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家主がしつける黒猫と花束 後

「きみの部屋だ。使いたまえ。家具は持ち込み分と合わせて買い足した。キャットタワーはないがな」
上るか馬鹿野郎。
しかし広いな。7畳か。持ち込んだベッド以外に高さが俺の背丈より高い180センチ程の本棚がある。
白い壁に黒い本棚。拘りがあるんだな。落ち着かないぞ。それに置く本もない。
「たまには読書もしたまえ。その為に用意した。検索ばかりでは知識にならない。文字は読めるか」
「馬鹿にして」
「威嚇するか。しかし悪い気がしない。欲しい本があれば買おう。またたび関係かな?」
草は要らない。
「黒猫。唖然とせずに掃除を始めたまえ。まずは乾拭き。そしてウエットシートで仕上げだ。いいな」
「掃除機は?」
「使えるのか。意外だ。まあ無理はするな。フローリングワイパーがきみを助けるだろう。気遣いだ」
あんたなあ。
まあ、それなら楽勝だな。ワイパーを片手にリビングの床を掃除しかけたら「黒猫」何だよ。
「掃除は上からするものだ。埃が落ちるだろう。それすら知らんか。よく生きて来た。空気が汚れる」
じゃあ、照明器具ですね。
4灯の連結したシーリングライトなんて、バーとか飲食店で扱うんじゃないの。拘りが過ぎる。
それに天井が高すぎる、脚立がないと流石の俺でも届かない。ハンディーモップでいけるかな。
「背伸びして窓の外でも眺めたいか。本当に猫か。脚立くらいある。聞いたらいいだろう。鈍くさい」
「先に貸して下さいよ! 何ですか、さっきから様子を見張って。ちゃんとやりますよ」
「愛しい黒猫。騒ぐな、発情期。きみが電球でも割ったら災難だから時間を割いているんだ」
「割りません」
「その自信は何処から来る。割れたらどうする。黒猫、きみが怪我をするんだぞ? 不安だ」
あら?
「電球の予備はあるが、黒猫の代わりはいない。自分を大事に。上りたいのは重々承知。猫だからな」
苛立つなあ。
「終わったら休憩していい。無理はさせない。黒猫が大事だ」
「え? 大事ですか」そうは見えないが。
「本来なら追い詰めてこてんぱんにしたいが。指穴カットソーから覗く指と黒猫があまりに愛くるしい」
なにが?
「袖を捲れ。細い手首を惜しみなく晒せ。分かったら洗濯機へ直行。しかし畳めるか。爪を立てるなよ」
歯向かう気を削がれていく。こき使う気だな、本当に。


畳んだ服を運んでいたら「待ちたまえ」とカウンターキッチンから声がかかる。
「どのように畳んだ。説明したまえ。どうも疑う。服を大事にするのは意味がある。分かるか黒猫」
「痛むからでしょ」
「服は、人となりを表す。そして大事にする事により福を招くと聞く。きみには福が必要だ寂しがり」
知らなかったな、そんな事があるのか。
「箪笥に入れる前に確認するからリビングに置きたまえ。まあ、よくやった。ご褒美だ」
また子供扱いか。いい加減に。
「アテスウエイのモンブランだ。吉祥寺まで出向く用事があったからな。1時間で完売する人気の」
「知ってます!」
「やかましい」
威圧するなよアラサー。
だけどそのモンブランって縦長で中には和栗のペーストが入っているらしい。食べログで見た。
「先に見てもいいですか?」
「高揚感を隠せないか。ますます愛くるしい。見ていて飽きない。黒猫、欲しがるなら何でも買おう」
何か言ってるけど流そう。箱を開けたら薄茶色のモンブラン。食欲をそそる、食べたい!
「お皿に乗せてからだ黒猫。舌で舐める気か。行儀が悪すぎる。とんだ野良猫。躾けに全力で挑む」
まだ何かさせるか。
「そのカウンターチェアに座りなさい。食事は座って頂くのが基本。寝転がるなよ黒猫」
「寝転がって食べませんよ、失礼です」
「ピザは如何にして食べる。想像がつくぞ。どうせこぼす。カーペットを汚す。手も汚す。猫を見習え」
猫は手を使わないな、そういえば。って、酷くない?
「いいぞ、食べなさい」とフォークを渡された。しかしこのお皿とかティファニーだよな?
「どうだ。美味しいか、黒猫。食べる様もなかなか乙なものだな。買った甲斐がある」
「はあ?」
「嬉しがるのを見るのは至福だ。その為なら時間は惜しまない。選ぶ際にも細心の注意を払う」
なにがなんだか。でも嬉しいかもしれないな。そこまで思うんだ。
「きみもそうだろう黒猫。誰かに贈り物をする際に相手を想うのは当然だ。笑顔が見たいからだ」


