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第二章 やさしい冒険

「今日はみなさんよろしくお願いします」
 キュイアは広場の名前にもなっている噴水を背に、冒険慣れした六人に挨拶をした。初めて会ったときと同じ、武装など何もしていない普段着のままだ。
「まあまあ、固いこと抜きにして楽しもうよ」
「はい、でもやっぱりちょっと緊張しますね」
「じゃあ深呼吸でもしてみよっか。はい、すー、はー……」
「は、はい。すー、はー……」
 アイリーがキュイアをリラックスさせようとしているけど、NPCでも深呼吸で落ち着けるのだろうか。というか、そもそも緊張するものなのだろうか。アイリーはそんなことを考えないのかもしれないけど、僕はどうしても気になってしまう。

 他のメンバーは、シェレラ、アミカ、レイ、シロン。
 アイリーは四人探しておくと言っていたけど、特に探したと言えるようなメンバーではない。強いて言えば、シロンだけが久しぶりだろうか。
「それじゃ出発しよっか。……で、どこに行く? お兄ちゃん、どっかいいとこある?」
「決めてないのかよ」
 パーティを組むと決めたのはアイリーなのに。今さら驚かないけど、本当にアイリーには計画性がない。
「それくらい自分で決めてくれよ」
「じゃあ、キュイアはどこか行きたいとこある?」
 どうしても自分で決める気はないらしい。
 でも、今回の主役はキュイアと言ってもいい。もしキュイアに行きたい場所があるのなら、そこへ行くべきだ。もしかしたら僕たちPCが全然知らない情報を持っているかもしれないし。
「いえ、私はただみなさんとご一緒するだけですので、どこでもいいんですけど」
 あっさりと期待は裏切られた。
 しかしキュイアは言葉を続けた。
「でも、せっかくですので、普段行かないような場所のほうがいいですね」
 一応、希望の場所はあるようだ。もっと絞り込むことができれば、未知のレアモンスターやレアアイテムが潜む場所にたどり着けるかも……。
「キュイア、普段行かない場所って、例えば」
「よーし、じゃあそれで決まり!」
 アイリーの元気な声が響いた。
「いや、ちょっと待って」
 せっかくのチャンスなのに! もっと聞き出さないと!
 そんな僕の考えなどとは全く関係なく、アイリーは歩き出した。
「はいみんな『(ゲート)』に乗ってー」
 アイリーの先導で、僕たちはとにかく冒険の地へと向かうことになってしまった。

   ◇ ◇ ◇

 モーマノ山という山のふもとに来た。
 山は高い木々で覆われていて、その中を一本の道が伸びている。ふもとにも高い木々による森が広がっていて、こちらは道がない。周辺からは隔絶された山、ということだ。
 アイリーがこの山を選んだことに、深い理由はない。キュイアが普段行かない場所ということで、マップを見てピレックルから遠い地点を適当に指差して決めただけだ。
 以前、アイリーが目をつぶってマップをタッチした結果、ブンシェマというとんでもない田舎の村に来てしまったことがあった。荒れ放題の村の中ではやることがなく、何かがあるのかどうかすらよくわからない近くの山まで歩いて行ったのだった。最後は存在すら知らなかった虹色の希石を手に入れることができたけど、モンスターは魔人しか出てこないし、頂上からの見晴らしは全然良くないし、できれば二度と行きたくない場所だ。
 それと比べれば、ここはかなりマシなほうだ。
 閉ざされた場所に『門』があり、その先に道が伸びている。
 そんな場所に、何もないはずがない。何かがあるからこそ、ここに『門』がつながっているに決まっている。
 かなりやる気が湧いてきた。
 道はだいぶなだらかだから、キュイアでも問題なく歩けるだろう。
「よし、じゃあ行こうか」
 僕は先頭に立って歩き出した。

