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第三章 あの日

 険しい山と広大な森に囲まれた、小さな村がある。
 僅かな平地で麦を育て、川で魚を捕り、森で木の実や果物を採って糧としている。
 季節ごとに珍しい薬草が採取でき、たまに来る旅の商人に売っている。金になるものといえばそれくらいだ。

 この村に、二人の男が訪れていた。
 一人の名はフォスミロス。ピレックルの騎士の家系の出身だ。その大きな体と鍛えあげられた筋肉から繰り出される攻撃は、どんな強大な相手であっても大剣を一度振れば全てが終わると言われている。魔獣退治や賊徒の討伐などで挙げた功績は枚挙に暇がなく、十七歳の若さにしてピレックル国内だけでなくリュンタル全土で『英雄』の名を轟かせている。
 もう一人の名はコーヤ。元々はリュンタルとは別の世界の人間だが、今はフォスミロスと共に旅をしている。フォスミロスに準じる背の高さだが体つきはやや細い。剣も細身だ。しかしその引き締まった腕が剣を振れば、人の目は剣が通った後の残光しか見ることができない。剣が放つ輝きとその鎧姿からつけられた『白銀(しろがね)のコーヤ』の名は、フォスミロスと共にリュンタル全土で知られている。年齢もフォスミロスと同じ十七歳だ。

   ○ ○ ○

 時は少しだけ遡る。

 リュンタル各地を旅して回った二人は、久しぶりにピレックルに帰ってきた。フォスミロスの愛竜ジンヴィオに乗り、空から地上を眺めている。このまま南へ向かえば城下町、そして王城が見えてくるだろう。
「フォスミロス、前からずっと言いたかったことがある」
 手綱を握るフォスミロスの背中に、後ろにいるコーヤがやや語気の強い言葉を放つ。
「なんだ? 勿体ぶらずに言えよ。コーヤらしくないな」
「お前の髪の毛だ。ジンヴィオに乗っていると、たまに長髪がなびいてきて俺の顔に当たる。邪魔だ」
「あぁ? 長髪が風になびいているから格好いいんだろ。わかってないなお前は」
 緑の長髪をなびかせたフォスミロスは手綱を握ったまま後ろを向き、コーヤの黒い短髪を見て溜息混じりに反論した。
 しかしコーヤも負けずに言い返す。
「お前の美意識を俺に押し付けるな。お前の長髪は不快だ。しかし残念なことにお前は俺と違って短髪が似合わなそうだ。つまり解決策がない。困ったやつだ」
「解決策ならたった今俺が見つけた。お前がここから降りればいい。我ながら名案だ。早速実行に移そう」
 フォスミロスは突然体を捻らせコーヤに跳びかかると、両肩を掴んで右へ左へと揺さぶり始めた。
「ままま待て、待て、お前が掴むべきなのは俺の体なんかじゃない。手綱だ。手綱を離すな」
「心配ない。ジンヴィオと俺とは心が通じあっている。お前のことは知らんが、俺を振り落とすようなことはない」
 フォスミロスは更に大きくコーヤを揺さぶった。
「ちょっ、お前なんで笑ってんだよ、おい、うわやめて、マジで、マジで落ちる――!」
 いつもより少し広く、そして斜めに見えた地上の風景の中に、コーヤは気になる箇所を見つけた。
 濃い緑の山の中に、白い筋が一つ流れている。まるで崖を這い降りる大蛇のようだ。
「滝だ。あんな所に滝があるぞ」
 コーヤは指差した。フォスミロスもコーヤから手を離し、その方向を見た。
「なあフォスミロス、あの滝には行ったことあるのか?」
「いや、ない。俺も初めて見た」
「じゃあ行ってみようぜ」
「どうやって? ジンヴィオが降りられるような場所なんてないぞ」
 滝の近くは生い茂る木々で覆われており、ドラゴンどころか小鳥ですら地上に降りられないのではないかと思わせる。
「あの湖はどうだ? あそこなら大丈夫なんじゃないか?」
 滝から落ちた水は小川となり、その先で湖を作っていた。反対側の湖岸には湖の水が流れ出て行く小川があり、その遙か先にある大河の支流の一つとなっている。
「コーヤ、お前のその非常識な発想は時にありがたいが、大抵は迷惑だ。ドラゴンが水面に着地、いや着水できるはずがないだろう」
 フォスミロスの眉間にシワを寄せた表情からは、不機嫌さがはっきりと覗えた。それがそのまま言葉に表れている。
「わかってるよ。そう怒るなよ」
 コーヤは笑顔で言い返した。
 こんな会話を、旅の途中で何度も繰り返してきた。言いたいことを言い、出したい態度を遠慮なく出している。それはお互いを信頼しているからこそであり、こういった言動はその信頼を崩すどころかより強固なものへと変えていた。
 一度は滝に行くことを諦めかけたコーヤだったが、滝からやや下った一点が、緑ではなく黒くなっているのに気がついた。
「あそこはなんだ? 山火事でもあったのか?」
「そうだな。炭になっているように見えるな」
 森が広大であるためにその黒は点のように見えていたが、近づいてみるとかなり広く、ドラゴンの一頭が着地するくらいには十分だった。
 二人は地上に降りた。

 黒く見えたのはやはり炭だった。
 フォスミロスは黒い地面を指でなぞり、黒くなった指先を見ながら考えている。
「この辺りの木が燃えたのだろうが、滝があるからか空気が湿っているし、自然な山火事ではないだろう。人による火の不始末が原因かもしれないが、こんな所に俺たち以外に人が来るのだろうか……」
「よし。滝に行こうぜ」
「おい! どうしてこの場所だけ燃えてしまったのか、気にならないのか!」
「そんなの後でいいだろ? 俺は滝を見たいんだよ」
 コーヤはフォスミロスを置いて、さっさと滝のある方へ歩いて行ってしまった。
「お前の自由さは大抵は俺を楽しませてくれるが、時に迷惑だ」
 フォスミロスは考え続けるのを諦め、しぶしぶコーヤの後を追った。

