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第七章 再会と別れ

 巨大すぎる。
 前に来た時に戦った、棘と触手だらけの犬の魔獣も、とんでもなく大きかった。でもこいつは、それよりも大きい。
 爬虫類系の魔獣らしく、どす黒い巨体を腹ばいのまま左右にくねらせて動こうとする。でもその巨体のせいなのか、あるいは目覚めたばかりだからなのか、動きは鈍い。
「シェレラ、防護壁(シールド)を解除してくれ。攻めるなら今だ」
「うん、わかった」
「ちょっとリッキ! 本気なの?」
 フレアが僕の腕を掴む。
「あんなのと戦って勝てるわけないじゃない! 私たちの目的はフィセを救い出すことよ。もう目的は果たせたわ。なんとか逃げて森に帰ればいいじゃない」
「こんなのを野放しにしたまま帰るなんてできないって。このままにしておいたら、いつかハムクプトの森や、他の村や町を襲うことになってしまうだろ? きっと、こいつを倒すことまでが、『呼ばれた』理由なんだよ」
 僕はそっとフレアの手を振りほどいた。
「じゃあ、行ってくるから」
 振動が収まった地面を、僕は歩き出した。
 アイリーとシェレラも、僕に続いた。その後ろをアミカがついてくる。
「……『行ってくる』って、どういうことなのよ。冗談じゃないわ。私と一緒に戦おうとしないなんて」
 最後に、フレアもついて来てくれた。

