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エピローグ

「……で、お父さん、知ってたんだよね? ニローク人のこと、ネコ耳の人たちがいるってこと」
「…………知らない」

 仮想世界『リュンタル・ワールド』に戻ってきた僕たちは、またピレックルの最高級の宿の最高級の部屋に来ていた。そして本物のリュンタルでの出来事について、お父さんに簡単に報告をした。
 その後始まったのが、アイリーによるお父さんへの詰問だった。

「バグに飲み込まれる前に『(ゲート)』が開いたのも、安全に本物のリュンタルに行けるように、そして気を失ったりなんかしないですぐに行動を起こせるように、ってことだったんだよね?」
「…………知らない」
 お父さんはあさっての方向を見ていて、アイリーと目を合わせようとしない。返事も投げやりだ。
「もーお父さん! すっとぼけないで! どんなにしらばっくれたってお見通しなんだからね! お父さんが昔ニローク人に会ってたことも、ちゃんとわかってるんだから!」
「知らない。記憶にない」
「そんなわけないでしょ! ……お父さん、ひょっとしてメイニに忘却の水を飲まされたの? それで覚えてないの?」
 メイニ? って誰?
 でも、その名前を聞いた瞬間、お父さんの表情が変わった。初めてまともにアイリーを正面から見た。
「メイニに……会った、のか?」
「ほらーやっぱり! メイニはヴィッドとフィセのお母さんよ! 会ってないけど、ヴィッドから話を聞いたの!」
「そうだったのか、メイニの……い、いや、ニローク人なんて知らん。リュンタルにネコ耳なんていない。あーそういえば忘却の水を飲んで全部忘れた気がする」
「お父さん!」
「そ、そうだ、仕事に戻らなきゃ。忙しいんだよ俺は。日曜日だってのに朝から仕事だなんて、嫌になるよほんと」
 そう言いながら指を滑らせ、お父さんは姿を消してしまった。
 突然の出来事に、全員が呆気に取られている。
「もーお父さん何やってんのよ!」
 止まった空気を破ったのはアイリーだった。
「あれ絶対何かあるよね? お母さんに言っちゃいけないような何かが! お兄ちゃんもそう思うでしょ!」
「えっと……僕はその、メイニって人のこと、知らなかったんだけど」
 たぶん、僕とフレアが洞窟の奥にいた時に、ヴィッドが話したのだろう。
 でも、アイリーが言いたいことはわかる。プレイボーイ気質の『白銀のコーヤ』が、メイニに手を出していたんじゃないかと疑っているのだ。
「とにかくさ、お父さんが言っている通り、リュンタルにネコ耳なんていない、ハムクプトの森の奥に村なんてない、そういうことでいいじゃないか」
「うん……そうだよね……」
 さっきまでずっと怒っていたアイリーが、寂しそうな表情になった。
 友達を作るのが大好きなアイリーにとっては辛いことかもしれないけど、そうすることがニローク人のためだ。
「ところでさ、お兄ちゃん、さっきから気になってたんだけど」
 アイリーは急に素の表情になった。
「どうして私とデートした時の服着てるの?」
「えっ」
 一瞬にしてみんなの視線が僕に集中した。
「リッキ、アイリーとデートしたの?」
「ほう……普段着って聞いたはずだけど?」
「いや、その、デートっていうか、アイリーは妹だぞ?」
 僕は急いで指を滑らせ、いつもの服を装備した。本物のリュンタルではずぶ濡れになっていたけど、仮想世界ではいつものように新品同様の状態だ。
「あたしもデートしたいなー」
「シェレラまで何言ってんだよ、その、デートだなんて」
「あたしだけないよね? 二人っきりで遊んだこと」
「え、そ、そうだっけ? でもさ、シェレラって結構忙しいだろ? だからなんじゃいかな」
「今ヒマだから。今からデートしよう」
「ちょっとあんたリッキを独り占めしようっての? そんなの私が許さないんだから」
「アミカも! アミカもリッキとデート!」
「ちょっとみんな落ち着いて! おいアイリーも止めて――」
 くれるわけがないか。いつもと同じように、ニヤニヤ笑っている。自分からふっかけておいて、ひどい対応だ。
「そうだ! お母さんにも報告しなきゃ! 無事に帰ってきたって! よし、落ちよう」
 僕はログアウトして、その場から逃げた。

