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第7話 恋文交番 朝九時

 翌朝七時に、時夫は眼を醒した。昨晩やった事を考えると余り眠れなかった。隣の部屋の雪絵をそっと見にいくと、まだ寝ていた。窓から差し込む朝日を浴びて、雪絵の白く透き通った肌が輝いているのを、時夫はまじまじと眺める。どう考えても、こんな「菓子細工」はこの世に存在しない。菓子でなくても、どんな素材だろうとこれほどの人間らしさは作れない。どっからどう見ても、彼女は若い日本女性だった。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。美しい白井雪絵。あのイカれ店長、おかしな事を。
 眼がパチッと開き、時夫を見つめていた。ハッとして視線をそらし「おはよう」と時夫は挨拶した。雪絵はにっこりと無言で微笑んでいる。
 二人でカップラーメンにお湯を注いでいると、もうすぐ朝八時、「白彩」が開店する時間だ。出勤した従業員や、あるいは住み込みの従業員らが店長不在の異変に気づく。そして雪絵がいない事にも気づくだろう。昨晩、恋文ビルヂングで起こったドタバタ劇や、二人でリアカーをセントラルパークまで堂々と引っ張っていったこと。当然、深夜といえど何台かの車にすれ違っている。遅かれ早かれ、警察がここに来るのは時間の問題であるとしか、その時の時夫には思えなかった。
「今朝思いついたんだけど。今日のことなんだけどさ、自首しようと思うんだ」
 時夫は朝ふとんで眼が醒めた時から腹を決めていた。所詮、自分は高校一年生に過ぎない。実家にもいずればれるし、逃亡生活など不可能だった。
「えっでも……」
 雪絵は当然ながら不安に顔を曇らせた。イカれ店長から解放された静かな平和が終わる。たとえこれから無実が証明されたとしても。
「警察なんて本当の事を調べてくれるかしら。役に立たないんじゃ」
「これは、事故だ。それは証明できる。少なくとも正当防衛だよ。ちゃんと説明すれば警察だって分かってもらえる。それに、あいつは連続殺人犯なんだ。あのキノコ畑を掘り返せば、被害者の死体が沢山出てくるはずだから、僕らの主張は認められるはずだ。それを言わなきゃいけない。結局は警察に行かないと、話が進まない」
「そうですか。分かりました。時夫さんにお任せします」
 昨日の二人の苦労をまるで台無しにしてしまうような提案だったが、雪絵は頷いてくれた。助けを求めたのは雪絵の方だった。これは、時夫に唐突に訪れた人生最大のカケだった。自分がこの事をずっと黙っている方が不利になるのではないか、普通の人生を送ってきた時夫にはその時、それしか選択肢はなかったのだ。

「……で、昨日の夜。君たちは店長の死体をリアカーでセントラルパークのキノコ畑に埋めた、と?」
「はい。そうです」
 中年太りした巡査は腕を組んでなぜか天井を睨んでいる。
「フ~ン……そうですか」
 奥の部屋の若い警官など、ゆっくりお茶を飲みながら書類作成に熱中し、こっちを見ようともしない。どういうリアクションなんだ。駅前にある恋文交番を時夫と雪絵が訪れて小一時間が経過していた。交番には恋文町に赴任したばかりという若い警官と、訳知りの中年警官が居た。だが、中年の巡査はしらけた顔で言った。
「でもしかしキノコでしょう。キノコを殺しても殺人にはなりませんよ?」
「……は?」
「最近、そういう通報が本当に多いんですよ。いやお廻りさんたち、それで現場に行くでしょ? キノコ畑を掘っても何も出てこない。それで、君たちがいう殺されたっていう店長さんね。この後、どういうことが起こるか予想がつくね。君達がそこのお店に行くでしょう? 店長は何食わぬ顔でお店で仕事してるよ。ここんところ、そんな通報の繰り返し」
 恋文交番は、二人があきれたような反応を示した。どこか警官は、何度もこの手の話に、嫌気がさしているという感じだった。
「そんな、馬鹿な」
 そういうと、巡査は菓子折りの栗最中を食べはじめた。信じられない。しかしそのお菓子に雪絵は見覚えがあるようだ。巡査はさっき、白彩に行って来たところだったらしい。もしそうだとすると、時間的に警官は店内で店主を見て戻ってきた可能性がある。時夫は怪訝な顔で菓子を眺めた。もう恐ろしくて白彩の菓子は二度と食えない。何が入っているやら知れないからだ。
「毎日の通報にホント悩まされてるんですよ。最近になってこの町ではよく起こる事でして。本当の事件と、そうでないのと仕分けするのが大変で。君たち信じ難いかもしれないけど、どうもね、伏木市と有栖市が合併した辺りからこっち、おかしいんだ。この町は。何しろ伏木有栖市だからね、マー名前が悪いのかな。『不思議な国のアリス』みたいな現象と、我々は呼んでいるんだ」
 お巡りさん、「不思議の国の」です。なんだこの、巡査の要領を得ない反応は?
「今から二人でお店に行って御覧なさい。それで、もし店長さんがお店にいなかったらまたここへ戻ってらっしゃい」
「いや、確かに僕たち二人で、キノコ畑に埋めたんですよ!」
「は、はい、そうなんです」
 二人が詰め寄っても、巡査のどんぐり眼に変化はなく、奥の警官は顔を出さない。
「だから、……信じられないかもしれないけれど、いやねおまわりさん達も、正直訳が分からない状況なんだけど、あの店長さんもね、あそこにたくさん光るキノコ生えてたでしょ。あれがね、『人の形』を取るんだよ」
「……は?」
「原因も理由も現在のところ不明なんだがね。いや実際そういう事があるのかどうかも学者に問い合わせてる最中で。それで、恋文町で通報があるたびに、警察官がセントラルパークに行って、あぁキノコだなと確認して帰ってくると。この所その繰り返しに翻弄されている」
「いや、そんな……」
 昨日、店長は雪絵が菓子細工だといった。今度は警官がその店長はキノコだという。
「いや事故死なんだけど、僕は、つまり人を殺してしまったんですよ。ある意味では」
「だから茸を殺しても、殺人にはなりませんよ」
 キノコっていうのは、切ってもまた生えてくるから。とかそういう説明をメンドクサそうにしこそすれ、警官が二人の話を正面から受け止める様子は、さらさらなかった。
「ねェそんなことよりさ、君達朝飯食べた? これからおまわりさん出前取るんだけど、茸カツ丼食べる?」
「いえ結構です」
 時夫は会話のドッジボールにひどく疲労した。それ以上なんのとがめもないまま、二人は帰された。おかしな警察だ。全く、訳が分からない。
 交番から「白彩」まではわずか五分。とぼとぼと歩く二人に言葉はない。お店のショーケースが見えてくる。そこには真新しい雉が午前の日の光を浴びていた。そして店内には、いつものイカれ店長がきびきびと動いていた。恋文交番の警官の言うとおりだ。
「公園に行ってみよう」
 セントラルパークの死体を埋めたキノコ畑に行ってみると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。これが狐に摘まれたような気分という奴か、と金沢時夫は思った。