笑顔ねえ。
考えた事があったかな。自分の好みで選び、贈った気がする。
相手を想うか。そうか、考えた事がなかったな。自分本位かな。
「己1人で生きて来たと思うなよ、黒猫。支えがあるからこそ、きみはここまで大きくなれた」
まあ、そうだろう。
「しかし大変残念な仕上がりだ。折角の器量よしが生かされない。親は嘆く私も呆れる。何がしたい」
「いや、特に」
「とんだ正直。世間も欺いているな、さては。その愛くるしい容姿で、へましても許されて来たな」
言い方何とかしろ。
「今のままでは、直に奈落の底だ。親に恩返しがしたくないか。1人で立てるようになりなさい」
「は? 恩返し?」
「これは予想以上の甘えた寂しがりの世間知らず。猫でも分かるぞ、自分を可愛がるものが」
「はああ?」
「黒猫。まずは自分を大事にしてくれるものに目を向けろ。すると己の堕落さが恥ずかしくなる」
「親、ですかね」
「ほう。時間を費やしただけある。耳が動いたか。きみはこれからだぞ、黒猫。やり直せ」
いきなり言われても、ぴんとこないけどな。
「仕送りしろ」
「は?」
「少しでもいい。気持ちの問題だ。それがきみの成長の証じゃないか? 安心させたまえ」
うう、しかしな。お取り寄せとかしたいし。スマホの料金も結構払うし。
「自分本位は猫だけで結構」
「は?」
「やり繰りも大人のたしなみ。そろそろ理解しろ。そして大事な人に時間とお金を惜しまない事」
そうなのかな。
先の事なんて分からないんだけどね。
「悩むのも今だけだ。時間は待たない。出会いはいつあるか分からないぞ、黒猫」
「不確定の未来に、何を準備して腹をくくればいいんです?」
「きみなら飛び込んでも抱きしめる相手が現れる」
はあ?
「直に分かるだろう。その準備を怠るな。大事な人が出来たら全力で幸せにしたまえ。可愛い黒猫」



見えない未来に何を望めばいいんだ。
この人、諭すように話すけど。よく分からないけど沁みるものがある。
「周りに感謝しないから甘える」
は?
「勝手に家を出たんだろう、それで寂しさに気づいたか。飼い猫が飛び出して帰り道を見失うのと同じ」
「ずけずけ言いますよね」
「自覚があるんだろう。だからはぐれた野良猫に構う。自分を投影した。違わないよな、迷惑知らず」
そうなのかな?
「足元ばかり見るな。黒猫、先を見据えろ。周りに気を配れ。生きるなら当然の事だ」
何だかモンブランがちいとも美味しくない。
フォークを舐めたら睨まれた。
「行儀も悪いな」
「はあ、あ。すみません」
「謝る事は覚えたな。だが、まだまだ」
これも躾かよ。
親にだって、ここまで言われてないぞ。
「きみにここまで言う理由が分からないよな。しかし、気づくべきだと思うがな」
「厳しい事ばかり。叱責されて、味が分かりませんよ」
折角のおやつなのに。
「目の前しか関心がない。非常に残念。口惜しい。親御さんは絶望だ。私も苛立たしい」
なら言うな。
「黒猫。きみを拾ったのは寂しい顔をして誰かを待っている素振りに見えたからだ」
「はああ?」
「道を違える気か。まだやり直せるぞ。自分を見つめ直して周りに感謝しろ」
感謝とか。
そんな事、日常で思うかな。
「人生に置いて、そうそう、恩を感じる機会はないぞ」
幾ら年上でも言いすぎ。
「きみを可愛がるものはいる。そうだよな。ならば応えたらどうだ? 寂しさなんてなくなるぞ」