 最初のうちはまだ強いモンスターは出てこないだろうけど、念のためキュイアを中心にして、他の六人がその周りを囲んでいる。僕とアイリーが前、キュイアの両隣にレイとシロン、そして後ろにシェレラとアミカという配置だ。
 今日のアミカも初めて見る服を着ている。冒険用に動きやすさを重視しながらも、アイドルらしい華やかさが随所に見られる服だ。
 そんなアミカとは違い、上から下までピンクで統一した衣装というテストプレイの頃から変わらない格好のアイリーが、僕の隣で激しく指を動かしていた。モーマノ山についての情報を集めているのだ。
「お兄ちゃん、この山の向こう側は湖になっているらしいよ」
「へえ、そうなのか。それで、そこはどういう湖なの?」
 もし湖にも何かがあるのなら、ついでに行ってみるのもいいかもしれない。巨大な主が棲みついていて、倒したり依頼を聞いたりしてアイテムを得る、なんていうのはよくあるパターンだ。
「それはわかんないけど、頂上からの眺めが良さそうだなって」
「それだけ? 他には?」
「それだけって言い方ないでしょ! 眺めが綺麗って大事じゃん!」
「眺めなんかよりどんなモンスターがいるかとか、どんなアイテムが手に入るのかとか、そっちのほうが大事だろ!」
 アイリーはなんでも楽しむことができる。冒険でアイテムやシルが手に入らなかったとしても、眺めが良かったとか、道中の会話が楽しかったとか、それだけで満足できる性格だ。でも、それで満足できるなんて、僕には全然理解できない。
「キュイアは眺めが綺麗なほうがいいよね?」
 アイリーは急にキュイアに話を振った。
「え、私ですか? そうですね、眺めが綺麗だといいですね」
「ほらーキュイアだってそう言ってるじゃん」
「アイテムだって大事だろ!」
 キュイアは冒険とは無縁の機織り職人だ。だから、冒険で手に入るアイテムに関心がないのも当然だ。
 でも、僕は違う。
「そ、そうだ、レイは眺めなんかよりアイテムのほうが大事だろ? そうだよな、レイ」
 僕は賛同者を求めた。レイなら眺めの良さなんか気にしないだろう。きっとわかってくれるはずだ。
「わたしは戦えればそれでいい。余計なアイテムもいらない。剣と戦場さえあれば、それで十分」
「そ、そうか。アイテム、いらないのか」
 眺めどころかアイテムすら否定するとは。レイらしい答えだ。
 ところが、レイはさらに続けた。
「……と、以前は考えていた」
 レイは空を見上げた。空には薄く白い雲が伸びている。
「でも、こうして緑に囲まれた中で、青い空に白い雲が流れて行くのをただ眺めたり、他愛もない話をしたりするのも、悪くはないと思うようになってきた。これはきっと……いや、間違いなくアイリーのせいだ」
「私の?」
 振り向いたアイリーと一瞬だけ顔を合わせたレイが、また空を見上げた。
「そう、アイリーと一緒にいるうちに、戦い以外のいろいろなものが見えるようになって、それを楽しめるようになってきた。わたしの中にこんな部分があったなんて知らなかった。もしかしたら、人間は本来……」
 レイの言葉が途切れた。
「いや、なんでもない」
 見上げていた頭を下げ、うつむいたままレイは黙ってしまった。
 どうしたのだろう。何か言いにくいことでもあったのだろうか。
 わずかに感じた重い空気を、その隣を歩く色白の男が取り払った。
「そ、そうだ、リッキとは久しぶりだけど、あれからどう?」
「あれからって、えっと、前にシロンと会ったのは、アミカと初めてパーティを組んだ時だったよな」
 シロンが『リュンタル・ワールド』にログインすることはそう多くない。勉強に追われているらしく、あまり時間が取れないのだ。
「そうだね。あの時は驚いたよ。アミカはこんな小さい女の子なのに、僕よりも断然強くて。リッキとアミカは、あれからもよく会ってるの?」
 アミカの中身のことは、当然シロンは知らない。
「うん、あれからよく会って――」
「アミカはね、リッキのおよめさんになるの!」
 パーティの後ろを歩いていたアミカが、シロンを追い越し先頭まで来て、僕の腕を掴んだ。
「お、およ、……め、さん?」
 シロンは顔を上げ下げさせ、僕とアミカの顔を繰り返し見ている。
「そうだよ! およめさんだよ!」
「えーっと、シロン、小さい女の子が言ってることだから、本気にしないで」
「アミカはほんきだよ!」
 抱きつくように僕の腕に絡みつくアミカに、呆気にとられるシロン。
 そこへ、
「本当にいつまでも懲りないのね」
 後ろから伸びてきた手が、アミカの首根っこを引っ掴んだ。僕の腕から乱暴に引き剥がされたアミカが、地面に叩きつけられる。
「リッキはあたしがちゃんと守ってあげるね」
 シェレラは軽く微笑みながら、首根っこを掴んだままのアミカを引きずって歩いている。
 呆気にとられたままのシロンが、ぽかんと開けていた口の端を引き攣らせた。レイもキュイアも、表情が固まってしまっている。
「えっと、その、いつものことだから、気にしなくていいから」
「い、いつもの、ことって」
 シロンはまだ、状況をよく飲み込めていない。
「あー、あれからお兄ちゃん、モテモテなんだよねー」
「アイリー! 余計なことは言わなくていいから」
「そっ、そうなのかリッキ。アミカはともかく、シェレラもなのか?」
「アミカはともかくってどういうこと! アミカはほんきだよ!」
 いつの間にか回復したアミカが、シロンに食ってかかる。
 その間にシェレラは僕の横に並んだ。
「リッキの隣にはあたしがいるべき。家も隣だし」
「家が隣なのは関係ないだろ!」
 いつものことだけど、このままこんな話を続けてなんていられない。なんとか止めさせなきゃ。
「そ、そうだ、僕のことなんかより、シロンはどうなんだ? 今日もレイと一緒だけど、その、なんというか、その後の進展というか」
 この状況から逃れるためとはいえ、なんて質問をしてしまったんだろう。完全に余計なお世話だ。僕は言った直後に後悔してしまった。
 でもシロンからは、迷惑さなんて全く感じていない答えが返ってきた。
「僕はもちろんレイ一筋だし、レイも僕だけを見てくれている。レイに見合うようになるには、まだまだ足りないけどね」
「本当に、シロンはなかなか強くなってくれなくって」
 レイの苦笑が、間にいるキュイアを横切ってシロンに届けられる。
「ごめんレイ、自分なりには頑張っているんだけど」
 シロンは恥ずかしそうに弁解した。
「でも大事なのはその姿勢だから。シロンが強くなりたいと思い続ける限り、わたしはシロンを見捨てたりはしない」
「ありがとうレイ! 僕は絶対に強くなるよ」
 小さくうなずくレイと、それを見て顔を綻ばせるシロン。
 この二人の関係、全く変わっていないな。たぶん、いい意味で。
「あの……私、場所、変わりましょうか?」
 二人の間で、キュイアが居心地悪そうに縮こまっていた。
「じゃあ、変わってもらってもいいかな? 僕はやっぱりレイの隣に」
「油断するな。いつ襲われても大丈夫なように、常に気をつけていなければならないのに。そういうところが、シロンは甘い」
 キュイアが二人の間にいるのはモンスターに襲われたときのためだから、配置を変えることはできない。
「うっ……、そうだね、レイが正しい。僕はまだまだだ……」
 厳しい口調でレイに責められ、悲しくうなだれるシロン。
「私も余計なこと言ってしまってすみません」
「キュイアは悪くないよ。僕がもっと自覚していればよかったんだ。だから、気にしないで」
「そうですか。ありがとうございます」
 それでもまだ、キュイアは申し訳なさそうな顔をしている。
 先頭を歩く僕やアイリー、そしてシェレラは、時おり振り返りながら会話を聞いていた。
 ……………………。
「ほら、シェレラも後ろに戻って。ちゃんとキュイアの背後を守って」
「むー」
 ふくれっ面をしたシェレラだったけど、ちゃんとパーティの後ろに戻ってくれた。
 そろそろ、モンスターが現れてくる頃だろう。
 気を引き締めて、僕たちは前へ進んだ。

 思った通り、モンスターはすぐに現れた。
 木の姿をしたモンスターが、根っこを足のように動かして道の両側から一体ずつ現れ、僕たちの前に立ち塞がった。
 樹人だ。
「きゃっ!」
 背中からキュイアの悲鳴が聞こえた。
 冒険者でもないのに冒険に出て、初めてモンスターに出会ったのだから、悲鳴を上げることもあるだろう。
 でも、僕にとっては樹人はザコモンスターだ。
 振り向くと、キュイアはレイの腕にしがみついて震えていた。
「大丈夫だから」
 一言だけキュイアに告げ、僕は走った。剣を抜きざまに左の樹人の幹を斬りつける。樹人は一撃で真っ二つに分かれ、斜めの断面に沿って上半分が滑り落ちた。同時にアイリーが放った炎の玉が右の樹人に当たって爆発した。二体の樹人は一瞬にして光の粒子となって消えた。
 キュイアはレイの腕にしがみついたまま呆けていた。レイも動いていない。自分が参加するほどの戦闘ではない、ということがわかっているからだ。
 目をぱちくりさせたキュイアが、ようやくレイの腕から離れた。
「リッキもアイリーも、とても強いんですね。ということは、みなさんもこんなに強いんですか?」
「ここにいる六人なら、あれくらい敵ではない。そうだろシロン?」
 キュイアから解放されたレイが、シロンに問いかける。
「レイ! いくら僕だってあんなやつくらい倒せるよ!」
「だから敵ではないと言っているじゃないか」
「それはそうだけど……レイの意地悪」
「ごめんごめん。悪く言ったつもりはなかったんだけど」
 この二人はいつもレイが主導権を握っている。決してレベルの差だけが原因なのではない。二人はこういう性格なんだ。ちょっとシロンが可哀想な感じにも見えるけど、これでうまくいっているのなら、このままでもいいと思う。
「リッキ! アイリー! 次は僕がひとりで倒すよ。邪魔はしないでくれ」
 射抜くようなシロンの眼差しに、思わずたじろいだ。
「う……うん、わかった」
 樹人程度のモンスターなら、シロンでも楽勝だ。本気になるような相手ではない。でもしっかり戦って、レイにいいところを見せたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。
「じゃあその次はあたしね!」
 なぜかシェレラが意気込んでいる。
「シェレラは攻撃しなくていいから。ちゃんと後ろにいて」
「アミカもたたかうよ!」
「わたしも見ているだけではつまらない。剣が退屈がっている」
 なんだか収拾がつかなくなってきた!
「あーもう! じゃあみんな交替で!」
 強力なモンスターが出てこないうちは、それが一番良さそうだ。

