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第3話 菓匠白彩の雪絵

 街路樹の枯れ葉が舞っていた。時夫は恋文銀座へと向かった。大分元気になっていた。ずんずんと、駅へと歩いていく。海外旅行もいいけれど、たまには家の近所を探検してみるのもいいものだ。けど人気の少ない町。恋文町はゴーストタウンか? ふと電柱に眼が留まった。普段は電柱など気に求めない。ところがその電柱には「佐藤」と名前が書いてあった。一体何の名前かは分からない。隣の電柱にも、その隣の電柱にも名前が書いてあった。不思議なことにみんな佐藤姓だ。
 商店街はチェーン店以外、どこもシャッターが下りていて、閑散としている。そんな中、いくつかの店が賑わいを見せていた。洋品店のショーウィンドウに、四体のマネキンが並んでいる。それぞれ、石川うさぎと古城ありすに似ているような気がした。そしてもう一体は、真っ白な顔の美しい女性、伊都川みさえに。最後の一体は凄く長い黒髪のマネキンである。そう考えていると、道路に沿うように、駅の方角から超低空の雲が目の前を飛び去っていった。なんだありゃ? まるで、觔斗雲(きんとうん)だ。
時夫は前から気になっていた店があった。交差点に、目立った和菓子屋がある。その名は「菓匠(かしょう)白彩本陣」。その後ろには、大きな工場がそびえ、工場の巨大な煙突から白い煙がもくもくと流れ出ている。もともとこの店とアンバランスな煙突の存在は前から知っていた。ただその二つが同じ店のものだという事実には気づいていなかった。普段は通過するだけで足を止めたことはなかった。最後の登校日に帰宅したとき、その正体をまじまじと見上げて、これだったのか、と唖然としつつ納得した。ただ、和菓子屋にどうしてこんな巨大な煙突が必要なのかは分からない。この町にはもう一つ巨大な煙突が存在するが、そっちの正体はまだ掴めていない。
 しばらく店を眺めていて、時夫は張り紙の存在に気づいた。「ザ! TVオリンピック」という番組で、和菓子王選手権でよく優勝する店と記されている。「白彩」は、テレビで紹介されていたのだ。そういえばテレビを見た事がある。だけど、こんな近所にあったのか。これまた新発見だ。
 この店は、駅から少し離れた場所にあり、恋文銀座商店街の駅と反対側の入り口付近に位置する。ショーウィンドウケースには、見事な飴細工で作られた美しい雉が飾られている。まるで、はく製のように生々しい。そうだ。これが店主をTVオリンピックで優勝に導いた匠の技なのだ。他にもうさぎやカエル、カブトムシや蝶々まで不気味なほどリアルに並べられている。ガラスケースに並べられた菓子細工は、どれもこれも生きていると錯覚を起こす水準だった。食欲が沸かないリアリティ。薫製のようで、これが全て和菓子で出来ていると思うと、少々気味が悪いほどだ。
 しかし、時夫の真の驚きはそれではなかった。ショーウィンドウ越しに見えた店内。ここからでも、ショーケースに上品な京都風の和菓子が並んでいるのが分かった。その奥に、肌が透き通るように白く、ほっそりとした女性の店員が立っていた。
 そんな、馬鹿な。今日出会った、第三の少女。それは、伊都川みさえに似ていた。無論、みさえ自身であるはずはない。みさえは地震で死んだからだ。それに伊都川みさえは、中学時代テニス部部長で、肌が小麦色をしたスポーツ健康少女だった。ちょっと違う気もする。もっとよく見たい。
 店に入ると、目の前の女性は、みさえにそっくりな雰囲気を漂わせながらも、雪の結晶のように肌が真っ白で、全く生気がなかった。この人はまるで日陰で育った花のようだ。もしかして「みさえ」があの世から彷徨い出て、この世に戻って来たのだろうか。そんな錯覚にさえ陥ってしまう。
 伊都川みさえとは同じクラスには二度なったが、中学時代、それほど話をした記憶もない。数えるほどだ。その後、大地震で彼女が死んだと聞いた。信じられなかった。時夫は激しく後悔した。どうしてみさえともっと親しくできなかったのだろうか。
 その人ではなかったが、面影の残る彼女が今ここに居る。年齢もみさえが生きていれば現在十六、ほぼ同じくらいだろう。彼女は、まるで冥界から戻って来たみたいに、この「白彩」に存在している。近くで見ると、透き通るように白く、儚げな表情だった。名札を見ると、「白井雪絵」とある。やっぱり別人だ。ま、当たり前か。
 話しかけるのも不自然なので、時夫は黙ってショーケースの中の生菓子を眺めた。どれも上品かつ繊細で、説明文によれば松江菓子の系統らしい。それとこの店で目立つのは、肉まん系統である。豊富な種類を誇るそれらは、店内の一角で存在感を出していた。時夫は、ひし形で三段の色の違う半透明の菓子と、紫の蝶が上に載っている菓子の二つを選択した。そこで始めて彼女に注文した。
「……『春吹雪』と『遠山胡蝶』で、ございますね? かしこまりました」
 顔、体型がそっくりなら、声もそっくりだった。彼女の声を聞いていると、まるでみさえが生きているような錯覚を覚える。
「こちらの『宝石チップス』はいかがですか? 当店でしか扱っていない新商品でございます」
 彼女にお勧めされるまま、「宝石チップス」も購入する。色々な色合いで透けている不思議なチップスだ。
 今まで、この恋文町に興味を持たなくてうかつだった。うさぎ、ありすだけではなく、伊都川みさえにそっくりの少女までこの町に存在したなんて。すっかり体力が戻っていた時夫は、店の席に座って食べることにした。
 う、うまい! 信じられない。こんなうまい菓子は、時夫は洋の東西問わず食った事がなかった。「白彩」の和菓子はこれまでの人生で食べた菓子の中で、最高にうまかった。やっぱり値段もそこそこだが、コンビニの和菓子とは繊細さが違う。一体何が違うのか。……砂糖か? だが、むろんそれだけが時夫を魅了した訳ではない。食べている最中も、時夫は完全に店員に心を奪われている。もしみさえが生きていたらという錯覚に陥ってもやむをえないほどの彼女に。
 そこへテレビで見た白彩の店主が突如現れた。詰襟の白い厨房服に身をまとい、オールバックに髪を撫で付け、眼光鋭く店内を見渡す。推定五十代。やはり見たことがある。
「おい、砂糖を寝かせるタイミングを間違えたろう。何やってんだ?」
 雪絵を見て、ぶっきらぼうな指示を出している。時夫をじろっと見ても無愛想なまま挨拶もしない。テレビでもちょっととっつきにくそうな顔の人物だったと思う。それがテレビ向けではなく、店主の本性なのだと今日分かった。そう、店主は、時夫という客がいる前で、「この、できそこないが!」と暴言を吐く暴君だったのである。いや、よくよく観察していると、店主は他の店員には優しいかった。だのに彼女にだけ、酷く当たっている。こいつは許せない。

