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第37話 天才は七丁目を超える

「まだ問題は何も解決してないぞ」
 後ろを振り向いた時夫の言ったとおり、消防車のホースを握る輩が転げ落ちただけだ。相変わらず古城ありすの科術カーは、三倍性能の消防車の猛烈な追撃を受けていた。時夫が見ていると、赤い彗星の総帥公は何かのボタンを押した。すると車の前面から機関銃のような放水口が出現する。再びありすカーの後部座席の窓ガラスに、激しい放水が襲い掛かる。
「こ、この水、妙ね。魔学が仕掛けられている」
 ありすの言葉に、ウーも怪訝な顔つきをしている。
「そんな馬鹿な。これ以上、寒い、冷たいだけでもう勘弁」
 時夫が偽らざる心情を吐露したとき、今度はおっさん犬(ユージ)が犬のくせに別のボタンを押しているらしき様子を雪絵が目撃した。その直後、三倍性能の消防車の両サイドから、放水ホースが両腕のように伸びてきた。ホースは生き物のようにウネウネとこちらに近づいてくる。
「キャアア、時夫さぁん!」
 腕のようなホースは水こそ発射していないものの、車窓の両側から強引に入り込み、雪絵を引っ張り上げようとする。時夫は突然のことにバタバタと反撃を試みたが、ホースの力は強く、それは狭い車内で暴れ回り、どうにもうまく抵抗できなかった。ウーもありすも車内では狭すぎて科術の呪文を撃てない。時夫は自身も転がされた上、気がつくと雪絵を回収したホースが車の外に見えた。
「雪絵!」
 時夫が叫んだその声が、一行の最期の記憶となった……。

「……ここは?」
 古城ありすは呆然とグレーのカーペットの敷かれた部屋の中に突っ立っていた。部屋は中央に段差があり、二つに仕切られている。石川うさぎは奥の部屋側に足を組んでソファに座り、その横に白井雪絵がちょこんと座っている。窓辺に立っているのは時夫だ。
「スネークマンションのVIPルームです。皆さん本日、マンション見学のご予定のお客様で一番乗りでしたので、こちらをご案内いたしました」
 目の前の三十代の支配人がにこやかな笑顔で答える。全く血色がいい。いや、むしろ肌がピカピカ反射しているようにすら見えた。
「そうだっけ?」
 棒立ちする古城ありすは、悪寒がするのを押さえながら、きれいな部屋の中を見渡した。
「そうだよ。俺達は引越し先の部屋を探しに来たんじゃないか」
 そう返事する時夫は、なぜか浮かない顔をしている。
 支配人によると、ここスネークマンションは、ホテルとウィークリーマンションを兼ねているとの事で、短期も長期滞在も可能な、最新流行のホテルなのだという。外見は古風な城か洋館のようだが、中身は全てが新しい。立地も駅前で、とても便利だ。ここなら古城ありすが「半町半街」の新しい店舗を構える場所として最適なのかもしれない。
「お茶でもいかがですか? サービスでお付けいたしておりますので」
 支配人は相変わらずニコニコしながら訊いた。というより、笑顔が張り付いているように、他に表情がない。
「あ、うん……お願い。なんだかここ冷えるわね。あったかいのくれる?」
 支配人は一礼すると部屋を出て行った。
「おっかしぃなぁ……」
 ありすはメンバーの顔を一人ひとりじっと見回した。
「何が?」
 ウーはとぼけたような不思議そうな顔で見返す。
「いや、うん。ウー、たとえばこんな事ってない? つまり、ついさっきまでの記憶が思い出せないとか。ここまでどうやってきたのかとか」
