バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

4 ~燃えろ! 燃えろ!~

 晴れた空に、白く巨大な像がそそり立っている。像は、天を見上げて微笑みを絶やさない。立てた襟や立派なリーゼントヘアが忠実に再現されていた。ファンの心を捉えて離さない、それは全長二十メートルものジョニー様像だった。偉大なるジョニー様の像の前に、三十代から中高年まで幅広い御婦人たちが集まり、落成式を祝うのだった。当のジョニー様は、超多忙のためここにはあいにくと不在だが、きっとメディアを通して【リーゼントハウス】でこの様子をご覧になられる事だろう。【リーゼントハウス】とはジョニーの所属するクラウドである。
「ジョニー様~」
「今日もジョニー様笑顔が素敵でらっしゃいますわ~」
(昨日と今日、像の顔が違ったら怖いだろう)
 とにかく好きで好きでしょうがないのだ、彼女たちは、リーゼントのイケてる男たちに狂喜し、まるで再び春が到来したかのように、少女の時代に戻ったように、それこそ、下敷きの中に写真を挟みたいくらいに、ジョニー様、あるいはリーゼント四天王と、大盛り上がりのクリスマス前だった。そのファン達の熱き思いに企業側が動き、「リーゼント・シンドローム」極まり、今日の純白のジョニー様像全長二十メートル落成の日を迎えている。一種の広告媒体なのだが、このままこの場所に永久に置かれそうな勢いである。
 その様子を、八本木ヒルズの一室から見下ろしている、顔に苦々しさを浮かべた男がいた。そう、問題の像も、八本木ヒルズ近所の公園の中にある。男は、さっきから下界の騒ぎに何か言いたげな顔で見入っている様子だったが、遂に口を開いた。
「幾ら何でも、北の将軍様扱いにする前に、気がつけよ……俺でさえ、巨大ポスターがせいぜいだったよ。二次元止まりだった。三次元にしちゃーいけねーよ……。それも……こんな(デカさで)。ここまでくると……一体誰が利するというんだ、一番。誰得だ。彼女たちか、いや……東屋財団の利するもんだ……所詮……リーゼント・シンドローム……ブームなんてものは」
 彼の名は誰でも知っている。トップアイドルにして高視聴率ドラマのプリンス、業界のプリンスとでもいうべき、桃流(トウリュウ)太郎。通称……
「大迷惑なんだよね。このモモタロウ様の天下がこんな事で終わるとはむろん考えられねー、だが、これ以上でかい面されたら、こっちは商売あがったりってもんだ。この世界、きれいごとだけじゃやってらんねェ……」
 桃流は、眉間にしわをよせ、煙草をくゆらせて窓の下の光景に見入っている。何かよからぬ事でも考えているのだろうか。しばらく沈黙が続いた。
「この……モモタロウ様のCMが減っているのもリーゼント・シンドロームの影響だ。東屋め、まさか【サイクロトロン】クラウドの領分を犯そうってんじゃーないだろうな? もしそんなことになったら、東屋だって許さない。俺は、東屋なんか恐れない。【赤方偏移】クラウドに対してやっているコトくらいじゃ……もうすまねーゼ!」
 煙は、部屋中に広がってまるで曇っている。ここは本来禁煙で、外の休憩室で吸わなければならない。それに部屋は結構広い。だのに、煙は彼の周囲に充満している。彼はさっきからふた箱も開けている。それにしても、桃流の格好である。いつもの彼とは大分違う。どう見ても、それは青い学蘭であった。中身は、白いシャツ。その前のボタンを全開にして手をポケットに突っ込み、まるで「番長」のように外を睨んでいるのだ。