 その後も現れるのはザコばかりだった。食人草や食人花、巨大カマキリや巨大クワガタといった、山や森ではおなじみのモンスターだ。過去に数え切れないほど倒したことがあるモンスターたちを、一人ひとり交替で倒していった。キュイアはモンスターが現れるたびに怯え、戦闘が終われば戦った人を讃えた。
「本当にみなさん強いんですね」
「絶対にキュイアには指一本触れさせないからね! 安心して! ね、お兄ちゃん」
「え、う、うん、そうだね。心配いらないから」
 アイリーとは違って、僕はどうしてもキュイアと会話しようとするとうまく言葉が出てこない。どうしても、キュイアはNPCであることが頭をよぎる。
「あたしつまんない。リッキはもっと死にかけてほしい」
 突然後ろからとんでもない声が聞こえてきた。
 驚くキュイアをアイリーが「大丈夫だから」と安心させる。
 またかと思いつつ、僕は声の主に言った。
「そんなこと言うなって。シェレラは今日は出番がないかもしれないけど、それだけ戦闘が楽だったってことなんだから、それでいいじゃないか」
「じゃあわざと攻撃受けて」
「やだよそんなの」
「むー」
「そんなふくれっ面するなって。強いモンスターがいないんだから、しょうがないじゃないか」
 シェレラにはそう言ったものの、僕自身も物足りなさを感じていた。
 やっぱりある程度は強いモンスターと戦いたい。だいぶ登ってきたし、そろそろ強いモンスターが出てきてもいいんじゃないだろうか。
 そんなことを考えながら歩いていると、
「お兄ちゃん、違う違う、こっちだよ。そっちじゃないって」
 二股に分かれた道を、僕は左に曲がっていた。でもアイリーや他のみんなは右の道を進んでいる。
「えっ、……そっち?」
 僕はごく自然に、まるで一本道を進むかのように左に曲がっていた。右の道は全く意識になかった。
「そーだよお兄ちゃん、普通こっちじゃん。ちゃんとまっすぐ登ってるし。そっちはむしろ下ってない? 先も曲がっていて、遠くのほうがどうなってるかわかんないし」
 道の分かれ目にある大きな岩を挟んで、アイリーが文句を吐く。確かに道はアイリーが言ったとおりの構造で、単純に山を登るだけなら右の道を行くのが自然だ。他のみんなも怪訝な顔をして僕を見ている。
「で、でもさ」
 なぜかはわからない。でも僕は左の道にこだわった。
「そういう素直な道こそがハズレなんだよ。貴重なアイテムとか財宝とかってのは、こういう怪しい道の先にあるもんだろ?」
「あーお兄ちゃん、それ裏をかいて苦労したのに何もなくてさらにがっかりするパターン」
「そんなのわかんないだろ! 行って確かめてみなきゃ」
「行って確かめた人の書き込みがあるよ。何もなかったって」
 アイリーは空中を指先でつついている。掲示板を開いているのだろう。
「それに、こっちの道の先に洞窟があるってことも書いてあるよ」
「…………そうなのか」
 これ以上アイリーに抵抗しても無駄だ。
 僕は左の道をあきらめ、アイリーたちに合流するしかなかった

 しばらく歩くと、アイリーが言ったとおり、僕たちの前に洞窟が現れた。
「ほら、ちゃんと洞窟あるじゃん!」
「うん、そうだね……」
 勝ち誇った態度のアイリーに、力なく答える。
 やっぱりこっちが正しかったんだ。
 どうしてあの時、あんなに左の道に行こうとしたんだろう?
「ほらお兄ちゃん落ち込んでないで元気出して! 先頭が元気ないとみんな元気なくなるよ?」
「落ち込んでなんかないって!」
 並んで歩いていたアイリーに反発して、足を進めてあえてひとりで先頭に立った。
 洞窟を迂回して先へと続く細い道が、あることはある。でもその道を主張する気にはなれなかった。素直に洞窟へと足を運んだ。

 それでもやっぱりあの左の道のことが引っかかる。
 何かがあるように思えてならない……。

『リュンタル・ワールド』では当たり前の、仄かに青白く光る洞窟を進む。見た目も特におかしなところはない、よくある洞窟だ。
 これまでも全然大したモンスターが出てこなかったし、この先もあまり期待できなさそうな雰囲気だ。今回はキュイアとパーティを組んで冒険を楽しむというのがメインの目的だから、あまりハードな展開は来ないほうがいいんだけど、やっぱり物足りない。
「アイリー、どんなモンスターが出るか、情報ある?」
「んーとね……」
 アイリーが空中で指を滑らす。
「四枚コウモリとか、手長モグラとか、あとは……」
「よくいるやつばっかりだな」
 まだまだ退屈な時間が続きそうだ。
 それを察したのか、
「ところで、キュイアは機織りをやっているそうだけど、普段はどこにいるの?」
 珍しくシロンが話を切り出してきた。
「お城の南西のほうにホプワ糸草の畑があるんですけど、そこで機織りをしています」
 僕にはあまり縁がないエリアだ。糸の原料となるホプワ糸草も知ってはいるけど、畑を見たのなんてテストプレイの時くらいだ。
「畑? ということは、畑の世話もキュイアがやってるってこと?」
「そうですよ。種まきから布の完成まで、全部自分でやるんです」
「へーっ、すごいな。僕にはとても無理だ」
「もし機織りをやってみたいのでしたら、教えてあげますからいつでも来てください。今は収穫も終わって、畑仕事がないぶん時間に余裕がありますし」
「教えてくれるの? 行ってみたいな」
 シロンは機織りに興味があるのだろうか。
「……あー、でも、僕のほうに時間がないや。残念だけど遠慮しておくよ」
 シロンはイン時間が少ないのに剣も攻撃魔法も回復魔法もやっていて、どれも中途半端に成長している。ひとつに絞ればいいのにそれができないのは、あれもこれもやりたがる性格なのだろう。機織りもやりたかったみたいだけど、やらなくて正解だ。
 それにしても、シロンは普通にキュイアと会話をするんだな。NPCということを意識していないみたいだ。やっぱり僕だけが考えすぎているのだろうか。