「あ、あぁ……隣の部屋に行ったんだけど、何をしに来たんだっけ、みたいな? それならたまにあるけど。そんなときは、一度戻って、『あっ、あれか!』って……思い出すのを待つしかないんじゃない。でも今日、お店探すっていったのありすちゃんじゃん。『ここなら駅近いし、ドア・ツー・ドアでいいんじゃない?』って言って。それでポストに入ってたチラシ見てわざわざ来たんじゃない。忘れちゃったの、まさか」
「……そうだっけか。でもそれなら、なんてあたし金時君や雪絵さんまで一緒に連れて来たんだっけ」
「それは……ウーン、え~となんでだっけ?」
 ウーまで健忘症にかかったように、二人を見つめた。
 ありすとウーに見つめられた時夫と雪絵は、返答できずに黙っていた。なぜなら、彼ら自身も、自分達が何故ここにいるのか分からなかったからである。
「変ねェ」
「そだね」
 雪絵は終始黙って、床を見つめていた。その肌はいっそう青白く、ありすは雪絵が人間としての存在感が希薄なような気がした。ここにいるけど、ここにいない。そんな感じがしたのである。
「お待たせしました」
 支配人が紅茶ポットをサービスワゴンに載せてガラガラと運んできた。ご丁寧にクッキーやキノコまで添えられている。……キノコ? ガラステーブルにコトンと置かれたマイセンのティーカップに注がれた紅茶は、深く沈んだオレンジ色をして、白い湯気が立ち上っていた。
 ありすはマイセンのティーカップを手に取った。白く細い手が持つカップを口許に運ぼうとして、妙な音に気づく。
 カチカチカチカチ……。
 壁に掛かった時計の音だ。本来気になる種類のものではないはずだ。だが、やけに部屋の中に時計の音が耳障りに響く。いや、それだけじゃない。時計の音に何か別の音が混じっている。
 ゴォー、ゴォー。
「あの時計の音、なんだかゴーゴーうるさいわね」
 あの時計が忌々しい。こんな音を立てる時計があるのだろうか。ここを店にするなら、あの時計だけは絶対取り替えないと。そんな事を思っていると、雪絵の様子がやはりおかしい。雪絵はウーの隣で、礼儀正しく静かに座っているが、青白い顔をして目を瞑っているようだった。まるで動かない。それに、テーブルに置かれたティーカップは、三つしかなかった。
「あたしも飲もうっと」
 ウーがティーカップに手を伸ばした。窓辺の時夫も、テーブルに近づいてきた。
「ちょっと待って!」
 口にしようとしたありすは、二人を制した。
「なんでよ。早く飲まないと冷めちゃうでしょ。寒いんだから。せっかく持ってきてくれたのに」
「醒めちゃう? って今言った?」
「えぁ?」
「おいありす、あの時計見ろよ」
 時夫が壁の時計を指出した。凄い勢いで針がぐるぐると回り出している。
「針、おかしくない? この時計は」
 ありすは時計を見てから、ゆっくりと支配人の顔を見た。張り付いた笑顔の支配人が、じりじりと後ろのドアに後退していく。
「時計が、どうかされましたでしょうか、ありす様。早く紅茶を飲まれませんと、冷めてしまいますよ」
 なぜティーカップが三つしかないんだ。
「あんた、今何て言ったの? 醒める……醒める。この部屋は一体何なのよ」
「いゃ……ですから、こちらは当ホテルのVIPルームでございます」
 笑顔の支配人の肌が金色に輝き始めた。
「みんな、今すぐティーカップをテーブルに置いて! お菓子にもキノコにも手を出さないで!」
 そうありすが言った直後、回っているのは時計ではなく部屋全体だった。まるで遊園地にあるビックリハウスのように、VIPルームが回転していた。そして部屋中煙が充満し、火事に包まれていった。

 その瞬間、ありすは自分が運転中である事を思い出した。ゴーゴーいってるのは車のエンジン音だったらしい。急いでハンドルを切る。
「金時君、スーパーカー消しゴム止めないでッ!」
 ありすはなぜかすすけた顔で運転しながら叫んだ。
「あ……あぁ?」
