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第三章 お祭り

「お母さんね、昨日は思い切って一人で焼肉食べに行っちゃった」
「一人で焼肉? お母さん大胆だねー。私焼肉大好きだけど、一人でなんて行けるかなー?」
 いつもと同じ、食パンとサラダの朝食だ。
 最近のお母さんは、トーストにママレードを塗って、サラダを乗せて食べるのが好きみたいだ。僕はマーガリンを塗って、サラダを乗せてから折って食べている。愛里は相変わらず、焼かないままの食パンをそのままもそもそと食べている。
「昨日はごめんね、晩ご飯作るの忘れちゃって」
「いいのよたまには。だって昨日はみんな忙しかったんでしょ?」
 お母さんは二つのゲームの統合がどんなものなのか、あまりよくわかっていない。でも、昨日が特別な日だったということだけは、ちゃんと理解している。
「今日はどうなの? まだ忙しいの?」
「僕はそうでもないけど……愛里は忙しいだろ?」
「うん、お祭りは明日までだから。ステージで歌うことにもなっているし、それまではちょっと」
「あら、そうなの? あいちゃんすごいのね! りっくんは? 何かしないの?」
「うん……しないよ」
「お兄ちゃんはお祭りより大事なことがあるもんね!」
 んぐっ。
 パンが喉に詰まりそうになった。
「なになに? どうしたのりっくん、大事なことって」
「なんでもないって!」
 お母さんは玻瑠南のことを「お嫁さん」と呼んだり、家に泊めようとしたり、とにかく気に入っている。西畑のことなんて絶対に言い出せない。
「んとね、お兄ちゃんはね」
「愛里!」
「昨日から別のゲームにも行けるようになったんだけど、そっちで友達ができたんだって。だからその新しい友達と遊ぶんだってさ」
「あら、良かったわねりっくん! お友達は大事にしなきゃね!」
「う、うん、そうだね」
「そうだよお兄ちゃん。大事にしなきゃねー」
「わかってるって!」
 愛里は絶対に僕をからかっている。白い食パンをかじりながら、ずっとニヤニヤしているし。