「どうやって攻撃しようか」
「そんなの、どどーんって爆発させればいいじゃん」
 魔獣の動きは緩慢で、僕たちに話す余裕を与えてくれる。
「そもそもアイリーはそれしかないだろ」
「お兄ちゃんだって剣で攻撃するしかないじゃん」
「それはそうだけどさ、でもあいつの皮膚、硬そうだし」
 石垣のような鱗に覆われている魔獣の体に、はたして剣が通用するだろうか。
「そうだ! お兄ちゃんさ、一旦食べられてみたら? 体の内側からなら斬れるかもしれないよ?」
「バカなこと言うなよ!」
「そうね、その必要はなさそうよ」
 シェレラは顔の前にかざした手を振り下ろした。<分析>のスキルを使う動作だ。
「あの魔獣、弱点は角みたいだから」
 わかりやすい弱点だ。これなら戦える。頭の上に乗ってしまえばいいんだ。動きはゆるい魔獣だし、何より攻撃される心配がない。
 僕は一歩踏み出した。
 その瞬間。
 魔獣の目が、ギロリと動いた。縦長の黒い瞳が、僕を睨む。
 人を丸呑みできるほどの大きな口が、開いた。
「待て、食べるな! 食べなくていいから!」
 踏み出した一歩を、僕は引いた。
「そんなことより吠えないで!」
 フレアがネコ耳を手で覆った。そんなことよりって、ちょっと酷い。
 アイリーが杖を、アミカが弓を構え、戦闘態勢に入る。
 魔獣は、大きく息を吐いた。
 僕たちにではなく、地面に叩きつけるように。
 その反動で、魔獣の頭が持ち上がった。あっという間に見上げるほどの高さになる。それにつられて起き上がる上半身。手は地面についたまま、肩の高さに合わせて腕が伸びていく。
 そしてついに、魔獣は二本の足で直立した。
 一見、肉食恐竜のようだ。でも、肩からだらりと垂れ下がった腕が、地面に届きそうなところまで伸びている。こんな生き物、魔獣でなければありえない。
 これが本来の姿なのか。弱点が角というのも納得だ。これじゃ届きようがない。
 僕は魔獣の頭を見上げた。
「アイリー、どどーんってやってくれよ」
「あんな高さ、簡単には当たらないって」
 それでもアイリーは炎の玉を放った。魔獣の頭に近づいていく。それを見た魔獣は、また口を大きく開けた。
 まさか、炎の玉を食べる気か?
 そうではなかった。魔獣の大きな口から、強烈な風が吐き出された。炎の玉は風の息の勢いに圧され、空中で止まった。そしてせめぎ合いに負けた炎の玉はちりぢりに分裂し、消滅してしまった。
「……………………」
「お兄ちゃん! 何ぽかんと口開けてるの! 魔獣のマネ? そんなことしてないで、他になんかいい方法ないの?」
「ないよ! アイリーも考えろよ!」
「考えろって言われたって!」
「アミカがやる」
 弓を構えたアミカが、ギリギリまで引き絞った弦から手を離した。光の矢が一直線に魔獣の頭に向かって――。
 魔獣がだらりと垂れ下がった腕を一振りすると、光の矢は弾き飛ばされてしまった。折れ曲がった光の矢がヒビ割れた地面に刺さり、そのまま消滅する。
 フレアはシャボン玉を飛ばした。が、やはり魔獣が大きすぎて、頭の高さまでシャボン玉が飛ばない。途中で弾け、石垣のような鱗の小さな欠片がパラパラと落ちてきただけだった。
 攻撃手段は……ないのか?
 魔獣は長い両腕を振り回した。鋭い爪が生え揃った巨大な手が、振り子となって僕たちを襲う。それに加えて大木のような両足が僕たちの行く手を遮り、踏み潰そうとする。それを回避しても安心できない。長く太い尻尾が、砂煙を上げながらなぎ払いにくる。一撃食らえば致命傷だというのに、三種類の違うパターンの攻撃が同時にやってくる。とにかく距離を取って、安全に、確実に戦うしかない。
 振り返ると、洞窟の入口でヴィッドとフィセが不安そうに僕たちを見ている。この二人を無事に村に帰すためにも、僕たちは負けることができない。
「リッキ、あのつの、ひらいしんみたい」
 魔獣の攻撃から逃げ回りながら、アミカが空を見上げた。
 避雷針? そうか!
「アミカ、やってみるよ」
「わかった。頼むよアミカ」
「お兄ちゃん! アミカに無理させないで!」
 僕とは離れた場所にいたアイリーが、大声で叫ぶ。
「さっき洞窟に入っていく前に、ここで狼の魔獣と戦っていたの。その時に魔獣の数が多すぎて、アミカが炎の雨を降らせまくったおかげでやっと倒せたのよ」
 僕の知らないところで、そんな大きな戦闘をやっていたのか。
「でもアミカやるよ。まだMPあるし」
「アミカ、他の方法を考えよう」
 いくらMPがあるからって、こんな小さな体で大きな魔法を連発したら負担がかかるに決まっている。
 でもアミカは呪文の詠唱を始めてしまった。
 こうなったら賭けるしかない。
 僕は魔獣の攻撃を食らわないようにアミカを誘導しながら、呪文の詠唱が終わるのを待った。
 意外と早めに、アミカが右手を上げた。人差し指の指輪が、金色に輝く。
 その直後。
 朝焼けの真っ赤な空を切り裂いて、魔獣の角に稲妻が落ちた。轟音が鼓膜を震わせる。
 魔獣は空に向けて重低音の悲鳴を放ち、黒い煙を吐いた。
 長い腕も、太い足も、尻尾も、動きを止めた。
 僕の背中で、アミカが荒い息をしている。
「リッキ……」
 僕が振り向くと同時に、アミカは気を失ってしまった。地面に倒れ込みそうになるのを、直前で受け止める。
「ありがとう、アミカ。ゆっくり休んでて」
 僕はアミカを抱きかかえ、ヴィッドとフィセの元へ連れていった。地面にアミカを寝かせる。
「ちょっと疲れてしまっただけだから、心配ないよ。戦闘が終わるまで、看ていてほしい」
「戦闘は終わったのではないのか? あの魔獣はもう動かないようだが……」
「いや、足りなかった」
 動きを止めた魔獣にアイリーは炎の玉を飛ばし、フレアはパチンコでピッパムをぶつけている。でも頭には届かず、肩や胴体の鱗を少し砕く程度だ。魔獣のHPはオレンジに近いとはいえまだ黄色。アミカの魔法を持ってしても、仕留めるには程遠かった。
「本当は、アミカはもっと強烈な雷を落としたかったはずなんだ。でも自分の体の限界を考えて呪文の詠唱を短めにしたぶん、弱い雷になってしまったんだ」
 アミカはすうすうと小さな寝息を立てている。
「アミカは全力を出し尽くしてくれた。今度は僕の番だ。ヴィッドもフィセも、もう少し待ってて」
 僕は再び、戦場へと足を進めた。

 魔獣はまだ動いていない。
 僕は、攻撃を続けているアイリーとフレアに言った。
「今のうちに、背中をよじ登って頭の上に行って、角を折ってくるよ。僕にできるのはそれくらいだし、僕にしかできないし」
「そんな! 無理よリッキ、考え直して! 仮想世界じゃないのよ、ここは。危険すぎるって」
「うん、任せた。行ってきて」
 二人は正反対の答えを返した。
「アイリー! 正気なの? そんなこと言って」
「大丈夫だって。お兄ちゃんだもん」
「……どうしてそんな平気な顔して、簡単にそんなこと言えるの? もし何かあったら」
「その時はシェレラが助けてくれるって」
 フレアは後ろを振り向いた。その先では、シェレラが僕に向けて手を振っている。
「いってらっしゃ~い。あたしまだ何もしていないから、いっぱいケガしてきてね」
「シェレラまで! もし取り返しのつかないことになったらどうするのよ!」
「これでいいんだって。シェレラはよく言うんだ、こういうこと。回復が専門だってのに、出番がないとふてくされちゃうんだよ」
 僕はできるだけ穏やかな口調で、フレアに説明した。
「じゃあ行ってくるから」
 僕もシェレラに手を振った。そして前に向き直し、魔獣に近づいていった。

