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第四章 傷心

 今日も三人で給食を食べる。いつもと同じだ。最初に西畑が来た時は周りがちょっとざわついた感じがしたけど、一ヶ月経った今はもうすっかりなじんでしまっている。
 いつものように、食事中に話すことは特にない。ただ淡々と食べるだけだ。昨日はたまたまちょっと話したけど、それはシュニーのことで考え事をしていたせいだ。でも、もうそれは終わったんだ。今日はまたいつも通りだ。
 突然、脇腹に刺激を感じた。
 見ると、玻瑠南が隣の席から肘を押しつけている。
「な、なんだよ急に」
「急にじゃない。さっきからずっと呼んでる」
「え、あ、そ、そうだったのか」
 全然気づいていなかった。
「で、何?」
「何って言いたいのはこっちのほう。立樹、やっぱりおかしい」
「おかしくなんかないって」
 昨日はもしバレたら大変だと思ってちょっと不自然にしていたところもあったかもしれない。でも、今日は不自然なところなんてないはずだ。
「じゃあどうしてポテトサラダに醤油をかけているの?」
「へ? 醤油? そんなのかける訳ない……」
 かけてあった。
 しかも、半分くらい食べてあった。
 いつの間に。
「えっと、これは、その……ポテトサラダと醤油って、意外と合うんだよ? 知らないの?」
「「知らない」」
 右隣の玻瑠南だけではなく、正面の西畑からも返ってきた。やっぱりごまかせないか。
「それに、おかずばっかり食べてごはん全然食べてないし」
 西畑も容赦なく僕の異常を指摘する。
「たまたまだよ。たまたまだって」
 取り繕うように、ごはんを多めに取って食べた。

 やっぱりシュニーのことを考えてしまっていたのだろうか。
 自分では、意識をしていないつもりなんだけど。
 でも、昨日もあの後夕食を作っていて砂糖と塩を間違えたり焼き魚を焦がしたりしてしまったし、今朝もトーストにマーガリンを塗るのを忘れたり挟んだサラダをボロボロこぼしてお母さんに注意されたりしてしまったし、知らず知らずのうちに考えてしまっているのかもしれない。
 また一口、ごはんを食べる。
 シュニーは……いつも何を食べていたのかな?
 ベユはジュースにする以外に、食べることもできるのだろうか。
 もしかしたら森で何かを採取していたのかもしれないな。『リュンタル・ワールド』ではただ土があるだけだった畑がそうではなかったように、本物のリュンタルには仮想世界とは違うところもある。仮想世界ではただの森だったけど、本物のリュンタルでは果物とか野草とかキノコとか、いろいろ採れるのかもしれない。どんなものが採れるんだろう。どう料理すればいいかな……。
 はっ、と我に返る。
 シュニーはもういないのに。
 あの場所には、もう行くことはないのに。
 そのつもりはなくても、どうやら僕はシュニーのことばかり考えているみたいだ。

 まだごはんが半分以上残っている僕とは違って、玻瑠南と西畑は全部食べ終わっていた。二人ともスマートフォンをいじっている。また二人で何かやり合っているのだろうか。でも、それにしては静かだ。
 西畑が目だけをちらっと僕に向け、すぐまたスマートフォンに目を戻した。
 僕は右に目をやった。
 それに気づいたのか、玻瑠南もこっちをちらっと見た。
 でも一瞬で目を戻した。指先は休まずスマートフォンの上を滑っている。
 僕のことを話題にしているのだろうか。
 あまり、話題にはされたくない。
 空になった二人の弁当を見ながら、ごはんを口に運んだ。

   ◇ ◇ ◇

 いつの間にか学校は終わって、家に着いていた。
 特に何も考えず、自然とゴーグルを手に取る。
 それから、ふと考えた。
 僕はどこに行くつもりだったんだろう。

 思い出すのは、シュニーのことばかりだ。
 シュニーが人形だったなんて、未だに信じられない。どこが人間と違うっていうんだ。僕には違いがわからない。ただ造られた存在だというだけのことじゃないか。シュニーは人間と同じだ。そうでないはずがない。