「このモモタロウ様は黙らねェ。いざという時は東屋だろうと誰だろうとおかまいなしさ。【サイクロトロン】を駆け上がった俺は、ここだけじゃなく業界を……いや天下を統一する。邪魔だてするやつはどやつもこやつも斬って捨てる……。流れ流れて、モモタロウ。そう、今迄ずっとやってきたコトさ。【リーゼントハウス】くんだりからのこのこやってくるような連中も、例外じゃーねェな! この、モモタロウ様が、このモモ様が全員餌食にしてやる。そうとも。このモモ様がな!」
 独り言に酔いしれ続けるモモタロウこと桃流(トウリュウ)太郎のところへ、同じくテレビで馴染みのある顔が飛び込んできた。世間からキジーと呼ばれている彼も、やはり青い学蘭を着ているのだ。
「桃流さん、来ました。お願いします!」
「分かった。地下の駐車場へ通せ」
 桃流は、ギラリと鋭い眼光を走らせ部下キジーを緊張させた後、アイドルの影の顔、いかにも巨大タレントクラウド【サイクロトロン】の影の支配者として伸し上がった風格を維持しながら、戦闘準備を済ませると同時に煙草をキュッと灰皿に揉んで捨てると、さっそうと部屋を出て、そこに待機している五名の若衆たちと共にエレベータへ乗り込んだ。そのメンバーも、テレビでよく見かける【サイクロトロン】メンバーである。
 一階ロビーに、男達が押し寄せていた。こんな人込みの中で、また系統の違った面構えの男達が、ずらりと一人の青学蘭を取り囲んでいる。男達と応対しているのはやはり【サイクロトロン】クラウドの一員、蛭田海星。
「あの、ロビーで話し合いをするのはコトですので、どうぞこちらへ」
 蛭田は低姿勢で男達を地下駐車場へと通した。地下駐車場の中でも、VIP専用と言われる場所、だがそこは今誰も居なかった。
「こんな所に頭(ヘッド)が居るゆうんか、なめとんのか?」
「ふざけるのは顔だけにしとけヤ!」
「ひゃーっははは!」
 蛭田は、黙って、いいように関西弁を連発する男達に弄ばれている。そこへ、チーンとエレベータのドアが開く音がして、エナメル靴の、ドカドカという歩く乾いた音が地下に響いた。男達が振り返ると、まっさきにその中のスキンヘッドの巨漢が胸ぐらを掴まれ、見事な足裁きで倒された。倒された男も、その他一同も、彼を見て驚いた。
「モ、モモタロウ! あ、あんたがひょっとして噂の【サイクロトロン】を仕切っている影の黒幕!」
 桃流は目を剥いて睨み付けた。
「今日はわざわざ【赤方偏移】の皆さんご足労いただきありがとう。………………けどよー、誠実に対応してやってるうちの蛭田をからかうのはいただけねぇな。大人としてマナーがあるんだろ? あ? お前らにも。俺たちの方からもめ事起こした訳じゃないんだからさ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよッ! 自分ら桃流さんが仕切ってたなんて何も聞いてないんで」
 男達は関西の芸能クラウド【赤方偏移】の若手お笑い集団である。まだ仕事といっても大したものはなく、時折こうして戦闘員に駆り出されている。きっかけは、【サイクロトロン】クラウドの若手との居酒屋での喧嘩だった。先に仕掛けたのは【赤方偏移】若手芸人の方だった。怖いもの知らずの彼らは、【サイクロトロン】の闇部門の関係者など大した事はないと考えていた。だが、相手が大物過ぎた。こんな大物を相手に嫌われたら、仕事が全く来なくなってしまう可能性は大いに在る。ただでさえ仕事のない彼らは、敵側だろうと大物には一目を置いているのは当然であったからだ。
「じゃナニか? 何もしらねーでやってきたってのか。【赤方偏移】との全面戦争……今回はそっちの方から仕掛けてきたってーのにヨ? 【サイクロトロン】を仕切る俺としては許し難い問題だ。お前らみたいなやつらだからって、見逃す事はできない。なぁ! お前らだったら、俺の立場になったら、どぉするよ?」