 時夫はまだ頭がくらくらしていたが、ボードを持ち直して、消しゴムを飛ばした。もっとも、くらくらしているのはありすもウーも同様だった。全員火事を抜けてきたように顔がすすけている。
「何が起こったんだ。俺たち今、どっかの部屋の中にいなかったか」
「それは、この放水された水の魔学がもたらした幻術よ! 君も覚えているのね」
 もしあの時一行が紅茶を口にしていたら何が起こっていたのか、と考えるとぞっとする。
「あの部屋は一体、何だったんだ」
「どっかの送水口のあるマンションかもしれない。やるわね送水口ヘッド。雪絵さんは?」
 一定の大きさのマンションなら、送水口は必ずあるものだが。
「消防車だ! しまった。放水ホースにさらわれた。おそらくあの消防車の中に。くそっ、何してたんだ俺たち。今度こそ守るって誓ったのに」
「消防車、奴らは後ろにまだ着いてきてる?」
「着いてきてる。だが、総帥公がいないぞ。運転してるのはおっさん犬だ!」
 消防車は間近に迫っていた。太い眉毛のおっさん犬がこっちを見て舌を出していた。どうも、テールランプの光を見て、減速するたびオレンジの光を見ると「ルィッハールィッハー」と涎をたらして唸っている。こいつはしゃべれないらしい。
 時夫はウーにスーパーカーの科術ボードを押し付けると、車窓を開けて箱乗りした。
「あっ、金時君、また馬鹿なこと」
 時夫は後ろのボンネットを足がかりに、消防車に飛び乗った。確かに消防車との距離は五十センチ程度まで接近していたので、時夫にも可能な芸当だった。しかし科術使いでもない金沢時夫に何ができるというのか。いくら消防車の運転席に、おっさん犬しか乗ってなかったとしても。
 時夫は放水に足を滑らせながら放水口に必死にしがみつき、消防車のドアを開けて無理やり運転席の中へと入った。おっさん犬が舌を出したまま、ぎょっとした目つきで時夫を見上げている。
「ウー、金時君を追いかけて!」
「でもスーパーカーどうすんのよ? ここは時夫に任せるしか」
「まじか……」
 ありすは、時夫を追い込んでしまった自分に思い至り、唇をかんだ。
 スーパーカー科術は、車のスピードをさらに加速させ、その後ろを闇雲に追ってくる消防車は依然Uターンする気配がなかった。雪絵を手に入れただけでは飽き足らないということだ。おそらく敵は、次に金沢時夫を拿捕するつもりに違いなかった。もしそんなことになったら、完全に古城ありすの失策だった。
「くそっ、スーパーカー飛ばさないといけないからうさびビームも撃てやしない!」
 ありすも運転しているし、ウーはせめておっさん犬を監視する他にない。
 さてどうするか。時夫は考えている。前の車のランプを見て「ルィッハールィッハー」と唸っているおっさん犬は、とりあえず問題ではない。問題は消えた送水口ヘッドの方だ。運転席の後ろは赤いカーテンで閉められていた。そこをサッと開けると緑のソファが置かれており、さらにその奥に扉がある。時夫は思い切ってその扉を開いた。
 中は部屋だった。そしてこの部屋は左右に金属製のベンチが置かれた消防隊員たちがつめる場所であり、消火器類やハイパワーカッター、ホースカー、はしご、バール、斧の類が置かれている。長大な消防車の後方は、その半分が部屋、さらに残りの半分が貯水タンクになっていたらしい。だが、それだけはない。見たこともない、おそらくは魔学系の機械が置かれていて、実験室のようでもあった。そしてそこに送水口ヘッドが白井雪絵を捕まえて、その頭の左右の送水口からバチバチと音を立て、青白い電気エネルギーのような輝く揺らめきを雪絵の頭に押し付けていた。直感的に時夫は、送水口ヘッドが雪絵からエネルギーを吸い取っていると感じた。送水口ヘッドめ、一体雪絵から「何」を「何処」に「送水」しているんだ!