 背中には突起が一列に並んでいて、よじ登るには好都合だ。
 尻尾から登り始めて、わりと簡単に足の付け根の辺りまで来た。これならあっさり頭まで登れるんじゃないか?
 下を見ると、アイリーが飛び跳ねながら僕に手を振っている。もう十メートルくらい登ったのかな。三人ともだいぶ小さく見える。フレアはたぶん、この中で一番不安がっている。シェレラは何も考えていないか、僕が想像できないようなことを考えているか、どっちかだ。そもそも僕のほうを向いていないし。
 よし、このままさっさと頭まで行ってしまおう。
 突起に手をかけ、また少し登った。
 その時だった。
 魔獣の首が、動いた。
 魔獣はアイリーたちに向けてワニのような口を大きく開いた。
 同時に、顔の真横についた目は、僕を睨んでいる。
 地上がどうなっているか、気になって仕方がない。
 でも、僕はこの縦長の黒い瞳から、目を離せない。
 突起を掴む手が、汗をかく。
 どうする?
 このまま背中に留まっていたって、どうにもならない。
 引き返したってしょうがない。こいつを倒すためには、登るしかない。
 震える足を突起に引っ掛け、震える手を前に出す。
 大きく開いた魔獣の口が、地上に向けて重低音を放った。
 魔獣の体から直接、内臓が揺さぶれるような振動が伝わってくる。
 地上の様子が気になるけど、それどころではない。
 耐えろ。耐えるんだ。絶対に手を離しちゃダメだ。
 振動が収まった。
 よし、進もう。
 膝を曲げ、腕を伸ばし、魔獣の頭を目指す。

 ――パンッ

 だらりと垂れ下がった魔獣の手が、まるで小さな虫でも払いのけるかのように、僕を空中に放り出した。
 ええと、こういう時、どうすればいいんだっけ?
 違った。どうすることも、できないんだ。
 僕は、ただ、落ちていった。

 強烈な風が、下から僕を押し返した。体が落ちるスピードが途端に遅くなる。僕はゆっくりと、空気でできたクッションに沈み込んでいく。
 ふわり、と足から着地した。毎朝ベッドから降りる時と同じ感覚だ。同時に風が収まり、僕はすぐに走った。理由は二つ。一つは魔獣から距離を取るため、そしてもう一つは、
「ありがとう、助かったよ」
 風を起こしてくれたシェレラに、お礼を言うためだ。
「やっとあたしの出番がきた」
 シェレラはいつにも増して笑顔が輝いている。
「さあもう一回行ってきて。遠慮しないで、百回でも千回でも行ってきて」
「ちょっとシェレラ! あんた、リッキをあんな危険な目に遭わせて平気なの?」
 割って入ったフレアを、シェレラは不思議そうに見ている。
「でも、あたしが風を起こせばいいんだし、回復だってするし」
「そういう問題じゃないの!」
「まあまあ、喧嘩しないで、落ち着いて」
 今度は僕がシェレラとフレアの間に割って入った。
 動き出した魔獣は、僕たちを攻撃してはこなかった。逆に僕たちに背を向け、洞窟とは反対の方向へ歩いて行く。まるで僕たちから逃げているかのようだ。それだけアミカの攻撃が効いたという実感を持っているのかもしれない。
「シェレラ、ごめん、あいつが動き出してしまったからには、僕には無理そうだ」
「むぅ~~っ」
 シェレラはふくれっ面をして僕を睨んだ。そして今度は醒めた目でフレアを見て、にんまりと微笑んだ。
「誰かさんがいればよかったのにね。高いところもひとっ飛びだし」
「なっ、何よ。ザームがいないのを私のせいにする気?」
「あたしザームなんて言ってないけど?」
「ちょ、ちょっとやめろって二人とも! 今はそんな時じゃ――」

 何かの動物の鳴き声が、空に響き渡った。

 魔獣の重低音とは正反対の、甲高い声。
 僕は聞いたことがある。
 どこか幼さを持ちながらも、強く気高く、そして怒りを含んだこの鳴き声を。

 空を見渡すと、鳥のような影を一つ見つけた。甲高い鳴き声が大きくなるとともに、その影も大きくなっていく。
「リッキ、何、この鳴き声? 新しい敵?」
「違うよ」
 怯えるフレアに、僕は静かに伝えた。
「敵なんてとんでもない。この戦闘を勝利に導く、大事な友達だよ」
 ついに、その姿が見えてきた。
 真っ赤な朝日に照らされて、赤い体がさらに赤くなっている。いや、それだけではない。怒りによって紅潮した、内側から発せられる赤さもあるはずだ。