 男達は黙り、なんとかこの場を切り抜ける道を考えるのだった。
「じゃあ謝れよ」
「……」
 桃流の突風のようなオーラの威圧感に、彼らは棒立ちしていた。
「……謝れって言ってるんだゼ!!」
「い、いえ、も、ももも申し訳ありませんでした」
 全員一人残らず土下座する。
「フフフ。そんなに怖がらなくていいからさぁー」
 桃流は突然ほがらかにハハハと笑う。釣られて、彼らも笑った。だが、また真顔に戻ってしまったので男たちは再び黙った。桃流は、当の問題を起こした若手芸人を睨み付けて言った。
「土下座で済むと本気で思ったか? 可哀想だがな。下に示しがつかないんだよ。このままだと。俺の立場も分かってくれ」
 学蘭の中から取り出されたドスが銀色に光り輝いている。まるでそれはプラチナでできているかのように美しい業物であった。その流れる光の反射の線を目で追いながら、非情にもその芸人の身体を貫き、そのドスには血の筋一線も残されていなかった。倒れた芸人仲間を見下ろす彼らは無言のまま突っ立っている。
「よく見なヨ……死んじゃいねーヨ」
 桃流太郎の言うとおりだった。ドスはスタンガンの一種らしい。気絶しただけだ。
「そっちのボスの四ツ目奴郎がお前らみたなのを俺んとこによこしたのは何故だか分かるか。え? 今回は総力戦にならないようにお前らを『差し出した』という事なんだよ。闇の世界の事、よく知ねーで首を突っ込むのはやめとけ。お前らみたいのには娑婆の生活でまっとうにおまんま食ってる方が似合ってる。四ツ目には俺がよろしく言っていたと伝えてくれ」
 このまま帰れという言葉の通り、男達は気絶した仲間を抱えてビルから逃げ去った。【赤方偏移】との全面戦争は、かれこれ五年ほど前から燻り始め、ここ二年の間続いている。両者はこの世の支配者・東屋幕府の共に「大名」だが、大名同士の勢力争いは度々行われていた。【サイクロトロン】クラウド代表・百目鬼はブラック企業裁判以降、すっかり内部での権力が衰え、それに代わって桃流が実質的なボスになっていた。あの裁判は桃流の陰謀だと言う説が、まことしやかに業界の一部で出回っている。そして桃流のように【赤方偏移】の黒幕である四ツ目奴郎(よつめやろう)は、内部派閥争いによる暴力事件の発覚で謹慎を余儀無くされていた。
 桃流があごで指示を出すと、キジーらは上階の部屋へと戻って行った。入れ替わるように赤いポルシェが入ってきた。車が停まり、中からショートヘアのボーイッシュな女が出て来る。キリッとしたつり眼、長くて白い首。年齢は二十歳そこそこ。
「そのドス……何かあったのね?」
 降りてきた女は黒いスーツに身を包んでいた。ドスを一目して、なんだ刃のないフェイクかという顔をした。
「あんたか。別にこっちのコトさ。本題に入ろうゼ。この後収録があるんだ」
「ご苦労様……で、あなた知ってるんでしょう。彼女の事を」
「ああ知っている。だけどそっちの問題だから別に口出すつもりはない」
 桃流は、黒いショートヘアの金剛アヤナのきらきらと輝くつり眼の瞳をじっと見た。
「ならいいんだ……。あなた所々何を考えているのか分からない所があるから。腹心の九郎チャンの方が実はまだ分かりやすいわ。世間じゃまるで逆に思われてるよーだけど」
 アヤナはにこりと挨拶代わりの笑顔をモモタロウにくれた。
「腹心とは言わないでくれ、あいつに悪い。---それで話の続きは?」
「加東ルミ江があたし達と戦っている事、やっぱりあなたには隠せないわね。そう。芸能界を仕切る【ヨルムンガンド】は今抗争の真っ最中よ。それで、質問なんだけど。どうしてそのあなたが、加東ルミ江の最期の場所を私達に提供するのかというコト」
