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第59話 ショゴロース

「気になることがある」
 ありすはそう言って、四人で出かけることにした。雪絵を一人残すことはできず、団体行動しないと危ない。いい天気だ。空が青い。少し肌寒いが、小春日和である。
「……で、一体何が気になるんだって?」
 外見上、いつもの平静を装っているこの恋文町という町。だが一皮めくれば、裏の顔が飛び出してくる。すなわち「不思議の国のアリス現象」が、今か今かと街角から四人の前に飛び出そうと待ち構えているのだ。もうこの町は外見とは裏腹に、「平凡な町」でも何でもない。すぐ近所にも、二度と近寄りたくない小さな森があるのだ。
「ちょっとその前に」
 ありすを先頭にたどり着いたのは恋文セントラルパークだった。だが、ここが最終目的地ではないらしい。
「この公園、六月頃になるとヤマモモがよくジョギングコースに落っこってんだよね。拾ってジャムにすると美味しいんだよ」
 ウーが作る薔薇喫茶のメニューの一部は、ここで調達しているらしい。
「どんぐりコロコロどんぶりこ。お池にはまってさぁ大変♪」
 ウーはどんぐりを拾い始めた。
 林の中の光る茸畑へ行くと、大人一人分の縦長の大穴が開いていた。
「これ、どうやら茸の『親株』が這い出してきた跡みたいね、つまり本体が復活したみたい」
 雪絵と時夫が埋めたあの店長だ。だとすると今、白彩は女王の計画実行へ向けてフル稼働だろう。
「なんでこの茸、ここでしか栽培できないんだろうな」
「『生やす』からよ。林っていうのは、『生やす』から来ている。もともと人間が植林して人工的に作ったもの。だから生やすという意味論が働く林でないとダメなの。一方、森というのは、木が勝手に『盛り上がる』、から来ている」
「あぁそういうことか……」
「やはり、ここは地下への入り口は埋まってる」
 ありすは中央公園の地下通路を探ろうとしていたようだ。公園の南側にある花時計広場にあるはずの入り口が塞がっているのを匂いで感じたらしい。
「地下世界への出入り口は、恋文中央公園の池、薔薇喫茶の床下にあるらせん階段。恋文はわい、時夫ん家の近所の小さな森の沼、ぐるぐる公園、あたし達が地下から出てきた自販機。恋文図書館。それと、時夫のアパートね」
「俺んちは確定か?」
 最後は時夫にとって嫌な話である。
「おそらくね。だって匂ったし。ま、あたしが知ってるのは大体こんなトコ」
 小さな森とぐるぐる公園は、まだ無限たこ焼きの結界で封じていなかった。それ以外は全部塞がっている。……そして時夫のアパート以外は。
「ねェ、マンホールってどうなの? 町中にあるけど」
 ウーが訊いた。
「……今のところ、地下の連中がマンホールを利用した形跡はない。でも、これからは分からない。おかしな国現象が始まってしまったら」
 不思議の国現象の最終形。それこそが、町全体がお菓子となる「おかしな国現象」なのだ。
「後は……白彩か」
 白井雪絵が視線を落として何か考え事をしていた。
「そうね。……ン?」
 ありすは池の水面が揺れたことに気づいた。四人が凝視していると、にごった色の水の中から、巨大な金色の魚影が見え隠れてしている。
「この小池、イトウみたいな奴がいるのかも! みんな下がって!」
 ありすは一歩引き下がった。
「な、マジか。じゃもしかして地下のゲートルームがここに復活しようとしてるんじゃないか」
「一体、何がいるのよ」
 ウーが不安げに呟いた。
 ゴボゴボゴボ……。
 巨大な鯉の面構えが一瞬見えた。それは確かに、人面魚だった。人面犬がいるくらいだから、当然かもしれない。
「小池だからコッシーかもしれない。小さい池でも侮れないわ。小さな森の例もある。皆、引きずり込まれないように気をつけて!」
「長居は無用だぜ。この公園も、ほとんど白彩の敷地みたいなもんだ。あの光る茸を育てている、風水か何か、計り知れない磁場みたいなもんが関係してるんだろ」