 懐かしい赤い飛竜が、僕たちの前に舞い降りようとしている。
「まさかまた、リュンタルに来ていたなんてな」
 懐かしい、飛竜の飼い主の声だ。
 飛竜が着地した。その上には赤い瞳をした、小さな体の少年。あちこちに撥ねた緑色の髪の毛も、相変わらずだ。
「ヴェンクー! どうしてここがわかったんだ?」
「ジザが勝手に飛んできただけだ」
 赤いドラゴンから降りたヴェンクーを、みんなで取り囲む。
 でもヴェンクーは、再会の感動に浸ったりなんかしなかった。
「あいつは何なんだ?」
 巨大な魔獣を見上げる。
「詳しい話は後だ。あいつの弱点は角だ。僕たちをジザに乗せてくれ。上から攻撃する」
「わかった。乗ってくれ」
 ジザから降りたばかりのヴェンクーが、またジザに乗った。僕もそれに続く。
「え、の、乗る? 乗るって?」
「ほら、早く乗って」
 初めてドラゴンを見たフレアは戸惑っていたけど、アイリーに背中を叩かれ、押し上げられるようにジザに乗った。

「すごい! 飛んでる! 気持ちいい!」
 ジザの背中の上で、フレアは魔獣を見下ろしながら飛び跳ねている。
「フレア、ダメだって。そんなに騒いじゃ。ちゃんと座って」
「でも! 楽しくって!」
「楽しむために飛んでるんじゃないからさ」
「わかってるけど!」
「リッキ、そいつも」
 ヴェンクーは体は前に向けたまま、顔だけ振り向いた。
「その人も、カソウセカイから来たのか? ちゃんと戦えるのか?」
「そいつ」って言ったのを「その人」に言い直した。ヴェンクー、成長してる。
「ああ、心配するより楽しみにしておいたほうがいい。フレアはヴェンクーが見たこともないような攻撃ばかり見せてくれるさ」
「何よ。楽しんじゃダメだって言ったばっかりのくせに。……まあいいわ。せっかくリッキがそう言ってくれたんだから、十分楽しませてあげるわ!」
 フレアはパチンコを魔獣に向けた。二股の枝の間に張られた網を大きくしなり、眩しく光る。手を離すと、ピッパムは眼下を歩く魔獣の頭に一直線に飛んでいった。ちょうど角の付け根の部分に当たり、爆発した。轟音が鳴り響き、魔獣の歩みが止まる。
 しかし、それは一瞬だった。爆発の煙と轟音をその場に残し、魔獣は再び歩き出した。
「なんなの? あそこが弱点なんじゃないの?」
 フレアは繰り返しピッパムを飛ばし、爆発させ続ける。それでも魔獣の歩みは止まらない。アイリーも炎の玉を飛ばして爆発させたけど、頭の鱗が削れる程度で、あまり効果がないようだ。
 このまま魔獣がこの方向に歩き続けたら、いずれはハムクプトの森に突っ込んでしまう。
 僕はたまらずシェレラに訊いた。
「シェレラ、どうなっているんだ? 効果がないじゃないか。<分析>が間違っているのか?」
「あたし氷雪系が効くと思うんだけど」
「氷雪系? それも<分析>でわかったの?」
「そうじゃないけど、でも、そうでしょ?」
「はいはい。氷雪系ね」
 フレアがピッパムを飛ばす手を止めた。
「本当、あんたとは相性最悪。先に気づけなかったことが悔しくてしょうがないわ」
 パチンコをしまい、フレアは新しいアイテムを取り出した。
「フレア、それで攻撃するの?」
「そうよ」
 平然と僕の質問に答えてくれたけど、フレアが手にしているアイテムは、どう見ても……普通の霧吹きだ。
 一体、霧吹きなんかでどんな攻撃をするっていうんだ?
 フレアは霧吹きのポンプを動かした。吹き出し口から霧が発射される。ごく普通の使い方だ。とても攻撃しているようには見えない。
「フレア、一体何を」
「いいから見ていて」
 フレアは霧を吹き続けた。すると霧は次第にまとまり、濃い白になっていく。ついに霧は雲へと姿を変えた。そして魔獣の頭上を漂いながら、その重さに耐えきれなくなったかのように、大粒の雪を降らし始めた。
 魔獣が歩くと、頭上の雲もついて行く。
 決して吹雪くことはなく、ただ静かにしんしんと、重そうな雪が絶え間なく降り続く。
 どす黒い色をした魔獣の頭や背中に、瞬く間に真っ白い雪が厚く積もっていき、それとともに、魔獣の歩く速度がだんだん遅くなっていった。
「魔獣といえどもやっぱり爬虫類ね。温度を下げると動かなくなる」
 そうか、氷雪系が効くってのはそういうことだったのか。僕はアイリーと顔を見合わせ、うなずいた。
「ヴェンクー、今のわかった?」
 アイリーがヴェンクーの背中に問いかける。
「わかってるさ。あいつは寒がりなんだろ?」
 ヴェンクーは振り向くことなく、手綱を持って前を向いたまま答えた。ということは、実際はあまりわかっていないのかもしれない。
「今度は足元から攻めるわ。一旦降りたいんだけど、いいかな」
「それならあたしが降ろしてあげる」
 フレアは当然ヴェンクーに言ったんだけど、答えたのはシェレラだった。
「い……嫌よ! 私あんなの嫌。普通に降りたい」
「大丈夫。あたし失敗したことないから」
 僕が魔獣の背中から落ちた時のように、シェレラは風をクッションにしてフレアを降ろすつもりなのだ。でもフレアはそれを嫌がっている。もしかしたら、高い所から落ちるのがトラウマになっているのかもしれない。
「降りたいんだったら着地するぞ? どうするんだ?」
 ヴェンクーが振り向いてフレアに確認する。
「お願い。着地して」
「でも、ちょっと雲が小さくなってきているみたいだけど? 誰かがここで霧吹きをしていなきゃダメなんじゃない?」
「……本っ当に、あんたの言うことがいちいち的確で頭にくるわ」