 元より人が通るところではなく、道などない。自然のままの上り坂を歩き、滝に辿り着いた。遙か頭上から落ちてくる一筋の水が霧を生み、滝壺から撥ねた白い飛沫とともに二人の体を湿らせる。
「俺、滝って実際に見るのは初めてなんだよ。これもフォスミロスと一緒にいたおかげだな。感謝するよ」
「そ、そうか。感謝されるほどのこととは思わなかったが、コーヤが楽しんでくれているなら俺はそれで満足だ」
 コーヤはしばらくの間、滝を見上げたり、滝壺を見つめたり、地面に転がる岩に付いた苔を見たりしていた。その様子をフォスミロスは退屈そうに見ていた。フォスミロスはここに来たのは初めてでも、他の場所の滝ならいくつか行ったことがある。コーヤのように新鮮な気持ちで滝を見ることはなかった。
「なあフォスミロス、滝の裏側って行ったことあるか?」
「裏側?」
「なんだ知らないのか? 流れ落ちる水に隠れていて見えないけど、その裏の岩肌には洞窟の入口があって、奥底に財宝が眠っていたりするんだぞ。よくある話だろ」
「そんな話は聞いたことがない。それによく見ろ。どこに洞窟の入口があるというんだ」
 確かに流れ落ちる水の向こうに見える岩肌には、洞窟の入口どころかヒビ割れ一つなさそうだ。
「だから、そう思わせてるんだって。本当は穴があるのに、幻を見せて何もないかのようにな。これもよくある話だろ」
 コーヤは足元に落ちていた丸い石を右手で掴み、腕を大きく後ろに伸ばすと滝に向けて思い切り投げつけた。
 石は水流の壁を突き破った。そしてその向こうにある岩肌に当たって跳ね返る……ことはなく、そのまま中に吸い込まれるように消えていった。
 二人は目を丸くして、石が投げ込まれていったであろう先を見つめている。
「……やってみるもんだな。まさか本当にそうだとは思わなかった。行こうぜ、フォスミロス」
「ああ、心が昂ってきた。本当にコーヤといるといつも楽しいことに出会える。だから俺はお前が好きなんだ」
「迷惑なやつ、だけどな」
「……そういう一言を付け加えるあたりが、迷惑なやつなのだがな」

「参ったな。こんなにずぶ濡れになるとは思わなかった。それに冷える」
 コーヤは顔に水が垂れないように髪をかき上げ、手についた水を振って落としている。フォスミロスは特に気にする様子もなく、長髪が滴を垂らし続けている。
 洞窟の中からは、流れ落ちる滝が出口を塞ぐカーテンのように見えている。幻の岩肌はあくまでも外部からの侵入を防ぐためのもので、中にいる人間には作用していない。滝の影響だろうか、洞窟の中はひんやりした空気が立ち込めている。地面にはさっきコーヤが投げ込んだ丸い石が転がっていた。
「コーヤ、この洞窟には財宝などない」
「は? 来て早々なんだよそれ。なんでわかるんだよ」
「この洞窟は丁寧に清められている。気を感じる。おそらく洞窟の奥でこの土地に伝わる神を祀っているのだろう」
「その『気を感じる』ってのが俺にはわかんねーんだよな。お前を信用しないことはないが、俺は実際に見て確かめたい」
「しょうがないな。付き合ってやるか」
 リュンタルの洞窟によくあるように中は青白く光っていて、先へ進むのに困ることはない。道が枝分かれしている場合は、より光が強い方を選べば間違いなかった。二人はどんどん奥へと歩を進めた。
「……おかしいな。こういう時って魔獣が放たれていて侵入を阻むのはよくあることなのに、ここには全く魔獣がいない」
「魔獣などいる訳がないだろう。この洞窟は清められている。ここは神を祀っているに違いない。二度も言わせるな」
「でも、そうやって深い場所まで誘っておいて、逃げられないようにして襲ってくるなんてのもよくある話だけどな。ま、俺なら逃げるまでもなく、斬り捨ててやるけど……ほうら、この向こうで待ってるはずだ」
 二人の行く手を、扉が遮っていた。鉄製の左右の扉には青い塗装が薄く施されている。腐食防止のための、魔力を含む塗料による塗装だ。さらに、それぞれの扉に白い魔法陣が描かれている。
「余程“逃げ出したら困るナニか”がいるんだろう。そうでなければこんな扉は必要ない。そうだろ?」
「神聖な場所を荒らされたくないからだろう。中のモノを外に出さないのではなく、外から中への侵入を防ぐための扉だ」
「残念。俺の勝ちのようだ」
 コーヤは扉に手をかけた。
「見ろ。鍵がかかっていない。どうぞ入ってください、って誘っているんだよ」
 コーヤは勢いよく扉を開いた。

 湖だった。
 白い霧が、青い湖面をうっすらと覆っている。先は見渡せないが、かなり広そうだ。
 予想外の光景に、二人は立ち尽くした。

 冷たい空気が、二人の濡れた体にさらなる寒さを覚えさせる。
 コーヤは湖に手の先を入れてみた。ひどく冷たい。指が凍ってしまいそうだ。
 気がつけば、吐く息が白くなっていた。