   ◇ ◇ ◇

 ピレックルの噴水の広場に繋がる大通りには、たくさんの屋台が並んでいる。食べ物の屋台や、現実世界にもあるようなちょっとしたゲームをするような屋台、アクセサリー、おもちゃ、怪しげな元ネタのグッズ、さまざまな物や遊びで溢れかえっていた。
 明日は噴水の広場にステージが置かれ、アイリーがそこで歌うことになっている。ステージのような大きなセットも、実はアイテムの一種だ。さすがに買うには高すぎるし使用頻度も低いので、中央ギルドがレンタルしているものをその日だけ借りるというシステムになっている。
 僕はフレアと二人で、両側に屋台が並んだ大通りを歩いている。宣伝が上手くいったようで、見た目でFoMから来たとわかる人たちが、フレア以外にもたくさん目につく。
「とても賑やかねー」
 フレアはしきりに右に左に目をやって、ずっと驚いている。首には昨日プレゼントしたネックレスをかけている。
「教えてもらったブログ読んだけど、リュンタルという世界そのものを楽しんでいるんだなーってのがとても伝わってきたわ。FoMではこういうイベントをやろうって雰囲気ないから、なんだか新鮮」
「だったら今度、フレアもやってみたら? ギルマスなんだし、ギルドでイベントやろうって言ってみればいいんじゃないかな」
「ダメダメ。うちのメンバー、こういうの全然興味なさそうだし」
 そうこう話しているうちに、案内所が見えてきた。アイリーはここでお祭りの運営責任者として仕事をしている。
 音楽を流しているようだ。案内所に近づくにつれ、だんだんはっきりと聞こえてくる。
「アイリー、来たよ」
「あ、お兄ちゃん! どうこれ? 私が歌っている動画流してるんだけど。明日の宣伝になればと思って」
「うん、まあ、いいんじゃないかな」
「何そのてきとーな返事! いつ見てもかわいいねとか、歌声に癒やされるとか、そういうこと言えないの?」
「言わないよそんなこと! ……ああ、騒がしくてごめんな、いつもこんな調子なんだ」
「いいんじゃないの? お祭りなんだし。賑やかで」
 フレアがそう言うと、アイリーは急に静かになり、僕とフレアを交互に見始めた。ついさっきまでの騒がしさが嘘のようだ。
 フレアもそれに気づいたようだ。
「あ、自己紹介しなきゃね。はじめまして。私はフレア。よろしくね」
「…………」
「アイリー、どうしたんだよ、ちゃんと挨拶しなきゃ」
「……あ、えっと、なんか初めての気がしなくて」
 初めての気がしない? どういうことだろう?
 もしアバターが現実と同じ姿をしていれば、学校で見かけたことがあるから、という理由が成り立つだろう。でも現実の西畑とアバターのフレアとでは、違う部分が多い。
「だって、お兄ちゃんとフレア、ずっと前から付き合っているみたいになじんでるんだもん!」
「なっ」
「えっ」
 僕とフレアが、顔を見合わす。フレアの顔がほんのり赤くなっている。
「そ、そう? 本当にそう思う?」
 フレアは赤い顔のままアイリーに訊いた。ネコ耳がピクピクと小刻みに動いている。
「うん! もちろん!」
 フレアの顔がさらに赤くなった。
「あ、あ、あ、ありがとうアイリー。そう言ってもらえると、う、うれしいわ」
「アイリー! いいかげんなこと言うなよ!」
「いいじゃない。私とリッキはそういう関係。そういうことにしちゃえばいいじゃない」
 フレアは気を良くしたのか、アイリーが言うことに乗っかってきている。
「そんなこと言われても……」
「いいから!」
 フレアが僕の手を握った。
 フレアが言っていることには無理はあるけど、僕はフレアの手を握り返した。さすがに払いのけることはできない。
「あ、そういえばさお兄ちゃん」
 アイリーは普段の口調に戻って言った。
「アミカの所に行かなくていいの? 今日アミカのライブじゃん」
 うっ。
 一瞬、息が詰まった。
「アミカ? 誰それ」
 フレアが首を傾げる。
 アイリーは目をキラキラさせて、僕が何か言うのを待っている。
 これだけフレアとの仲を持ち上げておいて、直後にアミカのことを言うなんて、完全に僕が困るのを見て楽しんでいるとしか思えない。
「アミカは、えっと、別の街でアイリーみたいに音楽活動をやっていて、それでアイリーを通じて知り合ったんだよ。そこでもお祭りをやっていて、アミカが歌うことになっているんだ」
「へー、面白そうね! リッキは行くの? 私も一緒に行っていい?」
「一緒に行ってきなよ! こっちのお祭りは明日もやっているんだし」
 アイリーに言われなくても、僕はアミカのライブに行くことは決めていた。でもさすがにフレアと一緒に行くつもりなんてなかった。「用事があるから」とでも言って適当にごまかして、一人で行くつもりだった。
 でも、こうなってしまっては、そうはいかない。
 どうしてもアイリーは、僕を困らせたいようだ。
 アミカとフレアを、会わせてもいいのだろうか。
 フレアがアミカを見ても、中身が玻瑠南だとわかることはさすがにないだろう。
 アミカがフレアを見た場合は……どうだろうか。顔自体は西畑とそれほど変わっていないようにも思えるけど、眼鏡をかけていないし、ネコ耳だし、なんといっても背の高さが違うし、たぶん……わからない、だろう。
「うん……じゃあ、一緒に行こうか」
 ここで断るほうが不自然だ。流れに任せるしかない。
「じゃあアイリー、また明日ね」
「またね!」
 すっかり仲良くなっちゃってるな、この二人。

