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第61話 木曜日を金曜日に変える魔法

 マズルの行方のヒントは、やはり時夫のアパート「恋文ビルヂング」にあるに違いない。そう結論した四人は、結局時夫の部屋102号室に戻ってきたのだが、時夫はドアポストに入っていたチラシに見入っている。その顔は怪訝に怪訝を重ねたように曇っていた。
「……何だ?」

「恋文ビルヂング102号室・佐藤マズル様

『昼の訪問時にお話をいただいていた件ですが、用意が整いましたのでまた伺いました。ご不在でしたのでまた今度伺います』
                        伏木有栖市市役所 明日から本気出す課」

「あぁ?!」
 三人が覗き込む。
「えっ、これマズル宛じゃん!」
「どういう事だ、102号室って」
 ここは俺、金沢時夫が住んでいる訳だが、はっきりと「恋文ビルヂング」と書かれている。他のアパートと勘違いしている訳でもなさそうだ。
「ウサメンが中に入り込んでたって事? しかも、ここの住人に成りすまして」
 ありすも訳分からんという顔をする。
「しかも、マズルが居る間に市役所の役人がここに訪ねて来たってーの?」
 何より一番驚いているのがウーだった。
「とにかく中へ」
 時夫は真っ先に中に入ると、部屋の隅々まで確認して廻った。
「……おかしいな。何も変わってない。ゴミ箱の位置とか、テーブルの上に散らかっている鍋や皿、出たときと何一つ変わってないぞ」
「ホントだ。でもマズルは、あたし達が西部から戻ってくる直前にここを出たって事なんじゃない?」
 ありすも奇妙な状況に頭を悩ませているらしい。
「……そうも思ったんだけど、昨夜を思い返しても何も変わってなかったんだ。自分の部屋だから、ちょっとの変化でも分かるはず」
「でも、この文面をよく読みますと、お役所は今日の昼にここに来たことになってます。私たちが図書館に居たころ、マズルさんはここに居たという事です」
 雪絵が指摘した事実に三人は凍りついた。
「時間差で、金時君とウサメンがこの部屋で生活している?」
「それはありえないよ。いくらすれ違いで生活っていっても、この部屋には俺のものしか置いてないし、それに、何にもモノが動かされてないんだ」
 そう。キッチンの塵一つ、汚れ一つ見覚えがある。時夫は檻の中の熊のように、いつもこの狭い空間をウロウロ歩き回っているのだ。実際問題、何も変わってない。……いよいよ来たか。来てしまったのか。不思議現象が、自分のアパートで起こり始めて以来、時夫はこれまで体験した受け入れがたいその事実の一つ一つを、片目を瞑りながら何とか受け入れてきた。いいや、実情はそうせざるを得なかったからだが、「普段忘れている部屋」、「二階の軍事境界線」、「101号室が地下への出入り口」……などとといった不思議現象に加えて、遂に102号室、つまり自分の部屋にまで不思議現象が押し寄せてきてしまったのだ! ンなこたぁない、とタモリよろしく否定の呪文を唱えても、不思議が容赦なく襲い掛かる。もうこの部屋は安全ではない。このアパートに安全な場所などない。にしても、なんでマズルは普段空いてる103号室とか、104号室に「住」まないんだ?
「アリストテレスは言っている。『同じ場所に、実体性を持った対象が2つ以上重なって存在することはない』。それは確かにそうなんだけど、量子力学における多世界解釈で考えると、実は平行宇宙というものの存在が仮定できるんだよ」
 ありすがまたテキトーな説明を思いついたようだった。
「何だソレ、分かりにくいぞ」
「今回の場合、金時君とウサメンは同じ102号室に住んでいるはずなんだけど、両者が出会うことはない。しかも、仮に時間差で住んでいるとしても、お互いの生活の形跡も全く見られない。だから同じ部屋に居るはずなのに、お互いの存在に気づく事もない。つまり、二人が住んでいる部屋は別の平行宇宙って事なのよ」
「えぇ~!」
 ウーがありすの説明に不満を鳴らした。それは驚嘆ではなく不満である。
「この恋文町は、もう他の町とは時空が異なっている。だから、平行世界があたし達の前に出現したとしても驚く事はない」
 驚くなって言われても……。
「じゃあ逢えないって事? マ~ズ~ルゥ~!!」
「慌てないで、ウー。あんたの寝てた部屋の壁にカレの手紙が貼ってあったでしょ。それにこの役所の置き手紙。これは確実に、隣同士の平行宇宙が接触しているって印」
「なら、どーやって逢えばいいのよッ?!」
「時夫さんのお部屋って、すごいですね……」
 雪絵がポカンとした顔で、なにやら感動すら覚えているようだが、やめてくれ……。俺も今その凄さを味わっている。この部屋に、なんだかよー分からんが誰かが住んでたとか、正直薄気味悪い。
「金時君」
 ありすが時夫の右肩をがっしり捕まえて睨んでいる。
「今や君は、不思議の国現象の中枢的存在といってもよい。君自身が。雪絵さんももちろんそうだけど、この町における君の重要度が増している。もう逃げることは出来ない。立ち向かうのよ。あたし達は、全力でサポートするから。頑張ってね」
 このアパートが中枢なんじゃなくて、「俺」がか。最後は、他人事のような言い方だ。
「……」
 俺は、科術師でも何でもない。途中から科術師として目覚めた雪絵とも違う。未だに平凡な高校生に過ぎない。十日前の十二月二十日。あの、冬休みの初日までは。
「時夫、今日もここに居ていい? ひょっとするとマズルに逢えるかもしれないし」
「……あぁ、別にいいけど」
 ウーの願いは、時夫にとっても願ったり叶ったりだった。今ほど、一人になることを心細く感じた瞬間はなかった。この町で信じられるのは、これまで戦ってきた同士、古城ありす、石川ウー、そして白井雪絵だけだ。この十日間、四人でよくここまで乗り切ったものだ。ウサメンこと「佐藤マズル」が何者なのか、何をしているのか知らないが、そいつのお陰で皆がここに居てくれるのならありがたい。
「今日、世間じゃ大晦日なのね。ま、後は来年ね。明日の事は明日考えましょ。明日から本気出す。来年になれば、きっと状況は好転するはず」
 明日に向かって寝ろ!
「そうだ、ら、来年こそは東京に帰るぞ!」
「オー!」
 日が暮れ、夜が更けていった。四人は102号室に固まり、紅白歌合戦を観ながらウーの食事で飲んで食べてグダグダした。世間と時空の異なるはずの恋文町で、紅白が普通に観れている。ありすは古文書『恋文奇譚・火水鏡』を読んでいた。ウーが唄ったり踊ったり、騒いでいる内に、いつの間にか四人はその場で雑魚寝で爆睡した。