「何してたんだ? 遅いぞ。早く着替えてカウンターに入れ」
 戻ってきた雪絵を見て、店長から声を掛けた。話はそれっきりだった。この店長は昨日の出来事を覚えていないのだ。
 こちらの顔を見ても、時夫が妙な顔して見ているので怪訝そうな顔をしてさっさと店の奥に消えた。キノコだからなのか?
 様子が変だが、また出てきたところを捕まえて時夫は言った。
「こんにちは。ちょっと質問してもいいですか?」
 時夫は、「それ」に向かっていきなり切り出した。
「あなたは、毎晩セントラルパークで人を殺してますよね」
「何?」
「僕は、見ていたんです」
「……お客さん。ひょっとして、見たっていうのか?」
「はい。あなたが通り魔をして、キノコ畑に埋めるところまで」
「あぁ、そうなの」
 少し困ったなという顔をしたが、店長は時夫の顔を見て言った。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる。俺は人殺しなんかしてないよ。あの公園のキノコはちょっと変わった、特殊なキノコで、……成長しすぎると歩き回るんだよ。人間化した茸からは、特別な砂糖が採取されないんだ。俺は公園に行って、人間化して、歩き回る茸たちを捕まえて、元の場所に埋めていただけ。通り魔なんかしていない。歩き回る茸は普通に殺しても、死んだりしない。それを元の茸に戻すには、埋めちゃうしかないんだよ。完全に人間化した茸からは、特別な砂糖が採取されないので、歩き回る彼らを回収して、元の茸に戻してるんだ。人間化は途中で止めないといけない。それ以上のことは企業秘密だ」
 茸の人間に、砂糖の人間……。全くどういう事だよ。店長の言うことは相変わらず人を食ったような、いや意味不明な内容だったが、問題は交番の警官まで同じことを言っている事だろう。いや、警官はこう言った。「店長はキノコだ」と。つまり店長自身は、キノコ人間を回収しているつもりで、実は店長自体がキノコ人間だという事に気づいてないのか。
「昨日、僕のうちに来たことは?」
「何だそれは? 知らんな。もう買わないなら早く帰ってくれ。商売の邪魔だから」
 店長は、自身が倒れて死んだことも覚えていなかった。
「でも……ちょっと待ってください。和菓子のためってそんな事ある訳が」
「帰っていいよ。和菓子馬鹿にしてんのかお前?! あぁ全く、カシラを早く作らないと……あの人に電柱にされる。ブツブツ」
「あぁ全く、カシラを早く作らないと……あの人に電柱にされる。ブツブツ」
 今日の店長は、さっきから独り言が多い。時夫などどうでもいいという感じだ。電柱って聞こえたような気がするが何のことだろう?
 雪絵は店長の命令を無視して、黙ってエプロンをたたんでカウンターに置くと、時夫の手を取って店を出た。店を辞めるという意思表示だ。
「お、おい!」
 店長はそれっきり追ってこなかった。店長は不思議とそれ以上、雪絵に対する執着を捨てたらしい。昨日していた砂糖人間の話も結局なかった。
「雪絵、二人でここを離れて、僕と一緒に東京で新しい生活をしよう」

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