「まぁ、別にしゃしゃり出た真似をしたい訳じゃない。俺自身も巻き込まれるのはゴメンだ。噂に聞いているヨルムンガンド・レンジャーの恐ろしさは、味わいたく無い」
「あら、あなたもやっぱり恐れているのね。そうでしょうね? あなただって、【赤方偏移】との戦争に大忙しでしょうから」
 私だって知ってるわよと言わんばかりのアヤナの皮肉だった。モモタロウも、ヨルムンガンド・レンジャーには、一目置いているのだった。
「あれさ! あの北の将軍様を彷彿とさせるジョニーのでっかい像。あのゴキゲンなリーゼント野郎の。あれが俺のオフィスから見えるんだ。うっとうしい事この上ない代物が。カノジョさ、今夜、そこへ来る。あんたらがそこで戦えば、あの像は無傷じゃない。そう。あんたらの武器で戦えばな」
「あなたも意地が悪いわねェー。人の手で壊させようというワケね。あなたにとっては、ジョニー様像の行方の方が気になる訳ね。私達の決闘は単なるオマケって訳か。トンでもなく身勝手なお話ね」
「今夜は晴れると、さっきニュースの天気予報で見た。イイ月が出る。確か満月だ。俺は決闘の立会人として、オフィスから拝見させてもらうぞ」
「了解したわ」

 明るい東京の空にも、白い月がくっきりとうかびあがる。十二月。黒いボディコンスーツに身を包んだ加東ルミ江は、長い髪を夜風に揺らしながら、顔に髪が掛かっても、それを手で撫でる事もなくそのままにさせていた。寒くはあるが、よほどの日でなければできるだけ、戦闘の時にはこの格好を守るのがポリシーだ。悪趣味の極みともいえる、ジョニー様二十メートル像の手前に立つ。彼女の手に携帯があり、決闘を告げるメールを再び読み返す。
『BLACKへ。今夜、最終的決着を着けたく、メールをしたためた。場所は恵比寿公園のジョニー様像の前にて。勝利は必ず我が手に。RED』
 そのメールを送りつけたのは、両者の正体を知る数少ない一人・桃流太郎だった。彼の勝手な介入によって、ヨルムンブラック・加東ルミ江と、ヨルムンレッド・金剛アヤナの決闘は、一挙に早まったのだった。桃流は、夜の収録が終わると、すぐクラウドへ帰り、密かに公園に設置した監視カメラのモニターで二人の様子を見守った。深夜二時、この時間になると、眠らぬ都会もさすがに人気が居なくなる。
 像は、下からのライトで神々しく輝きを放っているが、ジョニー様の笑顔は影の具合でやや無気味な印象を覚える。対照的に(と、言うべきか)、ルミ江の横顔はまるで観音像のように美しく白く浮かび上がる。そのしなやかな手さばきから繰り出されるピアノ線の奏でる旋律は、決して「美」を表現するものではない。像の向かいに、時計台が設置されている。二時を過ぎ、ルミ江は辺りを見回す。空気が変わった。さっきまでの穏やかな空気から、まるで暗黒地帯の中枢に飛び込んだような危険な匂いが充満している。敵はすでに来ている……。
 ハイヒールの音がカツンカツンとこちらへ響いて来る。音の響きから、ただの通行人ではないとルミ江は察知した。だが、ジョニー様の像に音が反射され、一体どこから響いて来るのかが分からなかった。後ろを振り向いたが、誰も居ない。
「こんばんは」
 声の方向を見ると、頭上のジョニー様の肩に金剛アヤナが立っていた。いつの間にかアヤナは上に上がっていた。ボーイッシュなショートヘアのトップ女優。あの若さでバラエティ司会も見事にこなす。彼女が、ヨルムンレッド。金剛アヤナは、まるでゆっくりと釣り降ろされて来るように、空中を降りてきた。何か、ロープでも使っているのだろうか。そして地面に達すると再び、ハイヒールの音が響き近づいてきた。
「やはりあなたが」
「ヨルムンレッド金剛アヤナ。ハタチでーす」
「……」