 湖の右側は岩壁に隠れて全体を見ることはできないが、左側は弧を描くように細い陸地が続いているのが見えた。二人は湖岸に沿って歩く。
 青い湖は、まだまだ広がっている。
「まさかこんな神秘的な光景に出会えるとは思わなかった。もう財宝なんてどうでもいい」
「お前はまだ財宝のことを考えていたのか」
「だからもうどうでもいいって言ってるだろ」
 コーヤは背中を丸め、凍える体を手でさすりながら歩く。
「なあフォスミロス、お前、寒くないのかよ」
 特に寒がる様子を見せないフォスミロスを、コーヤは不思議そうに見ている。
「寒いことは寒いが、だからといっていちいち寒がったりはしない。俺はお前みたいに軟弱ではないからな」
「そうかよ。俺は軟弱者でいいから暖まりたいよ」
 下を向く顔の前に掌を広げ、息をかけて温めた。
 その時。

「誰かいるのですか?」

 かすかに声が聞こえた。若い女の声だった。

 コーヤの背筋が伸びた。
 湖岸の先を見るが、人がいる様子はない。
「お前も、聞こえたよな」
 フォスミロスと顔を見合わせた。
「ああ。間違いない」
 フォスミロスは頷いた。
 コーヤは湖岸の先だけではなく青い湖全体を見回したが、霧に隠れ遠くまでは見えない。
「どこにいる! 返事をしてくれ!」
 コーヤは叫んだ。
 返事を待つ。しかし静寂が続くばかりだ。
「返事を」
「お帰りください」
 コーヤの二度目の呼びかけは、女の声に遮られた。
「湖の中にいるのか?」
 声が聞こえた方向から、コーヤはそう判断するしかなかった。
 澄んだ水は湖底をそのまま見せている。霧に隠れて先の方まではわからないが、そんなに水深があるようには見えなかった。
 少なくとも足は立つ。コーヤは湖の中に入っていった。
「おい! コーヤ! 待て!」
 フォスミロスの声を無視して、コーヤは湖の中を歩いて行く。
「本当に呆れたやつだな」
 フォスミロスはコーヤの後を追った。
「お前はなぜ平気でこの冷たい水の中を進めるのだ。信じられん。俺は寒がっていないだけで、寒いのは嫌いだ」

「どこだ! どこにいるんだ!」
 コーヤは太ももまで水に浸かっている。下半身の感覚などとうに失せているが、それでもなお前に進む。どうやらこれ以上深くはならないようだ。遮るものはない。
「お帰りくださいと言ったのに」
 声がする方向を見た。白い霧の向こうに、赤い何かがぼんやりと揺らめいている。
 すぐに走り出したかった。しかし凍える水の中では思うように体が動かない。
「そこにいてください。私がそこへ行きます」
 赤いぼんやりしたものが、だんだん大きく、はっきりと見えてきて、そして。
 彼女は姿を現した。

 彼女は、炎に包まれていた。

「本当はこの姿を見られたくなかった。でもこのままではあなたが凍え死んでしまいます。あなたが誰で、なぜここにいるのかは知りませんが、私のことは忘れてすぐにお帰りください」
 コーヤは驚きのあまり動けない。小柄な彼女の、自分の胸の高さにある顔から、目を逸らせずにいる。
「あなたは、いったい何なんだ。もしかして……神なのか」
 彼女は一瞬きょとんとして、そして俯いた。
「馬鹿なことを言わないでください。私はただの、愚かな女です」
 彼女は嘲笑した。自分に向けての嘲笑だった。
 コーヤの後ろから水の音が聞こえた。フォスミロスが追いついたのだ。
 フォスミロスも、炎に包まれた彼女の姿を見て驚いている。
「残念だったなフォスミロス。この()は神ではないそうだ。神が祀られているというのはハズレだ」
「あのう……、水の神メネーメなら、この湖に祀られていますけど」
 炎に包まれた彼女が言った。
「あ……そうなの?」
「はい。メネーメの加護のおかげで、私はこうして生きています」
 コーヤは隣にいるフォスミロスの顔を見て、苦笑いとともに言った。
「おめでとうフォスミロス。お前の方が正しかった」
 フォスミロスはコーヤの襟元に掴みかかった。
「コーヤ! ふざけるな! なぜ笑っていられる! わかるだろう、これが普通じゃないってことが!」
 フォスミロスはコーヤを睨みつけている。コーヤもフォスミロスを睨み返す。が、コーヤの表情は穏やかなものに変わった。
「……ごめん。悪かったよ」
 フォスミロスはコーヤを睨みつけたまま、突き放すように襟元から手を離した。
 コーヤは炎に包まれた彼女の方を向いた。
「怖がらせてごめんよ。こいつ、本当はいいやつなんだ。なっ」
 コーヤはフォスミロスの、自分よりはやや高い位置にある肩に手を回した。
 フォスミロスはムスッとした表情で、コーヤから顔を背けた。
 コーヤは彼女に話しかけ続ける。
「なあお嬢さん、ちょっとお話ししようよ。君の炎が暖かくて、離れたくないんだ」

 コーヤとフォスミロスは、湖岸に上がっていた。
 二人は焚き火を挟んで座っている。不思議なことに、その炎は薪ではなく石を燃やしていた。魔石などではなく、その辺に転がっていたただの石だ。
「この炎で温まってください。今の私には、石を燃やすことぐらい簡単ですから」
「君は……」
 コーヤが問いかける。
 炎に包まれた彼女は湖岸に上がらず、浅瀬で足を崩して座っている。
「……ごめんなさい。私は湖の外には出られないのです」