 アイリーが調べた通り、洞窟の中もザコモンスターばかりだった。外にいた時と同じように、一人ひとりが交替で倒していく。そしてシェレラとキュイアを除く五人がちょうど戦い終わった時、岩壁に扉があるのを見つけた。
「この先にボスがいるのか?」
 こんなところに扉があるなんて、いかにもそれっぽい。しかもドアノブがあるべき部分にはドアノブはなく、代わりに丸や四角といったくぼみがいくつも並んでいて、それぞれが赤や青などで縁取りされていた。
 このタイプの扉の先には、絶対に何かがある。
「やっとまともに戦えるよ」
 ザコモンスターばかりでちょっとうんざりしていた僕は、そう言いながら色と形に合った希石を嵌め込んでいく。全て嵌め終わると、扉は一瞬輝き、消滅した。待ちきれなかった僕は、扉が消えるか消えないかのタイミングで駆け出そうとした。
「よし、行こ…………っっ?」
 頭に強い衝撃が響いた。現実世界なら死んでいそうなほどの重い衝撃。
 思わずうずくまって頭を抑える。声が出ない。
 痛みがないのはわかっているけど、衝撃でなんとなく頭がグラグラする。
「お兄ちゃん、だ、だいじょ……あははは、だい、あはははははは」
 アイリーが爆笑している。それだけでなく、他のみんなの笑い声も聞こえる。
 どうやら戦闘には入っていないみたいだ。つまりモンスターからの攻撃ではない。
 何が起こったんだ?
 両手で頭を押さえたまま、上を見る。
 消えた扉の先には、扉よりも低い天井の道が伸びていた。扉の上部の向こう側は、空間ではなく、壁だったのだ。天井は僕の身長よりも少し低く、おかげで僕は壁に頭をぶつけてしまったという訳だ。扉が完全に消えてからなら確実にわかる、トラップとは呼べないようなトラップに引っかかってしまった。
 うずくまったままの僕の横を、他のみんなが普通に歩いて通り過ぎて行く。
「ぷっ、お兄ちゃん、さっ、先に……ぷぷっ、先に行くね、ぷっ、あははは」
「リッキにもこんなドジなところがあったんだな」
「アミカちっちゃくてよかった!」
「これでは剣を抜く時につっかえてしまう。気をつけなくては」
「リッキのような強い人なら、きっと平気ですよね?」
 めちゃくちゃ恥ずかしい。その上まだ頭がグラグラしている。僕は頭を抱えこみながら、腕で顔を隠した。そんな中、
「リッキ、大丈夫?」
 ひとりだけ留まって心配してくれている人がいた。
 シェレラの白い指が、僕の頭をなでる。
「うん、大丈夫だよ」
 やっぱりシェレラは優しい。他の人とは違う。
 白く柔らかい光が頭を覆う。シェレラの回復魔法で、頭の状態はすっかりよくなった。
「ありがとうシェレラ。じゃあ僕たちも行こうか」
 立ち上がって先へ進もうとすると、シェレラが僕の腕を掴んだ。
「待って。まだ行かないで」
「どうして? 早く行かなきゃ置いてかれちゃうよ」
「だってやっと回復魔法使えたし」
「うん。ありがとう。おかげで治ったよ」
「そうじゃなくて」
「……そうじゃなくて?」
 そうじゃなくて、何なのだろう? なんとなく予想はできるけど……。
「もっと回復魔法使いたいから。もう一回頭打って」
「やだよ!」
 そんなことだろうと思った!
「ちょっとでいいから」
「絶対やだ」
 僕はシェレラの手を振りほどいた。逆にシェレラの腕を掴む。
「ほら、行くよ!」
 シェレラの手を引いて、少しかがみながら先へと歩き出した。