 来年になれば、きっと……。

 チュン、チュンチュン。
 カーテンから朝日が差している。時夫が目を覚ますと、ありすが柱の前に立っていた。柱に備え付けたカレンダーを見ているらしい。
「オハヨ……何、どうかしたの?」
 時夫は声をかけたがありすの返事はない。
 まだ眠かったが、時夫は仕方なく身体を起こすと、ありすの横に立った。他の二人はまだ寝ている。
「32日?」
 カレンダーは12月32日になっていた。……12月32日?
「31・32・33……こりゃ、いつまで経っても来年が来ない」
 カレンダーに異変が起こった。一向に来年にならない?
「魔学でカレンダーに異変が生じてる」
 ありすは呟いた。
「曜日の表記もおかしいぜ」
 有曜日・炎曜日・氷曜日・本曜日・針曜日・圧曜日・旧曜日!
「もうダメね……」
 ありすは非力を感じていた。恋文町は、空間だけでなく時間さえもおかしくなってしまっている。
「もうすぐ町の人々が、スペシャルな砂糖、ショゴロースを浴びて、全員スィーツドールになってしまう」
 全てがお菓子に変わってしまうという、「おかしな国現象」が始まるのだ。
「昨日は何も対策を打てなかった。あたしが、何もできなかったばっかりに」
 二人も起きてきて、四人で脱力したように部屋の中で無言で立ち尽くした。
 こうしてありす達が住む伏木有栖市恋文町に、来年が来ることはなかったのだ。

 セントラルパークの花時計は、9:50(くじごじゅっぷん)を差している。
「またもう花(女)は枯れるのか。またもう秋か。『来年』に備えて休まねばならないのか。明日に備えて、今日は休もう」
 満開に咲き誇っていた花時計の薔薇達は、みんな大きな水滴を花弁からこぼした。それはまるで、目からこぼれ落ちた涙のようだった。いいや「まるで」ではなく、まさに花の中に目があった。日が高くなる昼前、薔薇たちは急激に萎れていった。

 それは始まった。
 白彩本陣の砂糖工場の巨大煙突から、流れる白い煙が雲となる。
 白彩店主が、店の巨大煙突からもうもうと出したショゴロースの煙は、ファイヤー・クリスタルの力で増幅した魔学の煙だった。雲は、綿菓子になった。綿菓子雲が集まって暗くなり、雨となった。雨は、ベトベトとした雨で、ほどなく飴になった。 
「飴か……じゃ大丈夫」
 時夫は外に出て右手をかざした。
「飴だって危ないよ。飴をなめんなよ!」
 ありすも一緒に出てきて空を眺める。
「分かりました、舐めません」
(……)
 水飴の雨。サラサラしてて少しベッタリしている。その「飴」で、地上の恋文町のものが濡れてゆく。それが、町を変化させていく。その中で、街路樹が飴細工になった。カタツムリがコンクリートをかじっている。いいや、このカタツムリ、飴玉だ。町中からあま~い香りが漂ってくる。
「町が、恋文町全体が、お菓子な国になってしまう……」

 村はもう、大騒ぎだ。

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