黒いロングニットカーデの袖が長い。手首で余ってる。こんなに人を眺めた事はないな。
「どうした」
「あ、いいえ」
「少しは身に応えたようだな。話損しなくて済んだ。やれやれ、猫の躾が如何に大変か」
紅茶を入れているのかな。
甘い香りがする、この前はコーヒーだったのに。色々飲むんだな。
あまり他人に注目した経験はないな。
「そのポットって」
「ん? お皿と同じだが」
ウエッジウッドか。高級品ばかりだな。
「身の丈に合うものを揃えるのも成長の証だ。黒猫、きみも分かれば手に入る」
このマンションもそうなのか。どれだけ苦労したんだろう? そう易々と手に入らないだろう。
「身を乗り出すな」
「わ、すみません」
「ふうん。謝罪はきちんと出来るか。己を知ったな、黒猫。熱いから気をつけろよ」
出された紅茶から、矢張り漂う甘い香り。何処となく、花の香りに似ているな。
「マリアージュフレールのエロスだ。花の香りがするだろう」
「そうですね」
「黒猫。まだ飲まなくていい。猫舌だろう、どうせ」
決めつけ。
「きみは花が似合う。それも香しい。人を惹きつける魅力があるのに迷惑ばかりかけているんだぞ」
「それはさっきから何回も!」
「聞いていたか。それは良かった。ならばあえて言うかな」
なにが。
まだ言いたいか。紅茶が本当に冷めるから止めてくれ。
「きみは誰かを落としたか」
は?
「本気で、誰かを口説いた事はあるのか?」
「遍歴まで聞きます?」
「ないだろう。すり寄る者しかいないはず。何故なら自ら行動出来ない。花束抱えてここに来たものな」
押し付けたくせに。
「理由がなければ動けないか。きみは違うぞ、黒猫。好きになったら駆け出せよ。叶うから」
頬杖をついた姿に、言葉が投げかけられていると気づいた。
「相手を待たすな。きみには魅力があるんだ。寂しがるなんておかしな話だ。誰でもきみに手を伸ばす」
もしかして、この人も?
「もう少しかな。躾とは大変だな。毎日顔をみれば懐くかな。あまり気は長い方でもないのだが」
「あの」
「黒猫。望むなら何でも手に入るんだ、きみは。頼れるもの、そして縋るものを見つけていないかな」
ウエッジウッドの皿の柄は朝顔や麦があしらわれていた。
「気になるかな。コーンフラワーというシリーズのものだ。初めて聞いたな、ものについて」
「高いですよね」
「値段じゃない。好みかそうでないか。人も同じだ。好きなものに対して気持ちを惜しまないだろう」
惹きつけられるのは言葉と、気持ちだ。あなたはどうしてここまで諭すんだ。