 少し進むと天井は高くなり、普通に歩けるようになった。そしてさらに天井は高く、道幅は広くなっていき、巨大な部屋のような空洞へと繋がっていた。その先は行き止まりだ。
 今度こそ何かあるはずだ。
「えっとね、ここにいるモンスターを倒すと、扉が現れるんだって」
 アイリーの説明にうなずく。僕は剣を抜いた。
「どんなモンスター? 出現方法は?」
「んーとね、ちょっと待って」
 アイリーが空中で指を滑らせ、情報を探す。でも僕は待ちきれなかった。
「まあいいや。進もう」
 こういう時によくあるのが、ある程度進むと入口が自動で塞がれ、逃げられない状況で巨大なボスモンスターが出現するというパターンだ。退路が断たれるのは本当は良くないけど、どうせ行くしか選択肢はない。それに、戦闘に勝つ自信もある。
 空間の真ん中辺りまで来た。まだ何もない。
 振り向いてみる。僕たちが通ってきた道が、変わらず口を広げている。
「アイリー、どうなってるんだ? 何もないじゃないか」
「わかったよお兄ちゃん。真ん中まで来たら」
「もう真ん中まで来ただろ!」
「壁から岩人形が生えてくる」
「なっ……」
 周囲をぐるりと見回す。岩壁からは人間の上半身の形をした岩が突き出て、空を掴むようにもがく両手が僕たちを囲んでいる。さらに地面からも人間の形をした物体が次々と突き出てきた。
「あと、地面から土人形が生えてくる」
「もうわかってるよ!」
 足まで生え終わった土人形がゆっくりと歩きだし、四方八方からじりじりと迫ってきた。巨大なボスモンスターを期待していたのに、数で押してくるタイプが出てくるなんて!
 出口は閉まっていないけど、これだけモンスターに囲まれていては逃げられず、戦うしかない。
「そして、強制クエストが発生する」
 アイリーが言い終わるかどうかのタイミングで、『モーマノ山の人形を倒せ!』というメッセージが視界の上部に流れた。強制クエストだ。これをクリアすることが、扉が現れる条件になっているのだ。
 とにかく戦うしかない。
「陣形を保って! シェレラも中に入って」
 土人形が触れないように、キュイアとシェレラを背中にして五人が円を描くように囲む。
「シェレラ、怖い」
「大丈夫。あたしたちに任せて」
 一瞬だけ振り向く。シェレラは左手で怯えるキュイアを抱きしめながら、右手はいつでも回復魔法を使える準備をしていた。目が合ったシェレラが小さくうなずく。キュイアのことはシェレラに任せておけば大丈夫だ。
 視界の右上に、土人形と岩人形のアイコンが並んでいる。その横に、倒さなければならない数が表示されていた。
「それぞれ五百ずつ? そんなにたくさん倒さなきゃならないなんて!」
 シロンが嘆く。
「いや、パーティ全体で倒す数だから、このくらい大丈夫だろ。五人が百体ずつ倒せばいい」
 実際はそんな簡単な計算通りにはいかないけど、パーティで協力して戦えば決して難しい数ではない。
「それでも十分多いって!」
 僕は魔人の群れを一人で戦いながら突破したこともあるし、パーティで戦うならこのくらいの数で押してくる戦闘は何も問題ないと思っている。でも、プレイ時間が僕より短く、レベルも僕より低いシロンにとっては、この戦闘は厳しく感じるのだろう。
「こんな奴ら相手に音を上げてどうする」
 レイが背中の大剣を抜いた。
 それを見たシロンの目つきが変わった。腰の短剣を抜いて構える。
「そうだね。戦わなきゃ」
 戦闘態勢は整った。
 その間にも、土人形はどんどん近づいてきていた。手には泥団子を持ち、僕たちに投げつけようとしている。
 最初にアイリーが攻撃を仕掛けた。杖を振りかざし、炎の玉を土人形の群れに投げ込む。炎の玉は爆発し、数体の土人形の手足がちぎれ飛んだ。しかし土人形は倒れない。地面から補充された土が新しい手足となり、体は復元された。
「なら、これでどうだ」
 レイの大剣が土人形を横薙ぎに両断した。しかし断面の土がすぐに合わさり、分かれたはずの上半身と下半身の境目が消え、元の土人形に戻った。
「違う! こいつには『(コア)』がある」
 僕の前にも土人形が迫ってきた。剣先を土人形に向け、狙いを定める。僕は剣を振らず、そのまま突き出した。土人形の左胸を捉えた細身の長剣が背中へと突き抜ける。土人形は動きが止まり、体の土をボロボロと崩しながら光の粒子となって消えていった。
「弱点は心臓だ。ここを壊さなければ再生する」
 場所は違うけど、土人形とはテストプレイで戦ったことがある。なぜ土の体に心臓があるのかはわからないけど、そういう設定なのだから仕方がない。
 それを聞いたレイは大剣で、シロンは短剣で土人形の左胸を攻撃した。アミカが放った矢は土人形の左胸を突き抜け、さらにその後ろにいた土人形の左胸に突き刺さった。
「お兄ちゃん! 私どうすればいいの? 杖で突き刺すの?」
 いくら弱点への攻撃でも、魔法の杖の打撃力じゃ足りない。
「アイリーは岩人形に攻撃して! あいつは剣が効かない! でも『核』はないから、ただ破壊すればいい」
 土人形の向こうから、全身の姿を現した岩人形が迫ってきている。アイリーは土人形の群れの頭越しに炎の玉を放り込んだ。爆発を食らった岩人形の体がバラバラになり、光の粒子となる。
 土人形は素手で殴ったり泥団子を投げつけたりという地味な攻撃をしてくる。ダメージはそれほどでもないし、目の前に来たやつを倒せばいい。それに対して岩人形は石を投げつけてくるし、土人形の群れの向こうにいるから攻撃できない。こっちのほうが厄介だ。まともに石に当たればダメージが大きい。遠くから投げてくるぶん軌道が読めるけど、後ろにキュイアがいるから逃げることができない。盾となって投石を受けつつ、シェレラの魔法で回復する。
 地面からは新たな土人形が絶え間なく生えてくる。岩壁からも新しい岩人形の上半身が生えている。両腕でもがく姿は、まるで早く出番をよこせと急かしているかのようだ。
 倒さなければならない土人形の数はまだ三百以上残っている。岩人形は四百以上だ。
「いつ終わるんだよこれ! 全然終わらないよ!」
 シロンが短剣で土人形の左胸を刺しながら叫ぶ。
「レベリングだと思えばいいじゃん!」
 答えながらアイリーが炎の玉を岩人形の群れに放り込む。
「でも、確かにこのままでは終わりが見えない」
 飛んでくる石を大剣で弾き飛ばしたレイが、突撃を開始した。左から来る泥人形を左肩から斜めに斬り、右から来る泥人形の左胸を蹴り抜く。泥人形の群れを突破し、岩人形に迫ると同時に大剣を振り上げた。岩人形が拳を振り上げてレイを襲う。レイは大剣を振り下ろした。剣では斬れないはずの岩人形を、大剣の重みで頭から粉砕する。岩人形は次々とレイに襲い掛かってきた。最前列の岩人形は拳を振り上げ、後ろの岩人形は石を投げつける。レイは飛んできた石を大剣で打ち返した。拳を振り上げた岩人形に石が当たる。岩人形は衝撃で砕け散った。
 僕も負けてはいられない。目の前にいる土人形だけでなく、アイリーに迫り来る土人形も僕が倒す。僕の剣では岩人形は倒せない。後ろにいるキュイアとシェレラだけでなく、アイリーの盾にもなって戦い続けた。シロンとアミカも、レイが抜けた穴をカバーしてキュイアを守った。
 長い戦いも終わりが近づいてきた。土人形のアイコンに並ぶ数字が二桁になり、一桁になり、そしてゼロになった。続けて岩人形のアイコンの横にも、ゼロが表示された。
 クエスト完了を知らせるメッセージが視界の上部に表示され、同時に電子音が音楽を奏でた。クエスト報酬のシルが加算されていく。
「やっと終わった……」
 シロンがその場にへたり込んだ。仮想世界では疲れることがないし、HPもシェレラが回復していたから不安もなかったはずだけど、これだけの数を相手にするのはやはり精神的にきつかったのだろう。
 空洞の最も奥の岩壁が長方形に光り、扉が出現した。クエスト終了で現れる扉はその奥が金庫や宝物庫になっていることがよくあるけど、すでにシルが支払われているから今回はそのパターンではないはずだ。おそらく、さらにその先の道へと繋がっているのだろう。
「お疲れシロン。ほら立って」
 アイリーが手を差し伸べた。
 シロンも手を伸ばし、アイリーの手を取ろうとした。しかし、レイが扉へと歩いているのを見て、手を引っ込めた。
「ありがとう。でも、自分で立てるから」
 自力で立ち上がったシロンはレイの元へ駆け寄り、並んで歩いて扉へと向かった。
 キュイアにはシェレラとアミカが寄り添っていた。三人で扉へと向かう。歩く足取りはごく普通だ。戦闘では怖がらせてしまったけど、今はもうなんともなさそうだ。
 シロンの背中を見送っていたアイリーが、僕のところに来た。そのまま僕の手を取る。
「行こっ、お兄ちゃん」
「なんでアイリーと手を繋がなきゃならないんだよ」
「えーいいじゃん。私とお兄ちゃんだけ一人ってなんか変じゃん」
 有無を言わせずアイリーが手を引いて歩き出した。僕はついて行くしかない。
「ふふん、ふふーん♪」
 なぜかアイリーは鼻歌交じりでスキップし始めた。何を考えているんだ。ちょっと恥ずかしい。

 五人が先に扉の前にいて、スキップで進むアイリーと引きずられるように歩く僕を待っていた。
「えーとね、この扉は……」
 僕の手を引いてスキップしながら、アイリーの指が空中を滑る。
 扉には希石を嵌め込む場所はなく、見たところ普通の両開きの扉だ。それでもさっき頭を打ったこともあり、自然と扉の上部に目が行く。
 アイリーの指が止まった。
「めんどくさいから開けちゃおっか」
 情報を調べることを中止したアイリーは僕の手を離し、両手で扉を押し開いた。
 光が差し込み、思わず目を細める。
 扉の向こうにあったのは……空。
 この洞窟はトンネルになっていて、山の向こう側に繋がっていたのだ。
「あ、湖が見える」
 洞窟の外に出たアイリーが声を踊らせる。
「綺麗だねー」
「そうですね。本当に綺麗な湖ですね」
 アイリーと並んで、キュイアも眼下に広がる景色を眺めている。
「だよね! 頂上まで行ったら、もっとよく見えるんじゃないかな!」
「そうですね! 行ってみましょう!」
 キュイアも景色を楽しんでいるようだ。僕も並んで眺めてみる。深い森の緑に囲まれた青い湖は、確かに綺麗だ。今は湖の一部分しか見えていないけど、山頂からは全体が見えるかもしれない。きっとさらに綺麗な景色が広がっているだろう。
 それに、山頂なら今度こそ巨大なボスモンスターがいるはずだ。僕の目的はあくまでも冒険で、景色がどんなに良かったとしても、それはおまけにすぎない。
 理由はどうあれ、山頂を目指すという目的に変わりはない。僕たちはまた歩き出した。