   ◇ ◇ ◇

 芸術の街、ギズパス。
 ここには現実世界の古代遺跡にあるような、巨大なすり鉢型の円形劇場がある。
 今日はここで、アミカのライブがあるのだ。

「ずいぶんと混んでるのね」
 フレアが驚いている。
「うん、人気があるからね」
 と答えたものの、まさかこの大きな劇場を埋め尽くすほどの人気があるとは、僕も思っていなかった。
 僕とフレアは、中心のステージからはだいぶ離れた上のほうにようやく空席を見つけ、座った。
 しばらくして、華やかな衣装に身を包んだアミカが姿を現した。
「みんなー! こんばんはー!」
「こんばんはー!」
 アミカが大きく手を振り挨拶すると、客席から一斉に挨拶の声が上がった。
「きょうはこんなにたくさんのひとにあつまってもらえて、アミカすっごいうれしいよ! さっそく一曲め、いくねーっ!」
 音楽が鳴り、アミカが歌い出した。かわいらしさを強調した、ポップな歌だ。
「……ねえ、リッキ」
「ん? 何?」
「……リッキって、ああいうアイドルが好きなの? そういう趣味だったの? ちょっと意外っていうか、かなり意外」
「いや、別に趣味ってわけじゃないけど」
 なんか誤解されちゃってるかな。
「知り合いなんだし、見に来てって言われて断るわけにはいかないだろ」
「そっかー。でも私知り合いじゃないしなー」
 フレアはいかにもつまらなそうなものを見ているといった感じだ。
「ごめん、私、やっぱり見るのやめていいかな。他にも面白そうなイベントやっているみたいだし、ちょっと街の中を歩いてみるわ。またあとで合流しよ?」
「うん、わかった。じゃあそういうことで」
 フレアは立ち上がり、階段を下りていった。
 正直、助かった。
 バレることはないだろうけど、アミカとフレアは一緒にいないほうがいい。
 僕はほっと胸をなでおろし、アミカのライブを見続けた。

   ◇ ◇ ◇

 Rikki: お疲れ様。楽しかったよ。

 終了と同時に、僕はアミカにメッセージを送った。
 アミカからは僕の姿は見えなかっただろうけど、こうすればちゃんと見ていたことが伝わるはずだ。さすがに今は通知を切っているだろう。でも、あとで確認してもらえればそれでいい。
 と思っていたんだけど。
 すぐにメッセージが返ってきた。

 Amica: うらぐちに来て!

 裏口? って、どこだ?
 円形の建物だから、表とか裏とかがわからない。でもきっと裏口という言葉の意味からすると、関係者専用の出入口ということになるだろう。
 すぐにでもその裏口を探したかったけど、かなり上のほうに座っていたから、下の人たちが出るまで僕は出ることができない。
 短い時間のはずだけど、とても長く感じる。もどかしい。
 やっと人がはけ、僕は劇場の外に出ることができた。裏口はどこだろう? とりあえず一周してみよう。それならば必ず見つかるはずだ。
 しばらく劇場の壁に添って歩いていると、
「リッキ!」
 僕を呼ぶ声が聞こえた。
「終わったみたいだったから戻ってきたのよ。ちょうど会えてよかった」
 フレアが駆け寄ってきた。手には半分くらいまで食べた串焼きを持っている。
 そして、
「リッキ、こっち」
 別の方向から、また僕を呼ぶ声。
 女性が劇場の出入口からちょっとだけ姿を見せ、手招きをしている。
 見覚えのある顔だ。
「ナオ! 久しぶり!」
 アミカのステージ衣装を担当しているナオだ。
「アミカが会いたがっているから、こっちに来て……あら? そちらの方は、お友達でしょうか? もしよろしかったら、一緒にどうぞ」
 最悪のタイミングだ。
 もうちょっとナオのほうが早ければ、僕は一人でアミカに会いに行けた。
 逆にもうちょっと遅ければ、フレアには「用事があるから」とでも言って別行動を取る余裕があっただろう。
 でもこうなってしまった以上、フレアを置いていけない。
「どうするフレア? 僕はこれからアミカに会いに行くけど」
 フレアはアミカには興味がない。頼む、「ここで待っている」と言ってくれ。
 後ろめたい期待を込めて、返事を待つ。
 串焼きを食べていたフレアは、口の中のものを飲み込んだ。そして、
「せっかくだから会ってみようかな。芸能人の友達がいるみたいで、ちょっと自慢できそう」
 僕の期待を、いとも簡単に打ち砕いた。