12時前に鷺宮さんは外出して、俺は言われた通りに掃除や洗濯をこなした。使われている。
抗えない。
正直、鷺宮さんにはときめくものがある。
隠せない感じがしてきた。畜生、負けたくないのに。あの顔、反則だし。強気な態度が高揚する。
やばい。
「ただいま。黒猫、何処に隠れた」
ドアをバターンと音を立てるし高圧的だ。
「おや。きちんとこなしているじゃないか。やれば出来るな。見直したぞ」
笑顔が怖い。
「ん? そんなに待ち焦がれたか。ものの1時間も空けていないぞ。ふうん?」
危険!
「お腹が空いたんだろ。全く、腹八分目を知らないなんて出されたものを食べつくす野良猫と同じか」
諦めよう。
「洋楽をガンガンかけて掃除したんじゃないだろうな。いいか、聞くならクイーンだ。名曲だ」
ボーカルいませんよね。
「大音量は許さん。きみを飼うと決めてから大事なアルバムを隠した。探すなよ。鼻が利こうとも」
犬じゃないです。
「パソコンも綺麗だ。ほう。手間がかかっただろうに。そうか」
は?
「黒猫。取り寄せしたな。何を注文した。東京ばななか? ああ、あれは発送しないな」
「してません」
「そうか。言い切る辺りが清々しい。さてはチーズタルトか。パブロの。言えば買うのに外にも出ろ」
「違います」
「もう何も言うな、愛くるしい黒猫。マルガリータのピザだな。デリしたな。何度言えば分かるんだ」
「勝手に決めつけないで下さい」
「いいか。よく聞け、可愛い黒猫。ピザの箱は捨てるのに手間だ。部屋に匂いも充満する。分かったな」
「違います、何もしてません。鷺宮さんが帰るのを待って、」
あ。
「へえ? そうか。勝手に落ちたか。手間がかからないな。ちょろい」
畜生、生きていけない。


「黒猫。悪いが私をその気にさせなければ辛いだけだ。諦めろ。いいな?」
敗北感しか覚えない。
「だが機会を与えようかな」
はあ?

「私を落としてみろ。黒猫。きみを飼う主人を本気で狂わせられるか? 今のきみは可愛いと思うが」
いけるんじゃないの。
「欲情しない」
だめだ!
「黒猫。きみこそ外を歩けば雌猫が寄ってくるだろうに、何故に外へ出ない。走る車が怖いか」
猫じゃない。
「信号が分からないものな。仕方がないか」
だから!
「可愛い黒猫を私が連れて歩いてもいいが」
「えっ?」
「おや」
あー! やられてる。
「ふうん。本気かな。とんだものを拾ったな。盛りのついた黒猫め。去勢手術か、やはり」
「人をなんだと」
「安心しろ。手術代は出す。ああ、市役所に申請すれば無料もしくは5000円で済む。安上がり」
腹立たしい。
「黒猫。ああ、彩矢」
え?
「ごはんがあるから食べろ。出先で買った。アフタヌーンティーのマフィンサンド」
スイーツじゃないのか。
「おやつはキルフェボンのいちじくのタルト」
「ありがとうございます!」
「彩矢」
「はい?」
「ホールで買ったが1切れしか許さん。しかもお昼を食べないとお預けだ。主人の言う事を聞け」
「何でも聞きます」
あ。
「彩矢、その笑顔は何だ」
「はあ?」
「気を削がれてきた。少し顔を見せるな、彩矢。そこで食べてろ」
どうしたのかな。



同居してから数日過ぎて、この部屋から会社へ向かうのにも慣れて来た。
ただエレベーターに乗っている時間が長くてもどかしい。
窓から移る景色が冬らしく木々の葉を落とし、行きかう人がコート姿で早歩きしている。
『雪が降るかもしれないから傘を持て。替えのブーツも持参しろ』
最近、過保護な気がしてきた。勘違いかな。
だよな、そうだろうな。
『私は私用で出かけるから戸締りして寝ろ。数日空けるが寂しくて猫を構うなよ。毛がつく』
そうでした。

電車に乗ると外とは違って乗客の熱気が充満していて息苦しい。気持ちが悪い。
足元を見たらブーティを履いてる女性がいた。歩けるのかな、女性ってタフ。
あ、しまった。下なんてみるんじゃなかった。まずいな。
空気がよどんでいる。
早く会社に行かないと。駅に着かないかな、苦しい。

「大丈夫ですか、お客さん」
あれ?
「社内で座り込んだの、覚えてる?」
ええ、そうなの?
「顔色が悪いな。救急車を呼ぼうか」
「いえ、ここは何処ですか」
「駅内の詰め所。大丈夫? スーツ着てるってことは会社員か。連絡しないといけないね」
そうだ、今何時だろう。
スマホを見たら11時。えー、やばすぎる。
「ご迷惑をおかけしました、もう大丈夫です」
慌てて会社に連絡して、大遅刻した。