「シビャジ湖っていう名前なんだってー」
 アイリーの指が空中を滑る。マップを確認しているようだ。
「で、そのシビャジ湖には何があるの?」
「だからわかんないって! 眺めが良けりゃそれでいいじゃん!」
 出発時にした会話と同じ答えが一瞬で返ってきた。できればマップを見ているついでに調べてほしいんだけど。
「シビジャ湖にはおいしい魚はいないの?」
 今度はシェレラが訊いた。湖の名前を微妙に間違っている。
「うーん、魚かあ……」
 アイリーの指が動く。僕の時には調べてくれなかったのに。
「ごめん、やっぱりわかんない」
 どうやら本当に情報がないみたいだ。それなら仕方がない。

 また樹人や巨大カマキリなどのザコモンスターを倒しながら、モーマノ山の頂上を目指す。初めはモンスターを警戒して隊列を崩さずにいたけど、今はもう決まった並びはなく適当に歩いている。冒険というよりハイキングを楽しんでいる感じだ。女子が固まっておしゃべりしたり風景を見たりしながらのんびり歩いているその後ろを、僕とシロンがついて行っている。
 ちょっと気になることがあって、立ち止まってシロンの袖口をつまんだ。
「え、何?」
 シロンも足を止め、前を行く女子たちとの間に距離ができた。
「シロンってさ」
 それでも僕は女子たちに聞こえないように、小声で話す。
「キュイアと話す時、わりと普通に話しているなと思って」
「え、うん。……でも、なんでそんなこと訊くの?」
「僕はちょっと苦手でさ、その……」
「あ、そういうこと?」
 はっきりとは言わなかったけど、シロンは察してくれた。前を行く女子たちに一瞬目を移し、また僕を見る。
「レイはリアルの話がNGだからね」
 仮想世界で現実の話をするのを嫌うプレイヤーはごく普通にいる。僕やアイリーはそうでもないけど、アミカは現実の自分のことを決して言わない。完全にキャラクターになりきっている人なら、他人が現実の話をすることすら嫌うこともある。
「だから僕はレイのことはレイとしか見ていないし、レイの前では僕はシロンでしかない。キュイアだって同じことだよ」
「それはわかるんだけど……」
 理屈じゃないところで、どうしてもわだかまりがある。
 ちょっと間ができて、前を行く女子たちに目を向ける。ちょうどモンスターが現れて、戦闘に入ったところだった。同じザコモンスターでもちょっと強くなっているみたいで、ひとりずつの交替制ではなくアイリーとアミカ、そしてレイが同時に攻撃していた。キュイアはしっかりと守られているし、シェレラの出番は相変わらずなさそうだ。もちろん、後ろを歩く僕たちにモンスターの攻撃が届くことはない。
「でも、意外だな」
 シロンが口を開く。
「リッキは自分自身をリュンタルの人間だと思ってないの? 僕にはそう見えてたんだけどな」
「いや思ってるって。少なくともゲームだと割り切っているつもりはないよ」
 以前の僕にはそういう冷めた部分もあったけど、本物のリュンタルを知ってからは『リュンタル・ワールド』をゲームだと割り切って遊ぶような気持ちはない。
「さすがにアイリーのことを現実と切り離してアイリーとして見ることはできないけどさ、僕だってレイのことはレイとして見ているし、シロンのことはシロンとして見ているよ。シロンは勉強が大変であまりログインできないってこともアイリーから聞いて知っているけど、その現実のシロンを今僕の前にいるシロンと一緒にすることはないし」
「あー、勉強……うん、勉強ね、勉強……」
 シロンの雰囲気が急に暗くなった。まるで背景に黒雲が立ち込めているかのようだ。言ってはいけないことを言ってしまったみたいだ……。
「僕自身は勉強なんてどうだっていいと思っているけど、親がうるさくってさ。来年は三年生だし、受験勉強でリュンタルどころじゃないんだろうな……」
「あ、そうなんだ。僕も来年は三年生だけど」
 共通点が見つかって取り繕おうとしたけど、僕は別に勉強しろなんて言われてないし、かえってまずいこと言っちゃったかな……。
「リッキもそうなの?」
「う、うん、そうなんだ」
「ちなみに訊くけど、どこの大学を受けるとか、もう考えてる?」
 …………大学?
「えっと、その、こ、高校受験、なんだけど」
「えっ、こうこう……、あ、そ、そうなんだ……」
 ちょっと気まずい空気が漂い、お互いに少しだけ顔をそらす。
「まさか三つも年下だったなんて……」
「……気になる? やっぱり」
「いやいや全然気にしてないって!」
 シロンの顔がまた僕のほうを向いた。
「ちょっと驚いただけだよ。でもリアルはリアル。リュンタルはリュンタル。リアルの年の差なんてリュンタルでは関係ないって。リッキも気にしないで」
「うん、わかった。いや、わかってる」
 僕はそもそも年齢を気にすることはない。気にする性格だったら……一歳年上のヴェンクーと親友になることだって、なかっただろう。
「リュンタルでこんなにリアルの自分を出して話をするとは思わなかったな。レイとこんな話をすることは絶対にないし。なんだか不思議な感覚」
「僕もシロンと二人きりで話すなんて思ってなかった。キュイアのおかげかな」
 とは言っても、キュイアに対しての考え方が変わった訳ではない。
 前を見ると、キュイアは他の女子たちとおしゃべりをしていた。見た目にはPCとNPCの区別はない。言動にもない。
 突然、女子たちが立ち止まった。振り返ってこちらを見ている。何かあったのだろうか。
「お兄ちゃん、早く来て」
 アイリーが手招きして呼んでいる。
 すぐに合流すると、道はここで終わっていた。ずっと上り坂だったのに、その先は雑草が生い茂るだけの平らな地面が広がっている。こんな場所がある理由はひとつしかない。
「ここ、ボスが出てくるよ」
 言われるまでもなく、僕は理解していた。