 時夫は外の道路へと出るようにありすに促した。
「えぇ……そうね。あたし、図書館へ行かなくちゃ。でも、ここへ寄ったのは」
 ありすは今度は花時計の前に立った。ここも冬なのに薔薇が満開だった。
「ウンベルトA子を図書館へ連れて行くためなのよ」
「えぇ? またかよ」
 時夫にしても、A子とは距離をおきたいところなのに、なぜ何度も呼び出す必要があるんだ。
「図書館の書庫に行かなくてはいけないのよ。そこにある本を確認したいの」
 なるほど、ありすが言っているのは「荒唐無刑文化罪」のコーナーの事か。それなら一度行ったことがある、と時夫は言いかけて黙った。今も案内できる自信はない。
「でも、警備が厳重化しているかもしれない。『立体機動集密書庫』を突破しないといけない。秘密書庫は迷宮図書館になってるかもしれないし。茸図書館員はさておき、またスネークマンションみたいな迷宮に悩まされるのは勘弁だからね」
 そりゃそうだ。
「それでA子を?」
「そう。あいつの名前はウンベルトA子。ウンベルト・エーコといえば『薔薇の名前』の著者」
「だから?」
「だから『薔薇の名前』は、中世の閉鎖された社会である修道院の中で起こった事件を解くミステリーなの。しかも、『薔薇の名前』は意味論について論じた最高の聖典といわれている。その物語の中で、登場人物が塔の中の秘密図書館へ入って探る展開があるのよ」
 何と、ここでA子がまた役に立つとは。
「そーいう事。分かったかな?」
「なら、薔薇喫茶じゃダメなのか?」
「あそこの薔薇、なんか反応が悪かったから」
 薔薇喫茶の薔薇は、ここの薔薇に比べて、可憐だが小ぶりである。
「そりゃそうよ。あたしだって、A子を召還するために植えてるんじゃないシ!」
 ウーが文句を言った。むしろ、星の王子様を召還したいとか何とか。
 確かに花時計に咲いているのは実に見事な薔薇だ。やはりこの公園、雪絵が月光よくしたり、光る茸があったりと、特殊な磁場で出来ている土地らしい。その分、危険もある訳だが。
「ウンベルトA子、出てきなさいッ。またバブルの出番が来たわよ」
 とはいえありすは今回セブン・ネオンすら持っていなかった。程なくして、四人が所在なく突っ立っているところへ、バック転でウンベルトA子が現れた。これが意味論の最高の聖典と関係のある奴とは。
「な~に薔薇なんかに話しかけてんのよ。ありす、あたしはもう薔薇の擬人化じゃない。シャッターガイの兄さんとヨロシクやってるんだからサ」
 「じゃここで何してんだ?」
 時夫が突っ込む。
「無論、モノホンのジョギングですわよ」
 誰か、モノホンのジョギングというものはバック転しないとA子に教えてやって欲しい。それとやはり、ヒトモドキはこの公園に戻ってきてしまうようだ。

 ウンベルトA子を連れたありす一行は、岡の上にそびえる恋文図書館へとたどり着いた。ありすが事情を説明するとA子は、「薔薇の名前」の意味論を察したらしい。幸い、図書館は十二月三十日の今日まで開館していた。本当にここで、この町の何かが解決するのだろうか? それならありがたい。だがもし、女王が待ち受けていたらと思うと、時夫と雪絵は気が気ではなかった。ちなみに、ありすによると図書館の穴は埋まっているらしい。
「書庫りたい? 別にいいわよ。あたしも書庫のホットドッグプレスを借りないといけないシ」
 A子は案の定、塔の中の秘密書庫への鍵を持っていた。それはさておき、A子はあまり図書館という場所が似合っていない。ま、この際そんな事はどうでもいい。
 入り口に、「三国志フェア」の文字が躍っている。館内展示の案内だった。一階カウンター付近で、三国志関係の本がポスターと共に並んでいた。
「なんか嫌な予感がする……」
 茸図書館員は、時夫やありすを見ても何の反応も示さなかった。やはり生まれ変わる茸人に記憶は継承されてない。ところが、安心したのもつかの間、塔の立体機動集密書庫のカウンターへ行くと、一同は固まった。
