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第十六話 それぞれの始まり(2)

 コントロールルームへ続く階段の踊り場で、同じ階段を下りてきた自衛隊の関係者らしい女性とすれ違った。杏は会釈をしながらそのまま階段を昇ろうとしたが、その女性から、「ちょっと」と、声を掛けられ反射的に振り向く。

「あんた、良い腕してるじゃないか。」

 その女性は微笑みながら、親し気に、そして唐突に杏を褒める。この女性は模擬戦の事を言っているのだろうと杏は思ったが、こちらへの距離の詰め方に戸惑い、無言で見つめ返した。

「名前は?」

 杏のそんな反応も気にせず、個人的な事までずけずけと聞いてくる態度に、杏は「あの……」と不審げな声で答えたが、「弓野祥吾の母親だよ」と、言われると「あ……」と、慌てて踵を合わせた。

「ここは基地じゃないんだから、そんな事しなくても良いよ。それに、今のあたしは非常勤だからね」

「でも、少しはあたしの事知ってるんだろ?」

 里香に見透かされたような目で尋ねられた杏は、「……すみませんでした」と、今日何度めかの同じ台詞を口にした。
 
「何も、謝ることはないよ。」

 そう言いながら、里香は杏に近づき、「あんたも知ってる通り、あいつはあたしが仕込んだんだ。ま、親馬鹿って思ってもらって構わないんだけど、あれでも中々のもんでさ。まだまだ修業が足りないけど、今のあいつと対等に渡り合ったあんたも、大したもんさ」と、言いながら、杏の肩に手を置く。

「……有難うございます」
 
 自分の肩に置かれた里香の手から、昔感じた懐かしい暖かさが伝わり、杏は俯いていた顔を思わず上げた。

「名前。まだ教えてもらってないよ」「あたしは、弓野里香」

 里香が顔を近づけて、あらためて尋ねる。

「名嘉真、杏、です」

 自身が淀みなく答えた事に、自分でも驚いた杏だったが、「杏か。良い名前だねぇ」と、自分の名前を呟く笑顔の里香を見て、何故か体の奥がほんのり暖かくなっていく……

「あたしの事は……そうだねぇ、里香、ってのは呼び難いだろうし、里香ちゃん、って感じでもないしねぇ。弓野さん、じゃ、どの弓野さんなのかわかんないし……」

 どうやら弓野の母親は、自分の呼ばれ方を悩んでいるらしいと分かった杏は、思わず、くすっと笑ってしまった。しかし里香はそんな事に全く気付かないらしく、「う~ん……ま、みんながそう呼ぶからなぁ……二尉、で良いか」と、斜め上の結論に達した。

「ぷっ……!」

 あまりに予想外の答えに、本気で吹き出してしまった杏へ、「やっぱり変?」と、口を尖らせて少し拗ねた様な里香の姿に、「いや……そんな事、ないです……」と、笑いを堪えながら取り繕った。

「いいね。すましたあんたも悪くないけど、杏は笑った方がもっと可愛い。」
 突然投げ込まれた、聞き慣れない台詞に、杏は何と答えて良いかわからなかった。

「今度さ、ウチに来なよ。結花も喜ぶと思うよ。祥吾はどうでも良いけどね」

「自衛隊飯食べさせてやるよ」
 
 里香は言うだけ言うと、「じゃあまたね」と笑顔を残して、格納庫へ下りて行った。

 (じゃあまたね)ーーーーーその言葉が自身に染み込んでいく心地よさと、同時に囲っていた何かが取り払われてしまったような不安感が交じり合い、里香が立ち去った後も、杏はしばらく階段に佇んでいた……
  
          ※ ※ ※

「弓野」

 自販機から自分と杏の分のドリンクを取り出していると、祥吾を呼ぶ声が掛かった。両手にドリンクを持って振り返ると、一真とめぐみがこちらへ歩いて来るところだった。

「ん?」

 何の気負いもなく、祥吾は答えた。しかし一真は祥吾の正面に立つと、祥吾よりも10㎝ほど高い背丈であるにも関わらず、目だけを下に向け祥吾を見据えた。

「あんな操縦と戦術が認められると思うか?模擬戦だからまともそうに見えるが、実戦では役に立たない」

 出し抜けに批判の言葉を並べ立てられた祥吾だったが、特に驚いた様子もなく、そのままの調子で返す。

「あぁ。そうだな。峰の言う通りかもな。俺は実戦を知らない。でさ、峰は知ってんの?」

 こちらの批判に従順な振りをして、それでいて答え難い事を聞いてくる祥吾の態度に、一真の表情が険しくなる。

「俺たちイーロンは、常に実戦を想定してMPGの訓練を受けている。その上での意見だ」

 変わらずの調子で言葉を返して来る一真に、祥吾も変わらぬ調子で答える。

「俺はさ、どっちかって言うと、敵を倒すというよりMPGの操縦が上手くなりたいんだ。その先に、今日みたいな模擬戦や戦闘訓練があるんだけどな……」

「まぁ、戦術とかも色々と教わってはいるけど、一番は、とにかく上手く操れるようになりたいと思ってる」

 祥吾は初めてMPGに触れた時から、これを使って敵を倒す事よりも、上手に動かしたいという気持ちが常に勝っていた。
 武器を持っての訓練も、MPGに乗れるからそれを行っているだけであって、戦術の習得も祥吾にとっては副次的なものでしかなかったが、元来の負けず嫌いな性格が災いしてか、戦闘訓練を好む好戦的なパイロット訓練生と見られがちではあった。

