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第65話 ありすとデート 全米が泣いた

 火曜の晩、皆で「半町半街」で紅白歌合戦を観た。
 水曜の晩、満月がパンケーキになった。
 で、今日は木曜日。夜、時夫とありすは「フシギシネマ」で映画を観る。

 沈黙する「ぷらんで~と恋武」の隣に建つ、シネマコンプレックス「フシギシネマ」。この町唯一の映画館に、ありすと時夫が到着したのは、すっかり日が暮れた頃だった。結局その日、ウーが「半町半街」に戻ってくることはなかった。ありすが、時夫とデートする事をウーは知らない。こんな風に二人で恋文銀座を歩くと、いつも臨戦態勢で見やっている町並みとは全く違って見えた。
「なんかこういう時間、忘れてたナ」
 ありすがそう言ったきり、お店からここに到着するまで、ありすも時夫も終始無言だった。別に、ありすの無言が時夫に移った訳でもないだろうが。
 すべてが、一人残らず、作りものの人間だ。俺達は地下勢力に囚われている。こうして恋文銀座を歩いてきたが、この景色。そして道行く人々。すべてが白彩の煙突から吐き出された煙のもたらす飴によって、砂糖化したものだ。だが、もうかまわない。
「ねぇ、この人たち。外を歩いている人も店内の人たちも、みんな砂糖の偽者人間になったのかな。目を合わせると、偽者達に俺たちの存在がバレるのかな。それとも、俺たちも砂糖になってしまうのかな」
「もう大丈夫よ。私達は。二人とも気づかない内に偽者だったとしても、もう雪絵さんみたいに、限りなくニンゲンに近づくことができて、もう偽者にはならない」
「そっか。そうだよな」
 木枯らしが吹いている。
「肌寒くなってきたな。ありすのそのゴスロリ服、暖かそうだけど」
「うん。でも私、冬好きなんだ。冷たい風が胸のこの辺りに当たると、ファンタジーを感じるのよね」
「ふ~ん? ハハハハ」
 時夫はありすがおかしな事を言ったのでにやけ、笑った。ファンタジーなら近頃散々感じてるが。
「あははは」
 時夫が笑うとありすも笑った。時夫はなんだか二人で笑うのが愉快に感じるのだった。
「サテ……何観よっか?」
 時夫はここに立ち入った事はない。改めて見上げると、真新しい。もし敵基地だったどうするんだ? だがもう、そんな事は今更どっちだってよかった。もし敵基地だったとしても、その時は戦うだけだからだ。自分の部屋でさえ安心ではない今日の状況下、不思議と平静な自分が居る。幸いにして、ここに地下帝国の橋頭堡を示す「六角形に蜂の頭」のマークは見当たらない。映画鑑賞中、デートを邪魔される心配はなさそうだ。
 壁に表示された、上映スケジュールを二人で確認していく。

 『ダーティーハマー』 アメリカ版あぶない刑事らしい。
 『ブレナイランナー』 ぶれないランナーの話らしい。
 『失敗ダーマン』 失敗したらしい。
 『素天狗』素の天狗によるスティング?
 『トモコ・レイダー』 トモコさんの冒険活劇。
 『ウルトラマッチョ』 アーノルド・シュワッチネッガー主演。
 『グッドガイ&バッドガイ』 雑なタイトルの西部劇
 『第九ハードボーイ』 テロリストと中年刑事の孤軍奮闘を書くアクション映画のパクリ。
 『ユー・マスト・大』 香港アクション。
 『マサルの女』 誰?
 『OZの安二郎』 えーと……。
 『ラスト・サムイヤツ』 ……タイトルが寒い。
 『キングゴジラ対メカトラマン』 ありえないほどB級。
 『カジノ怪獣バカラ』 ……。