「わーい! リッキがきてくれた!」
 姿を見るなり、アミカが飛びついてきた。
「ちゃんと最初から最後まで見てたよ」
「ほんと? とびはねたりとか合いの手とか、してくれた?」
「いや……そこまではしなかったけど」
「そっか……でもきてくれてありがとう!」
「僕のほうこそ楽しかったよ。ありがとう」
 僕は薄紫色の髪をなでた。いつもふわふわで、なでるととても気持ちいい。
「ねえリッキ、そのひとは?」
 僕の体から離れたアミカは、不思議そうにフレアを見ている。
「ああ、この人はね、FoMの友達だよ」
 余計なことは言わず、必要最小限のことだけを言った。
「私はフレア。リュンタルには今日初めて来たの」
 フレアは膝を曲げて、アミカと同じ背の高さになって自己紹介をした。
 アミカの手が、ゆっくり伸びた。
「ひゃっ!?」
「わっ!」
 フレアのネコ耳がブルブルと震え、触れていたアミカの手が瞬間的に引っ込んだ。
「ご、ごめんなさい」
 アミカは謝りながら、まだちょっとびっくりしているみたいだ。引っ込めた手を見つめている。
 フレアは膝を伸ばし、僕の後ろに回った。
「あはは、ごめんフレア。こっちの人はネコ耳とか慣れてないからさ。つい気になっちゃうんだよ」
「うん。私もちょっと油断してた。いかにも子供は触ってきそうだもんね」
 フレアは僕の後ろから体をより近づけ、僕の腰に手を回した。
 もしかしたら、それは僕を盾にしてアミカから自分を守ろうという、無意識の行動だったのかもしれない。
 でもアミカの目には、別の意味で映ってしまったようだ。
 突然、アミカは僕の手を引っ張った。
 つんのめるように、僕は前に出た。
 フレアから離れた僕をアミカは抱きしめ、そしてフレアを睨みつけた。
「アミカはリッキのおよめさんなんだからね!」
 抱きしめる力に、さらに力がこもる。
「え……う、うん」
 フレアは反応に困っているみたいだ。
 僕も困っている。アミカを引き剥がすわけにもいかないし。
 どうしようかと思っていたら、
「おーい、打ち上げに行こうぜー」
 奥のほうから声が聞こえてきた。
 助かった。
「ほら、打ち上げだってさ。アミカ、行っておいで」
 そう言うと、アミカはしぶしぶ僕から離れた。
 また会おうね、とアミカに言って、僕はフレアと一緒に外へ出た。

 外へ出て二人で並んで歩いていると、フレアが肘で小突いてきた。
「ずいぶんと好かれているじゃない」
「うん、そうみたいだね」
 僕は照れ笑いをした。
「私はちょっと嫌われちゃったかなー」
「そんなことないって。ちょっとした誤解だよ」
「だったらいいけど。なんせ向こうは『お嫁さん』だからねー」
「からかうなって」
「ひょっとして、リッキもまんざらでもないって感じ?」
「なっ、何言ってんだよ。アミカはまだ子供だろ?」
「実はちっちゃい女の子のほうが好みなのかなー?」
「そんなことないって!」
「……………………」
 フレアは急に黙り、顔をそむけてしまった。
「そっか……。やっぱり背が低いより、高い女の子のほうが好きなんだ……。そうだよね……」
 しまった!
「ごめん! そういう意味じゃなくって、その、玻瑠南がよくて西畑さんがダメとか、そういうことじゃなくて」
「ぷっ、あははは」
 フレアは僕の背中をバシッと叩いた。
「ごめん、リッキならからかっても許してくれると思って、つい言っちゃった。……でも、そういえば牧田さんはどうしたの? 今日もいないの?」
「えっ、うん、そ、そうだね」
 やっぱり、アミカの中身が玻瑠南だということには、全然気づいていないみたいだ。アミカのほうも、フレアが西畑だとはわからなかったみたいだし。
「でも、明日はアイリーと一緒にステージに上がることになってるから。玻瑠南はピアノ習っているからさ、アイリーのバックで演奏するんだよ」
「あー……そっか、そういう繋がりだったんだ、沢野君と牧田さんって」
「えっ?」
「牧田さんがたまたまアイリーのバックバンドをやっていて、それでリッキと知り合った、ってことなんでしょ。そこからリアルでも付き合うようになって」
「そっそそそうなんだ! そうなんだよ! やっぱ頭がいい人は違うな。すぐわかっちゃう」
 なんだか都合のいい勘違いをしてくれたみたいだ。
「リッキは明日そのステージを見に行くんでしょ? 私もリッキと一緒に行きたいんだけど、そうすると牧田さんに会うことになっちゃうのよね……」
「別に無理して会わなくてもいいじゃないか。今日みたいに別行動してたっていいんだし」
「でも、リュンタルでの牧田さんを見てみたい気持ちもあるのよね。ちょっと興味ある」
「リアルと変わらないよ。見た目も同じだし、名前もハルナだし」
「そうなの? リッキもそうだけど、リュンタルの人ってリアルと同じような人が多いの? ……もしかして私も、中身言ったほうがいい?」
「言わないで!」
 つい大きな声で言ってしまった。フレアはびっくりして立ち止まった。僕はフレアの前に回り込み、向かい合った。
「フレアはフレアだから。僕以外の人にとって、フレアは西畑さんじゃない。わざわざ僕を理科室に連れ込んでこっそり教えてくれたってのは、そういうことなんだろ? だからハルナに会ったとしても、見ず知らずの人間として会えばいい。そうだろ?」
 本当は、僕の都合で、玻瑠南に知られたくないだけだ。忙しくて会えない間、FoMのフレアにリュンタルを案内していたというだけなら、玻瑠南もまだわかってくれるだろう。でも西畑と一緒にいたなんてことが玻瑠南に知られる訳にはいかない。それだけは絶対に避けたい。
「とにかく、フレアが西畑さんだということは、絶対に言わないで」
「わかった。わかったから。そんなに心配しないで」
 フレアは僕の手を握り、歩き出した。僕も並んで歩く。
「ちゃんと黙っているから安心して。リッキが言う通り、私はできれば中身を知られたくないし」
「ありがとう。助かるよ」
 そのまま少しギズパスの街を歩き、この日は別れた。