 一方、MPGの訓練と言えば、常に敵の殲滅、掃討を大前提に受けてきたイーロン達は、あくまでもMPGは敵を殺す道具であり、それ以上でも以下でもなかった。

 故に、祥吾のMPGに対する取り組む姿勢に、一真は同意する事が出来なかった。

「MPGは兵器だ。敵を殺すためにある。その為の操縦レベル向上であって、個人の好みでその優先順位が変わるのは間違っている」

「……俺はMPGに乗る資格が無い、と峰は言いたいのか?」

 一真の言葉に、祥吾の目が据わる。

「心構えと、適切な運用について言っている。MPGに乗る以上は、常に意識すべき事だ」

 一真は目線だけを下げ、見下した様に話を続ける。祥吾は表情を変えずその話を聞いていたが、「その事を理解せずに、特に我々の前でMPGに乗るのはやめて貰いたい」と、重ねて発せられた否定の言葉に、スイッチが入ってしまった。

「じゃあ、俺が理解してないかどうか試してくれよ。峰自身でさ」

 祥吾は不敵な表情を浮かべ、一真を見据えた。

「断る。そもそも同じ土俵に立つ事すら正しいとは言えないからな」

「みんなの前で敗けるのが怖いのか?」

 間髪入れずに放たれた祥吾の返答に、一真の表情も険しくなる。

「なに……?」

 そう言いながら一歩前に出た一真との距離を縮めるように、祥吾も一歩前に出て、「いつやる?」と重ねたが、2人のやり取りを黙って聞いていためぐみが、「時間掛かりそうだから、帰ります」と対峙している間を通り抜けて出口に向かって歩いて行った。
 そして一真を振り返って、「言ってる事とやってる事が違うと思うけど」と一瞥し、そのまま出て行く。

 一真と祥吾は出口を見つめて口を噤んでいたが、「あーあ、俺も名嘉真の台詞、コピーしただけだわ……」と、気の抜けた声でわざとらしく呟く。

「じゃ、峰の気分が乗ったらって事で、またな」

 祥吾は自ら先にその場を離れ、コントロールルームへ向かっていった。
 一真は、祥吾の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を睨み続けた……

          ※ ※ ※

「祥吾、ちょっと話がある」

 コントロールルームから降りてきた里香が、祥吾を呼び止め階段の陰に連れていく。
 てっきり説教されると思った祥吾は、「言いたい事は判ってる!……家に帰ったら絞られるからさ……」と、先手を打ちこの場を逃れようとした。
 
「早とちりすんじゃないよ。模擬戦の事は後でで良い。」

 里香の、叱責の時とは異なる類の、緊張した雰囲気を察した祥吾も条件反射で身構える。

「なんだよ。まずい事?」

「まず、今日は帰りが遅くなると思うから、気にしないで先に寝てろ」

「なんで?」

「今詳しくは説明できないけど、お前とあたしのシェムカを今晩中にここへ運ぶ」

「は?ここって、学校へ?」

「それしかないだろ。佐久間が運ぶ手筈になってる」

「おっちゃんが……」

「お父さんからの頼みなんだ。」

「親父から……? でもなんで?」
 
「まだ言えない。早とちりかも知れないからね」

「でもさ、MPGを今から運び込むって、よっぽどだろ?」

「だから言えないんだよ。ここは黙って聞いとけ」「お前、これからの予定は?」

「上で今日の反省会をする事になってる」

「杏と?」

「杏ぉ……? なんで名嘉真の事知ってんの??」

「ああもう!めんどくさいねぇ。それは杏からでも聞きなよ」「とにかく、早めに切り上げて家へ戻ってな。結花はお父さんの所へ行くから、そっちは気にしなくて良い。わかったかい?」

「ちぇっ。なんだかよく判んないけど、わかったよ。取りあえずミーティングが終わったら先に帰ってるよ」

「よし……杏と仲良くしてやんなよ」

「なっ……何言ってんのいきなり!?」

 最後に全然違う話を突っ込まれ、たじろぐ祥吾に里香は意地の悪い表情で、「くくく……お前の焦る顔を見るのは楽しいねぇ。」と、言いながら、「じゃ、あたしは色々やんなきゃいけない事があるから」と、さっさと立ち去ってしまった。

「何なんだよ、一体……」

 ブツブツ文句を言いながら、コントロールルームへ向かう階段の途中で、祥吾はあらためて煌々と照明で照らされている格納庫へ目を向た。
そして、半壊した2機のシェムカを見遣りしばらくその場から動かなかった……

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