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第31回「ルスブリッジ大聖堂」

 ルスブリッジに到着したのは、予想通り日が落ちた後のことだった。さすがに結構な規模の都市ということで、夜にもかかわらず多くの人間が出歩いている。遠目に見える大聖堂に近づくに連れて、その数は増えていった。

「明日にするか。今日のうちに終わらせるか」

 大聖堂の入り口が見えてきたところで、プラムがささやき加減に言った。
 ここは一つの決断が必要だった。昼に入るにしても夜に入るにしても、それぞれにメリットとデメリットがつきまとう。

「あるのは地下書庫だろう。決して人目につかないようにしているならば、とても観光客を装って入るのは無理だろうな。だとすれば、非常の時には非常の手段だ」

 こっそり入って、拝借していく。
 僕の決断はこれだった。夜ということで、一般観覧の客に混じって入るのは不可能だろう。代わりに、入った後は警備の目だけに集中していればいい。
 ただし、今夜の決行はもう一つのリスクを背負っていた。内部の様子がまるでわからないのだ。時代小説などで言うところの「本格の盗賊」は、何年にも渡って綿密な下調べをした上で、誰一人殺めることなく金品のみを盗み去るものだ。これに対比されるのが「急ぎ働き」の盗みであって、目撃者どころか寝ている人間まで皆殺しにした上で、あらゆるものを持ち去ることを指す。まさしく畜生である。
 僕は今回のミッションで「本格」を目指すことを、道々でプラムに宣言していた。余計な波風を立てなくないのが一つ。美学に沿っているという面が一つ。不測の事態に備えて申し開きできるようにしておきたかったのが一つ。他にもあるが、主要なのはこれくらいだろうか。

「わかった。では、行こう」
「目立たないようにね」

 そう、プラムには言わなかったが、僕には殺人に対する抵抗が残っている。なぜなら、僕は人間だからだ。モンスターを殺せても、人間は殺せない。心のどこかでブレーキが掛かってしまう。相手が実力者ならともかく、弱い存在を虐殺するなんて考えられない。それも戦略上で全く不必要な場面でだ。
 しかし、勇者を始めとする冒険者たちは、モンスターの巣に押し入り、あるいは魔王軍の手下と戦い、彼らが積み上げてきた財産を奪って功績にする。魔王のような種族平等の観点に立てば、これは恐るべき「急ぎ働き」である。僕はその点で、今も矛盾に悩み続けている。

「神、一つ思ったんだが」
「うん」
「破壊神の割に何も破壊していないな。姿を変えたり、盗みに入ったり……。いいのか、それで」

 これは一本取られた。プラムの言う通りである。
 だが、僕にだって言い分はある。

「僕が破壊するのはこの世界のありようさ。それに、アルビオンは魔族の王たる魔王だが、敵対する者をことごとく虐殺してきたか。していないだろう」
「そうだな」
「物事には適した手段がある。刀で背中を掻いたり、炎で顔を洗ったりすることはできない」
「刀の方は頑張ればできそうだが」

 比喩に失敗した。それを見逃すプラムではない。僕はそういう彼女の優秀なところを好ましく思っている。

「僕は肝が小さいんだ。そんな無駄なリスクは真っ平らごめんだね」
「だが、聖女の槍なる武器に関しては、こっそり手に入れられるなら、それが一番だな。私たちは大聖堂の解体工事にはるばるやってきたわけじゃない」
「言う通りだ。さっさと手に入れておいしいものでも食べて、堂々と凱旋しようじゃないか」

 ルスブリッジの名物は何かな、と思った。冒険の楽しみは旅の楽しみでもあった。今またそれを味わいたいという気持ちが再燃している。もっとも、すべては目前の課題を片付けてからだ。もちろん美食を味わってから目的の物を頂戴した方が、理に適っている面はあった。
 だが、僕らが複数の証言で存在を証明されてしまったら、あるいは転移魔法で逃亡するところを目撃されてしまったら、後々に渡っての禍根となりかねない。それならば、盗みを行った後で悠然とカフェで一杯を楽しむくらいの方がいいだろう。
 幸いというべきか、この世界は今もって正確な指紋鑑定やDNA鑑定の手立てを持っていないし、あったとしても情報を提供するつもりはなかった。ましてや、転移魔法を使うたびにお役所に書類を提出しなければいけないわけでもなく、無事に手に入れたら僕の魔法でコンパクトに持ち運びできるようにして、懐に隠してしまうつもりだった。

「表から行くか」
「裏に回ろう。この規模だ。人目につきやすい。もっとも、どこでも同じかもしれないけどね」

 僕らは大聖堂の正面から入るのを見合わせ、裏へと回り込んでいった。少しずつ人影が少なくなってくる。やがて大聖堂に小さな勝手口が付いているのを見かけて、近づいた。

「待て。気配がする」

 プラムのささやきで意識を集中すると、かすかに室内の気配を感じ取ることができた。

「確かに……。違うところを探そう」

 僕よりも早く気づくあたりは、エロイーズが漏らした「天眼」なるものが影響しているのかもしれない。
 ともかく、さらに別の入口を探して建物に沿って歩く。
 裏口だろうか。数段の下り階段があって、その先に金属製の扉を確認できた。

「ここだ」

 プラムが中に誰もいない確信を言葉に乗せた。辺りに人影もない。入るなら今だろう。
 だが、開かなかった。

「鍵か」

 なので、僕は手に炎の術法をまとわせ、さらに雷の属性を付与し、鍵の機構そのものを焼き切った。扉は不快な金属の軋む音とともに開いた。

「ようやく破壊神らしいところを見せたな」
「鍵の破壊神なんて自慢にならないね。ロジャーがいたら大笑いだ」
「義賊だったか、お前の仲間の」
「元仲間だ。ま、あいつはいいやつだったよ」

 シャノン。メル。ロジャー。三人の中ではロジャーが一番気の合う仲間だったことを、僕は忘れないだろう。
 ああ、そんな思い出の残り香は今夜の仕事には不要だ。僕はそいつを夜空に飛ばして、プラムと一緒に大聖堂の中へと入った。

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