 甘すぎて飲めなかったベユジュースが、今は飲みたくて仕方がない。
 あの機械で、ベユの綿から布を作ってみたい。
 …………布を作る、か。

 僕は、ゴーグルを装着した。

   ◇ ◇ ◇

 噴水の広場の南には王城がある。王城に面している道を西に行くと、やがて左側に兵舎が見えてくる。右側は職人たちの工房が雑然と建っている。このエリアの職人たちはNPCだ。材料調達のクエストを出してきたり、オーダーメイドの武器や防具の受注をしたりしている。
 さらに進み、兵舎の角を曲がる。工房もぽつぽつと建つ程度になり、空き地が多くなってきた。辺りに人はいない。僕だけだ。
 さらにその先は農地になっていた。広く四角い畑が広がり、たまに家が建っている。僕だけでなく、ほとんどの人はこんなところに来たことはないだろう。ショップはないし、モンスターも現れない場所だ。
 僕はたぶん、ここまでふらふらと歩いてきたように思う。少なくともやる気に満ちていたり、軽やかに歩いたりはしていなかったという自覚はある。
 目的地の詳しい場所も知らないのに、ただ歩く。畑には、冬の野菜が葉を広げている畑もあれば、もう収穫が終わったのだろう、ただ土だけの畑もある。たぶん、その土だけの畑の近くにある家のどれかなんだろうけど、どこなんだろう。メッセージで訊けばいいんだろうけど、それほどのことでもない。わからなかったらわからないままで、別に構わない。
 と思って歩いていたら。
 物干し竿に何かを掛けている人がいる。
 洗濯物ではないようだ。かなり量が多いし、それに長い。色も白一色だ。
 その人の後ろ姿が見える。細身の体だ。アッシュの長髪にゆるくウェーブがかかっている。
 僕が歩いてくることに気づいて、作業の手を止めてこっちに振り向いた。
「あら、リッキじゃないですか。どうしてここに?」
 PCと見た目は変わらないNPCのキュイアが、PCと区別のつかない声で、僕に問いかける。
「うん、ちょっと来たくなっちゃった」
 僕は照れながら答えた。

「あれは茹でたホプワ糸草を干していたんです。茹でると皮が剥がれて茎の繊維だけになりますし、柔らかくなって加工しやすくなるんです。ただ濡れたままでは布を織れませんから、ああやって干すんです」
 キュイアが入れてくれたお茶を飲みながら話を聞く。家は作業場も兼ねていて、大きな部屋の中に食事をするテーブルも機織り機も置いてあった。機織り機は、現実世界にあるものと同じ形をしている。シュニーが使っていた布を作る機械の要素は、まったくない。
 お茶はゼッケト茶という名前の、そのままでは渋すぎて飲めないような黒いお茶に、ミルクと砂糖を大量に混ぜて甘くしたものだ。こういうお茶があるのは知っていたけど、実際に飲むのはこれが初めてだ。
「お茶はお口に合いますか? 別の飲み物にしましょうか」
「いや、これでいいよ。ちょうど甘い飲み物が欲しかったんだ」
 普段は酸味があるザサンノジュースをよく飲んでいて、甘い飲み物なんで飲まないんだけど、今はベユジュースのあの甘さを味わいたくて仕方がない。このお茶は温かいし色も全然違うけど、甘さだけで僕はゼッケト茶にベユジュースを重ね合わせていた。
「今日は一人なんですね」
「うん、なんとなく来てみただけだから」
 なんとなく来たなんて嘘だ。シュニーが使っていた布を作る機械のことが忘れられなくて、機織り職人のキュイアのところに来たんだから。
「ええと……まさかリッキが来るとは思ってなくて、まだ仕事が途中なので、ちょっと待っていてもらっても……」
「あ、僕のことは別にいいよ。僕のほうこそ急に押しかけてきちゃってごめんね。構わずキュイアのやることをやってていいから」
「そうですか。じゃあちょっとだけ待っていてください」
 そう言ってキュイアは早足で部屋を出ていった。

 部屋に残った僕は、ゼッケト茶を飲みながら機織り機を眺めていた。途中まで布が織られている。外に干してあるホプワ糸草の繊維は白いけど、今織っている布の色は青だ。干してある繊維が乾いたら糸にして染料で染めて……いや逆か? 染めてから糸にするのか? シュニーの布は染めてなかったし、摘んだ綿をいきなり機械で布にしていたから、途中の工程がない。キュイアの布作りはどうやっているんだろう。気になる。
「すみません。鍋を片付けていたので」
 キュイアが戻ってきた。
「鍋?」
「はい。ホプワ糸草を茹でていた鍋です。あとは干してあるのが乾いたら、取り込んで終わりです」
「そうなんだ。機織りは今日は終わったの?」
「機織りは、空いている時間にやります。干すのは日が出ているうちにしなければならないので、いつもは夜に機織りをしています。最近は畑仕事がないので、昼に機織りをすることも多いです」
「そうか、全部一人でやってるんだもんね。大変だな……。じゃあさ、僕が手伝えること、何かある?」
「え、リッキがですか?」
「やっぱり無理かな。僕みたいな剣士がいきなり機織りの手伝いだなんて」
「そんなことないですよ。じゃあ、ちょっと機織りをやってみますか?」
「いいの? 僕なんかが機織りをして。荷物運びとか、単純作業があればそれでいいんだけど」
「荷物運びですか……じゃあ、ちょっと手伝ってもらえますか?」
 キュイアは僕を物置に連れていった。