 戦場へ足を踏み入れる。
 モンスターはすぐに現れた。
 僕より三倍は身長がありそうな、巨大な……樹人だ。
 いや、基本は樹人だけど、腕は細い枝ではなく丸太だ。その下にはクワガタの大きなアゴ、さらにカマキリの大きなカマが生えている。太い幹には三つの黒い穴が逆三角形を作っていて、顔のように見える。口の部分の穴は横に広く、笑っているかのようだ。頭の部分には葉が生い茂り、色とりどりの大きな花が咲いている。
 要するに、ここに来るまでのザコモンスターを繋ぎ合わせて大きくしたような感じだ。
「このモンスター、見た目がセンスないね。書き込み見てセンスないと思ったけど、実際に見てみると本当にセンスない」
 アイリーがその姿に不満を漏らす。
 僕もアイリーの気持ちはわかる。お父さんがよく言う「ゲームだから」ってことなんだろうけど、このモンスターの姿はめちゃくちゃすぎて抵抗がある。
「とっとと燃やしちゃえ」
 魔法の杖が振られ、炎の玉が巨大な樹人に向かっていく。樹人は丸太の腕で振り払った。炎が細かく飛び散って消える。
「アイリー、いきなり仕掛けるなよ。ちゃんと体制を整えてから」
「大丈夫だって。あいつ腕焦げてるじゃん。ちゃんと効いてるって」
 そう言われて樹人をよく見ると、丸太の腕は一部分が黒く変色し、うっすらと白い煙が上がっている。
 再びアイリーが杖を構えた。炎の玉が飛んでいく。それと同時にレイが突撃した。薙ぎ払おうとする丸太の腕を躱し、大剣を斧のように幹へ打ちつけた。木片が飛び散り、顔のような黒い三つの穴がゆがむ。アミカは右手を空に向けて伸ばした。指輪が金色に輝く。即座に雷が落ち、樹人を焦がした。
 あっという間に、樹人のHP表示がオレンジに変わってしまった。
 樹人の目の穴がつり上がった。口の穴からまるで舌のように蔓が伸び、僕たちを捕まえようとする。僕は前に出て、蔓を斬り払った。さらに樹人の花から花粉が飛び散った。吸うと毒や麻痺といった状態異常を受けてしまう。しかしシェレラが風を起こすと、花粉はどこかへ吹き飛んでいってしまった。
 樹人のHP表示が赤に変わった。アイリーは休まず炎の玉を放ち続けている。レイはクワガタのアゴとカマキリのカマを斬り落としてしまった。
「リッキ、僕は何をしたらいいのかな」
 蔓を切り払う僕の後ろで、シロンが困っている。
「見ているだけでいいんじゃないかな」
「そんな」
「アミカももうなにもしないよ」
 最初に一回雷を落としたっきり、アミカは攻撃をしていない。アイリーとレイだけで勝てると見ているのだ。
 樹人は苦し紛れに蔓を増やしてきた。口の穴から何本も伸びる蔓は、もう舌には見えない。触手のようにうねりながら僕たちを襲う。
 ちょっと対応しきれなくなってきた。
「シロン、やっぱり手伝って」
「任せて!」
 やる気満々のシロンが僕より前に出て、襲いかかる蔓を斬ろうと短剣を構える。
 しかし、シロンが蔓を斬ることはなかった。
 蔓が届く直前、アイリーとレイの攻撃で樹人のHPがゼロになった。蔓はシロンに届く寸前、光の粒子となって消えてしまった。
 剣を構えた体勢のまま、呆然とするシロン。
 そこへ、前で戦っていたレイが背中に剣を収めながら戻ってきた。
「蔓が後ろに伸びていったのはわかっていたけど、リッキとシロンがいるから問題ないだろうと思ってよく見ていなかった。この様子だとやっぱり問題なかったみたいだな」
 僕とシロンが顔を見合わせる。
「う……うん、まあね、僕だってちゃんと成長しているからね」
 得意げな顔で剣を収めるシロン。
 それを見たアイリーが吹き出しそうになって口元を押さえている。こらえろ。

 ボスモンスターとの戦闘にしては、かなり物足りない結果だった。
 レアアイテムを落とすこともなかった。白ヘワジェや黒ヘワジェの丸太といった素材や、クムズムの実、そして魔石や希石を手に入れたけど……どれも特別なものではなく、普通に手に入れられるものばかりだ。
 だから、ひょっとしてこの先に本当のボスがいるのでは、と密かに期待したんだけど……。
 さらに一分ほど歩いただけで、整備された山頂に着いてしまった。
 地面は平らにならされていて、転落防止用の柵や休憩用のベンチが備えつけられている。中央には、特定の条件をクリアした人だけが使える、赤い縁の『門』があった。さっきの巨大な樹人を倒したことで出現したのだろう。その奥には小さな山小屋があって、入ってみたけど中はからっぽ。アイテムやモンスターが隠れているんじゃないかと思ったけど、それどころか椅子や棚といった家具すらなく、本当にただの小屋でしかなかった。山頂だからという理由で形式的に設置してあるだけなのかもしれない。
「うわー、綺麗!」
 大きな声がしたので小屋から出ると、アイリーが柵に手を掛け落ちそうなほど身を乗り出し、下に広がる風景を眺めていた。
「アイリー、危ない」
「大丈夫だって」
 隣でキュイアが心配そうにしているけど、お構いなしだ。
 僕も二人と並んで、景色を眺めてみた。来る途中は一部しか見えていなかったシビャジ湖が、ここからだと全体が見える。見渡す限りの森が広がり、その一面の深い緑を丸くくり抜いたような、青く澄んだ湖。
「綺麗だ……」
 思わず声が出た。
 身を乗り出して景色を眺めていたアイリーが、足をぶらぶらさせたまま振り向く。
「お兄ちゃんにしては珍しいね。もしかして、やっと眺めの良さがわかるようになってきたの?」
「わかってないのはアイリーのほうだろ。なんでもかんでもいい眺めだって言うじゃないか。この景色は本当に綺麗だけどさ」
「やっぱりお兄ちゃんわかってない。どんな眺めにもそれぞれの良さがあるのに」
 僕には美しい景色は美しく見えるけど、そうでないものはそれなりにしか見えない。アイリーの感覚はわからないし、わかろうとも思わない。
「それと、そんなに身を乗り出しちゃ危ないだろ。キュイアが心配してるじゃないか」
「あはは、ごめんごめん」
 やっとアイリーは柵から下りた。
「ごめんねキュイア」
 恥ずかしさを隠すように笑いながらキュイアに謝る。
 ずっと不安げな表情だったキュイアが、ほっとして大きく息をつく。
 こうして見てみると、キュイアは本当に人間みたいだ。
 でもこの“人間みたいだ”は、NPCだけれどもまるで人間みたいだ、ということだ。本当にPCとNPCの区別を意識していないのなら、そもそもこんなふうには考えないだろう。
 ふと後ろに目をやると、レイとシロンがベンチに座って話をしていた。シロンは僕の三歳年上、つまり十七歳だということがわかったけど、レイはどうなんだろう?
 シェレラは地面にシートを広げてアミカと一緒にくつろいでいた。傍らにはランチボックスが積み上げられている。サンドイッチ食べ放題をするつもりだ。
「シェレラ、ひざまくらして」
 アミカは横座りしているシェレラの太ももに頭を預けて横になった。シェレラはサンドイッチを食べながら、アミカの薄紫色の髪の毛をなでている。アミカの髪はふんわりしていてなでると気持ちいいから、シェレラがなでたくなるのはよくわかる。アミカもうっとりしていて気持ちよさそうだ。
 しばらく眺めていると、突然アミカが跳ね起きた。
「シェレラ! パンくず!」
 顔を払いながら怒っている。
 シェレラはサンドイッチを片手にきょとんとしている。パンくずがこぼれて、アミカの顔にかかってしまったようだ。たぶんシェレラは自覚していない。
「アミカやっぱりリッキといっしょがいい」
 駆け寄ってきたアミカが、僕に腕を絡める。
 シェレラも立ち上がり、サンドイッチを片手に口をもぐもぐさせながらこっちに向かって歩いてくる。
 その時、
「いけない! もうこんな時間!」
 ベンチに座っていたシロンが叫んだ。
「ごめんレイ、もう帰らなきゃ」
 隣に座っていたレイにそう言うと、今度は僕に駆け寄ってきた。
「もう時間だから、今日はここで別れるよ。楽しかった。キュイアもまた一緒に遊ぼう」
「はい! みなさんのような強い人がいれば安心できます。また一緒に遊びましょう」
「みんなもまた一緒に遊ぼう! レイも、また今度!」
 遅れてこっちに歩いてきたレイに手を振ると、シロンはすぐにログアウトした。
「忙しそうだね、シロンは」
 僕も来年はシロンほどではなくても勉強しなければならないだろう。やっぱりあまり『リュンタル・ワールド』にはいられなくなるのかな……。
「あの、私もそろそろ――」
「キュイアも? じゃあ送ってくよ」
「いいんですか? アイリーも忙しいのでは」
「全然大丈夫! 心配しないで」
「アミカも行く!」
「わたしも行こうかな」
「じゃあみんなで行こう!」
 キュイアも帰ろうとしたことで、あっという間に次に何をするかが決まってしまった。
「シェレラも一緒に行く?」
「あたしは工房の作業があるから」
「あーそっか。それはしょうがないね。じゃあ……お兄ちゃんは、どうする?」
「僕? 僕は、その……」
 僕が今日キュイアと一緒に冒険したのは、七人パーティをやってみたかったからだ。冒険が終わったのにキュイアと一緒にいようとは思わない。アイリーもそれがわかっていてあえて訊いてきている。僕がキュイアのことをどう思っているのか、試しているんだ。
「お兄ちゃん別に用事ないよね?」
 先にシェレラがちゃんと理由があって行けないと言っているので、理由もなく断るというのはやりにくい。
「えっと、ちょっと行きたい所があるんだけど」
「ほんとに? お兄ちゃんに用事があるなんて考えられないんだけど」
「なんでだよ。僕にだってやりたいことがあってもいいだろ」
「アイリー、リッキは忙しいようですから、無理に来てもらわなくても大丈夫ですよ」
 詰め寄ってくるアイリーを、キュイアが止めた。
「……うん、じゃあ私たちだけで行こっか」
 キュイアがこう言ったら、アイリーはこれ以上僕に詰め寄れない。キュイアに救われた形だ。
「今日はありがとうございました。また機会があればご一緒しましょう」
「うん、じゃあまた」
 僕が短く返すと、キュイアはみんなと一緒に『門』に乗り、ピレックルへ帰っていった。

