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日記帳

ちょっとだけ汚れた白い壁。闇に紛れるような黒い屋根。7年も帰らなかった実家の隣にある洸の家をまじまじと見上げた。

「行こうか」

片瀬に手を引かれて、チャイムまで歩く。今日、何度片瀬に手を引かれたんだろう。1人では勇気の出ない場面で、片瀬はいつも手を引いてくれた。その事がありがたい反面、洸に似ていて、胸が痛む。片瀬がチャイムに指を伸ばして、そっと押す。

「はーい」

懐かしい洸の姉である心さんのの声が、インターホンから聞こえてくる。何度も、何度も、聞いたその声に胸がいっぱいになって涙が溢れそうになる。

「久しぶり、夏恋ちゃん、片瀬くん」

心さんはちょっとしわの増えた優しい笑顔で微笑むと、私と片瀬を招き入れた。

「夏恋ちゃんは、洸の部屋行ってらっしゃい
今日の目的地何でしょう?」

玄関からすぐの扉を開けたところにあるリビングに入ってすぐ、ハリのある声でそう言われて、はっとする。この人は全部知っている。洸がどうして死んだのかも、私がどうしてここに来たのかも。

「はい」

目を見て、頷く。静かに心さんの目に涙が溜まった。

リビングを抜けたところにある階段を登って、階段を上がって1番手前にある洸の部屋を目指す。ドアノブを回すと、私がよく来ていた時とほとんど変わらない洸の部屋が、そこにあった。変わっているのは、机の上に紺色の分厚いノートがあることくらいだ。

きっと、このノートが、洸の日記。
私は大きく深呼吸をすると、ノートを開いた。

『4月5日
今日は高校の入学式。クラスは、夏恋と一緒。
嬉しかった。今年も、また夏恋と1年過ごせることに感謝しかない。』

『7月3日
明日から宿泊研修がある。
日中回る班は夏恋と一緒。可愛い夏恋が見れるはず。一気に楽しみになった』

『8月15日
今日は花火大会だった。
帰り道にやっと、夏恋に告白できた。OKもらえた時は泣くかと思ったけど、夏恋が泣いてたから泣かなかった。ほんと、夏恋は泣き虫。
俺が笑わせたい』

『9月27日
今日は学祭だった。
夏恋が、メイドさんの格好しててすごい可愛かった。写真影からたくさん撮った。家宝にしようと思う。』

可愛いなんて、直接言ってくれなかったくせに。
こんなにも、思われていたんだと知って涙があふれる。右上がりの大好きな字が、涙で滲んでいく。私の名前がない日のない日記。毎日毎日、飽きもせず、私との思い出だけが書いてある。喧嘩した日も、風邪で会えなかった日も。

私はパラパラとページをめくった。
今、読まなければならない所までページを進める。

『4月4日
今日は高2の始業式』

まだ、もう少し先。
また、ページをパラパラとめくる。

『11月4日
夏恋に別れようって言われた。
なんでなのか分からなくて、とりあえず混乱してるから、もう寝る。』

『11月6日
夏恋が病気だと知った。
母さんが死んだのと同じ、白血病。
夏恋も死んじゃうんだろうか。
失うのは、怖い』

やっぱり、怖かったんじゃない。
強がらないで教えてくれればよかったのに。

『12月25日
クリスマスを病院で過ごしたのは初めてだった。
夏恋と一緒に居られてよかった。
夏恋の経過は順調らしい』

この頃はまだ、洸が死ぬような予兆はない。
私はまた、ページをパラパラと飛ばした。

『4月9日
俺の前に、天使となる悪魔が現れた。
そいつに夏恋が死ぬって言われた。
本当かどうかはわからないけれど、本当だったら嫌だ』

『4月10日
そいつは、俺に契約を持ちかけてきた。』

次の一文が目に入ってその意味を理解した時、私は膝から崩れ落ちた。

『夏恋と俺の寿命を交換してくれるらしい』

バサリと、音を立てて手に持っていた日記帳が床に落ちる。洸が、死んだのは私のせいだった。あまりにも衝撃的な事実に、涙が止まらない。滲んでいく文字を目でなぞると、文章にはあとから付け足された一文があった。

『このページを読んだら、DVDを再生すること』

私はその指示通りに、洸の部屋にあるテレビの電源をつける。洸とここで何度も映画を見たから操作はお手の物だ。再生ボタンを押すと、ちょっと気恥ずかしそうにこっちを見ている洸がいた。

「久しぶり、夏恋」

ビデオで撮っているからか、いつもより高めの声。でも、聞きなれたその愛おしい声にまた涙が溢れて、画面映る洸がどんどん滲んでいく。

「俺、すげえ迷った。
姉ちゃんも、夏希も、俺が守るって母さんと約束したのに、夏恋を助けるために死んでいいのかってさ。」

「私のためになんて死なないでよ」

「でも、夏恋がいない未来を俺はうまく生きる自信がなかった。ごめんな、辛かったろ。この7年。ずっと」

みっともなく嗚咽をあげながら、泣きじゃくる。画面の中の洸は優しく微笑むと、言葉を続けた。

「ごめんな、俺のわがままですげえ傷つけた。
俺が、夏恋のいない未来が嫌なのと一緒で、夏恋も俺がいない未来なんて望んでなかっただろ」

「どっから来るのよ、その自信は」

画面に向かってツッコミを入れる。もちろん返事はない。その事が苦しかった。

「夏恋が俺のこと大好きだから」

後ろから、声が、聞こえて振り返る。


懐かしくて愛おしいその姿が、そこに、あった。

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