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第9話 不思議の国の水先案内人・石川ウー

 一体全体、この恋文町で何が起こっているのだろう。本当に「不思議アリス市」の奇妙な現象か。連続誘拐・殺人事件は、果たして存在するのだろうか。店長や警官が言ったとおり、キノコ人間なのだろうか。そんなもの本当にこの世に存在するのだろうか。いいやそれだけではない。問題は目の前に居る白井雪絵。彼女だ。本当に砂糖で出来た和菓子なのだろうか。気になるといえば、恋文銀座のショーウィンドウで見かけたマネキン達。古城ありすと石川うさぎと白井雪絵にそっくりだった。だとすると、後一人の長い黒髪の女性にも会うことになるのだろうか。
 もう手がなかった。しょせん、高校生に出来ることなんてこんなものだ。いや時夫はベストは尽くしたはずだ。だが、法律も世の中の常識も全てを覆すこの恋文町の異常な事件に、これ以上時夫に出来ることなど何一つなかった。雪絵の言うとおり、確かに警察も役に立たなかった。ここまで来ると、この町の怪異に、一体誰の助けを借りればいいというのだろう。
 玄関に、「薔薇喫茶」で借りた傘がそのまま置きっぱなしになっている。そうだ、返しに行こう。ついでにランチの時間だ。人間か、それとも人間化した砂糖なのか分からない雪絵はさっきから仕事探しにネット検索に熱中している。脱出できないなら、この町にしばらく居座る覚悟で別の仕事を探すのだという。実に前向きだ。彼女はネットサーフィンに没頭するつもりらしく、昼食は自分で買うといった。雪絵がそれでいいなら仕方ない。喫茶店のランチタイムが終わってしまう。雪絵を一人にして大丈夫か心配だが、一人で行くとするか……。もやもや考えても何も始まらなかった。思い切り非日常系のバニーガールでも観にいけば、もしかしたら気分転換にもなるかもしれない。この町に、他に知り合いなど誰も居ない。

「じゃあ、その子は今もアパートに?」
「うん」
 石川うさぎは今日もバニーガールの格好で店に出ていた。昼食時なのか、一人でマンガを読みながら生ハムメロンを食べていた。日常に潜むちょっとシュールな食べ物の代表格といったこの料理。改めてみるとこの店は、今は少なくなった純喫茶という奴だろう。ところが店長や調理人など、その他の人間が今日は見当たらなかった。客も居ない。
 ウーが読んでいた漫画は、『あぶにゃいデカ』だ。サングラスした猫の刑事と、猫犯人が追っかけっこをする。しかし猫なので猫パンチしたり、追跡中に蝶々を追いかけたり、さらに壁で爪を研いだり、ゆるい笑いが売りの漫画だ。
 店内で流れているクラシックは、ウーによるとチャラン・ポランスキーの名曲「ぎょうざ」だそうだ。聞いたことない。
 時夫は石川うさぎに、伊都川みさえに似た白井雪絵を匿っている事を、せきを切ったように話した。みさえを、自分が死なせてしまったのかもしれない、そんな自責の念が時夫を嘖みながら。信じられないような出来事を、あらいざらい。
「なるほどね。スイーツドールという訳か。彼女は」
 うさぎは赤いマニキュアを塗った人差し指を唇に沿え、窓のステンドグラスを見やっている。窓の向こうの可憐な薔薇が風で揺れていた。普段も顔を出さないフレンチのコックが店主で奥さんが薔薇を育てているらしい。
「ありすから聞いた話だけど、キノコはやがて再生して元の店主に戻る。ただし、完全に再生するには相当な時間が掛かるだろうけどね。いずれは何くわぬ顔で店で働く。それまで働いてる店長は子株よ。今の記憶を失ったおかしな菓子店主は子株だから、その時消えてなくなる」
 これには驚いた。石川うさぎも、セントラルパークの茸について知っていた。いいや、友人である古城ありすもだ。なにやら詳しそうだった。子株の店主はいわば本体が居ないときの分身だ。時夫達が埋めた店主の身体は、回復のために地中深くへともぐり、その代わりに、地中の分身の一つが地上へ出てきて身代わりとなる。だから穴が開いていたわけだ。その分身は本体が活動すると消えてしまう。よって店主が複数存在するということはない。では店主が殺害した、夜な夜な公園で勝手にジョギングしているキノコは何者かというと、自我を持ってしまった幾つかの自分の分身だ。本体が分身を「殺害」し、元の地面に埋め戻していたという訳だ。キノコがキノコを栽培し、適度に人間化したキノコを砂糖「和四盆」の原料にしてきた、というのが白彩の秘密である。
 つまり店主は何回も死んで蘇っていて、警察は知っている。警察はその都度何度も捜査したが、どうにもできず、超常現象にうんざりしており、超常現象は管轄外だとして、ほとんど白彩の話は禁忌(タブー)になっていたのだ。だから、警察は二人の話に全く取り合わなかった訳である。
「あたしも、ここに来てから奇妙な事が何度かあったんだ」
 うさぎの素性は何だろう。どう見ても、時夫と同じ高校生にしか見えなかった。
「誘拐事件について聞いたことある?」
「うん。何でも、佐藤さんていう名前の人ばかりが連れ去られているみたいなんだよね。それも地下へ」
 頬杖着いたうさぎの視線の先は厨房だった。そんな話は初耳だ。
「戦時中に作られた防空壕が、恋文町にもあるんだって。けど、それを誰かが拡張したらしいのよ。そんな噂聞いたことがある。地下鉄も通ってない地方都市の下に、巨大な地下都市がある。ロマンよね」
 ちょっとデーモニッシュな顔でうさぎは微笑んだ。
「名前が悪いのかな。何しろ不思議有栖市だもんね!」
 とうさぎは笑った。またそれか。
「恋文町も変だけど、千葉ってさ、変な町名多いもんね。コレなんて読むか知ってる?」
 うさぎは紙ナプキンにボクシーのボールペンでさらさら書いた。
「我孫子」・「飯山満」
「……あびこ。えーと、いいやまみつる」
「人の名前かッ。『はさま』だよ」
「酒々井は?」
「さかさかい?」
「しすい。『国府台』で『こうのだい』、他にも『行々林』と書いて……」
「ぎょぎょばやし」
「おどろばやし」
 小食土町(やさしどちょう)、犢橋(こてはし)、海土有木(あまありき)、さらには、安食卜杭新田(あじきぼっくいしんでん)……。
「……どうしてこうなった」
 もはや、奇名の伏木有栖市も珍しくない。千葉県自体が不思議の国なのかもしれなかった。
 うさぎは、恋文交番の太った警官と同様に伏木市と有栖市が合併してから、この町で奇妙な事が起こっていると結論した。半年前、伏木市と有栖市が市名をめぐってすったもんだ争ったあげく合併した。しかし、合併した事で不思議有栖市には世にもアメージングな現象が次々と起こっているのだ。
「もう一度、ありすの店に行ってみたら?? 転ばぬ先のありすだよ」
 この町にあるあの漢方薬局なら、君の質問に答えてくれるだろう、という。ありすは言った。時夫は余計なことに首を突っ込むタイプだと。確かにそれは当たっている。そして余計なことに首を突っ込むと大変なことが起こると。
「いや、不思議の国でまたありすに会ったら、もう自分が引き返せない気がして。もう少し自分自身で、この町を歩いてみようと思う」
「そう? フフフ」
 笑って流すうさぎは、生ハムとメロンの一切れをぱくりとくわえた。

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