「これで機織りをやってみましょう!」
「ええっ!?」
 物置へ行った僕とキュイアは、二人がかりで機織り機を部屋に持ち込み、元からあった機織り機の隣に置いた。持ち込んだ機織り機のほうが、一回り大きい。
「えっと、僕が言ったのは、荷物運びとか……」
「運んだじゃないですか」
「それはそうだけど……」
 今織っている布より幅広のサイズを織るのだろうかと思って運んだのに、そうではなくて僕が布を織るためのものらしい。
「この大きさならリッキの体にも合っていると思います。そこに座ってください」
「う、うん」
 有無を言わさぬ勢いで、機織り機の前に座らされた。控えめな性格のキュイアだけど、機織りに関してはずいぶんと積極的だ。
「まず、ここに糸を掛けて……」
 キュイアは丁寧に手順を説明しながら、機織りの準備を始めた。僕が全然知らないことを、流れるように進めていく。
「では、やってみましょう。まず横糸を通して、こうして整えてからペダルを踏んで……」
 説明の通りに、手を動かし、足を動かす。
「こ、こうかな?」
「はい、その調子で進めていきましょう」
 そう言われて、また手を動かし、足を動かした。ちゃんと織れているのかな。手の動きも足の動きも、かなりぎこちない。
 隣でキュイアも機織りを始めた。さすがに動きがスムーズだ。横糸を通すシャーという音、通した横糸を整える時のバタンという音が、とてもリズミカルだ。僕の十倍は動きが速い。織りかけだった青い布が、みるみる長くなっていく。
 僕もちゃんとやらなきゃ。でもちゃんとやらなきゃと思えば思うほど、手足に余計な力が入ってうまくいかなったり、焦って手順を間違えたりしてしまう。完全に悪循環だ。
「難しい。やっぱり僕には無理なのかも」
 つい手を止めて嘆いてしまった。
「初めてですから、仕方ないですよ。お茶でも飲んで休みましょう」
 キュイアも機織りの手を止めた。テーブルに移動し、ポットのお茶をカップに注ぐ。僕も椅子に座り、キュイアが入れてくれたゼッケト茶の濃厚な甘さを一口ずつよく味わいながら飲む。
「ところで、あの機織り機は普段は使わないの?」
 僕が使っていた機織り機を見ながら訊いた。織りかけの布はまだ布とは呼べない、ひもと言ってもいいような程度の幅しかない。
「あれは母が使っていたものなんです。母が亡くなってからは、ずっと物置にしまいっぱなしでした」
「そうか、お母さんの……なんか、悪いこと訊いちゃったな」
「とんでもないです! 機織り機は置いておくだけじゃダメです。使わなければ意味はありません。死んでいた機織り機をリッキが生き返らせてくれたようなものです」
 キュイアもお茶を飲みながら、僕が……いや、キュイアのお母さんが使っていた機織り機を見ている。僕が知らない思い出がいっぱいあるに違いない。
 静かな時間が流れる。
「いけない! 忘れてました!」
 飲みかけのお茶を置いて、キュイアは突然外へ駆け出していってしまった。
 何があったのだろうか。僕もついて行く。すると、
「取り込むのを忘れてしまってて。大丈夫です、リッキはお茶を飲んでいてください」
 キュイアは干していたホプワ糸草の繊維を物干し竿から外し、畳んで大きなカゴに入れていた。
「僕も手伝うよ」
「大丈夫ですから」
「いいっていいって。こういうのは背が高いほうがやりやすいから」
 長くて白いホプワ糸草の繊維を、竿から外す。間違って落として土が付いてしまったら大変だ。慎重に外して慎重に畳み、カゴに入れていく。機織りと比べれば簡単だ。作業はすぐに終わった。
「ありがとうございます、手伝ってもらって。日が沈む前にしなければならないのに、すっかり忘れてしまって」
 西の空がオレンジに染まっている。機織りをしている間に、思ったより時間が経っていたみたいだ。
「ごめん、僕がいきなり来ちゃったからだよね。今日はもう帰るよ」
「そんなことないです! 私がうっかりしていただけで。よかったらまた来てください」
「でも、仕事の邪魔にならないかな?」
「邪魔だなんてとんでもない! 今だって手伝ってくれたじゃないですか」
「そっか……うん、また来るよ」
 僕はキュイアの家を後にした。途中でふと振り返ると、もうキュイアの姿はなかった。カゴを片付けていたのかもしれないし、また機織りをしているのかもしれない。あ……そういえば僕が使った機織り機、出しっぱなしじゃないか。邪魔にならないかな。でも、また物置に片付けるにしても織っている途中だし……。
 明日、また行けばいいか。