   ◇ ◇ ◇

 昨日まではなかったステージが、噴水の広場に置かれている。背後に噴水を隠すような形になってしまったけど、場所の都合で仕方がない。
 ステージの上に立つと、広場から伸びる大通りが見渡せる。今日も大通りの両側には屋台が並んでいて、人も多く集まっている。振り返って上を見ると、巨大な建国王の像が顔だけを僕たちに見せている。
 今日は祝日ということもあって、アイリーは昼にここで歌うことになっている。僕は部外者だから本来はステージ上に立つことなんてできないんだけど、これからリハーサルを始めるアイリーがなぜか僕を呼んだので、今はアイリーと並んで同じ景色を眺めている。
「どう? いつもと違っていい眺めでしょ」
 確かに、いつも見ている街だというのに、ちょっと高さが違うだけでずいぶんと違う印象を受ける。
「お兄ちゃんも何か歌えばいいのに。気持ちいいよ?」
「歌わないよ!」
 僕をステージに上げたのは、そういう魂胆だったのか。
「もーお兄ちゃんって本っ当になんにもやりたがらないよね。なんかやろうよ」
「僕はこういうのはいいから! ……あっ」
 すらりとした体のネコ耳の女の子が歩いてきた。フレアだ。今日も首には僕がプレゼントしたネックレスをかけている。
「どうしてリッキがそんな所にいるの? もしかして、リッキも歌うの?」
 フレアは不思議そうにステージ上の僕を見上げている。
「歌わない、歌わないって。アイリーに呼ばれて上がっただけだよ」
「フレアもおいでよ。今のうちだよ」
 アイリーが呼んだので、フレアもステージに上がってきた。
「フレア、フレンド登録していい? 昨日言うの忘れちゃった」
「いいよ! 私まだリッキしかリュンタルのフレンドいないし、これからフレンド増やしていきたいから」
 ステージの奥のほうでスタッフによる楽器のセッティングが進む中、アイリーとフレアはフレンド登録を始めた。それと同時に、スタッフに混じってよく知っている人がステージに上がってきた。
 シェレラだ。でも、なんでシェレラがステージに?
 思わず振り返り、フレアを見た。勘が鋭いシェレラなら、ひょっとしたらフレアの正体に気づいてしまうかもしれない。フレアだって、シェレラが智保だと気づいてしまうかもしれない。
 フレンド登録が終わったアイリーに、シェレラが話しかける。
「これ、どうかな。似合うと思うんだけど」
 シェレラは蝶の形をしたアクセサリーを取り出した。銀色の蝶のフレームに、色とりどりの宝石が散りばめられている。続けて取り出した花の形のアクセサリーと一緒に、アイリーの頭に取り付けていく。
 シェレラはアイリーのために作ったアクセサリーを届けに、ステージに来たのだった。
 アイリーはウィンドウを操作し、自分のフィギュアを空中に出現させた。
「かわいいね! ありがとうシェレラ!」
 アイリーはフィギュアを回転させ、いろんな角度で見ながら「かわいい」を連発させている。
「あのう……アイリーのスタイリストさん、でしょうか」
 フレアがシェレラに声を掛けた。シェレラは実際の年齢より年上に見られることが多い。フレアもシェレラが智保だとわからないだけでなく、年上の人だと認識しているようだ。
「……あなたは?」
「私、アイリーの友達でフレアって言います。見ての通りいつもはFoMにいて、まだリュンタルには知り合いが少ないので、よろしければフレンドになっていただけませんか?」
 シェレラはまじまじとフレアを見ている。もしかして、フレアが西畑だと見抜いたのか!?
「……あのう」
「いいわ。フレンドになりましょう。私はシェレラ。よろしくね」
 シェレラは空間をなぞった。フレアも空間をなぞり、送られてきたフレンド申請を了承する。その間、アイリーはずっとフィギュアを眺めて「かわいい」を連発させていた。
「アイリー、そろそろリハーサル始めたいんだけど」
 後ろのスタッフから声がかかった。
「はーい、OKでーす……あれ? でも、まだハルナ来てないでしょ?」
「うん、まだ来てない。メッセージ送っているんだけど反応なくて」
 すると、
「ごめんなさい! 寝坊した!」
 ハルナがステージを駆け上がってきた。
「遅いよハルナ! しっかりして!」
「まあまあ、間に合ったんだからいいじゃない」
 ハルナを咎めるスタッフを、アイリーがやんわりとなだめた。
 玻瑠南はアミカとして、そしてハルナとして、忙しい日々を送っていた。アバターの体は疲れることはないけど、精神的には疲れていたんだろう。でも、スタッフはそんなことは知らない。だから、事情を知っているアイリーが、ハルナをかばったのだ。
 走ってきたハルナがこっちを見て、動きを止めた。
 ハルナはきっと、アイリーを見たつもりだったのだろう。
 でもそこには、僕やシェレラ、そして、フレアがいた。
 僕たちと目が合い、立ち尽くすハルナ。
 アイリーが振り向いた。
「じゃあリハーサル始めるから。また後でね。お兄ちゃんはこのまま残って歌ってもいいけど」
「歌わないって!」
 このままだと本当に歌わされてしまうかもしれない。急いでステージを降りた。