 彼女の名前はミオザ。年齢は二人と同じ十七歳。
 この山を少し下った所にある、小川の川岸にある村で生まれ育った。コーヤがジンヴィオを着水させようとした、あの湖から流れ出る小川だ。
「……村の言い伝えによると、かつてこの土地は火の魔族が支配していたのだそうです。そこへ水の神メネーメを崇める私達の祖先がやってきて対立が起きました。やがて祖先は魔族を駆逐し、この土地は水が豊かな土地へと変わりました」
 コーヤとフォスミロスは、ミオザの話に耳を傾けている。
「なあフォスミロス、この話、前にお前から聞いた建国王の伝説と同じじゃないか?」
「ああ。こういう話は他の土地でも聞くことがある。ピレックルの各地でも同じようなことが起きていたのだろう」
 ミオザは話を続けた。
「ですが、かつての名残なのでしょうか、この土地では今でも稀に火の魔族が生まれてくることがあるのです。大抵は小さなもので、その都度村の巫女によって退治されてきました。――これまでは」
 ミオザは一呼吸置いた。
「それなのに、なぜかはわかりませんが、あの時は強い力を持った火の魔族が生まれてしまいました。魔族は生まれた場所の周囲を焼き、滝の周りで薬草を採っていた私に、水を恐れることなく襲いかかりました」
「あの黒く焦げた場所は、そういうことだったのか」
 ジンヴィオが着地した場所の謎が解け、フォスミロスは頷いた。
「私達の村でお金になる物といったら、薬草しかありません。たまたま旅の商人が村を訪れていたこともあって、私は薬草採りに夢中になっていました。一緒に来ていた村人達から一人だけ離れてしまっていたことに、私は気がつきませんでした。そして、魔族は私を襲い、この体に取り憑きました。村人の体を乗っ取ってしまえば攻撃されない、と思ったのでしょう。
 案の定、一緒に来ていた村の巫女は、私を攻撃することができませんでした。ですが彼女は私の心までもが支配されてしまうより早く魔族の力を弱め、水の神メネーメの力が漲るこの洞窟の湖に私を連れてきてくれました。おかげで私は炎に包まれながらもこうして自分の心を持ち続け、生きていることができます。もし私がこの湖から出てしまえば、私の心は魔族に支配され、森や村を焼き尽くしてしまうでしょう。
 本当は、私は殺されても構わないのです。でも魔族は死なずにまた別の村人の体を乗っ取ってしまうかもしれません。それよりはこのまま私の体に宿らせ続けておいた方がいいでしょう。私が寿命を迎える頃には魔族の力も弱まり、もしかしたら消えているかもしれません」
 コーヤとフォスミロスは、声を出すことも、体を動かすこともできず、ミオザの話が終わった後もしばらくそのまま炎に包まれた姿を見続けていた。
 静寂が続く。
「……たまにマイレッタが、巫女のマイレッタが来てくれるんですよ。前に来た時、そろそろあれから一年になるって言ってたけど……もう過ぎたのでしょうか。ここにいると、時間の感覚がよくわからなくなるんです。
 こんな私の話を聞いてくれて、ありがとうございました。マイレッタ以外の人と会って話したのは久しぶりで、ついおしゃべりになってしまいました。ですが、どうか私のことは忘れて、もうここには――」
「君はッ!」
 喉の奥から絞り出すように、フォスミロスは言った。
「本当に、それを、このまま一生ここにいることを、望んでいるのか」
「…………」
 ミオザは俯き、何も言わなかった。
「俺は」
 フォスミロスの目は、涙で滲んでいる。
「俺はこれまでリュンタルを好き勝手に旅してきた。たまたま体や剣に恵まれ、英雄だの何だのと言われてきた。でもそれが何だ。俺は何よりもまずピレックルの騎士なんだ。ピレックルの人々を守る騎士として、君を知らなかったこと、こんな境遇を生んでしまったことが情けない」
「フォスミロス、知らなかったことはしょうがない。お前は悪くない」
「黙れコーヤ! これはお前にはわからぬことだ。ピレックルの騎士の血が、それどころかリュンタルの血すら流れぬお前には」
「なんだとフォスミロス! 確かに俺は余所者だけどな、リュンタルの人達を他人だと思ったことなんて一度たりともねーよ!」
「……すまん。言い過ぎた。だが、ピレックルの騎士としての俺の気持ちもわかってくれ」
 フォスミロスは湖の境界線に手を付き、湖面に身を乗り出した。
「俺は、必ず君を救ってみせる。必ずだ。誓う。だから、待っていてくれ」
 流れる涙を拭うこともなく、炎の中にあるミオザの両眼をしっかりと見つめ、フォスミロスは言った。
 フォスミロスの後ろで、コーヤが頷く。
 ミオザは炎の中で微笑んだ。
「約束ですよ、騎士様」

   ○ ○ ○

 コーヤとフォスミロスは、ミオザが生まれ育った村に行った。ミオザを救う手がかりを得るため、巫女のマイレッタに会うことにしたのだ。
 マイレッタはミオザと比べると少し背が高い。色白で、後頭部で結んだ金色の髪が背中に垂れていた。年齢は二十歳よりは上だろうか。巫女といっても、普通の村人と変わらぬ姿だった。小さな村ではただ神に仕えるだけでは生きていけない。他の村人同様に働かなければならなかった。そのための格好だ。住んでいる建物も普通の家だ。隣に建てられている祠だけが、その家と神との関係を連想させる。洞窟の扉にあった魔法陣が、この祠にも描かれていた。