「とうとう八神亜里沙まで殺してしまったのね、加東ルミ江。恐ろしい子。あなたのしている事は、芸能界にとって重大な損失だワ。あなたは、トップスターにまで上り詰めたかもしれない。それは認めるわよ。でもあなたが、誰が薬師寺ルカの、八神亜里沙の真似をできると思っているの。この日本の芸能界の、かけがえのない唯一の才能を奪ってしまったのよ」
「それは、決して真似できない事くらい、分かっている。私が倒したのは彼女たちがヨルムンイエローとブルーだから。ただ、たったそれだけよ」
「私達がヨルムンレッドとかヨルムンブラックとか、世間には関係のない事でしょ。そうやって、いつまで自分を正当化しているつもり? 私には分かるわ。4Kの画面を通したって、あなたの演技に現れたあなたの深刻な悩みが」
「なんですって」
「ちょうどそれは、亜里沙を殺した頃からピークに達した……」
「知ったような口を聞いてんじゃないわよ!」
 ルミ江は怒鳴った。それがかえって、アヤナの言い分を証明してしまうかのようで、彼女は頬を赤らめた。
「人を殺す事にためらいを感じている……それならなぜ、この業界を辞めないの? こんな荒んだ世界、とっとと辞めてしまいなさい。無理をしているのが私にはよく分かるわ。いくら殺しの技術を極めても、しょせん、あなたはこの世界には似つかわしく無い人。この世界には、結局染まりきれていない人」
 忍には忍の事が分かる。特に先に相手を忍と感ずいた場合には。その内面まで見通してしまうといっても良い。
「金剛アヤナ……調べたわ。わたしだっていろいろ調べていた。あなたがわたしをテレビで見ている間に。あなたは芸能界を支配する【ヨルムンガンド】の麻薬売り買いを一手に引き受けている仲介者。コネクションの中枢。テレビからよくそんだけの事分かったわね。さすがは【ヨルムンガンド】の忍。正直に言うわ。あなたが今語った事は真実よ。わたしはあの二人を殺したくはなかった。でもあなただけは違う! あなたは生かしておけない……。何故なら私が尤も憎む、麻薬の支配人だからよ。今日迄の戦いは、あなたに会う為の戦いだったの! ようやく見つけた。金剛アヤナ、今夜あなたの命、頂くから」
 ルミ江の手からするりと伸びるピアノ線。獲物に向かって、アヤナの首を刎ねようと襲い掛かった一線の凶器は、空中の何かに遮られた。アヤナの手に握られていたもの。それは銃だ。ルミ江がそれを見て横に飛ぶ。だが、銃から撃たれたものは銃弾ではなかった。ルミ江のものと同じようなワイヤーが銃口から伸び、彼女に襲い掛かった。再びルミ江がピアノ線を回収し投げ付けると、今度はアヤナのワイヤーがそれを遮った。その瞬間、ルミ江の全身に電撃が走った。銃からワイヤーに電流が流し込まれていたのだ。
「ウアァァーーーー!」
 ルミ江はショックで倒れた。だがその手にはまだドスが握られている。彼女はそれを、自分の太ももに突き立てた。軽くはあったが、血が流れ、そのお陰で気絶せずに済んだ。電流を食らう直前に、ドスを抜いていていて助かった。ピアノ線を、相手のワイヤーと絡ませると危険だ。それは物凄い電流である。何度も食らえば心臓マヒを起こすだろう。さっきだって。ルミ江は足を引きずるように立ち上がると、精一杯の力で、ピアノ線をジョニー様の首に巻き付け、飛び上がった。空中に避難するためだ。それにしても、まさか敵もワイヤーで来るとは。しかも、相手の方が優れた武器であることを認めざるを得ない。ピアノ線ガン。思い出した。ヨルムンガンド・レンジャーの訓練所で編み出された、加東ルミ江の殺人術、ピアノ線を、より発展させ破壊力を増大させた武器。ルミ江が訓練中の時には、確かまだ研究段階だったはずだ。それが実用化され、ヨルムンレッド金剛アヤナが使っている。だとしたら、自分の方が遥かに不利ではないか。
