何故なら、リンケイには分っていたからだ。







「陰陽師殿!」







 懐かしき声、自分を呼ぶ叫び声が、目指す森羅殿の方向から聞えた。



 上に跳び、降りざまそこにいた鬼を縦に両断しながら、リンケイはにやりと笑みを浮べた。
「コントク殿、ジライ殿、久しく」




 その背後に、まさにその名を持つ二足が、それぞれの手に三叉を持ち姿を見せたのだった。




「うぬら鬼ども」ジライが、自身鬼となった今でもまるで降妖師としての誇りを全身に漲らせているかのごとき迫力を声に込め叫ぶ。「我らは閻羅王さまよりこの武器三叉を賜り、森羅殿の警固を任された。我らに断りなくここで諍いを起こすこと、断じて許さん。従わぬならばたちまちこの三叉の餌食となるか十八層地獄への門戸を開け放たれるかどちらかとなろう。その覚悟はあるのか」




 鬼どもは言葉と顔色を失い、ばらばらと散じて行った。




「陰陽師殿、無事か--傷を負っているな」コントクが傍に駆け寄り、素早くリンケイの全身を検分する。



「なに、こんなのは傷の内に入りませぬ」リンケイはにこりと笑う。「お二足も、ご無事で何より」



「うむ」ジライが頷く。「腹を真二つに斬られはしたが、何が起こったのかよくわからぬまま、これこうして鬼となっていた次第だ」三叉を持ったまま両腕を広げ、自分を示す。



「ははは」リンケイは破顔した。「聡明鬼に、俺の中に入れとは言われませんでしたか」



「うん、言われた」ジライはまた頷く。



「うん、私も聡明鬼がそう言うのを聞いていた」コントクも、自分の鬼の耳に手をかざして頷いた。



「だが断った」ジライはにやりと笑った。「上天へ逝ってしまえば、もう皆とこうして話すことができなくなるだろうからな」



「そうですか」リンケイは元降妖師である鬼--だがその中身はテンニと違い遥かに上天側に近いものだ--を見て微笑んだ。「私でも、恐らく同じことをしただろうと思います」



「--いや、待て」コントクはそこで初めて眼を丸くし、驚愕の顔を作った。「そもそも陰陽師殿、貴殿がここにいるということは、貴殿はつまりその、死んだということですかな」



「いえ、死んではいません」リンケイは眸を伏せ首を振った。「生きたまま、自分に呪いをかけここに来ました」



「な」
「なん、と」
 鬼の兄弟は揃って眼を剥き愕然とした。



「それはひとえに、テンニを葬る為」リンケイは眼を鋭く光らせた。「まさしく閻羅王に、力を貸す者として馳せ参じました」



「おお」
「それでは」
 鬼の兄弟は顔を見合わせ、そしてまた陰陽師を見て感嘆の声を挙げた。
「我らと同じ目的ですな」



「そうですか」リンケイもいささか眼を丸くした。「では、閻羅王に力を貸す者というのは、何もひとりの者だけではなかったという事ですね」



「うむ」
「まさしく」



「あなた方ご兄弟と、不肖この私、そして」リンケイは、背後を振り向いた。「あいつ、聡明鬼も」



「そうだ」
「うむ、確かに」



「まだいますよ」リンケイはどこか楽しそうに、鬼の兄弟に眼を戻す。「スルグーンもそうなるし、ケイキョも」



「ああ」
「模糊鬼キオウも、そうなるかも知れぬな」鬼の兄弟たちも楽しげな顔になる。



「ええ。ただキオウについては、かつて閻羅王を斃すという計略を持っていたものですから、閻羅王が信頼を置くものかどうかにいささか危惧を覚えぬでもありませんがね」



「そうか」
「そうだな……それに聡明鬼も、あれだけ閻羅王に楯突いてきた鬼だからな。閻羅王が信頼するものかどうか、これまた危ぶまれる」



「ああ、それにケイキョも」リンケイは思い出したように人差し指を立てた。「一度、閻羅王から生死簿を盗んでいますからな。閻羅王の前に姿を見せることすら危ぶまれる」



「--」
「--」
 ここに来て鬼の兄弟たちははた、と声をなくした。



 リンケイは人差し指を立てたまま、しばし二足と無言で顔を見合わせた。



「ああ」それから口に拳を当て、陰陽師は咳払いをした。「そうですな。そもそも私がそれを命じた張本人でした……さて、閻羅王にこのまま会いに行く心積りではいましたが、果たして」



 鬼の兄弟は顔を見合わせたが、どちらもすぐに物を言うことができずにいた。



「我らが」そしてコントクが慌てて言葉を継いだ。「お護りいたしましょう」
「うむ」ジライも頷く。「我らは既に閻羅王に謁見し護衛を任された身。我らの口添えがあれば必ずや」



「そうですか」リンケイはまた笑顔を見せた。「きっとお二足ならば閻羅王の信望も厚いことでしょう。では参りましょう」




 三足はそうして、並び森羅殿に向かい始めた。
 だがコントクとジライは互いにちらちらと眼を見交わし合い、互いに思うことを確かめ合った。




 この陰陽師であれば恐らく、唯独り閻羅王の前に出たとしても、結果として信望を得ることを遂げたに違いない、と。
 何故ならば彼は鬼と成りここへ来たものではなく、陰陽師--策士としてそのまま、やって来た者だからだ。

しおり