「眼鏡をかけていないだけで、本当に牧田さんそのままだった。今度会った時、つい牧田さんって言ってしまいそう。気をつけなきゃ」
 僕と二人になったフレアが呟いた。
「でも、もう会うことないんじゃないか? アイリーも会わせないと思うよ」
 ハルナが来て、すぐに僕たちにステージを降りるように言ったのは、リハーサルが始まるということもあったけど、ハルナとフレアを遠ざけるためでもあったはずだ。空気を読んでさりげなくトラブルを回避するのが、アイリーは上手い。
 ただ、僕に起きたトラブルは、逆に楽しんで見てばかりいるけど。それだけはなんとかしてほしい。

   ◇ ◇ ◇

 元々そんなに多く歌う予定ではなかったこともあり、アイリーのライブは三十分くらいで終わった。広場に集まった多くの観客も今はもういない。ステージも撤去され、いつもと同じ噴水や建国王の像を見ることができる。
 僕はフレアと一緒に案内所に行った。アイリーはお祭りの運営責任者という立場に戻り、また案内所で仕事をしている。
「アイリー、歌上手いのね! びっくりしちゃった!」
「ありがとう! ……お兄ちゃんは? 何かないの?」
「うん、よかったんじゃないのかな」
「お兄ちゃんほんとに見てたの? 感想に心がこもらなすぎ! ごめんねフレア、お兄ちゃんニブい人で」
 話のねじ曲げ方がおかしいだろ。
「ところでさ、明日私FoMに行きたいんだけど、フレアは予定どう? 空いてる?」
「いいよ、一緒に遊ぼう! 今度は私がアイリーを楽しませる番ね! リッキも来るんでしょ?」
「え? う、うん、いいけど」
 本当は、玻瑠南のことが気になっていた。ライブが終わって、ハルナはすぐにログアウトした。今はまた疲れて寝ているのかもしれない。明日は一緒にいて、ただ二人でのんびりと過ごすのがいいかもしれない、と思っていた。
 でも、さすがにそんなことは言い出せない。僕はフレアの誘いを受けるしかなかった。

しおり