   ◇ ◇ ◇

 ん?
 なんか、狭いな。
 なんとなく、顔を横に向けた。

「うわああああああああああああああぁぁぁぁああぁぁっ!」

 目の前に、本当にすぐ目の前に、ゴーグルをつけた顔があった。
 跳ね起きて、ゴーグルを外し、上下左右に首を振る。
 間違いない。僕の部屋だ。僕のベッドだ。
 そして、僕のすぐ隣で寝ているのは。
「ち、ち、ち、智保、な、なんで、僕のベッドに」
 智保も目を覚まして、ゴーグルを外した。
「立樹の家に来てからログインするって、愛里ちゃんから聞いてなかった?」
「聞いたけど! なんで僕のベッドなんだよ!」
「ここが空いていたから」
「空いてないだろ!」
「どうしたのお兄ちゃん! 何かあったの?」
 部屋のドアが勢いよく開き、愛里が飛び込んできた。
「あ……なんでもなかったね」
「なんでもなくないだろ!」
 続いて玻瑠南と西畑が入ってきた。その瞬間、眼鏡の奥の二人の目が点になっているのが、はっきりと見えた。
「な、なんでもない。やっぱりなんでもない」
 すんなり聞いてもらえるとは思えないけど、こう言うより他はない。
「ち……松川、さん?」
 玻瑠南は智保と言いかけたのをわざわざ言い直した。
 これはまずい。かなりまずい。
「そこ、私の場所なんだけど」
 玻瑠南の場所でもないんだけど!
「早くどいて!」
 玻瑠南は智保の手を掴み、ベッドから引きずり落とそうとしている。
「玻瑠南、危ないからやめて! 智保も自分で起きて!」
 は、早くこの状況を脱しないと。
 玻瑠南と違って、西畑は落ち着いているように見えるけど……。
「二人とも必死ね。でも、松川さんは勝手に潜り込んだだけでしょ? 沢野君自身の意識としては、昨日の夜誰と一緒に過ごしたのか、誰と一緒に寝たのか……そういうことでしょ?」
 あまりこの場で言ってほしくないこと言ってきた!
「いや、そういうことっていうか、その、あれはリッキとフレアであって、僕と西畑さんじゃないというか」
「異世界といえども、現実の世界なんでしょ?」
「えっと、それは、そうなんだけど」
 西畑は上目遣いで玻瑠南と智保を見つめた。口元だけが微妙に笑っている。
 玻瑠南が上から西畑を睨み返す。智保はぼんやりその様子をみている。
 どうしよう。なんとかしたいけど、どうしよう。
 焦るばかりで、考えが何も出てこない。
 その時、
「りっくーん、あいちゃーん、帰ってきたの?」
 トントンと階段を上がってくる足音。お母さんだ。
「あら、みんな帰ってきてたのね。お帰りなさい。朝ご飯食べる? お母さんもう食べちゃったけど」
 時計を見た。まだ九時?
「ああ、そ、そうだね。朝ご飯にしようか。カレーがまだ残っていたね。でもご飯がないからまた炊かなくちゃ。ちょっと台所行ってくる!」
 僕は素早く部屋を出て、ほっと胸をなでおろしながら階段を駆け下りた。

   ◇ ◇ ◇

 カレーライスを食べた後、トランプで遊ぼうという僕の提案はあっさり却下され、結局また『リュンタル・ワールド』で遊ぶことになった。今度は智保もちゃんと愛里の部屋からログインしたから大丈夫だ。

 いつものように、まずピレックルの噴水の広場に集まった。
「あんなことにならないように、今度はちゃんと事前に調べてから行くことにしよう。どうする? どこ行く?」
 僕はみんなから意見を聞こうとした。
 ところが、
「よっ!」
 僕たちの前に、ザームが姿を現した。
「あんたなんでここにいるのよ」
 フレアがザームの目の前に立つ。
「そりゃあ、お嬢と一緒に遊ぶために決まってんじゃんかよ」
「……わかったわよ」
「昔のように俺と二人っきりでとは言わねえけど、リュンタルの友達ばっかりじゃなくてせめてギルマスとしてギルドの仲間と一緒に遊んでくれねえかな……って、えっ? 今、何て?」
「だからわかったって! あんたと一緒に遊ぶって言ってんのよ! 二人っきりで!」
「…………マジで!?」
 フレアは振り返って、僕たちに言った。
「ごめん、やっぱりこいつどうしても放っておけなくて。みんなとはまた今度、ってことでいいかな」
 その後ろで、ザームは握りこぶしの親指を立て、八重歯を白く光らせている。一体僕たちに何をアピールしているんだ?
 それを見たアイリーが、僕の隣で小さくうなずいていたけど。アイリーにはわかったのかな。
 フレアはザームと二人で『門』へと消えていった。