   ◇ ◇ ◇

 今日は何も言ってこない。
 玻瑠南も西畑も、黙って弁当を食べている。
 昨日の夜はちゃんと料理ができたし、今朝もいつもと同じように食べた。今もちゃんと弁当を食べている。もう心配に思われることはないだろう。
 窓の外を眺める。
 昨日と同じ校庭。昨日と同じ曇り空。
 機械的に箸と口を動かしながら、何も変わらない景色を、僕はただ眺めていた。
 
   ◇ ◇ ◇

「上手になってきましたね。昨日よりはだいぶ早くなっていますよ」
「そうかな? まだ全然ダメだと思うんだけど」
 今日も僕はキュイアの家に来ていた。昨日の続きを織るためだ。隣ではキュイアが新しい布を織っている。
 キュイアからは上手になったと言われたけど、まるで実感がない。
「でも、昨日はこんなちょっとしかなかったじゃないですか」
 キュイアは僕が織った布の長さを指先で示した。
 その長さと比べて、今は何倍も長くなっている。
「昨日と比べれば良くなったかもしれないけど、キュイアは僕の十倍は早く織っているよ。そりゃあキュイアほど上手くないのは当然だけどさ、やっぱりまだまだだなって思うよ」
「私も最初は今のリッキみたいでしたよ。今でもまだ、母と比べれば遅いです。ですから、リッキがまだまだなら、私もまだまだです」
「キュイアですらまだまだだなんて……。やっぱり機織りは大変だ。僕は全然ダメだ」
 もし目の前にあるのが機織り機じゃなくてテーブルだったら、突っ伏しているところだ。代わりに頭を抱えて天井を見上げた。
「でもリッキは剣士じゃないですか。冒険で戦った時のリッキは本当に強かったです。私にはあんなことは絶対にできません。守られてばかりでした」
「あんまりまともな戦闘はなかったけどね」
 キュイアはあれが初めての冒険だったし、モンスターの強さもよく知らないだろうから、ザコモンスターばかりでも大冒険に思えたのかもしれない。でも僕からすれば全然大したことない冒険だった。キュイアを守るなんて簡単なことだった。
 それよりも……。
 守れなかった命があった。
 いくらキュイアが褒めてくれても、僕はそんな強い剣士なんかじゃないんだ。
 ――シャー、バタン。シャー、バタン。
 気づけばキュイアの機織りの音だけが部屋に響いている。
 ついシュニーのことを考えてしまっていた。僕が織っている布の長さは、さっきから全然変わっていない。
「お茶にしましょうか?」
 僕の手が止まっているのを見て、キュイアが声をかけてくれた。
「うん、ありがとう。ちょっと休んだほうがいいみたい」
 僕はキュイアの言葉に甘えることにした。

「ところで、どうしてリッキはここに来ようと思ったんですか? シロンは機織りに興味があったみたいですけど、リッキはそうは見えませんでした」
 ゼッケト茶を注ぎながら、キュイアが尋ねる。
「うん……ちょっとね」
 甘く濃厚なお茶を飲む。この甘さが、またシュニーを思い出させる。
 僕がこの家に来ているのは、結局はシュニーが忘れられないだけなんだ。キュイアは直接は関係ない。布を作る材料も工程も、全然違う。でも僕はキュイアに癒しを求めてしまっていて、実際、キュイアは僕を癒してくれている。
「私は、リッキが来てくれてとてもうれしいです。母と一緒に機織りをしていたころを思い出します。男の人に母を重ねてしまうのは変ですけど、あの機織り機の隣で一緒に機織りをしているのがとても楽しくて」
「僕なんかが一緒でいいの? だって、キュイアのお母さんはキュイアより早く織ることができたんでしょ? それなのにこんなに下手な僕が」
「いいんです! 上手いとか下手とか、そんなの関係ないんです。ですから、リッキさえ良ければ、いつでもここに来てください」
 本当に、また来てもいいのだろうか。
 僕の都合で、勝手に来ているだけなのに。
 機織り機に目をやる。初心者がちょっと織っただけの、まだ布とは呼べないようなものがある。
 中途半端なまま投げ出したら、かえって迷惑かな。
「ありがとう。もっと上手く織れるように、頑張ってみるよ。じゃあお茶も飲んだことだし、もうちょっと織ろうかな」
 僕はまた機織り機の前に座った。手を動かし、足を動かす。ほんの少しずつではあるけれど、布が長くなっていくのがわかる。頑張って織っていけば、いつの日か布が完成するに違いない。

