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為すべきこと

 しばらくの間、何も考えられなかった。

 これからどうすればよいのか、何処へ行くべきなのか、何を目指すべきなのか──





 ──俺は、無能なのか。





 ただそんな想いだけが、頭の中ぼんやりと漂うだけだった。





「聡明鬼さん」





 呼ばれ、はっとする。

 声のした方──背後の足下を見おろすと、ケイキョが黒い眸でリューシュンを見上げていた。

 リューシュンよりも先に、鼬はリョーマの背に降り立っていたのだ。

 だがリューシュンと同様テンニに追いつくことはかなわず、鼬が降り立った時すでにジライは還らぬ様となり果てていたのだった。





「陰陽師さんが」



「ああ」すべてを聞くまでもなく、リューシュンは頷いた。「山へ、戻ろう」



 リョーマがすぐに飛翔を再開し、馬の背に乗る者たちの頬を風が再び撫でる。



「そうだな」コントクも頷く。「あの山に、ジライの骸を埋めてやりたい」



「あの山に?」リューシュンは少し驚いた。「あそこで、いいのか?」



「ああ」コントクはもう一度頷いた。「麓の墓場に埋めたとしても、もしかしたらこの先──鬼どもに、荒らされてしまうだろうと思う」



「──」



「聡明鬼」コントクは厳しい顔付きでリューシュンを見た。「人間と鬼の──陽世と陰府の、これから戦になるだろうと俺は思う」



「──」







 やっぱりあんたは、鬼なのか。







 人間の叫び声。

 自分を神と呼び──呼びたがり、救って欲しがり、すがりつきたがっていた、人間たち。

 みずから武器を手に取ろうとはせず、ただ守ってくれと頼るだけだった、人間ども。

 死んでからも、われ先にとリューシュンに痛みと苦しみを投げて寄越し、早く上天に上げてくれと求めるばかりの、人間ども。







 いいかげんにしろ。







 怒鳴ったのはリューシュンではなく、キオウだった。

 だが本当はリューシュン自身も、そう怒鳴りたかったのかも知れない──きっとそうだ。

 ふざけるなと。

 いいかげんにしろと。



 自分以外の鬼どもが、キオウの他の鬼どもが、そう思わないはずがあるだろうか。

 今目の前にいる、土地爺コントクでさえも。





「そうだな」リューシュンは眼を閉じた。「戦に……なるだろう」



 哀しい、こった。

 リューシュンはまた、そう思った。

 だが哀しい、というだけで済むものではないのだということも、わかっていた。





 玉帝の心配していたことが、まさに今、現実になろうとしている。

 自分には、止めることができなかった──







「閻羅王に、力を貸す者」







 ハッとして、眼を開ける。

 それを声にしたのは、ケイキョだった。





「何──」



「陰陽師さんが、そのことを話したいようでやす」鼬はリューシュンに伝えた。



「閻羅王に、力を貸す者──まさか」ジライの、下半分となった骸を見遣る。





          ◇◆◇





「リンケイさま」リョーマの念が、叫ぶように呼んだ。「嫌だよ」



「はは」リンケイは、苦笑を洩らした。「さすがに、お前には一目瞭然といったところか」



「嫌だよ」リョーマは龍の首を振った、それが念の上からも伝わった。「ご主人さま──リンケイさま」



「今後はケイキョを、主人として崇めなさい」



「い」リョーマは言いかけた、だがその言葉は止まった。



「嫌だ、とは言えぬだろう」リンケイは微笑んだ。「リョーマ……達者で、暮らせ」



「ご主人様」龍馬は、半分泣きべそをかいているような念を、飛びながら送ってきた。



 リンケイは、念のやり取りをそこで断った。





 共に暮らしてきた、幾年もの歳月を彩る景色が脳裏を過ぎる──過ぎろうと、する。

 だが今は、もっとやるべきことがあるのだ。

 リンケイは眼を閉じ、それを開けた。





 ──俺はことを、やらなければならぬのだ。





          ◇◆◇





 ジライの埋葬は、コントクとケイキョ、そしてリョーマに任せた。

 リューシュンは真っ直ぐ、陰陽師の待つ天幕まで独り走った。



 陰陽師が何を話したいのか、もうすでに分かっていた。

 ジライがテンニに斬られたということは、すでにリョーマから念を通じて伝わっているはずだ。

 その、テンニに斬り払われ鬼と成ったジライ、彼こそが、閻羅王に力を貸す者だというのだろう。

 つまり陰曺地府においてテンニを捕らえ、抑え、あ奴の“閻羅王を斃し地獄の王と成り上がる”という野望を、打ち砕く──そういう意味において“閻羅王に力を貸す者”だとする、その考え。