「こいつ、離しやがれ!」
 時夫は手元にあった消火器を手に取ると白い粉を噴射し、慌てて振り向いた送水口ヘッドの金ピカ頭めがけて、赤い消火器でぶん殴った。送水口ヘッドは、イナバウワーして倒れると、茸人と同様に、身動き一つしなくなった。送水口がゴロンと揺れる床に転がると、マントに包まれていたはずの身体はぺしゃんこになっている。
 時夫は気を失った雪絵の手を取って運転席に戻ると、舌を出したままビビっているおっさん犬をけん制しつつ、いつの間にか横付けされたありすの車に飛び乗った。
「わわわブレーキブレーキ!」
 目前に崖が迫っていた。隣町との境を流れる川の手前に崖崩れがあり、車は急ブレーキをかけた。
 追撃している消防車の実験室の中で送水口ヘッドがむくむくと起き上がっていたが、
「認めたくないものだな、擬人ゆえの過ちという奴を……」
 そう放送で叫んだのを最期に、三倍性能消防車は崖の下めがけて落ちていった。おっさん犬のキャンキャン鳴く声が響く。
「遂にやったぁ、天才はぁー七丁目を超えるッ!」
 いつの間にかありす達の車は、七丁目を越えていたのだ。町境には川がある。川を渡ればもう隣町の「知多家(知ったか)町」だ。無事車は恋文町の南側である七丁目の住宅街迷宮を抜けたのだ。
「総帥公ヘッドの消防車は、全ての交通ルールをキャンセルする路地スティック・キャンセラーだった。だから、七丁目迷宮のロジックが自動的に解けちゃったんだ」
「総帥公って間抜けねー。追っかけるのに夢中で、逆にこっちに脱出されたんじゃ意味ないじゃん」
 しょせんは擬人化された送水口か。
「まさに本末転倒委員会、語るに落ちるって奴か!!」
 また二人が時夫をじっと見た。敵の転倒語が意味論だったという事か。
「そろそろ、時夫も意味論の使い手になりつつあるんじゃないのー?」
 ウーが苦笑した。雪絵はまだ意識がはっきりとしない。
「でさ……この崖なんだけど。落ちた消防車、全然姿が見えないぜ」
 目の前にグランドキャニオンが広がっていた。止まることができなかった後ろの消防車は、そのまま、カーブから崖下へと落ちていったが、地面に衝突する音が聞こえてこないくらい崖は深い。町境の川は巨大な渓谷になっていたのである。
「な、何これ……」
 対岸にかすかに見える白い屋根屋根が隣町の「知多家(知ったか)町」か? こっちのことなんて「知ったことか」って顔している。
 ウーが呟く以外、皆絶句して声も出ない。
「あの大地震の影響ってか?」
 ようやく時夫が口を開いた。
「そんなはずないじゃない」
 下を覗くと、本来あるはずの川は、はるか下に氾濫していた。いや、川が氾濫なんていうレベルじゃない。どうみてもグランドキャニオンのように渓谷がえぐられている。小川は、千メートルくらい下の激流と化しており、茶色い濁流となって流れている。急激な地盤沈下か。そこへ、幾つかの支流が滝となって華厳の滝のような水量で流れ落ちていた。
 町境は破壊された。危険ではあるが、出られるかもしれない。しかしどうやっていけばいいのかが不明だった。この大渓谷では、とても向こう側の町にいけそうになかった。
「こんな馬鹿な。せっかく七丁目を超えたっていうのに」
 目の前の光景に、もう古城ありすでさえ、呆然と呟く他なかった。
 幾らなんでもこれは地下のやり口とは考えがたい。それに、箱庭という訳でもなさそうだ。だがとにかく、南からは脱出することができないというのは確実な現実だった。
「ねぇ」
「何?」
「あの雲、焼き芋の形に似てない?」
 ウーが空に浮かぶ何の変哲もない雲を指差した。
「どうでいいし」
「最近ありすちゃん冷たい」
 ま、このタイミングじゃな。
「南側はダメだったみたい。引き返すしかないよありすちゃん」
 認めるしかない、その事実を。
「……じゃ東は」
「じゃ東は? 今、東はって言った? 海よ。あたし達、船なんかないよ」
「だからぁ、海まで行かなきゃいい。東側のドツボ町から脱出すればいジャン。とにかく線路の向こうへ行ってみよう」
 ウーの言葉で駅前へ行くことが決まった。
 時夫は、消防車の中でたまたま発見したライトセーバーかもしれない誘導棒をぐっと握った。俺もジェダイマスターになってやるか。
 もうすぐ日が暮れる。さっきの総帥公ヘッドはおそらく死んだだろうが、何はともあれ急がなければならなかった。

しおり