「さすがね?」
 アヤナが地上から見上げて声を掛けてきた。
「自分のふとももに刃を突き立てて正気を維持するとは。プロだから瞬時に判断できる事ね」
 ルミ江はジョニー様の肩に乗ったまま、この冬の夜空に汗をびっしょりかいていた。太ももから血が流れる。少し、強く突き立て過ぎたか。長くは続けられない。ルミ江は一気に勝負に出た。
「デヤーーーーーーっ!」
 腕に最後の力を込めて、ジョニー様の首に巻き付いたワイヤーを思いっきり引っ張った。ジョニー様の首に亀裂が入り、それを蹴飛ばすと首は割れ、アヤナの頭上に降って来た。アヤナはぐるりと地面で転がり、避けた。「今だ!」ルミ江は飛び下りた。ドスの柄を両手で握り、そのままアヤナの身体に向かって落下する。ピアノ線ガンが発射される。それはとっさの行為だったので、ルミ江の身体の脇を避けて行った。が、伸びたピアノ線をアヤナは両手で掴み、降り掛かるドスをピアノ線で避ける。ルミ江は地面に着地するとアヤナの胸ぐらを掴み、殴り掛かる。必死に繰り出されたパンチはアヤナの顔にヒットし、口が切れた。だが、そこまでだった。足に傷を負い、動きが鈍くなったルミ江の攻撃を避ける事は、アヤナにとって簡単な事だった。距離を取り、銃口をルミ江に突き付ける。
「両手を上げなさい」
 口の血を拭い、命令するアヤナに言われるままに、ゆっくりと両手をあげる。アヤナはにやりとする。そのまま左手でシュッと何かを投げた。するとそれはルミ江の両手に手裏剣のように飛んで行き、カチャンと挟まった。左腕に挟まると、さらに右腕にも挟まる。鉄蝶に似ている。それは手錠だった。その手錠に向かってピアノ線を発射する。ぐいと引っ張る。電撃こそ発しなかったが、ルミ江はつんのめって、思い切り前に転んだ。
「大したものね。九々龍がもっとも優れた殺し屋だと言っていたのもうなずけるわ。それに、未だに勝負を諦めていない……私も、これまであなたとの戦いほど危険なものはなかった」
 ピアノ線に電流を流し込めば、約十秒でブラック加東ルミ江はショック死する。絶体絶命! どうするルミ江、このままではこの物語は終わってしまう!
「九々龍はね。あなたのお陰ですっかり衰えたわよ。あなたはこれまで、どれほど恐ろしい巨大な敵を相手にしているのか、一切臆する事なく戦って来た。勇敢な戦士よ。その戦いが、この腐敗しきった世界に、ちょっとした変化をもたらした。いや、ちょっとしたどころではすまないわね。やくざと闇の支配者が入り乱れる世界。闇の権力も関与しているこの世界にね。九々龍だけが影響を受けたのではない。そして、そのような事をしたのはあなたが最初だ、という事」
「お前もその一人だろ! わたしの親友は、薬に溺れて、廃人になったのよ! ……いや、わたしの手で引導を渡してあげようともした……お前らはわたしに親友を殺させかけた! たとえ闇を動かしている連中があたしに謝ったとしても、わたしは絶対に許さない」
 アヤナはにこりとした。
「如月ヰラの事を言ってるのね」
 なんだこの女は。なぜこんなに訳ありな顔をする。
「……彼女のこと、悔しいでしょう。なら、私に力を貸すことね」
 金剛アヤナは正面からルミ江を見据えた。
「さて……派手に壊してくれたわね。ジョニー様像。朝来てファンが見たら怒るわよ。でも、これでこのちょっとしたショーを見ている人にも、ご満足いただけたかしら?」
 アヤナはルミ江の胸元に手を入れた。一万円の手裏剣を取り出すと、シュッと夜空に投げる。回転する新札版の一万円は、設置されたカメラをガチャン、と壊した。クラウドの本部でそれを見ていた桃流は、にやりと笑うと、寝る前にシャワー室に入って行った。