   ◇ ◇ ◇

 それから僕は毎日キュイアの家に通って、機織りを続けた。上手くいかなかったり、挫折しそうになった時もあったけど、その度にキュイアは丁寧に教えてくれたり、励ましたりしてくれた。おかげで最初はぎこちなかった作業も慣れてきて、一日に織れる長さがだんだん長くなっていくのを実感していった。キュイアもホプワ糸草から糸を作ったり、糸を染めたりする作業(気になっていたけど、干した繊維を染めてから糸にするのではなく、糸にしてから染めるそうだ)は僕が来る前に済ませてしまって、ずっと僕と一緒に機織りをしてくれた。
 そして、二週間が過ぎた。
 布の長さは決まっていて、服を一着作るのに使う量が基準になっているらしい。キュイアはその長さを一週間かからずに織ってしまうけど、僕は二週間かかってやっとその半分まで織ることができた。
 ここまでだいぶ時間がかかったけど、この調子で残り半分頑張ろう。
 ところが、
「リッキ、この布はここで区切りにしてはどうでしょうか」
 僕が織った布を見て、キュイアが思いもよらぬ提案をしてきた。
「えっ、まだ半分しか織っていないのに」
「半分でもいいんです。必ず一枚の布だけで服を作る訳ではないですし、こういう短い布もあるんですよ。それに、ここまでとても頑張って織ったじゃないですか。長さは半分ですけど、機織りのことなんて知らなかったリッキがここまで織れたのはすごいです」
「せっかくここまで織ったんだから、ちゃんと最後まで織ってみたいんだけど……」
 僕の返答を聞いたキュイアの表情が渋い。
 それを見て、あることに思い至る。
「キュイア、正直に答えてほしいんだけど、この布、いくらで売れそうかな?」
「そうですね……初めて織った布ですし、記念に売らずに持っていてはどうでしょうか?」
 やっぱり。
 この布は売り物にならない、ということを遠回しに教えてくれているんだ。
 仕方がない。この布はここまでにしよう。
 二週間織り続けて、少しは上達したつもりだ。次に織る布はきっと売り物になるだろう。
 僕はキュイアの提案を受け入れた。

 すっかり飲み慣れたゼッケト茶を飲んで一息つく。その間にキュイアは機織り機から布を外してくれた。手渡された布を受け取る。キュイアの布と比べると、横糸を通した後の整え方が悪かったのか、手触りに滑らかさがない。売り物にはならないということがよくわかる。それでも僕にとっては大事な布だ。キュイアが言うように、自分で持っていることにしよう。
「リッキが機織りを好きになってくれて、本当にうれしいです」
「僕のほうこそ感謝しているよ。機織りなんて何も知らなかったのにここまでできたのはキュイアのおかげだし。そうだ、お礼に何かするよ。何がいい?」
 二週間もの間、ずっと僕のわがままで家に押しかけていたのに、キュイアはずっと付き合ってくれたんだ。僕からも何かしなきゃ。
「でしたら、また冒険に連れて行ってください」
「えっ、冒険……、に?」
「はい! また行ってみたいです! 怖い時もありましたけど、とても楽しかったです。私は全然戦えないですけど、リッキが守ってくれるなら安心できます」
「そっか、冒険か……」
 それだけは、言ってほしくなかった。
 今の僕には、キュイアを守り切れる自信がない。
「どうかしたのですか?」
「いや、なんでもないよ」
 表情に出てしまったのだろうか。とっさに笑顔を繕う。
「そうだね、そのうちまた行こう」
 行きたくなんかないくせに。
 僕は自分に嘘をついた。