 マッシュルーム・ヘアの茸図書館員はものスゲー武装になっていて、全員「三国志か!」というような甲冑を着ていた。展示に合わせたコスプレを口実に……してはやり過ぎである。手に持つ武器はサスマタではなかった。青竜偃月刀(せいりゅうえんげつとう)、蛇矛(だぼう)、そして方天画戟(ほうてんがげき)。それらは、稲光を発する巨大スタンガンらしい。全員女なのに、リーダーと思しき女はインカムを身に付け、関羽みたいな付け髭を着けている。時夫の顔こそ認識できていないが、前回の苦い記憶が申し送りされているらしい。しかもこの様子では、いくらでも増えそうだ。

 スキャンすること風の如し
 並ぶこと林の如し
 クレーム来ること火の如し
 動かざること山の如し

 「図書館風林火山」……またこれか。
 バック転で飛び込んでいったA子は、扇子を仰ぎ、嗅ぎ薬で茸図書館員を眠らせると、眠らない奴はバブル爆弾で黙らせた。さらに、昔の007シリーズみたいな大味なアクションでハイヒールで蹴り飛ばし、畳んだ扇子で張り飛ばした。こうして瞬く間に、十数人の茸の死体の山が築かれてしまった。全くド派手で困る。
「ったく近頃の茸と来たら……」
 確かに警備は以前よりも厳重化していたが、女王直下の戦闘員であったウンベルトA子の敵ではなかった。それにしてもヒトモドキという奴はヒトモドキに冷酷だ。A子も薔薇ヒトモドキに他ならない。
「前は、『アドソ』で、立体機動集密の自動制御を解除できたんだけど」
「たぶん、もう変わってるわよ」
 A子がキーワードを試すと、やはり変更されている。ありすは、ウンベルトA子にしか開けることはできないと考えているらしい。
 A子は正面でない入り口があると言い出した。設計者しか知らない秘密通路を通って内部に侵入する。改装前の出入り口だという。おそらくA子こそが白彩の手先としてこの図書館で暗躍していたからであろう。しかし今はありすの一味、白彩および図書館にとって裏切り者なのである。
「マニュアルになってないんじゃ、下手したら機動集密に内部でつぶされるぞ。逃げ場もない」
 時夫は足を止めた。
「または集配ロボットのアームに異物としてつまみ出されるかね。皆、動かないでくれる?」
「なんだか、ダイハードのジョン・マクレーン刑事みたい」
 とウーがブツブツ言って、一歩下がった。両サイドの棚が猛スピードで迫ってきた。
「しまっ……」
 A子は風船を膨らまして棚を制止すると、全員、ギリギリ廊下へすり抜けた。
「オイ!! ウンコベルト!!」
 ベシッ。時夫はジュリ扇ではたかれた。
「……イテーな」
「今度言ったら茸図書館員を栄養ドリンクにせんじて飲ますよ」
「どうするんだ。もう戻れないじゃないか。このままじゃ全員死ぬぜ」
 時夫は詰め寄った。
 A子は棚に備え付けられた端末のフタをカパッと開けた。
「来てます来てます、来まくりやがってます!」
 A子は長い爪の両手を広げて、いにしえの超魔術の真似事をしていたが、唐突に数字を入力した。内部のメンテナンス用システムは、古いキーワードで変化してないらしい。
「ホラこれで、自動制御をマニュアルに変更できたわよ」
「先に言ってくれよ……」
「セブン・ネオンがないから、あたしの拘束はここまでね! そんじゃ、バイナラ。さーてと、ホットドッグプレスをゲッチュして、ラウンジで久々読書に耽(ふけ)よっかなっと」
 時夫がこっそりと後を着けると、A子はカフェの席にどっかりと腰を下ろして、積み重ねたバックナンバーを上から読み始めた。かの極彩色の時代に浸るべく、もう誌面から目を離さない。……薄情な奴! その中の一冊に、「週刊ヒトモドキ」があるのを時夫は発見した。どこが発行してるのかちょっと気になる。
 本当に大丈夫か、これで。もし秘密書庫の中で不測の事態に見舞われたとしたら、四人はどうなる。ていうか、何もない事を祈る。