 フレアはシェレラを睨みつけた。
「リッキ、これ、受け取って」
 シェレラから目を逸らさず、フレアは霧吹きを持った手を僕に伸ばした。僕が霧吹きを受け取ると、
「……仮想世界じゃないのよ? ここは」
「わかってる」
 返事を聞いて、さらにシェレラを数秒間睨み続け、そしてフレアは立ち上がり、シェレラに背を向けた。
「おい、ちょっと待っ――」
 驚いたヴェンクーが片腕を伸ばす。が、それに構わずフレアはジザの背中を蹴った。
 フレアは、自らの体を宙に投げ出した。
 すぐにシェレラも立ち上がり、両腕を下に向けて伸ばした。
「はッ!」
 気合の入った声。
 直後、地面に猛烈な風が渦巻き、砂塵を吹き飛ばした。
 吹き上がった風が、フレアを支える。落下速度が遅くなったフレアは体勢を整え、ふわりと足から着地した。
 大丈夫だとはわかっていても、無事に着地したのを見届け、ほっと安心する。
「リッキ、霧吹き!」
「ああっ、そうだった」
 シェレラに一喝され、自分の役割を思い出す。
 一回り小さくなってしまった雲を見ながら、僕は必死で霧を吹いた。
「……………………」
「どうしたの、ヴェンクー」
「…………いや、な、なんでもない」
 ヴェンクーは下を見たままぽかんと口を開けていたけど、アイリーにその顔を見られて恥ずかしくなったようだ。少しだけ顔を赤らめた後、手綱を両手でしっかりと握り直し、また前を向いた。
 フレアは魔獣の進路に先回りして、何かを地面に撒き始めた。地面に変化はなく、上空にいる僕からでは何を撒いているのかよくわからない。
 雪のせいで動きが遅くなっている魔獣が、ゆっくりと、その場所に足を踏み入れた。
 その瞬間、地面から何かが伸びてきた。白く透き通った細長いものが、魔獣の太い足や垂れ下がった腕に巻きついていく。
 これは……氷でできた蔓だ。
 魔獣は氷の蔓を引きちぎりながら歩いて行く。しかし一歩踏み出すごとに新しく氷の蔓が生えてきて、魔獣の足や腕を絡め取っていく。
 僕の隣で、アイリーが指を動かした。
「フレアからトレードが来たよ」
 アイリーは送られてきたアイテムを手に取った。さっきまでフレアが使っていたパチンコと、白い色をした見慣れない木の実だ。
「とりあえず打ってみよっか」
 アイリーはパチンコの網を思い切り引き、木の実を放った。木の実は動きが鈍っている魔獣に向かって一直線に飛んでいく。そして魔獣の首筋に当たった瞬間、木の実は爆発した。
 アイリーの爆裂魔法に匹敵する、強烈な白い爆弾だ。低い爆音とともに氷の破片が飛び散り、もうもうと真っ白い煙が上がった。いや、これは煙ではなくて雪だ。パウダー状の雪が舞い上がり、魔獣の顔を隠している。
「お兄ちゃん、これいけるよ!」
 アイリーはまた木の実を放ち、白い爆発を起こした。僕も霧を吹き続けた。大きさを取り戻した雲が、魔獣の頭上で重苦しい雪を降らせている。そして地面から生えた氷の蔓は何重にも魔獣の足や腕、尻尾に絡みつき、ついに魔獣は前に進むことができなくなった。
 地面に縫いつけられた魔獣の体に、アイリーは木の実を放ち続けた。爆発した氷の破片が鱗の隙間に突き刺さり、流れた血が雪や氷を赤く染めた。
 低い爆音と雪の煙の中で、魔獣は吠えた。重低音が天を衝く。しかしあの強烈に内臓が揺さぶられるような強さは、もうない。
 ついに魔獣の全身が動きを止めた。アイリーは容赦なく魔獣の頭に白い木の実を放ち続ける。頑丈な鱗はめくれ上がり、雲が降らせた雪が積もり、木の実の爆発で鱗と雪が吹き飛び、血を流す地肌に新しい雪が積もり、赤く染まった。
「どうしようお兄ちゃん、もう木の実がないんだけど。フレア、まだ持ってるかな」
 アイリーがパチンコに張られた網を指先でいじっている。
「いや、もう十分だろ。ここまでやれば」
 僕が持つ霧吹きも、中身が空っぽになった。でももうこれ以上は必要なさそうだ。
 魔獣からは、再び動き出す気配が全く感じられない。
 額から突き出た角は、白く凍りついている。
「今なら頭に乗れそうだな。角も脆くなっているかもしれない。ヴェンクー、もっと近づけてくれないか」
「わかった」
 魔獣にぶつかりそうな距離まで、ジザが近づく。
「動かない敵なんて、リッキなら倒せて当たり前だな」
「まあね」
 僕は立ち上がった。
「でも、この状況を作れたのは、ヴェンクーのおかげだ」
「オレじゃない。ジザだ。それと、リッキの仲間が一緒に戦ったからだろ」
「ああ、そうだな。でも、ヴェンクーだって僕の仲間だけどな」
 魔獣のワニのような頭の上を、ジザが通った。僕はジザから飛び降り、赤い雪が積もった魔獣の頭を踏みしめた。頭上の雲は小さくなったけどまだ残っていて、僕の体にも雪が降る。
 白く凍った魔獣の角は、僕の体よりも大きかった。思わず先端を見上げ、そこから視線を下ろしていった。
 角の根元まで視線を下ろした時、僕は迷わずそこを剣で突いた。さすがに一撃では無理だったけど、少し削れ、ヒビが入った。二度、三度、同じ場所を突いた。するとヒビは角の先まで走った。
 あと少しだ。
 僕は何度も何度も同じ場所を突いた。角の根元は抉れ、ヒビはより細かく角全体に行き渡った。
 そして、ついに――。
 細身の長剣が、角を貫いた。
 角の先端が、ポロポロと崩れ落ちる。
 最初は小さい欠片が少し落ちただけだったけど、次第に大きく崩れ出し、ついに角全体が完全に崩れ落ちた。
 魔獣のHPがゼロになったのを確認する。
 戦いは、終わった。