深夜の貨物線

 夜、アパートに戻ってからも、和菓子娘の事が頭から離れなかった。不思議な「宝石チップス」を食べながら、似顔絵を描いて没頭する。確かに、風邪が治ってよかったのだが。しかしネットで調べてみると、あの漢方薬に風邪を治すような薬効があるとは思えなかった。どうなってるんだろう。「半町半街」の薬袋を眺めつつ、しかしありすらの事ではなく、白く美しい顔を思い浮かべた。雪絵の事だけでなく、もう一度店に行って他の菓子も食べてみたい。あの店長、態度は最悪だが菓子職人としての腕は確かだ。そうだ、旨そうな肉まんを食べるのを忘れた。毎日、あの店で白井さんはあの店主に、酷い目に合っているのだ。そう考えると眠れなかった。布団に入って二十分後、時夫はがばっと起き上がった。……コンビニで、おでんでも買って食べよう。確か、七十円セール中だったはずだ。
 サンダルを突っかけると、時夫はT字路を左に曲がり、小さな森の横を通り過ぎ、駅前のコンビニへと向かった。商店街は静かで、誰も歩いていないところで黒いフードをかぶった占い師が姿勢よく座っている。顔は見えないが若い女性らしい。途中、暗い道路をシュッと横切るものがあった。猫ではない。犬でもない。烏、いや違う。それは、確かに「雉」に見えた。一瞬、昼間見た「白彩」のショーウィンドウの菓子細工を思い出し、首を捻った。雉は車が通る隙間を猛スピードで走っていって、セントラルパークの方へと消えた。時夫は自転車を飛ばして追った。しかし、雉は予想以上に早い。まるでバイクくらいのスピードがあるのではないかという程で、もしガチョウが走ったらこのくらいは出るのかとか想像する。結局時夫は見失った。
 月に秋刀魚のような雲が三重に掛かっている。……ここはどこなんだ? 自転車で、わずか五分程度しか走っていない。いくら、恋文町を知らないからといって、近所で迷子とか。駅前からセントラルパーク横を通る大通りに戻らないと。おでんもまだ買っていない。
 自転車で近所を走っているのに、どこだか分からない。アパートから、自転車で五分しか離れていない。
「こんな事がありうるか?」
 月が無気味に時夫をあざ笑っていた。
 カンカンカンカンカン……。電車の踏み切りの音が聞こえてきた。遠くはない。それは、非常にゆっくりとした音だった。音の方向へ自転車を転がしていくと、時夫は驚いた。住宅街を横切る線路があった。ゴトゴト、ゴトゴトゴト……。明かりをつけない奇怪な貨物列車が実にゆっくりと走っている。こんなところに、線路なんてあっただろうか。こんなに近所に。駅とは確実に正反対の方向で、確かそんなに離れても居ないはずだった。幾らなんでも、町に越したとき地図くらい眼を通したはずだ。線路の存在にも気づかないなんて、そんな事あるのか。レールは、どこに続いているのか不明だ。いや、詮索は後にしよう。おでんを買いたかったが、今は帰る道を探さないと。
 闇の町に光り輝く見慣れないコンビニがあった。ちょうどいい、行ってみるか。店名は「コンビニ・ヘヴン」。店内に足を踏み入れると、目がつぶれそうになる。何もかも黄金一色に染まっていた。店は違うが、同じくおでん七十円セールをやっている。それもまた、どれも黄金に輝くおでんが売っていた。そして目深に帽子を被った店員の女の子も金髪だ。なんだったんだ今の店は。
 おでんが冷めてしまわないうちに、時夫はもと来た道をうろついて、何とか恋文ビルヂングへと帰宅した。部屋の中でふたを開けてみると、黄色や茶の具材が多かったが、特別に金色ではなかった。途方もないうまさ。雉といい、寝ぼけただけだったのかもしれない。