「荒唐無刑文化罪」
 かつて、人類史上これほど荒唐無稽を著した著作はなく、これらの書物の著者はA級荒唐無稽文化罪により処罰、南極に流刑となり、本は世界193カ国で発禁処分となった。

「でたらめだよな、こんな説明。一体誰がこんなものを作ったんだか知らないけど」
 時夫はその軽薄な文章を眺めて評した。
「この図書館の司書よ。つまり、白彩側にとって都合の悪いものを隠してある。この図書館の茸人たちはみんな白彩の手先で、かつては地下へのゲートも存在した。だけど、そこへ隠密行動を取って出てきた女王は、本来味方であるはずの図書館員たちさえも気づかないほどその気配が変わっていた。そのために、単純な動きしかプログラムされていないヒトモドキたちは、自動防衛システムのように動き、女王の書庫への侵入を許さなかった。ま、それを金時君が手を貸しちゃったんだけどね」
「わ、悪かったな……」
 だがそうまでして女王が地上に出ているとは、ありすにも予想外だったようだ。
「俺も気になってたことがあるんだが、ここ、なぜラブクラフトが隠されてるんだ? この図書館だけじゃない。駅前の本屋『明石区』にも全くなかった」
 H・P・ラブクラフト。彼が作った「宇宙的恐怖」(コズミック・ホラー)の世界観は、仲間たちや弟子たちにシェア・ワールドされ、やがて「クトゥルー神話」として体系化されていく。その弟子の分も含めて、この「荒唐無刑文化罪」コーナーにまとめて置かれていた。
「ラブクラフトが何故この町で発禁処分なのか? それはもちろん、白彩に都合が悪いことが書かれているからよ。ここの司書たちが店長に言われて隠した」
「でも、フィクションだぜ? どんな都合の悪いことがあるんだよ」
 時夫は好きで中学時代、学校図書館や町の図書館でよく借りて読んでいた。文庫本を買ったこともある。もっとも買ったのは図書館にない本、旧支配者が萌え化したライトノベルだが。
「往々にしてフィクションに託して、真実が隠されているものなの。作家はオブラードに包んで、文明批評やメッセージや大切なこと、そしていわくいいがたい出来事を書こうとする。『不思議の国のアリス』だってそうでしょ。ラブクラフトよりもっと荒唐無稽だし。でも金時君はこの町で『不思議の国のアリス現象』を体験した」
「……その真実って?」
「金時君、ラブクラフトの『狂気の山脈にて』は読んだ?」
「うん」
 ありすは残り二人のために、簡単に内容を説明した。
「南極大陸でかつて、宇宙から来た旧支配者たちが作った超古代都市が存在した。その時に、旧支配者は労働者としてショゴスという奴隷を使役した。いろいろな形に変わることができるショゴスは、肉体労働で都市の建設に使われたんだけど、やがて知性を獲得して、旧支配者に対して反乱を起こした」
 そういえば、「ぷらんで~と恋武」の大理石に、旧支配者クトゥルーとショゴスの戦いがそのまま化石になったような模様が刻まれていたが、まさか。
「恋武に使われた大理石は、そこの石が流通した結果、たまたま恋文町にたどり着いたものよ。もちろん、今となってはたまたまでも何でもないけどね」
「ショゴスか……テケリ・リ!の鳴き声で有名だけど、ひょっとして」
「な? 何でそんな目であたしを見るのよ。あたしの携帯の着信音のこと言ってんの?」
 ウーの着信音のテケリ・リは天然だろう。
「『遊星からの物体X』は、南極で氷解したショゴスの反乱と人類の戦いを描いたSFなのよ」
「え? 実際に?」
「ま、金時君もそのうち観れば分かるかもね」
 タイトルは知っているが時夫はまだ内容は見ていない。
「確か、北で見た『白っぽい恋人』のパッケージに書かれていた成分、ショゴロースでしたね」
 雪絵が言った。
「ショゴスの事か! ショゴスが、何か関わってるんだな? この町の秘密に」
「その通りよ」
 ショゴス、ショゴロース。ヒトモドキたちの正体。その辺の謎が全て明らかになろうとしている!