「ねェ、この、ディノ・デ・ラウレンティラノザウルスってどんな恐竜映画?」
「監督だろ」
「なんかイマイチね。感動系とかない?」
「これは?」
 結局、時夫が選んだ白澤暗(しろさわあん)監督の『善兵衛が泣いた』を二人で観ることにする。監督名がちと気になったが。
 内容はというと、生まれてこの方一度として泣いたことのない善兵衛。その一軒家に、夜な夜な村人が訪れては、泣ける話、感動話を持ってくる。そうしてオムニバス形式で、作中劇が続々と展開する。だが、肝心の聞き手の善兵衛はなかなか泣かない。そこで、最後に持って来たのが重身の妻に、子どもが生まれたという話だった。その時初めて善兵衛が泣いた。
「泣けないわね」
 ありすは欠伸して涙を出した。
 そーかな、結構泣ける話だったよーな……。
「面白く、なかったかな」
「ううん。ずっと別の事考えてて。ごめん」
 そう、科術師・古城ありすに安らぎの瞬間など決して訪れないのだ。金沢時夫、この俺を、どうにしかしてこの町から脱出させようと思案してくれているのだ。
「うまく、考えがまとまんない」
 ありすを見るとなんだか顔面蒼白だった。
「何か、俺にできることでもあったら……」
「チョコが足りん。あたしの機嫌を直し、推理させたかったらチョコ。いいやチョコなんかじゃ足りない!」
 ありすは時夫の二の腕をガッと掴んだ。
「レストランへ行くわ。付き合って。ビーフステーキを食べるわ」
「あ、あぁ……」