 翌日も時夫は「白彩」へ行ってみる事にした。真っ先に確認しなければならない事があった。それを確かめて時夫はぎょっとした。ショーウィンドウの雉は姿を消していた。脳裏に変な想像がよぎった。
(まさかな……)
 今日も、白井雪絵は店に立っていた。ほっとすると同時に、何か焦りに似た感情が沸いてきた。早く何とかしないと。何とかして、話しかけられないものだろうか。
 改めて気づいたが、壁に妙な張り紙がしてある。
 「私語禁止」・「香水禁止」
 客に対して、ずいぶんと厳しい店だ。
 雪絵はずっとカウンターに立っていた。奥の厨房の戸が開き、別の年配の女性従業員が和菓子を持ってきて陳列した。その瞬間、ガラッと開いた戸の向こうに垣間見た厨房の巨大さに、時夫は目を奪われた。まるで体育館ではないか。その広い空間は、蒸気で満たされている。とても和菓子の一店舗の厨房とは思えないほど巨大なパイプや機械が並んでいた。手前にある長くて大きいまな板に、卵のようなものが並んでいる。それぞれの大きさはがちょうの卵のように大きかった。和菓子の素材でそれを作っているらしいことは伺える。しかし問題は、複数並んだ卵の一つが、全くエイリアンの卵のように先端が割れ始め、そこから生物が、つまり蛇の頭がうねうねと飛び出していたことだった。ま、まさか……生きた蛇が? 時夫がこの店の菓子細工だと思っていたものは、実は本物の生き物だったというのか?!
「お決まりになりましたか?」
 バシンと戸が閉められた。ハッと目の前の雪絵を見るとにっこりとしている。
「えーと肉まんは、今日は品切れですか?」
 時夫が今日来たもう一つの理由は、肉まんを食べることだった。
「はい。今作っておりますので少しお時間をいただくと思います」
「そうですか。ではあの、お願いがあるんですけど……」
「はい?」
「デリバリーって出来ますか? ずうずうしいお願いなんですが、俺、セントラルパークの噴水で待ってますから、あのぅ届けてくれませんか。今日はそこで人を待っていないといけなくて。それで、どうしても食べたくて……」
 自分でも驚くほどの勇気が出た。無論、時夫は誰も待ってはいない。何故、そんな事を言ってしまったのか自分でも分からない。どうやらデリバリーはやっていないらしいが、白井雪絵は少し驚いた顔で沈黙した後、
「かしこまりました。店主に確認してみます」
 と静かに微笑んだ。許可が出たらしく、時夫はまさに天にも昇るような気持ちで店を出た。

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