「今夜の戦いは、あなたがジョニー様像を壊してくれたので終了させていただくわ。この像がどうしても気に入らないという人が居たのでね。あなたにお近づきの知るしとして、私は今夜、決闘をさせていただいた。でも、この決闘はわたしの勝ちね。もちろん命を取るつもりなんか、最初っからなかったわよ」
「な、なんですって?」
 ルミ江は眉間にしわを寄せて額に汗を滲ませて聞く。
「はじめまして。私は警視庁公安7課の金剛アヤナ。通称『東京バイス』と呼んで。私達は、これまで芸能界クラウドの闇に深く潜行し、麻薬、マネーロンダリングの闇ルートの解明、コネクションの実体を内偵していた。近々、大掛かりな捜査があるところだったって訳。それを、あなたがめちゃくちゃにしてくれた。でも、あなたが闇を浮き彫りにしてくれたお陰で、この世界では、今大変な事が起こっている」
 アヤナが、警察手帳を素早く抜き出すと、そこには制服を着て黒縁浪人眼鏡を掛けた彼女の写真があった。趣味は勉強って感じだ。思い出した。ニョキペディアによると、確か帝都大を飛び級で二十歳で主席卒業している。あれははったりではなかったのか。東京バイスだと? この手錠も、警視庁から支給されているものか。
「………………」
「私達の内偵はかなり進んでいた。もちろん、わたしの麻薬取り引きも何もかもおとり捜査よ。実際に売り買いは当然していないわよ。ともかく、それがあなたというトリックスターの登場でもっと事が大きくなってしまったの。私達のサイドは、闇を統括する国家権力の中枢と、真っ二つに国を二分する勢力争いを続けている。戦後--------GHQが押し付けた封建社会解体、アメリカ式民主主義の導入は、何をもたらしたか。別の封建社会の台頭よ。つまり東屋財団の支配。闇社会、『闇市場の増大』よ。東屋クラウドに潜む闇。闇が、我々サイドの思った以上に膨れ上がってしまった。いいえ、アメリカの予想をも遥かに超えてね。それから、我々と敵側は、国家中枢のレベルで、生ぬるい戦争を続けて来た……あなたもその一員なのよ。東屋クラウドに支配され、芸能界で、純粋に闇に拘わっていない方がほとんど少ない。意識するか、無意識かに関係なく。ま、二割程度ね。あなたがよく御存じだ思うけど。その生ぬるいバランスが、今回加東ルミ江の乱によって、もろくも崩れたと言う訳。闇が表に噴出している。もはや、全面戦争は避けられない。こうなったら仕方が無い、闇権力を叩きのめす大規模な戦争に突入するより他は無い。私達のボスの判断よ。とんでもない事をしてくれたものね」
 そもそもクラウドは初期の設備投資や事務所、人材、資金も要らない利点があるが、一方でセキュリティや、ブラックボックス化したクラウドで何か起こっているか不透明という問題がある。東屋財団クラウド局の闇はとてつもなく深く、アヤナ達はその全容解明を目的として動いていた。
「お前は、警察だというの……」
「『警察なんか怖く無い』そうでしょ? 中でもメディア・芸能界の闇封建社会は、警察の治外法権だったから」
「それだけじゃない。警察だって闇に関わっている!」
「そうよね。如月ヰラの事、残念だって思っている。私も彼女を救おうとした。だけど、救えなかった。あなたの戦いは、如月ヰラの為だった。確かに、警察の中にも闇の手先がいる。そいつらの妨害を受けるのよ。私たちは日々、彼らとも戦っている。そっちの方も大混乱よ。でも、わたしならあなたを助ける事ができるわ。私とあなたなら、いいバディになれるはずよ。東京バイスのね。これからの戦争のために私達の側に協力してくれるのなら、今迄の罪、司法取り引きで全部チャラにしてあげる」
「司法取り引き?」
 何人もの人間をピアノ線でつるし上げたルミ江の罪をチャラにするほどの権限を、このアヤナが?