帰りは雪が降る前みたいな頬を刺す北風。早く暖をとらないと体調が危ないな。
部屋に帰るまで、念のためにタクシーを使ったら酔った。悪手だ。
散々だな。しかも帰っても今日は鷺宮さんはいない。何か、寂しさがこみあげてくる。1人が辛い。




早く寝ようと思い、シャワーだけ浴びて歩いていたら椅子の足に躓いて転んだ。もうこのまま寝よう。
暖房は入れてあるから平気だろ。

ん。何か落ちてる。え? ピアス。鷺宮さんはピアスなんかしてない。
なにこれ。
彼女いるんだ? あの花束、彼女から貰ったんだ。普通は逆だけど鷺宮さんならあり得る。
そうか、そうなんだ。
今日も、じゃあ彼女と会っているんだ。力が抜けていく。そうだよな。

1人で勝手に好きになってた。
顔に惚れて構ってくれるから好きが増して、もっと構って欲しくなった。
俺はもう何でも自分で出来る。いつ放り出されるか分からない。
このまま置いてくれないかな。
猫なら置いてくれたんだろうな。
歯向かったりしなければよかった、今更、大事にしてほしいなんて言えない。

後で、賃貸の部屋をネットで探そう。でもなんかつらい。
寂しいな。どうしよう。声が聞きたいけど、会いたいな。顔が見たい。罵倒されてもいいから。
縋るものが出来てしまった。ないより辛い。こんな感情、要らなかった。

はあ、何か体が重い。しかしキッチンの床って冷えてて気持ちいいな。
伸びて居よう。うん、これでいい。そのうち諦めがつく。気持ちが冷えればいいんだ。

好きだなあ。どうしてだろ。好きになるのに理由なんてないんだな。初めて知った。
どれくらい好きでも届かないんだ。手を伸ばしてもあなたは握らない、きっと。
いっそ、放り出して貰った方がいいかな。
それも辛い、どうしよう、床が冷たすぎるんだ。暖かいものに包まれたい。無理かな。駄目かな。
体を丸めてうつ伏せになって堪えた。こんなに寂しいのは初めてだ。あなたに会いたい。


「起きたか」
は?
「何時間寝るんだ。猫か。いい加減にしろ、人間だろう。人格を保て、彩矢」
ここ、鷺宮さんのベッドだよな。
で、ベッドの脇に腰かけているのは鷺宮さんだ。え? なんで。
「矢張り、檻にぶちこむべきだった。まさか出先で調子を崩したあげくに仕事をこなすとはな」
あれれ。
「きみの会社から私に連絡が入ったぞ。スマホに私の番号を入れてたな。いつ探った、油断ならん」
パソコンで調べました……。
「しかし、大した根性を見せたな。いつそんなに成長した? 隣人を困らせる迷惑者が」
根性。
「あの」
「声がおかしい、まだ横になれ」
「話があるんです!」
鷺宮さんが怯んだ、今しかない。

「寂しかったんです」
「知ってる。出会った時から寂しん坊。何だ。そろそろ実家に帰るか。引き留めはしないぞ」
違う。
「1人じゃ辛いんです」
「それも分かる。だから野良猫と戯れて自分の寂しさを埋めようとしていたんだ。違わないよな」
聞いてほしい。
「床が冷たくて耐えられなくて」
「床暖房があるのに使わないきみが悪い。そもそもキッチンで丸くなるな。猫か、本当に」
ああ。
「猫は涼しい所を己で探すと聞いた。彩矢、自分で熱があるのを知りながら病院へも行かず何だ」
「キッチンにピアスが」あ、違う。
「……それが? 私の物か聞きたいか。私が何処へ行っていたか知りたいのか、彩矢」
しくじった、そうじゃないのに。俺は馬鹿だ。
「花束も誰から貰ったのか、聞きたいのか。そういう顔をしているが。さて、どう聞く?」
試されてる。この人を落とせる自信なんてない。
とんだ意地悪だ。気持ちを知っているくせに。おのれアラサー、負けないからな。