   ◇ ◇ ◇

 魔獣を倒した後、僕たちは洞窟に戻ってきた。そして洞窟の中で気絶していた悪者たちと魔獣使いを縛り上げ、外まで連れ出した。フレアに針を刺されて無理やり起こされて歩かされ、また針を刺されて眠らされている。ひどい扱いではあるけど、同情の余地はない。

 この時ちょっと騒がしくしてしまったからだろうか。眠っていたアミカが目を覚ました。
「……あ、リッキ、おはよう」
「おはよう、アミカ」
「……………………?」
 体を起こしたアミカは首を傾げ、寝ぼけ眼で辺りを見た。
 途端に、アミカの顔に緊張が走った。
「ア、アミカ、たたかわなきゃ」
「大丈夫。もう全部終わったよ」
「でも、あ、あれ」
 アミカは震える腕を伸ばして、その先にある巨大なものを指差した。
 そこに、緑色の髪が撥ねまくった、赤い瞳の少年が割り込んできた。
「起きたか? お前、すごい魔法使うんだってな。オレも見てみたかったな」
「…………だれ?」
 指差した対象が、自動的に少年に変わった。
「僕がいない間にアイリーが話をしたらしいけど、こいつがヴェンクーだよ。それと、あれはジザ。ヴェンクーが乗っているドラゴンだよ」
 アミカが魔獣と勘違いしたのはジザだった。アミカは戦闘が終わったのを知らなかったし、初めて見たドラゴンを魔獣と勘違いしたとしてもおかしくはない。
「ヴェンクー……、ちっちゃいね」
 ああっ、ヴェンクーにちっちゃいなんて言っちゃダメだ。でもアミカだって小さいんだし、言っても大丈夫なのか? ええと……。
「なんだよリッキ、そんな気まずそうな顔して」
 うわっ、バレた?
「オレはもう、体が小さいことなんて全然気にしていないんだ。そりゃあ、旅の途中で嫌なこともあったけど、それでもオレはこの体でいいと思っているんだ」
「そ、そうなのか。だったらいいんだけど」
 ヴェンクーには婚約者のユスフィエがいる。体が小さいからこそ頑張っているヴェンクーが好きだと言った、ヴェンクー同様に体の小さい、旅の商人の娘だ。今はお互い旅をしていて会えないけど、想いは通じたままなんだ。
 婚約者、か……。