「あるのよ。日本でも当たり前に行われている。明文化されていないだけで。されることはないけれど。私にはその権限が与えられている。警察のデータベースは私達が握っているのよ」
 アヤナは、ルミ江を助け起こすと、ワイヤーを銃口から切り離した。
「闇の……中枢……東屋財団クラウド局と戦おうというのかしら」
「そうよ。そしてその後ろにいる黒幕ともね。あなたが引いたトリガーよ。いい? 今のあなたの立場、教えてあげる。あなたは、今闇権力の間で高い評価を受けている。仕事に事欠かないでしょう? もう九々龍俳山は見捨てられたのよ。代わりにあなたが闇の紳士たちに、次世代のクラウドリーダーとして白羽の矢を立てられている。もしその誘惑に乗ったら、私はあなたと戦わなくてはいけなくなる。だから今日わたしが現れた。これまで勇敢に戦って来たアナタだからこそ、私達も助けようとしている。みすみす、悪の手に落とさないようにね」
 ルミ江は今迄、ただ復讐のために戦って来た。自分に降り掛かる火の粉は払わなければならない。だが、社会が大きく動き出している。アヤナによれば。自分の投じた一石によって。果して金剛アヤナを信用していいものなのだろうか。
「あなたは本質的に善人でしょ」
「善人?」
「そうよ。あなたはもう人を殺したくない。だから、闇の誘惑にも打ち勝つ事ができるはずだわ」
 しらじらと夜が明けて来た。
「もう行くわ。今日はご挨拶まで。またあなたの元を訪れるから、よろしく。メールアドレスに連絡入れるわ。今度は本物の私のメールをね。最後に、残り一人のレンジャーに気をつけてね」
「何か知っているの。相手の情報を」
「最後の一人はヨルムンピンク。最強はブルーだって言われていたけど、私の意見では、ブラックであるあなたと同じか、それ以上の力を持つ相手よ。もし彼女が誘惑してきても、絶対相手しちゃ駄目よ。私という天使の言う事を信じるか、それとも闇の誘惑に乗るか、さて、あなたはどうするのかしらね?」
 アヤナはその言葉を残し、ルミ江の前を後にした。
「……そんなの、何の情報もないじゃない。おい、手錠、手錠外して行け!」
「手錠なら『マジ駆る九ノ一』でいつも外しているでしょ!?」
「あれは演技! 演技なの。お~い!!」
 ルミ江は手錠のまま、公園を離れると、ヘアピンを使って苦労して一時間掛けて手錠を外した。朝、首を落とされたジョニー様像の周囲に人やテレビ局が群がり、報道された。
 その日、ルミ江はオフだった。夜、歩道橋から下の道路を見下ろすルミ江の姿があった。クリスマスソングが流れている。街はイルミネーションに彩られている。カップルが通りかかる。
「あ! 加東ルミ江だ……」
 ルミ江は最初とまどったが、ニコニコとした。「ファンなんですよ~」と男はしつこくつきまとう。写メールを取ったり、入り込んで来る相手に、彼女はうまく逃げようと困った顔をする。それでも男は引き下がらず、ずかずか入り込んで来るのでキッと睨むと、男はチェッと言って去って行った。
 こんな戦いを望んで、この世界に入って来たんじゃなかった。遠い。あの、キラキラ光るイルミネーションで恋人たちが過ごしている世界とあまりにも遠い。そんなの、ドラマの中で演ずるだけの今の私が居る。すっかり私は血まみれになってしまった。どうすればいいのだろう。これから、あの女の言う通りに従ったとしても、血塗られた道である事には変わり無い。ルミ江は歩き出した。

「ずっとまともじゃないって、分かってる……」

しおり