体を起こすと布団を跳ね除けて膝をつき、脇に腰かけていた鷺宮さんと目線を合わせた。
「ベッドをお借りしました、すみません!」
「は?」
いける、唖然とした。
「ゴミ出しの曜日は覚えました、前日には出しません」
「当然だ。ようやく理解したか。熱を出した意味があったな、彩矢。もう住民に迷惑かけるな」
「スイーツのお取り寄せもしません」
「私が買い与えている。取り寄せの必要はない。何だ、今更。何か地方のものが欲しいのか」
「洋楽を大音量で流しません」
「私が側に居るからそんな事はさせない。分かるだろう。何をさっきから口走る。いきり立つか」
「マルガリータも食べません」
「たまにはいい」
はあ?
「彩矢、何が言いたい。きみが話したいのはそれか? 違うだろ」
畜生、このアラサーめ。
俺より人生を歩んでいるくらいで威張るな、威圧するな、たかがオーナー。オーナーでした。
「どうした」
「いいえ」
「調子が悪いのか、矢張り。言いたい事も言えないか。盛る猫みたいに飛びかかれ。あと一押しだぞ」
えっ。今、なんていった。
いけるのか?
いや、まさか。でも、後はこれしかない。これで駄目なら、その手を握れない。覚悟しろ!


「綺麗な目だな。猫より人目を惹く」
はあ。
「花も似合う。いや、花は添えものだ。彩矢の黒髪にあの白いマジックカラーのバラは完全に脇役だ」
あれれ、どう出たら。
「きみは可愛いよ。だからさらった。スイーツも与えた。そこらの猫より目が離せない」

先手を打たれたか、どう返せば。でも落とせるのかな。
違う、様子見だ。畜生、このアラサー、許さん!
「さて。どう切り込むか、彩矢」
足を組んで余裕見せても遅いからな!

「雅さん!」
「は?」
崩してやる、その態度。全力で行くからな。
「煙草を吸いませんよね、どうしてですか、大人なのに」
「嗜好品だ。吸ったら害だ。何より臭いが許せない。髪にも臭いがつくからな。だから何だ」
「お酒も飲みませんよね、嗜まないんですか」
「付き合いでは飲む。だが飲んで楽しいとは思わない。一時の上昇した感情しか感じない。どうした」
「夜はごはんを食べませんよね、糖質制限ですか」
「寝るだけだから量は減らす。食べた分だけ胃に負担がかかる。きみとは違う。話しただろう、彩矢」
明らかに動揺してるな、押してやる。
「服の趣味が若くて可愛いです、どうして、」あ、間違えた。
「……何が言いたい」
ですよね。
「服は好みだ。年齢を考慮せずに選択出来るのは長い人生の中で今くらい。たまたま彩矢にも似合うが」
うわ、もうどうしよう。打つ手がないぞ。

「正面から切り込め。こうして待つのもじれったい。時間が惜しい。聞いてやるから言え、彩矢」



どうしよう、何て言えば。でももう言葉なんて限られてる。
「黙るか。またの機会にするか? そこまで来ていると思わないか。どうなんだ、可愛い黒猫」
また余裕を与えてしまった。
逃がせない。
誰の所にも行ってほしくない。
あなたの側にいたい、一緒に暮らしてほしい。あなたをもっと知りたいなんて。
「言いたい事を言え」
縋る者はあなただ。見つけて拾ってくれた。
「猫でも甘えたいときは可愛い声で縋るぞ、彩矢。欲しいものは何だ」
もう寂しいなんて気持ちを感じたくないなんて。
「待っていて答えが出るものなんて、人生においてそうそうないぞ。自分から来い。猫でも抱き着く」
は、ちょっと待て。
どうしてここに居てくれるんだ。
いつまで付き合ってくれているんだ。
「気がついたか? 私が時間を割くなんて住民の苦情を聞くくらいだ。あとはきみだ」
「えっ」
「動転するな。体を反らすな。彩矢、聞かせてみろ。きみはもう何でも出来るだろう」
何だよ意地悪して。ここまで来ていたんじゃないか。
とんだどSだ、人を煽って何が楽しい!