   ◇ ◇ ◇

 ヴェンクーは悪者たちを罪人として近くのお城に突き出すつもりだったけど、ヴィッドがそれを止めた。
 ニローク人の存在が、外に漏れてしまうかもしれないからだ。
 ヴィッドはポケットから小さな瓶を取り出した。
「これは忘却の水と言って、飲むと記憶がなくなってしまう。万が一ニローク人が存在を知られてしまった時に使う秘薬だ」
 そう言えば最初にフレアと話した時に、ヴィッドは「忘却の水を飲んでニローク人であることを忘れてしまったのか?」ってことを言っていたな。
「すべての記憶を奪うつもりはない。ただニローク人のことを忘れてくれさえすればいい」
 そう言って、ヴィッドは眠っている悪者たちの口に一滴ずつ、忘却の水を垂らした。
「これでいい。あとは、帰るだけだ」

   ◇ ◇ ◇

 僕たちはジザに乗ってハムクプトの森に向かっている。
 みんなリラックスしている。フィセはヴィッドに寄り添ってサンドイッチを食べている。救出した直後とは大違いの笑顔で、おいしいおいしいと言いながらまた次のサンドイッチに手を伸ばしている。
 僕も鎧と剣の装備を解いてくつろいでいる。アミカはまだちょっと疲れているのか、シェレラの膝枕で寝息を立て始めた。アイリーはヴェンクーの旅の様子が気になったようで、どんなことがあったのかいろいろ訊いている。フレアもヴェンクーの話に興味津々だ。

 さっきまで戦っていた魔獣が、眼下でまだ立っている。角が砕け、HPがゼロになっても、氷の蔓がまだ太い足や垂れ下がる腕に絡みついていて、倒れることを赦していない。ただ、このまま立っているにしても、倒れるにしても、明日の朝日が昇れば消滅してしまう運命だ。
 この巨大な魔獣がなぜこの荒れ地の地下にいたのかはわからない。たまたま眠っていたのかもしれないし、魔獣使いが育て上げたのかもしれない。いずれにしても魔獣にとっては不幸な結果しか待っていなかった。どんな理由で存在していたとしても、僕たちには殺す以外に選択肢がなかったんだから。

「ところでさ、どうしてここがわかったの?」
 ヴェンクーから旅の話を聞いていたアイリーが質問した。
「昨日の夜、急にジザが鳴き出したんだ。全然鳴き止まないからなだめていたら今度は飛び立ってしまって、そのまま夜の間ずっとここに向かって飛んでいたんだ。オレは何もしていない。ジザの意思で、ここに来たんだ」
 僕は、前にこの世界に来た時、お父さんがドラゴンに乗って現れたのを思い出していた。お父さんが乗ってきたドラゴンのジンヴィオは、主であるフォスミロスがどこにいるのかわかっていて、迷うことなく合流することができた。もしかしたら、ドラゴンには人の居場所がわかる特殊な能力が備わっているのかもしれない。
「それより、フレア」
「うん、何?」
「オレ、大抵の敵とは戦って勝つ自信あるけど、フレアと戦ったら勝てないかもしれない」
「な、何よ急に。ヴェンクーのことはリッキから聞いたわ。相当強いらしいじゃない。それに私は敵じゃないし」
「いやその、敵ってのはそういう意味じゃなくて、オレ、フレアみたいな攻撃方法初めて見たからさ。驚いたんだ。剣でも魔法でもない、こんな攻撃があるのかって。自分なりに対策を考えてみたけど、まだ答えが出ない。今のオレがあんな攻撃されたら勝てないだろうなって思ったんだ。
 旅を続けていれば、いつかあんな攻撃をする敵と出くわすことがあるかもしれない。その時のために、今日見たことを生かしたいんだ。フレアがリッキの仲間にいて、オレは幸運だった」
「そ、そお? なんか照れるわね。あ、ひょっとして、耳、触りたいの? でもダメだからね」
「耳? ……なんで耳を触りたがるんだ?」
「……なんでもないわよ」
 フレアはちょっと恥ずかしそうな、それでいて苦い顔を見せた。
 アイリーが僕のそばに寄ってきて、耳元で囁いた。
「……あのヴェンクー、ほんとにヴェンクー?」
「うん……、ほんとに、ヴェンクーだろ」
 アイリーが言いたいことは、十分わかる。僕たちが知っているヴェンクーは、もっと見た目通りの子供で、精神的に幼く、考えが足りないやつだった。たまにはちゃんとしたことも言うけど、そうでない時のほうが圧倒的に多かった。
 でも、今のヴェンクーは、違う。全体的に大人だ。一人で旅に出て、もう四ヶ月が過ぎた。何か得るものがあったのだろう。
 もっとも、フレアが使ったアイテムはすべてFoMのものだ。リュンタルでこんな敵と遭遇する心配はしなくてもいいだろう。
「やっぱり、ヴェンクーにはユスフィエがいるからかな。お兄ちゃんもなんとかしなきゃ」
「そっちか!?」
 それも……、あるだろうけど。
「そっちってどっちよ。他に何があるのよ」
「あるだろ! 一人旅で成長したとか!」
「あー、なるほどね。お兄ちゃん旅行とか興味ないもんね」
 本気で言っているのか、僕をからかっているのか、よくわからない言い方だった。