   ◇ ◇ ◇

「お兄ちゃん、ちょっといい?」
 夕食の後、ノックもせずにいきなり愛里が部屋に入ってきた。そしてベッドを椅子代わりにして座った。
「なんだよ急に」
 勉強机の椅子を回転させ、愛里と向き合う。
「お兄ちゃんさー、最近キュイアの家に入り浸ってるらしいじゃん」
「入り浸ってるって言い方が引っかかるけど……」
 キュイアの家に行っていることは誰にも言っていないけど、別に言いふらすようなことでもない。隠していたんじゃなくて、言う機会がなかっただけだ。でも愛里が知っているということは、たぶんキュイアがメッセージで知らせたのだろう。
「どうしたの? 急にキュイアと仲良くなっちゃって」
 愛里は寝転がって、両足をばたばたと振りだした。
「機織りを教えてもらいに行ってたんだよ」
「なんで急に機織りなんかしようと思ったの?」
「そ、それは……、その……」
「言えない理由でもあるの?」
「えっと、その、言えないっていうか、その……」
「そろそろさ、言ってくれてもいいと思うんだけど」
「な、なんのこと、だよ」
 何を知りたいかはわかっている。愛里がただ機織りをしている理由を知りたがっているのではないことは、ちゃんとわかっている。
 でも、それでもまだ、僕はとぼけてみせた。
 愛里は起き上がった。足を揃えてベッドに座り直す。
「本物のリュンタルで何があったか、教えてもらってもいい?」
 見逃してくれるような愛里ではなかった。
「大丈夫。真剣に聞くから」

 僕は、すべてを話した。

 最後まで愛里は黙って聞いていた。
 話し終わっても、まだ愛里は黙っていた。
 うつむいたまま、顔を上げなかった。
 やっぱり怒っているのだろうか。
「悪かったよ。ひとりで黙って行ってしまって」
「謝ることなんかない。みんなで行ったって、どうにもならなかっただろうし。お兄ちゃんは頑張ったよ」
 とても小さな声だった。
 顔を上げない理由も、声でわかった。涙がこぼれてしまうからだ。
「……そっか。ありがとう」
 また沈黙が続く。
「それでさ」
 重い空気に耐えられず、また話し出した。
「シュニーが使っていた布を作る機械を思い出して、それでキュイアのところに行こうと思って……」
 それから僕はキュイアのことを話した。機織りのことなんて何も知らない僕に、キュイアがいろいろ教えてくれたこと。両親を亡くして、ひとりで機織り職人として生活していること。機織りのスピードがとても速いこと。休憩で入れてくれるゼッケト茶がとても甘くておいしいこと。
「それに、キュイアはいつも親切で優しいんだ。機織りが上手くいかなかったら励ましてくれるし、今日完成した布もいい出来ではなかったけど頑張ったって褒めてくれたしさ。次に織る布はもっといい出来にする自信はあるよ。そうだ、織るだけじゃなくて、染めも教えてもらおう。あと、来年になったら畑の世話もして――」
「あのさ、お兄ちゃん」
 愛里は顔を上げた。声も顔も、いつもの愛里だった。
「いつまでキュイアの家に行くつもりなの?」
「いつまでって、そんなこと考えてないよ。ずっとだよ。僕はずっとキュイアと機織りをするんだ。明日も、明後日も、ずっと」
「ずっと? ずっとってどういうこと? キュイアはお兄ちゃんのためにいるんじゃないんだからね!」
「僕のために……って、僕はそんなつもりじゃ」
「お兄ちゃんがキュイアと仲良くなったのはうれしいよ。今のお兄ちゃん、NPCだから嫌いとか、全然思ってないでしょ。というか、むしろキュイアがNPCだから、こんなに毎日家に行ってたんでしょ」
「それは……うん、そうだよ」
 シュニーとは違って、キュイアには自分がNPCである自覚なんてない。でも僕は、同じ造られた存在であるキュイアに、シュニーの姿を追い求めていたんだ。
「僕はもう、NPCだからとか、そんなことは全然気にしていないんだ。シュニーに会って、やっとわかったんだよ」
「わかってないって。わかってないからキュイアの家にばっか行ってんだって。本当に気にしてなかったら、そんなことしないでしょ」
 愛里の口調に厳しさが増す。
「シュニーにはシュニーの人生があったように、キュイアもキュイアとして生きているんだから、それを曲げてしまうようなことはやめて」
「そんなことないって。キュイアは僕が機織りをするのをとても喜んでいたよ」
「お兄ちゃんが機織り職人になることを、本当にキュイアが望んでると思ってるの?」
「機織り職人になって何が悪いんだよ」
「お兄ちゃんのバカ! いいかげんにしてよ!」
 愛里はベッドから降りて僕を睨みつけ、そのまま自分の部屋に戻っていってしまった。
 一体、何をそんなに怒っているんだろう?
 きっと、シュニーとは会っていないし、機織りをしたこともないから、僕の気持ちがわからないんだ。
 どう言われようと僕は明日もキュイアの家で機織りをするし、今後もずっと続けていくつもりだ。もっといい布を織れるようになれば、愛里もわかってくれるだろう。