「ミオザに、会ってきたのですか?」
 家の前で、摘んであった薬草を天日に干す作業をしていたマイレッタは、二人の話を聞いて手を止めた。
「どうしてあの場所がわかったのです! あなた達はいったい何者ですか!」
 マイレッタの声が急に険しくなった。二人を交互に睨みつける。
「俺の名はフォスミロス。このピレックルの騎士だ」
 名前を聞いた瞬間、マイレッタの表情は固まり、手にしていた薬草を地面に落としてしまった。
「あの……、あの、あの有名な、『英雄』フォスミロス様ですか!? 本当に!? それでは隣のあなたは……」
「そ。俺はコーヤ。『白銀のコーヤ』さ」
「あ、あの、あのコーヤ様ですか!? キャーどうしよう! お二人の旅の話は知っていましたが、まさかこんな小さな村に来てくれるなんて! 感激です!」
 マイレッタは興奮のあまりフォスミロスに抱きついてきた。
「お、おい、やめろ、やめるんだ」
 予想もしない展開に、フォスミロスは慌てた。女性に手をかけ力ずくで引き剥がす訳にもいかず、何もできずにただ顔を赤くしている。
「コ、コーヤ、なんとかしてくれ」
「別に~。何もする必要ねーんじゃねーの? あーあ、羨ましい」
 コーヤは頭の後ろで手を組んで、目の前の出来事を他人事のように眺めている。
「コーヤ!」
「……ったく、しょうがねーな」
 コーヤはマイレッタの肩を軽く叩いた。
「マイレッタさん、もういいかな? 相方が困っているからさ、もう自由にしてあげてよ。そのかわり、お話を聞かせてくれないかな」
 マイレッタははっと我に返ると、フォスミロスから離れた。色白の顔が真っ赤に染まっている。
「ごごごごめんなさい。私、あの、その、えっと、恥ずかしい……」
「いいからいいから。気にしないで。あとそれと、次に抱きつく時は俺でお願い」
「もういいコーヤ、黙れ」

「――かつて火の魔族と戦った私達の祖先は、非常に強大な力を持っていたらしいです。ですが私にはそんな力はありません。ミオザから魔族を追い出し、退治するだけの力は、私にはないのです。魔族の力が発現しないようにミオザごと閉じ込めておくことが、私にできる精一杯のことでした」
 コーヤとフォスミロスはマイレッタの家で話を聞いていた。二人に出された薄緑色のハーブティーが湯気を立て、独特の香りを二人に届けている。
「魔族から村人を守るのが私の役目なのに、これでは何のための巫女かわかりませんよね。私はミオザからどんなに責められてもおかしくないのに、あの子は全然そんなことはなくて、むしろ感謝してくれるんです。この頼りない私に。本当に、あの子は優しい子です」
「いや、あなたはよくやってくれた」
 フォスミロスはハーブティーを一口飲んだ。
「もしあなたがいなければ、ミオザの心と体は魔族のものとなっていただろう。そうならなかったのは、あなたの力のおかげだ」
「フォスミロスの言う通りだ。マイレッタ、どうか自分を責めないでほしい」
 コーヤもマイレッタをかばった。
「ですが、あの子はもう一生このままなのです。私も一生罪を背負うべきです」
「そんなことはない!」
 フォスミロスは声を荒らげた。
「このままなんて誰が決めた! 俺は絶対にミオザを救う!」
「落ち着けよフォスミロス」
 コーヤもハーブティーを一口飲んだ。
「こんなにおいしいハーブティーを飲んで激昂するなんて、お前くらいなもんだ。ハーブティーに失礼だ」
「む。すまん」
 フォスミロスはティーカップに向かって言った。
「アハハッ」
 マイレッタの口から、自然と笑い声がこぼれた。
「私、お茶に謝る人なんて初めて見ました。旅の商人からお二人の活躍をたくさん聞いていますけど、意外と面白い方なんですね。もっと怖い人かと思ってました」
「うん、こいつ、実は変なやつだからさ。おかげで俺は苦労しっぱなしだよ」
「おいコーヤ。それは聞き捨てならんな。俺がいつお前に苦労をかけた? むしろ世話をしてばかりではないか」
「そうだな。お前は変なやつだが、頼りにもなるやつだ」
 コーヤはマイレッタの目をしっかりと見つめた。
「だから、こいつを信じてやってくれ。必ずミオザを自由にしてみせるから」
「……わかりました。お力をお借りします」
 マイレッタは部屋の隅の四角い床板を剥がした。地下へ続く階段が、姿を現した。

 階段の先は倉庫になっていた。
 階段を降りていったマイレッタは、細長い木の箱を二つ持って戻ってきた。
 箱の中身は剣だった。
「これは、かつて祖先が火の魔族と戦った時に使った剣です」
「これが? コーヤの剣よりさらに細いな。本当にこんな剣で戦ったのか?」
 剣の細さに驚いたフォスミロスだったが、剣を鞘から抜き、さらに驚いた、
「これは……!」
 薄い。剣の向こうが透けて見える。
「この剣は、元々は水の神メネーメによって力を与えられ、白く輝いていたそうです。ですが今では力は失われ、このような姿になっています」
 コーヤも剣を手に取った。
「つまり、メネーメの力がまた宿れば、火の魔族と戦えるってこと?」
「その通りです、と言いたいところなのですが……」
「まだ何かあるのか」
 フォスミロスは思わず立ってテーブルに手をつき、身を乗り出してマイレッタに詰め寄った。
「フォスミロス! 焦る気持ちはわかるけど、落ち着けよ」
「……そうだな。すまん。話を続けてくれ」
 フォスミロスは静かに椅子に座った。
「火の魔族は、ミオザの体の中にいます。当然、このままでは火の魔族と戦うことはできません。そのために、この剣が必要となります」
「……と言うと?」
 コーヤが尋ねた。フォスミロスはさっきのことがあり、じっと話を聞いている。
「洞窟の湖に行く時に、魔法陣が描かれた扉がありましたよね? あの魔法陣には火の魔族の力を消す効果があります。あの扉に魔法陣が描いてあったのは、火の魔族を確実に湖に閉じ込めておくためのものなのです。
 かつて祖先は、この剣で(くう)に魔法陣を描き、火の魔族と戦ったと言い伝えられています。もちろん、フォスミロス様のように大剣を振るった剣士もいましたが、今のミオザにはそれでは……」
「俺を見くびるな」
 剣を見つめるフォスミロスの両目が、剣身に映る。
「俺はどんな剣でも使える。もちろん、この剣もだ」