   ◇ ◇ ◇

 ハムクプトの森の入口に、ジザは着地した。
「オレはここまでだ。旅の途中だしな」
「ええっ、もうちょっと一緒にいようよ。もっと旅の話聞きたいよ」
 アイリーがヴェンクーとの別れを惜しむ。
「お母さんがね、ヴェンクーが元気にしているかどうか心配していたの。私、いっぱいヴェンクーのことを話したいから、もっと旅のこと聞かせて?」
「心配はいらないさ。ちゃんと旅を続けているって伝えてくれよ。それに、もう会えないと思っていたのに、また会えたんだ。だから、きっとまた会えるだろ。その時に話をすればいい……そうだ、これを渡しておく。こないだ手に入れたんだ」
 ヴェンクーはポケットに手を入れ、アイテムを取り出した。
「このベルは、たとえどんなに離れていても」
「あー! これ、お父さん持ってるやつじゃん!」
 ヴェンクーが手にしている二つの小さなベルを見て、アイリーが叫んだ。僕も覚えている。お母さん扮するイシュファがお父さんを呼びつける時に使った、一方のベルを鳴らすと連動してもう一方のベルも鳴るという、あのアイテムだ。
「そうか、コーヤも持っているのか」
「うん、ちょっと鳴らしてみてよ」
 ヴェンクーはベルをつまんで振った。
 ――チリリリ チリリリ
「ほら、同じ音色!」
 このアイテム、実在していたのか。ゲームとしてのただの便利グッズだと思ってた……。
「だったら説明はいらないな。今度こっちに来た時、鳴らしてくれよ。いつもジザと一緒にいられればいいけど、街の中とか、そうじゃないときもあるしな」
 ヴェンクーはベルを一つ差し出した。
「お兄ちゃん、受け取って」
「アイリーじゃなくていいのか? ……じゃあ、僕がもらっておくよ」
 疑問に思いつつも、ベルを受け取った。
「私は困った時は誰にでも話しかけて助けてもらうけど、お兄ちゃんそういうの無理そうだから、ヴェンクーを頼るしかないでしょ」
「そういうことかよ!」
 まあでも、当たっていなくもないのが辛い。
「じゃあな、またいつか会おう!」
 ヴェンクーはさっさとジザに乗ると、どこかへと飛び立っていった。

   ◇ ◇ ◇

 森から出た時と同じ場所を通って、森の奥へと入っていく。
(ゲート)』は、来たときと同じ場所に、変わらず残っていた。
 ここで、お別れだ。
「本当に、本当にありがとう。このことは絶対に忘れない。どんなに感謝しても感謝しきれるものではない」
「みんな、ありがとう」
「大げさだって、二人とも。私たちのほうこそ、本当は昨日のうちに悪いやつらをやっつけなきゃならなかったのに」
 ヴィッドとフィセのお礼の言葉に、アイリーが僕たち全員の気持ちを代弁して返した。
「本当は、みんなを村に連れていって歓迎したいのだが……、村の掟でそれはできない。ここで感謝するのが精一杯だ」
「別れるのは辛いけど、村のみんなが心配しているよ? 早く帰りなよ。私たちも、すぐ帰るから」
「……そうだな。帰ることにするよ」
 ヴィッドはフィセの手を握った。そして僕たちに背を向け、森の奥へと消えていった。

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