「雅さん、どうしてここに居てくれるんです! 俺が好きなんでしょう? 違いませんよね!」


「好きだよ。だから何」
ひいい。
もうダメかな。
「それで? どうしたいんだ。まだ言いたい事があるんじゃないのか。そろそろ飽きて来た」
「飽きたとか普通、言いますか」
「言うよ。何分待たせていると思うんだ。彩矢が好きでなければ放り出す。相手にしない」
何だかもう、どうしたら。
「きみは何がしたいんだ。疲労感しかない。また躾けるか」
「お願いがあるんです」
「叶える」
え。
「このまま住みたいです。雅さんをもっと知りたいです。もう迷惑かけませんから、ダメですか?」
「駄目じゃない。叶えると先に言った」
あー。
「やれやれ、もう。花がしおれるだろう。何分待たせた。水切りしないとまずいな。自分でやれ」
足元に何かがあるのは見えていた。
甘い香りがするのも分かってた。
「お見舞い。ケーキは食べさせない、顔色が悪いから。日持ちするブラウニーがある」
胸に押し付けられたこの花束。
カサブランカにピンクのバラ、カスミソウが鼻をくすぐる。
「バラよりカサブランカだと思った。大きな白い花弁が、彩矢に似合う」
笑みを浮かべるあなたに我儘をもう1つ。
「雅さん、ありがとうございます!」
花束を抱えたまま胸に飛びついたら、抱きしめてくれた。
「香りが強烈だし、彩矢も熱烈。ま、いいか。もっと何か期待したが分かった」
え、なに?
「可愛い彩矢と花束を抱きしめるなんて思わなかったから、今は十分だ。見事だ」
「何が」
「きみに落ちたよ、彩矢。散々待たせたツケは払え。もう寒空の下で寂しい猫を探すな分かったな」


ブラウニーを探していたら雅さんに襟首を引っ張られた。
「彩矢。体調が戻ったとはいえチョコレートを使用したものは胃に負担だ。分からないなら検索しろ」
なら買うな。
「冷蔵庫にパステルのなめらかプリンが入ってる、それにしろ」
どれだけ買ったんだこの人。
「きみのおかげでやたらとスイーツに詳しくなったぞ。責任とれ。迷惑だな、矢張り」
まだいうか。
「ああ、後。冬用に服を買った。試着しろ」
はあ、貢がれてる感じ。
幸せかな、振り回して申し訳ないけどいいのかな。
「何だ。溜息か。その前に何か言えないか?」
「ありがとうございます」
あれ、屈んだぞ?
「どうも私からいかないと来ないな。気まぐれな猫だ。放置すれば寂しがるし側に居ると逃げる」
ぐいと後頭部を掴まれて抱き締められたと思ったら、そのままキスされた。
だけど、何か味がする。何、桃みたいな? 甘いけど何だ?
「は、マンゴーも区別出来ないようならお預けだな。彩矢」
薄目で誘われると体が反る。
「私ももう、あまり待つ気はないぞ」
濡れた唇が扇情的で、見ていてそそられる。
「きみのために誘う相手を振り切った。元々その気はなかったが。まさかその花束できみを手に入れるとはね。かさばる花より、きみは可愛いよ」
え、その、いいのか?
「耳に触れば? 私は若い頃にピアスを開けていた。もうしないがね」
そんな事言われて触れるか!
恥ずかしい! このアラサー、押しが強すぎる。
「……腕の中で暴れるなんて大した猫だ。あまり待たせるなよ、二度と。もう言ったからな」


おわり

ありがとうございました

柊リンゴ



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