   ○ ○ ○

「ミオザ、私よ、マイレッタよ」
 水神の巫女の声が静寂に響き、青い湖を覆う白い霧の中へと消えていく。
 やや時間を置いて、霧の向こうが微かに赤く照らされた。その赤はだんだんはっきりと大きくなっていく。
「騎士様!」
 姿を現したミオザは、マイレッタの両側に立つ男二人を見て思わず目を見開き、声を上げた。
「や。また会ったね」
 コーヤが軽く右手を上げた。
「なぜ驚く。必ず救うと言ったはずだ。だから俺はここにいる」
 フォスミロスは炎に包まれたミオザをしっかりと見つめている。
「マイレッタ、一体これはどういう……」
「ミオザ、これからあなたを火の魔族から開放します」
 ミオザに取り憑く火の魔族に聞かせるかのように、マイレッタの声は力強かった。

「なあミオザ、マイレッタってすごいんだぜ? さっき俺達が来た時なんか滝でずぶ濡れになったってのに、今は全然濡れてないだろ? マイレッタが水を操って、俺達に水が触れないようにしてくれたんだ。俺感動しちゃったよ」
 湖の左にある陸地をさらに奥に進むと、水の神メネーメの像が立っている。ミオザを救う――ただそれだけを想い、マイレッタは進む先から目をそらすことなく歩いている。その後ろに続くフォスミロス、そしてコーヤも同じ想いであることは疑いようがない。ただコーヤだけは前を歩く二人とは違い、三人と並んで湖の中を歩くミオザに話しかけてばかりいる。
「知っていますよ、マイレッタの力は。誰より私が知っています」
 ミオザはクスっと吹き出した。
「そ、そうだよな。今日会ったばっかりの俺より、ミオザのほうがよく知ってるに決まってるよな。ははっ」
「コーヤ、なぜ笑っていられる。わかっているのか、これからやらなければならないことを」
 前を歩くフォスミロスが、振り向きもせずに言った。
「いーじゃねーかよ。ミオザだって笑ってるじゃねーか」
 そうだろ? とコーヤはミオザに同意を求めた。そうですね、とミオザは微笑みながら頷いた。
 前に向き直したコーヤは、フォスミロスの背中に話しかける。
「それに、これだけ水を操る力を持っているマイレッタですら倒すことができなかったやつと戦うんだってことくらい、俺はわかっているぜ? そして、俺とフォスミロスの二人なら、必ず倒せるってこともな」
 フォスミロスは返事をしなかった。コーヤも返事を求めなかった。いちいち声に出して確認しなければならないほどの、浅い仲ではなかった。

 道のように細く長く続いていた湖岸の陸地だったが、行き止まりは広くなっていた。その中央に、白い石で作られたメネーメの像が設置されていた。黒い石の台座には、魔法陣が白で描かれている。
「おい……大丈夫なのか」
 フォスミロスはメネーメの像を前にして、動揺を隠せずにいた。像に手を伸ばそうとして、はっと我に返り体をびくっと震わせると、手を引っ込めた。
 小さい。
 フォスミロスの大きな手なら握り潰してしまうことも、あるいは掴んで台座からもぎ取ってしまうことも可能なのではないか、そう思わせるほど小さい。
 フォスミロスの様子を見たコーヤが笑っている。
「お前、建国王の像みたいなの想像してただろ?」
「う、うるさい!」
 建国王の像はピレックルの城下町にある広場に設置されていて、フォスミロスの体の二倍以上の大きさがある。広場の中央にある噴水と共に、街の名物となっている。
「俺はこの世界に来て、思い込みや決め付けは無駄だってわかったからな。何があろうが柔軟に対応できるさ。お前ももうちょっと頭が柔らかければいいやつなのに」
「コーヤはむしろ柔らかすぎる。柔らかいというより軟弱だ。軽薄だ。少しは俺を見習え」
「お前さっき焦ってただろ。うろたえてただろ。そんなやつ見習えって言われてもな」
「な、なんだと!」
 クスクスッ、と小さな笑い声が湖から聞こえてきた。
「フォスミロスさん、コーヤさんに感謝した方がいいですよ」
 湖の中で、炎に包まれたミオザがフォスミロスを見上げている。
「さっきまでのフォスミロスさん、ずっと力んでいて、気が張っていて、おまけに動揺して、全然余裕がなさそうだったんですもの。正直、ちょっと心配でした。でも今は力みが抜けて、心に余裕があるように見えます。きっと今のフォスミロスさんが、普段の本当の姿なんですね。これならあなたが私をこの湖の外へ連れて行ってくれると、信じることができます」
 フォスミロスはコーヤを見下ろし、睨みつけた。
「そうだぞフォスミロス。怖い顔してないで、早く俺に感謝するんだ」
 睨みつけられたコーヤは、全く動じることなく笑いながらフォスミロスをからかった。
「……全く」
 フォスミロスは深く息を吐いた。
「コーヤ、俺を馬鹿にできるようなやつは、お前しかいない。お前のおしゃべりは大抵は迷惑だが……」
 フォスミロスは振り返り、メネーメの像に向かって立った。
「マイレッタ、頼む」
 自然体でありながらも、鋭い視線で像を見つめたまま、フォスミロスは言った。
 コーヤとミオザは、顔を見合わせ小さく笑った。

 マイレッタはメネーメの像の正面に立ち、そして跪いた。
 胸の前で手を組み、祈りの言葉を囁く。
 その後ろでは、コーヤとフォスミロスが透き通る剣を像に向けて真っ直ぐ掲げている。
 湖の中で、ミオザが炎越しに映る三人を見守る。