「あっ」
 アミカが小さな声を上げた。指を空中で滑らせている。
「アミカ、ナオからメッセージきちゃった。用事があるからあいたいんだって。いってくるね」
「う、うん、行っておいで」
 アミカも『門』に乗り、姿を消した。

 アイリーとシェレラが残った。
「じゃあ、この三人で遊ぼうか。意外と久しぶりだよな、このメンバーで遊ぶのって」
 テストプレイの頃なんかはこの三人で遊ぶのが当たり前だったけど、その後はめっきり減ってしまった。なんだか懐かしい。
「お兄ちゃん、私ね、剣士ってすごいなって思ったの」
「な、なんだよアイリー、急に」
 アイリーが褒めてくるなんて、ろくなことが起きないような気がするけど――。
「洞窟で狼の魔獣に襲われたでしょ? お兄ちゃんがいなくなった後、MPが尽きちゃって回復するの待たなきゃならなかったの。でも剣士ならMP必要ないし、きっと戦闘が長引くこともなくて、すぐにフィセを救い出せたのかもって思って」
 そういうことか。
「でも、あれだけの大群だったんだから、さすがに剣士が一人いたところで」
「とにかく! 剣士はすごいなって思ったの! だから!」
 ひょっとして……剣を習いたいとか? ハルナみたいに?
 アイリーの後方で、『門』が光った。
「アイリー、久しぶり」
 現れたのは、上から下まで赤で統一した、大剣を背負った女の子。
「今日はレイちゃんと遊ぶことにしたの」
「あ……そ、そうなのか」
「じゃね、お兄ちゃん。晩ご飯忘れないでね」
「う、うん、わかった」
 アイリーはレイと一緒に、どこかへと去っていった。

 シェレラと、二人きりになった。
 シェレラと二人きりで遊んだことって、確かにないんだよな。せいぜい工房にお邪魔したりとか、他のメンバーがログインするのを待っている間とか、それくらいだ。
「シェレラ、その……、どうする? 一緒に遊ぼうか?」
 シェレラは僕の目をじっと見つめた。
 僕も、シェレラの目を見つめている。
 この水色の両眼が、いつも僕の心を見透かす。
 そうしていつも僕を助けてくれて、僕を支えてくれて、僕を励ましてくれて、僕の心を落ち着かせてくれて……。
 シェレラの白く柔らかい手が、僕の手を握った。
 心臓が鼓動を早める。
 なんで?
 ただの幼なじみだろ。
 それ以上でも、それ以下でもない。それなのに……。
 握られた手が、シェレラの大きな胸に近づいていく。
「一緒に遊ぶ?」
 シェレラはいつものように優しく微笑んだ。
 柔らかい膨らみに埋もれそうになった手を、慌てて引っこ抜いた。
「遊ばない! やっぱり遊ばない!」
 シェレラにはこれがあった!
「遊ぶって言った!」
「言ったけど撤回する。言ってない。言ってないから」
「ほら、遠慮しないで」
 シェレラは胸の布地をずらした。
「やめてシェレラ! 人前でそういうこと!」
「じゃあ人のいない場所に」
「そういうことじゃない! そ、そうだ、アクセサリーの注文が入ってるんじゃないのか? 忙しいんだろシェレラってさ、そ、そうだろ?」
 シェレラの動きが、パタリと止まった。
「……そうだった。アクセサリー作らなきゃ」
 そう言うと、シェレラは挨拶も何もなく、いきなり工房がある方角へと走っていった。

 それを見届けた僕は、ぽつんと一人で立っていた。
 さっきまであんなに騒がしかったのに、今は誰もいない。
「――僕も、どこかに一人旅に出ようかな」
 もっと成長しなくちゃ、と、なんとなく思った。

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