「ショゴスは中国の黄山で、冬人夏茸と化していた。およそ一万年が経過し、かつての自己を忘れた。冬人夏茸、つまり茸人の事よ。そして冬人夏茸から抽出された砂糖が、ショゴロース。和四盆なのよ」
「なんだって……」
「でも、どうして中国の奥地に?」
 ウーが訊いた。
「それは、『ルルイエ異本』に謎の答えがあるはず。元のタイトルは『螺湮城本伝』。ミスカニトック大学に所蔵されてるらしいけど……」
「ミニスカ特区?」
 ウー、言うと思った。
「ミスカニトック大学ね。探しましょ。この近くにあるはずよ……」
 このコーナーは大きな棚一つ占領するほど広かった。四人は手分けして探した。
「ありました」
 雪絵が発見した。彼女にとっては自分のアイデンティティに関わる話でもある。
「やっぱりこんな所に……。この本に全ての謎の答えがある」
 ありすは古文書を開いた。内容は漢文だ。
「夏王朝時代に甲骨文字で書かれた『螺湮城本伝』。この本こそ、伯益の『山海経』のオリジナルなのよ。それをヱイモス・タトルが写本を見つけて、ヨーロッパに紹介した。最後はミスカニトック大学に所蔵された。これは別の写本のようね。……九頭龍(クトゥルフ)とその眷属たちについて書かれている。螺湮城(ルルイエ)は、崑崙大陸(ムー)にあったけど、沈没し、『深さ三百仞』の海の底に沈んでいる、ま、ぱっと見たとこ、そんな事が書かれている」
 ありすはパラパラと本をめくった。さすが漢方師、漢文が読めるのだ。
「つまり、元はムー大陸か?」
「ウン。ムーの磁場は彼らにとってとても住みやすかった。でもそのムー大陸は沈んでしまった。そこから、一部のショゴスが中国大陸に逃げて、きっと黄山の磁場が居心地が良かったんでしょうね。茸の姿で一万年も過ごしてる内に、いつか自分自身の事を忘却しちゃった」
 これまでずっと、時夫はラブクラフトの本をフィクションだと思って生きてきた。ミスカニトック大学なんてアメリカに存在しないし、「ネクロノミコン」だの旧支配者だの、すべてフィクションの作り事であるというのが世間の常識だ。確かにミスカニトック大学や架空の地名や人名は存在しない。だが、ラブクラフトが小説を何らかの情報をヒントにして、それを元ネタに書いたのだとしたら。
 この街からラブクラフト全集を隠していたのは、白彩店長を筆頭とするヒトモドキ図書館員たちだ。この町のショゴロースの秘密を探られないためだ。茸達は町中の書店や古本屋からも取り除いた。ショゴス、すなわち冬人夏茸にとって、恋文セントラルパークの磁場がいいという事を、他人に悟らせないためだったのだ。
「ショゴロースは茸(ショゴス)から抽出し、さらに独立した生物と化すことができる。それだけじゃなく、ショゴロースを使って、浚った人間をショゴス同様に操ることができる。それが電柱に変えられたりと自由に姿を変えられてしまった理由よ」
 ありすの言葉に、雪絵が暗く沈んでいる。
「雪絵さんは、月の光を得て人間化し、さらに金時君の愛で、唯一無二の雪絵になった。そこまでの存在になるなんて、店長も女王も気づいていなかった。それはもう単なるショゴスではなく、『人間』として、進化している。あなたはもう、人間なのよ」
 ありすは雪絵の肩にポンと手を置いた。
「あ~『赤い鳥』だ。あたしの愛読書」
 ありすが手に取ったのはかなり古い児童雑誌だ。
「これは?」
 時夫はコーナーの棚に並んだ一冊の古い本を手に取った。