 マイレッタは、祈りの言葉を終えた。
 変化はない。
「どうして……」
 マイレッタは立ち上がった。
「メネーメよ! なぜ応えてくれないのですか! 私の力が足りないというのですか!」
 マイレッタの声が洞窟内に反響し、湖面を覆う。
「マイレッタ、あなたのせいじゃない」
 コーヤはマイレッタの肩に手を置いた。
「あなたは巫女としての務めを果たした。そこから先は、神の気まぐれだ。あなたが責任を感じることはない。俺達は別の方法を探すことにしよう。なあフォスミロス……、おいフォスミロス! 待て!」
 フォスミロスは透き通る剣を投げ出し、メネーメの像に掴みかかっていた。
 コーヤも慌てて剣を投げ出し、フォスミロスにしがみついて台座に足をかけて引き剥がそうとしたが、フォスミロスの体はびくともしない。
「なぜだ! なぜ力を貸してくれない! 神よ、あなたはミオザを一生ここに閉じ込めておきたいのか!」
 フォスミロスの絶叫が轟く。
「やめろフォスミロス! やめるんだ!」
 それでもフォスミロスは叫び続ける。
「俺達のせいなのか! 俺達がこの村の者ではないから、力を貸してくれないのか!」
 神は誰にでも力を与えるとは限らない。教えを信仰する者や特定の才能を持った者、あるいはその土地、その民族の人間にのみ力を与えることは、よくあることだ。
「神よ! あなたはコーヤを、ここにいるコーヤを知らないのか!」
「お、おい、フォスミロス、何を言い出すんだ」
 コーヤはまだフォスミロスの背中に抱きついて像から離そうとしていたが、腕も足も疲れて痺れてきてしまった。仕方なく諦め、フォスミロスの後ろに立った。
 フォスミロスは両手で像の背中を包み、顔を像にくっつきそうなほど近づけた。
「リュンタルの人間ですらないコーヤが、どれだけリュンタルの人々のために戦ってきたのか、あなたは知らないのか! 好き勝手に生きてきた俺にはあなたの力を借りる資格はないかもしれない。でもコーヤには、せめてコーヤにだけは力を与えてくれ。あなただってミオザを救いたいのだろう。だからこそ今までミオザの心と体を守ってきたのだろう。コーヤならきっとミオザを救うことができる。だから頼む、水の神メネーメよ。一振りの剣だけでいい。力を与えてくれ。頼む……」
 
 メネーメの白く小さな像が、一瞬、より白く光った。
 反射的に目を瞑ったフォスミロスが、顔をのけ反らせる。
 次の瞬間、像は淡く光り出した。同時に、地面に投げ出された二本の透き通る剣が、かつての白さを取り戻していく。
 コーヤは白くなった剣を一本手に取り、フォスミロスに差し出した。
「お前にだって資格はあるさ。神が認めてくれたんだからな。もちろん、俺は最初からお前を認めていたけどな」
 フォスミロスは、黙って剣を受け取った。
 右腕を振り上げ、空を斬る。
 その瞬間、フォスミロスの右腕は、すでに振り降ろされた後だった。
 白い軌跡が、フォスミロスの動きに遅れて空に現れる。
「さすがだな」
「言ったはずだ、俺はどんな剣でも使えると」
 コーヤはもう一本の剣を拾い上げ、同じように右腕を振った。
 空に白い光が一本、遅れて浮かび上がった。
「まあ、俺も、大したもんだけどな」
 マイレッタもミオザも、言葉を失った。
 白い光の筋が浮かんでいた空間から、いつまでも目を離せずにいた。
「ん? どうしたの? マイレッタ、それにミオザも。俺達、何か変なことでもした?」
「い……いえ」
 マイレッタは確信した。
「ミオザ、湖から上がって、ここへ来て頂戴」

 ミオザの小さな足跡が、地面を濡らした。
「ミオザ、大丈夫?」
 マイレッタが心配して、そして確認のために声を掛けた。
 大丈夫、と全身を炎に包まれたミオザが答える。
 ミオザを挟むように、前にフォスミロス、後ろにコーヤが立っている。
「コーヤ、始めるぞ」
「おう、いいぜ」
 二人は白く細い剣を構えると、猛烈な速さで空を斬り始めた。白い軌跡が、魔法陣を描いていく。
 ただ剣を速く振るだけでは、魔法陣は完成しない。時には真っ直ぐ、時には丸く、さまざまな異なる角度に剣を振り、止める箇所では正確に止める、精密な剣捌きが要求される。
 二人はそれができるだけの剣士だった。
 しかし。
 魔法陣を描き終える頃には、描き始めの白い軌跡はもう消えてしまっていた。
「もっと、もっと速く!」
 フォスミロスが叫ぶ。
「わかっているさ!」
 コーヤが返す。
 剣だけでなく、右腕も残像しか見えない。
 それでも、魔法陣の完成には間に合わない。

 マイレッタは、ミオザの異変を感じ取っていた。
 目が虚ろになりかけている。呼吸も荒い。足元がふらついている。
 マイレッタは水の魔法を横から放ち、水で編んだ網でミオザを包んだ。巫女の力で少しでも火の魔族の力を封じようというのだ。
「ああああああああああああ」
 ミオザが呻いた。ミオザの声とは程遠い、低く潰れた声だ。
 水の網は、あっさりと蒸発してしまった。
「早く!」
 マイレッタが叫ぶ。
 白い剣は激しい動きに耐え切れなくなったのか、亀裂が入り始めた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 二人は叫んだ。さらに加速させて剣を振る。
 剣身にさらに亀裂が走った。
 そして、ついに耐え切れなくなり、二本の剣は同時に割れた。