 山小屋のさらに奥に、細い下り道があった。来た道とはちょうど反対側の方角だ。
 『門』に誰もいなくなったのを見届けた僕は、一気にその道を駆け下りた。

   ◇ ◇ ◇

 僕はどうしても、あの道が気になっていた。
 何もない行き止まりだと言われた、あの道が。
 アイリーが正しいと言った道に進んで、実際にクエストが発生したし、ボスモンスターも倒した。
 でも……。
 登った時よりもはるかに速いスピードで、僕は走っていた。下り坂だからとか、パーティのメンバーと歩調を合わせる必要がないからとかの理由もある。でもそんなことより、どこからともなく湧いてくる逸る気持ちが、僕の足を強く急がせていた。走りやすいように、剣の装備を解いた。道を塞ごうとして現れたモンスターを無視して駆け抜ける。急ぐあまり足がもつれて転んでしまったけど、即座に立ち上がってまた走った。
 一瞬、洞窟の入り口が見えた。僕たちが通ったあの洞窟だ。洞窟には迂回する細い道があったけど、その道を逆方向から通ってここまで来たことになる。
 ということは、もうすぐだ。足を止めず、スピードをさらに加速させて駆け下りる。
 やがて見覚えのある大岩にたどり着き、僕は足を止めた。
 道がふたつに分かれている。ひとつは山を下り、ふもとへと向かう道。
 そして、もうひとつの道。
 先はカーブになっていて、遠くまでは見渡せない。
 それでも僕は、その先に何かがあるように感じた。
 その見えない何かから目を逸らさないように、僕は走り出した。

 何もない。
 いくら走ってもモンスターは全く現れないし、立て札や奇怪な岩といった怪しげなポイントもない。採取できそうな薬草や木の実もない。
 やっぱり、この道には何もないのだろうか。一瞬、不安がよぎる。
 それでも僕は走った。目の前で道が二つに分かれている。僕は迷わず右へ進んだ。その先の分岐も迷わなかった。ある時は右へ、ある時は左へ、時には上り、時には下りながら、まるで正しい行き先が記されているかのように、僕は自然と道を選んでいた。
 そして……。
 道は、終わっていた。
 やっぱり、何もないのか。
 全ては僕の思い込みに過ぎなかったのか。
 諦めきれず、とても道とは呼べない木々の間を縫って進んでいく。ここは山の中なのか、それともふもとの森の中なのかも、わからなくなっていた。それでも構わず、僕は進んでいく。
 絶対に何かあるはずだ。僕は感じたんだ。
 何かに、呼ばれていると。
 その思いだけで、足を進めていく。
 
 ぽっかりと、森に空間ができていた。

 立ち止まった僕の前に現れた、茶色い土の長方形の土地。整然と畝が並んでいる。今は何も植えられていないけど、ここが畑であることがわかる。こんなところに畑があるのは不自然で、いかにも何か秘密がありそうだ。
 向こう側に古い小屋がある。物置のようにも見えるけど、それにしては大きい。農作物の加工をする場所か、あるいは倉庫だろう。あの中に何かがあるのかもしれない。もし何もなかったら、本当にここには何もないのだろう。きっぱりと諦めよう。
 胸の鼓動を抑えつつ、僕は畑を囲む砂利道を歩いていく。
 だんだん小屋に近づいてきた。
 そして僕は、足を止めた。止めるしかなかった。
 その先の、小屋に続く砂利道。
 そこは、粗いドットで覆われていた。

 やっぱり、僕は呼ばれていたんだ。
 でも……いいのか? 本当に、今、一人きりで、行っていいのか?

 ふと気がつくと、僕はまた砂利道を歩き出していた。
 ドットと化している部分へ、どんどん近づいていっている。
 ダメだ。勝手に行ってはダメだ。お父さんやアイリーたちに知らせるんだ。
 いくら理性がそう働きかけても、僕の心が足を前に進めてしまう。
 そして――。
 僕はドットの砂利を、異世界へと向かう道を、踏みしめた。

しおり