「愛ちゃんの夢物語」

「これ、明治期に初めて日本で翻訳された『不思議の国のアリス』だよ」
 ありすは感慨深げに本を眺めている。
「へ~」
 なかなか味わいのあるタイトルだ。アリスの名前まで、日本人になじむように日本風の名前、「愛」へと変更にされている。しかしなぜこれを隠す必要があるのかは不明だ。アリスの内容が荒唐無稽であることは確かである。けど、現代の邦訳版のアリスはここには存在しない。普通に、開架の棚に置かれているはずだ。ありすはそのタイトルをじっと見ていたが、再び棚に視線を移した。
「それで、ありすが確認したいことって?」
「あった!! これだ、『恋文奇譚』! サブタイトルが『火水鏡』!」
 ありすが手に取ったのは、百五十年前の幕末期に書かれた古文書らしい。
「そして著者の名は、綺羅宮神太郎(きらみやかんたろう)!」
 ありすのぱっちり目が大きく見開かれた。
「キラミヤ……ひょっとしてキラーミンか?!」
 時夫が怪訝な声で訊く。
「そうよ。キラミヤ、キラーミン。……カンタロウ、ガンディーノ。これが奴の正体。伝説の科術師の名よ」
「有名なのか?」
「科術というものを最初に作ったといわれる創始者。うっかり……名前をド忘れしてた」
「おいおい……師匠に怒られるぞ」
「ま、まあね。でも久々に聞いた名前だから関連性に気づかなかったんだ」
 そんなものだろうか。
「でも、百五十年前の人物じゃないか?」
「えぇ……」
「それが奴の正体ってどういう事なんだ」
「キラーミンは『昨日の時空』から来てるっていってた。だから周回遅れで世界最速のガンマンになった、とも」
「まさか」
「けど、『昨日』というのはたとえで、実際はもっと前の過去から来てるとしたら……一体いつの過去なんだろ?」
「百五十年前か!」
「そう。私たちにとって西部劇のガンマンって、日本で言えば侍みたいなものだけど、綺羅宮の時代はまさに侍の時代よ。彼にとってガンマンはアメリカのその当時に実在したファッションなのよ! ……綺羅宮は別に、西部劇のつもりでその格好をしている訳ではなかった。でもそれが、結果的に西部劇の意味論を利用することで、この時空に入ってくるきっかけとなった」
 綺羅宮神太郎、すなわちキラーミン・ガンディーノ。最初にして最強の科術師が敵だったとは……?
「『恋文奇譚・火水鏡』。綺羅宮はこの本の中で、未来の事を予言している。同じことが繰り返される、ってね。この本は、百五十年前に恋文町で起こった出来事が記されているはずなのよ。でもそれがいつか繰り返されると予言している」
「百五十年前の出来事って?」
 古文書の文章なので、これまた、ありすが精読しないと分からない。しかしまだ謎は残る。百五十年前の人物にしては、キラーミンは現代のネタに通じていたのだ。
 書庫に人の気配がした。近づいてくる。それも無数の足音だ。三国志の衣装に身をまとった、茸図書館員たちだ。
「もう行きましょ」
「お、おい……!」
 ありすは『恋文奇譚・火水鏡』を手に取ると秘密書庫を出た。
「ウンベルトA子、後は頼んだわヨ!」
 ありすは叫び、四人は図書館を走り去った。
「ブラジャー!」
 A子は雑誌を扇子代わりにして扇ぎ、仁王立ちした。窓ガラスを通して、茸図書館員たちが派手にA子のバブル攻撃に吹っ飛ばされる光景が見えた。

 百五十年前、この恋文町で一体何があったんだ?

しおり