   ◇ ◇ ◇

 キュイアの家への道を歩きながら考える。昨日まで織っていた布は上手くできなかったけど、今日から織り始める布はきっと上手くできるはずだ。まだまだキュイアのレベルには届かないけど、そこそこの布なら織れるだろう。キュイアはまた冒険に行きたいって言っているけど、僕はもう冒険をする気はない。ずっとキュイアと機織りを続けられれば、それで満足だ。もうすぐ冬休みだし、一緒にいられる時間も長くなるだろうから、機織り以外の作業もいろいろ教えてもらおう。
 家に着いた。ドアを開け、中に入る。ノックをして開けてもらうのを待つような関係は、とっくに過ぎていた。
「キュイア、来たよ」
 そう言っていつものように機織り機がある部屋に入ろうとした。が、
「あ、お兄ちゃんもお茶飲む?」
 アイリーがキュイアと一緒にゼッケト茶を飲んでくつろいでいる。
「え、な、なんでアイリーが来てるの? もしかして、アイリーも機織り――」
 そこまで言って気がついた。
「機織り機がない! なんで!?」
 二週間ずっと機織りをしていた場所が、今は空間になっている。
「あー、あれね、片付けちゃった」
「片付けた? 片付けたってどういうことだよ!?」
 僕はアイリーに詰め寄って睨みつけた。それでも、アイリーは平然とゼッケト茶を飲んでいる。
「僕はこれからも機織りを続けるんだ。片付けたっていうんならまた出せばいいだけのことだ。物置に行ってくる」
 アイリーなんか無視すればいい。僕は物置に行くために部屋を出ようとした。
「立ち直ってよ。いい加減に」
 背中から投げかけられたアイリーの言葉に、足が止まる。
「いつまでキュイアに救いを求めようとするの? 辛い思いをしたのも、今も辛いのもわかるけどさ」
 振り向くと、アイリーは椅子から立ち上がって僕を睨んでいた。
 キュイアも僕を見ている。アイリーとは対称的に、とても不安な表情を浮かべながら。
「お兄ちゃんが探しているものは、ここにはないから。キュイアはキュイアだから」
 力強く言い切ったアイリーに、僕は言い返せなかった。
「あ、あの……」
 いかにも恐る恐るといった感じで、キュイアが口を開いた。
「リッキが私と一緒に機織りをしてくれて、とても楽しかったです。ただ、当然ですけど、リッキは母とは違います。いつまでもリッキに隣にいてもらうことはできません」
「そんなことないって! キュイアさえ良ければ、僕はずっと一緒に――」
「いえ、私は一人でも大丈夫です。元々一人でやっていたので」
「でも、僕はキュイアと一緒に」
「ですからリッキも、これからはまた剣を握って、冒険に行ってください。リッキは機織り機の前にいるよりも、冒険が似合っています」
「キュイア、僕は、もう」
「また一緒に冒険に連れて行ってくれるって、約束してくれましたよね? どのような事情があるのか、私は詳しくは知りません。でも、リッキの剣は私を必ず守ってくれると信じています」
 キュイアはまだどことなく不安げだ。でも、アイリーに言わされたのではなく、自分の意思で言ったのだということは、伝わってきた。
 僕が弱いからだ。
 僕の心が弱いせいで、キュイアが不安がっているんだ。
「お兄ちゃんは何もできなかったと思っているかもしれないけど、ちゃんと悪いやつらと戦ったじゃん。魔獣も倒したじゃん。それだけでも、お兄ちゃんが戦ったことに意味はあったから、だから」
「もう言わなくていいよ、アイリー」
 これ以上、キュイアをこんな気持ちにさせることはできない。
 キュイアはキュイアだ。そして僕は、僕でなくちゃ。
「約束は守らなきゃね。キュイア、また一緒に冒険に行こう。僕の剣で、キュイアを守ってみせるよ」
 僕の中に立ち込めていた雲が吹き飛んで、一気に晴れた気分だ。
 どこか不安げだったキュイアの表情も、パッと明るくなった。
「よーし、それじゃ早速明日冒険に行こう」
「早っ!」
 アイリーは目の前の僕なんかお構いなしにメッセージを送り始めた。メンバー集めだろうか。
「えっと、キュイアは、明日は空いてるの?」
「はい、リッキと冒険に行けるならいつでも大丈夫です!」
 満面の笑みでキュイアは答えた。
 本当はいつでもってことはないだろうけど、二週間休まず機織りをしたんだし、明日は冒険で楽しませてあげたい。せめてもの恩返しだ。