 ミオザの前後の空間に、白い魔法陣が浮かんでいた。
 剣が割れる寸前、二人は魔法陣を完成させていたのだ。

 魔法陣はグルグルと回転し、白く激しく輝くと、ミオザに向けて光を放った。
「ああああああああああああああああぁっ」
 ミオザは体をのけ反らせ、苦しそうに叫んだ。体を包む炎が、足元から徐々に消えていく。同時に、頭上に炎の塊が出現し、どんどん大きくなっていく。
 ミオザを包んでいた炎は下半身から消え、腹、胸から消え、そして最後に、頭からも消えた。白い肌、銀の瞳と髪が露になる。
 その頭上には、炎の塊が人の形を成して浮かんでいた。
 気を失い倒れかけたミオザの背中を、コーヤが抱きとめる。
 フォスミロスは空中に浮かぶ火の魔族を睨みつけ、背中の大剣を抜いた。
 火の魔族が、フォスミロスに向かって突撃してきた。
 マイレッタが振り向き、メネーメの像に向かって叫ぶ。
「英雄にご加護を!」
 メネーメの像は再び白く輝いた。フォスミロスの大剣が、白い光を帯びる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 フォスミロスは両手に掴んだ大剣を掲げると、迫り来る火の魔族を恐れることなく振り抜いた。
 真っ二つに割かれた火の魔族はフォスミロスの左右を通り過ぎ、声を上げることもなく消滅していった。

   ○ ○ ○

 村に帰ってきたミオザを見た村人の反応は、芳しくはなかった。
「本当に魔族はもう体に残っていないのか」
「いつかまた魔族に取り憑かれるのではないか」
「一度汚れた体が、元に戻るものなのか」
 そう考える村人がほとんどだった。
 村人に怒りをぶちまけるフォスミロスを、コーヤが制止した。
 言ってどうにかなるものではない、ということはコーヤだけでなくフォスミロスもわかっている。それでも抑えきれない感情があり一度は怒鳴り散らしたものの、わかっているからこそたとえコーヤが止めなくても引き下がるつもりだった。いくら自分がピレックルの騎士だとしても、突然ふらりとやってきた旅人であることも間違いない事実だ。この村の村人にとやかく言える立場ではない。これまでの旅の中でも、何度も経験したことだ。
 マイレッタは必死に村人を説得していたが、それでも村人は渋い顔をするばかりだった。
「マイレッタ、もういいの」
 ミオザは尚も説得を続けようとするマイレッタを止め、首を横に振った。
「私はこの村を出るわ。村のためには、それが一番いいでしょう」
「ミオザ、そんな」
「せっかく救ってくれたのに、ごめんなさい。本当に感謝しているわ」
「どうしてミオザが謝るのよ。私の力が足りなかったせいでこんなことになったのに。それに感謝するなら私じゃないわ」
 ちょうどフォスミロスが二人の元に来た。後ろからコーヤもついて来る。
「こんなことになってしまって申し訳ない。火の魔族を倒せば全てが解決すると思った俺の考えが浅かった」
「そんなことはありません。私は救われました。フォスミロスさんとコーヤさんにはどれだけ感謝しても足りません」
 ミオザは洞窟の湖で一生を終えるつもりだった。それが当然だと思っていた。湖から出て明るい太陽の下にいることなど、夢見ることさえ許されないと思っていたのだ。
「さっき、二人が話しているのが聞こえてしまったのだが……、ミオザ、村を出るのか? どこか行くあてはあるのか?」
「いいえ」
 ミオザは首を横に振った。
「でもどこへ行くとしても、あの湖にひとりぼっちでいることより辛いことなんてないでしょう」
 それがミオザの本心だった。本当はあんな所で一生を終えたくなどなかった。それに気づかせてくれたのが、フォスミロスだったのだ。
「決まっていないのか。それなら……」
 フォスミロスは表情も感情もごく普通のまま、淡々と言葉を続ける。
「俺はこれから家に帰る。城の西側にある、騎士団に所属する者たちが住む地区なのだが」
 次の瞬間、誰もが耳を疑った。

「一緒に来ないか」

 一瞬、時が止まった。
「ちょっ」
 後ろにいたコーヤがフォスミロスの正面に出て、両肩を掴んだ。
「お、おま、お前、自分の言ってること、わかってんだよな? わかって言ってんだよな?」
 しきりに振り返ってミオザの顔を見ながら、コーヤはフォスミロスの両肩を揺さぶった。
「街にいれば住む場所も仕事もすぐに見つかるだろう。他の村や国に行くよりは、これが最善の方法かと思ったのだが……、どうした、コーヤ」
 フォスミロスの両肩を掴んだまま、コーヤはがっくりと項垂れていた。
 ミオザは小さくクスッと笑った。
「フォスミロスさんって意外と面白い人なんですね。もっと怖い人かと思っていました」
「アハハッ、私と同じこと言ってる!」
 マイレッタが腹を抱えて笑った。コーヤもフォスミロスの横に立ち、笑いながら背中をバシッと叩いた。一体何が可笑しかったのか理由がわからず、フォスミロスは困惑している。
「で、どうするの、ミオザ」
 巫女であるマイレッタは一生村に残らなければならない。村の若い女が縁あって去って行くのを見届ける側の人間だ。
 ミオザはフォスミロスの手を取って、しっかり握りしめた。
「私、フォスミロスさんと一緒に行きます。よろしくお願いしますね」
「ちょっ、ミオザ、お願いするって、その、家とか仕事とか?」
 コーヤはミオザの手や顔を見ながら、目を丸くして言った。
「ふふ、どうでしょう?」
 いたずらをした子供のような、ミオザの笑みだった。

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