 ありすは金持ちなので、国道沿いの高級フランス料理「レストラン恋文」に金時を誘った。これまた町で唯一と言っていい本格的ステーキ屋でもある。エントランスに白と黒のアラベスク模様の大理石、店内の絨毯は赤く、ポマード頭のボーイは全員タキシードを着ており、内装は一流ホテルのそれである。
 溶岩板ステーキコース「初夢」を二人で注文した。血の滴るようなビフテキが、美味そうな音を立てて鉄板の上で焼かれていく。それとアヒージョというお酒のおつまみみたいな料理と、「普通の」バゲットが着いた。
「ごめんね、なんか、私振り回してるよね」
「別にいいよ。こんな凄い店が、この町にもあったんだな」
 ここは途方もない高級店だ。高級すぎて有産階級しか来ない。ありすの隠れ家のような店らしい。大多数が庶民である恋文町人は、食糧難になっても殺到どころか近寄る事もなく、平日の夜は静かなものだった。ありすはそれを狙ってここへ来たらしい。
「もっとも、この肉が現実の世界の味じゃないって思うと……」
「今は考えないで。美味しくなくなるでしょ」
 珍しい事を言うもんだ、古城ありすにしては。いつもは現実を直視しろとしか言わないくせに。
 夢の世界。これは、そんな生易しいもんじゃない。十中八九分かっていた。俺達は、あの地震でとっくに死んでるってことを。地下の女王・真灯蛾サリーの仕業などではない。こんな事を言いながらステーキを口にする古城ありすは、やっぱり俺を必死で元の世界に戻そうと考えをめぐらしてくれているに違いない。だが、ありすだって一瞬でもいいから現実を逃避したい瞬間があるのだ。
「さっきの映画。結局は愛って事かな」
 白澤暗(しろさわあん)監督、略して「白餡」だと? 何か嫌な予感が。
「ん……そうなんじゃない?」
 ありすはあまり興味なさそうに、次から次へと切断された肉を口の中へ運んでいく。
「あたしが好きなのは、キャメロン監督の『アバター』よ。最初気味悪かったナヴィ族のネイティリが、観てる内にだんだん可愛く見えてくる。いやだから、アバターもえくぼっていうじゃん?」
「ありすはさ、どんなタイプが好みなんだ?」
「何急に? そうね。昭和の男みたい雰囲気なのが好きカナ」
「ふ~ん」
「最近のイケメンって、なんかオソマツ君みたいなのよネ。みんな、髪型や顔の雰囲気がおんなじでさ。区別がつかない」
「はぁ」
 ありすはたとえが独特だ。時勢になびかないタイプなのか、懐古趣味なのか。それはともかく、古城ありすらしかった。イケメンに媚びてるありすなんて、時夫は想像もつかない。この辺については、今時女子にもいえることで、かわいい娘(こ)の雰囲気は何げに似ているものだが、ありすみたく金髪で黒ゴスロリとなるとその辺をちょくちょく歩いてはいない。その後、ありすはなぜか某人気ゲームのホスト・ファンタジー化批判を展開した。
「あたし、これ苦手。食べてくんない」
 ありすはフォークで付け合せのニンジンをゴロンと突いた。
「ニンジングラッセか」
「給食に出てきてそれ以来ダメなの。ニンジンを甘く煮るなんて」
 地下では、ニンゲンを甘く煮るなんて。
「不思議よねぇ。大学イモは許せるのに。昔ピーマンも嫌いだったけど、師匠が作ってくれた肉詰めピーマンで食べられたのよ」
 時夫はありすの分のニンジンも食べた。
「なぁ話って……」
「今日はありがとう。デートしてくれて」
 映画の内容はありすにとって微妙だったらしいが。時夫にとっては面白かったけど、しかし何もなかったな、戦いのヒントになりそうなものは何も。こんな事で、時間を潰していていいのか?
「あなたは絶対、私が東京に脱出させるわ。この私の科術師生命にかけてね」
 恋文町は、荒唐無稽でめちゃくちゃな外見的現象とは裏腹に、すべての本質が論理的なメカニカル・パズル・ワールドだ。それは意味論に裏打ちされているが、おそらくこの町を設計した者が居る。それはひょっとするとありすの探している、今現在絶賛行方不明中の、「半町半街」の店主たる彼女の師匠が関係しているような気もする。あるいは綺羅宮神太郎? それと、ウーの彼氏・佐藤マズルという奴は何者なんだ?
 さらにいうと恋文町に秘められた謎、奥義は、言葉、論理では決して表せるものではない。この町の論理は、現実とは分離された世界の中で作られている。つまり、現実の中で通用する論理では解決しない。この世界独特の論理であり、言語(意味論)で紐解かないといけないのだ。
 結局この町で何が現実なのか、そうでないかは分からないが、意味論だろうと何だろうと、肉の味は本物だ。
「あたしさ、科術の力を生まれつき持ってるせいで、その力の恐ろしさをもこの身を以って味わってきた。あたしは自分が半分闇なので、科術を使うと、因果応報で自分も翻弄されるんだ。完全な光へと戻らないならない限り、ずっと今のまんま」
 間接照明と、テーブルの上のランプの炎に照らされたありすの沈んだ表情は、神秘的な美しさを湛えている。
「……闇?」
「うん。あの古文書を解読している内になんとなく分かって来ちゃった……自分の事が。まだ、半分くらい読んだだけだけど」
 百五十年前、綺羅宮神太郎が書いた古文書だ。それがキラーミン・ガンディーノの本名だった。長い睫が半分閉じられ、物憂げにありすはじっと考え込んでいる。
「遂に分かったんだ。私、分かっちゃったの。欠けてたパズルのピースが揃った」
 ありすは、人と隔たりがある存在だからかわいいのかもしれない。半分妖怪というべきか。時折見せる、その寂しげなところ。そして、意外とけなげだ。ずっと、時夫を援けたい一心で行動してきた。決して単純なツンデレではない。今夜は、そんな話だったのだろうか。だが、ありすはまだ何か言いたそうだった。ありすは今夜なぜ、時夫を誘ったのだろう。ボーイが優雅な仕草でグラスに水を注ぎ、立ち去った。
「話があるんだろ。他にも。何だよ」
「……」
 黒ゴスロリ少女は時夫をじっと見た。
「時夫……好きだよ」
 金沢時夫の時計の針が止まった。時夫は思い出していた。最初にありすに会った時、風邪を引いたありすが青白い顔で出てきて、その顔がとても白くて美しかった。この町にこんな凄い美少女が住んでいたなんて、心底驚いた。だが、その後白井雪絵と邂逅し、時夫の恋の行方が決定した時、実はありすの方でも密かに時夫が好きだったらしい。それで、一度でいいからデートしたかったのだと言った。しかしそれは、ありすの片思いだった。そして今夜の話はそれだけで終わらなかった。
「君とは、ずっと前から出会う運命だったのかもしれない。ねぇ、君は、うちの老師を知ってるんでしょ。------あたし、君が老師の関係者だって事にずっと気づいていたんだよ」
 店長=老師。それは古城ありすがこれまで一貫して探し求めていた人物である。彼は依然としてこの町に戻ってこなかった。今のままでは、永久に戻ってこないのかもしれない。
「何言ってるんだよ? 俺が、『半町半街』の店長なんか知ってるはずが」
「もうすぐこの町の騒動、終わらせるから。必ず。だから、安心して。ずっと、味方で居てくれてありがとう。それと金時くん、今日は、デートしてくれてありがと」
 ありすのいつもの笑顔がそこにあった。ありすは時夫にきっちりフラれた事で自分に決着をつけたのだ。

 火曜の晩、皆で「半町半街」で紅白歌合戦を観た。
 水曜の晩、満月がパンケーキになった。
 で、今日は木曜日。夜、時夫とありすは「フシギシネマ」で映画を観る。

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