 ──絶対に、違う。





 リューシュンはそう信じて疑わなかった。





 天幕の中に陰陽師はいなかった。

 ならばと、自分がずっと寝そべっていた広場の大理石目指して走る。

 果たして陰陽師はそこにいた。

 リューシュンが駆け寄るのに眼を上げ、にこりと笑いかける。



「来たか、聡明──」



「ジライじゃない」何も聞かずに切り出す。



「──何がだ」



「閻羅王に力を貸す者がだ」半分息を切らしながら、リューシュンは陰陽師の眼の前に立ち止まる。



「無論、ジライではない」陰陽師は静かに頷いた。



「コントクでもない」首を振る。



「確かに、コントクでもない」頷く。



「言っとくが、俺でもない」



「お前でもない」



「じゃあ」



「俺だ」



「──」





 風が鳴り、葉がざわめき、鳥が囀り羽ばたく。

 その中で、二足は言葉もなく互いを見ていた。





「俺はここ最近、自分でも意外なことを考え込んでいる時があった」やがて、リンケイは話し出した。



「──意外な、こと?」リューシュンは呆然と訊き返した。



「うん」リンケイは頷いた。「まず、早い内にリョーマの次なる主を見つけたいと思った」



「あ」リューシュンは瞬きした。「ケイキョ、か?」



「まあ、わざわざ俺があいつを選んだわけではないがな。だがリョーマ自身が奴を気に入り、仕える気になってくれたことで、俺は大いに安堵した」



「──そう、か」



「そして俺は」リンケイは続ける。「父と母のことを、思い出した」



「え」リューシュンはまた眼をぱちくりさせた。「お前の、か」



「ああ。俺自身の、幼き日のことをな──リョーマと出会った日のこともだ」



「そう、か」リューシュンはつい、それはどんな経緯なのか知りたくなったが、問いかける事は憚られた。まだこの陰陽師には、話したいことが残っているはずだ。



「決定的なのは、俺がお前に提言したことだ」リンケイはさらに続けた。「テンニの鬼魂を上天に上げさせまいと、お前を洞窟へ連れて行った」



「あれはお前」リューシュンは首を振った。「俺を、立ち直らせようと」



「その結果が、今のこの状況だ。玉帝さまが危惧なされていた、一蔀(いちぼう)の境の混乱」



「違う」



「だがそれらを凌駕し、何より俺の中に強く根ざす想いがある」リンケイは両膝に手を突き言った。「それは意外でもなんでもなく、俺の本心から現に想っている、想いだ」



「──」リューシュンは多少気圧されるものを感じた。「何だ」訊く。



「俺は」リンケイは、真っ直ぐな目を聡明鬼に向け答えた。「陰曺地府に、何故自分だけが行けぬのかと、いつも思っていた」



「──」碧の眸を揺らし、聡明鬼は確かにいつもそんなことを口にしていた陰陽師の姿を思い起こしていた。



「いつもそれを、口惜しく思っていた」



「そ」



「俺は、陰曺地府へ行きたいのだ」



「──」



「そういう、ことだ」



「そういう、ことって」



「俺が行く」リンケイは言った。「俺が陰曺地府へ行き、テンニから閻羅王を守り斃させぬ」



「──」





 また、風が鳴る。

 葉がざわめく。

 鳥の声は遠くから響き、羽ばたきは今や聞こえない。





「閻羅王に、力を貸す者」リューシュンは誰かに聞かれるのを恐れるかのごとくか細い声で、呟いた。「それが……お前のことだったってのか、陰陽師」



「まあ結果としては、そうだ」



「なんてこった」



「よかった」リンケイは微笑んだ。



「何が?」リューシュンは眉をしかめた。



「いつものお前らしい、応え方だ。安堵した」



「そんな事を言ってる場合じゃないだろう、お前、お前がまさか、そんな」リューシュンは首を振り、多少言葉をもつらせながら言い立てた。



「それでそういうことだから、俺は晴れて陰曺地府へ行く」



「駄目だ」リューシュンは叫んだ。「どこが晴れてなんだ」



「確かに“晴れて”は失言だな。すまん」リンケイは苦笑したが、すぐに真顔に戻った。「しかし今は、そうするしかないだろう。このままでは陽世と陰府の戦となり、人間の世界は凄惨なものになる。玉帝さまの仰せになっていた状況そのままに」



「そうだろうが、しかしそれは」



「一刻も早くテンニを屠り、これまで通り閻羅王による管理を維持させねばならぬ。陰府の存続を守る為、つまりは陽世の存続を守る為に」



「──」リューシュンは黙った。

 頭の中が、ぐるぐると回転しているようだった。



「そういうことだから」リンケイはもう一度言った。「俺は、陰曺地府へ行く」



「──陰陽師」リューシュンは呼びかけた、だが次の言葉を口に出すことができなかった。





 風が鳴る。

 葉がざわめく。

 鳥たちは塒(ねぐら)に戻ったのか、もはや鳴いてはいない。

 いつの間にか、辺りは夜の闇に包まれていた。





「次の新月の晩」リンケイは静かに告げた。「俺の屋敷に来てくれ。そこで俺は、俺に呪いをかける。それを手伝って欲しい」



「な」リューシュンは言葉を詰まらせた。「ん、だって」



「呪いだ」リンケイは繰り返した。「俺を生きたまま、陰曺地府へ送るためのな」



「──」リューシュンは、完全に言葉を失った。



「死んで鬼となってそこへ行けば、打鬼棒に触れ血となって流れるという危険が待っている」リンケイは説明した。「生きたまま行けば、その恐れはない」





 リューシュンは、陰陽師の眸が暗闇の中でぎらりと光を放つのを見た。

 この男は、本気だ。

 心の底から本気で、それを言っているのだ。



 心の底から本気で、自分が今為すべきことを語っているのだ。





「俺は、テンニと互角に渡り合える」

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