   ◇ ◇ ◇

「明日の予定だけどね、こないだのメンバーで行こうと思ったんだけど、シロンがやっぱダメで、レイちゃんもパス」
 今日も夕食の後に愛里がいきなり部屋に入ってきて、ベッドを椅子代わりにして座った。そして一方的に話している。
「それで、フレアとザームが入るから。場所もFoMで。詳しい場所までは私もよくわからないから、知りたかったら後でフレアに教えてもらっといて。それと時間だけど、明日は終業式だからお昼から行くよ」
「うん、わかった」
「あんまりキュイアを怖がらせたくないから、なるべく弱そうなところをフレアに探してもらってるけど、さすがにこないだのモーマノ山よりは強くなってるはずだから。移動も楽な場所がいいんだけど、なかなかそういう場所はないみたい」
「まあ、森ばっかりだしな」
「じゃ、そういうことなんで明日頑張ってね」
「ちょっと待って」
 言うだけ言って部屋を出ていこうとした愛里を引き止める。
「今さらなんだけどさ、ちょっと訊いていい? ……その、僕が本物のリュンタルに行ったってこと、なんでわかったの?」
「ほんと、今さらだね」
 呆れた顔を見せつけながら、愛里はベッドに座り直した。
「冒険の後で、キュイアを家まで送って行ったじゃん。それからお兄ちゃん何してるのかと思ったら名前が灰色だったから、おかしいなと思ってメッセージ送ってみたらエラーが出ちゃったの。それでピンときて、ログアウトしてここに来てみたらお兄ちゃんがゴーグルしたままベッドに寝てたから、もう確定だよね」
 本物のリュンタルに行っている間、『リュンタル・ワールド』はログアウト状態になる。また、本物のリュンタルではメッセージを使うことができない。
「そうか……黙っていれば大丈夫なんて思っていたけど、こんなあっさりバレてしまうんだな」
 他の人にならバレなかったかもしれないけど、ゴーグルを装着している姿を簡単に見られる愛里には通用しない。簡単なことだけど、愛里に見られたとは思っていなかったから気づけなかった。
「怪しいのはお兄ちゃんだけが行こうとしたあの分かれ道しかないと思った。それで行ってみたんだけど、道の先が複雑すぎてどう行ったらいいのかわからなくて。だから、フレアに蜂を借りて、次の日に先回りして分かれ道のところにある大きな岩に隠れていたの」
 蜂というのはフレアが持っているアイテムのことで、対象の人物に蜜玉を投げつけるとどこまでも追いかけていくというものだ。蜜玉は小さくて当たった時の衝撃もないから気づかれることはなく、密かに後を追う時に役に立つアイテムだ。
 それにしても、あの岩の陰に隠れていたなんて。全然わからなかった。
「そうしたらやっぱりお兄ちゃんがものすごい勢いで走っていったから、蜜玉をぶつけたの。蜂の後を追っていって、ちょうどあの小屋の前まで来た時、こっちに帰ってきたお兄ちゃんの姿が現れたの」
「ということは、フレアも僕が本物のリュンタルに行ったってこと、知ってるの?」
「その時はお兄ちゃんのことは言わないでただ蜂を借りただけだったけど、今はもうお兄ちゃんが本物のリュンタルに行ったってこと、話しちゃったから。フレアだけじゃなくて、本物のリュンタルを知っている人にはみんな話した」
「そっか、まあ、いつまでも隠しておく訳にはいかないからな」
 話し終わった愛里がベッドから立った。
「ちゃんとお礼を言っといてね」
「お礼? って?」
「あー私クリスマスパーティーの準備があるからもう行かなきゃ。いつも家でやると中途半端だしさ、リュンタルではパーッとやりたいんだよね。お兄ちゃんもどうせ予定はないだろうけど空けといてね」
 そう言いながら愛里は部屋を出ていった。

 クリスマスパーティーか。
 予定は……空いている。完全に。

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