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第28話

 澄人の子供がほしいと思い始めてから、約二週間後。

 はるの体に、異変が起きていた。

「…………」

 昼食を作っている彼女のまぶたは下がり気味で、いつもは小気味よい包丁の音も乱れている。

「う……っ」

 視界にノイズが走り――力が抜けた右手から包丁が離れ、まな板の上に転がる。

「熱が……また、上がって……」

 五日前から、はるは熱を出していた。それは人工頭脳から出ている熱で、時間が経つにつれて上がっていき、今では普段の倍近くにまでなっていた。

 エネルギーの消費量も日に日に増え、気を抜くとすぐに倒れてしまいそうなほどだ。

「こんなに、体に影響が出るなんて……」

 あまりの辛さに、イスに座って休もうかと彼女は思いかけたが、

「はる。洗濯物、干し終わったよ」
「あ……ありがとうございます」

 澄人に心配させたくない彼女は、休むことを止め、いつも通りに振る舞うことにした。

「昼食の準備がまだ終わっていないのなら、手伝うよ」
「いえ……もうすぐできあがりますから……」

 はるは、包丁を再び動かし……鍋に入れ……どうにか料理を作り終える。

 後は皿に盛り付けるだけだ。

「なんかフラついているように見えるけど、大丈夫?」
「え、ええ……わたしは、大丈夫……ですよ」

 必死に笑顔を作り、手を震わせながら皿を持つ。けれども、なかなか持ち上げることができない。

「やっぱり、大丈夫には見えないよ。少し休んだ方が……」

 台所へ近づいてくる澄人。

 はるは、どうにかして皿を持ち上げ、それを彼に見せた。が……

「あとは……お皿によそうだけ、ですから……澄人、さんは……座って……い……て……」

 はるの手から皿が落ち、バリンッ! という音が鳴った直後。彼女は床に倒れた。

「はるっ!」

 突然の出来事に、澄人は急ぎ駆け寄り、倒れたはるの体を抱き上げた。

「はる、どうしたの!? しっかりして!」
「はぁ……は、ぁ……う……」
「……体が熱い。もしかして……」

 苦しそうに息をするはるの額に、澄人は手を当てた。

「っ……! す、すごい熱だ」
「すみ……ひと……さ……ん……」
「と、とりあえず寝かさないと。いち、にーの……さんっ……ぬ、ぬぅおおおおぉぉぉぉーー!」

 声を出しながらはるを抱き、ソファーへと運ぶ澄人。

 はるは機械の体ではあるが、体の重さは、同じ身長の女性の平均体重よりも軽い。一般的な男子であれば、軽々と持ち上げられただろうが……遺伝子操作の失敗で、生まれつき他者よりも筋力が劣っている澄人の場合はそうはいかない。

「ひ、ひぃ……ひぃ……も、もうちょい……! あと……ちょーい!」

 顔を真っ赤にしながら、はるを抱き歩き、

「ひ、とま、ず……そふぁ~にぃぃぃ……!」

 リビングのソファーへ、はるをゆっくりと下ろした。

「ぜー、はー、ぜぇー……。ふ、布団をもって……こないと……!」

 息も絶え絶えに、澄人は和室へ行くと、押し入れの中から敷布団を引っ張り出してそれを持ってくると、リビングにあるテーブルをどかして広げ、そこへはるを寝かした。

「はあ、はあ、はあ……え、ええっと……ど、どうすればいいんだ……? あっ、そうだ! 熱が出た時には薬だ! げ、解熱剤は確か……って、違うだろ僕! はるに人間の薬なんか飲ませてどうするんだよ!」

 両手で頭を抱えながら、慌てふためく澄人。すると、はるはか細い声で澄人に言った。

「こ……おり……」
「え?」
「こおり、まくらを……」
「わ、わかった! すぐに用意するからね!」

 澄人は薬が入っている棚の中にしまってあった氷枕を取ると、氷をありったけ入れ、流し台へ持っていこうとしたが、

「うわわっ!」

 手を滑らせ、氷枕に入れた氷を床へバラ撒いてしまった。

「あ~もうっ、なんでこんな時に! しっかりしろよ僕!」

 バラ撒いた氷を拾おうとする澄人。しかし慌てているためか、ツルツルとした氷をうまく掴むことができなくて時間がかかり……ようやく拾い終わって、流し台で氷枕に水を入れようとするも、再び氷をこぼすことになってしまうのだった。


 そうして悪戦苦闘し、台所付近をびちゃびちゃにしながらも、どうにか氷枕を用意した澄人は、早速それをはるの頭の下に置いた。

「……ごめんよ。時間、かかっちゃって……」

「いいえ……ありがとう……ございます。」

 澄人が作ってくれた氷枕が、次第に頭部の熱を冷ましていく。

 おかげで先ほどよりも辛さが和らぎ、彼女の顔にもわずかながら笑顔が戻る。

「それで、どうして熱が出ちゃったの? 原因はわかる?」
「それは……えっと……」

 熱が出た原因について、もちろん彼女はわかっているが、言うにはまだ早い気がしていた。

 まだ不確定な状態……うまくいかない可能性もある。

 今このことを言って、もしうまくいかなかったら、澄人はがっかりしてしまうかもしれない

 それに……急に今言っても、彼は困惑してしまうのではないか?

 言うのであれば、ちゃんとできてから――彼が喜んでくれるタイミングで言うべきだと、はるは思っていた。

「……はっ! ま、まさか、人工頭脳に異常が出ているとか!?」
「いいえ。故障とか異常とか、そういうのではないんです。こうして頭を冷やしながら数日寝ていれば……たぶん、熱は収まると思いますから」
「でも、やっぱり心配だよ……。僕に何かできることはない?」
「ありがとうございます。じゃあ……すみませんが、お昼ご飯の用意をお願いしても良いですか? あとは、お皿によそうだけなので……」
「うん、わかった。はるは、どれくらい食べれそう?」
「じゃあ大盛りで……」

 エネルギーの減りが激しいため、つい大盛りと口にしてしまったはるだったが、

「…………」
「あっ――」

 ポカンと口を半開きにしている澄人を見て、しまったと口を紡ぐ。

 人間であれば、こういう時は食欲がないと言うのが普通だ。大盛りなどと、非常識なことを言って変だと思ったのではないかと、はるは思ったが、

「はは、よかった。食欲はあるんだね」

 澄人は笑って言ってくれた。

――そう……澄人さんはこういう人だった。だから、わたしは澄人さんのことが好きになったんだ。

 人間らしくなんて、気を使う必要はない。例え人間的に非常識なことであっても、受け入れてくれる。それなら――。

「澄人さん」
「うん?」
「熱が収まったら……ぜひ話したいことがあるんです」
「それって、悪い話……?」
「いいえ。とっても良い話です。澄人さんが喜ぶような」
「今じゃダメなの?」
「ちょっと、まだ話せないんです。詳しくは言えないんですけど……」
「そっか。けど、僕が喜ぶような話かぁ。どんな話なのか楽しみだよ。だから……早く元気になって、その話を聞かせてね」
「はい」

 澄人と手を握り、幸せな将来を夢見るはる。


 その夢は叶うと思っていた。

 叶わないはずがないと思っていた。

 澄人と、これからもずっと一緒にいられると思っていた。


 だが……その思いが、残酷に――無慈悲に――唐突に壊されることになるとは、この時のはるは――澄人も思ってはいなかった……。

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