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第21回「重ねて織り込む想定内」

 渾身の一撃を僕に見舞ったマルーは、非常に気持ち良さそうだった。
 僕の気分はどうだったか。最悪だ。すっかり成長したっていうのに、夢で見たとおりにお漏らししてしまったような心地だ。極力軽い言葉で語るのであれば、マジでありえねーというのが本音だった。

「私の体には魔法印が彫り込んであってね。自分に向けられた攻撃的な魔法の効果は中和しちまうのさ。さぞかし痛いだろう。だけど、痛みは喜びだ。私たちは痛みとともに生まれ、痛みとともに死んでいく。生きることは痛みを伴う。それを否定しちゃ、何のために生きているのかわからない」
「君は本当にマゾヒストだ。僕は殴るのも殴られるのも好きじゃないんだが、この一撃は本当に効いた。好きじゃない。嫌いだ。ああ、きつい。嫌だ嫌だ。まったく、なんだって分析を面倒がってしまったんだ。君に何らかの『工夫』があることは、当然考えるべきだった」

 その上でなお、僕は過信しすぎたのかもしれない。便利な魔法というものに、寄りかかりすぎたのかもしれない。ちゃんと彼女の自信の正体に気づいていれば、それを上回る威力で雷をまとわせることもできただろう。当然、僕は魔法も手加減していた。おかげで、このざまだ。メルがこの様子を見ていたら、飛び上がって喜んだだろう。シャノンはどうだろう。悲しそうな目をしてくれるだろうか。ロジャーは平然として、口笛の一つも吟じていたに違いない。
 プラムの顔は見たくなかった。勇者パーティーの記憶はすでに過去だが、彼女との関係性は現在だ。嘲笑にせよ失望にせよ、僕にとってはダメージになりそうだった。いいところをだけを見せて生きていたかった。まったく、僕はいつだってちんけなプライドに左右されている。

「まあ、私も驚いてるよ。結構本気で殴ったんだ。なのに、その程度しか痛がってくれないなんて、ちょいと自信をなくすね。仲間にゃドラゴンだって殴り殺せるって吹聴してるのにさ。これじゃ幻滅されちまうよ」

 マルーは本当にドラゴンと殴り合えるだろう。僕を貫く痛みは、それを訴えていた。もちろん僕の体はこの一発で壊れたりはしていない。ダメージは程よい部分で止まっている。
 でも、だからって、不要な痛みを覚えさせられたという屈辱は消えるわけじゃない。
 この痛みは僕にとって必要な痛みだった。奇しくもマルーが言った通り、痛みとは生きることだった。僕に大切なことを教えていってくれた、そんな思いだ。

「マルー、マルー・スパイサー。さっきは僕が君を完全に侮っていた。ラルダーラの団長として、君には敬意を払うべきだった。そうだ。僕にはリスペクトが足りなかったんだ。もう一度だけ機会をもらおう。今度こそ、君を一撃で沈黙させてみせる」
「いいとも。私は寛大だ。海の神、デアムンドだって認めるくらいにはね。やってみな、破壊神。その大仰な名前が飾りじゃないなら、思うように未来を選べるはずだ」

 マルーが両手を広げた。僕を受け入れる気持ちがあることは明白だった。
 本当に申し訳ないと思っている。
 僕は、今度こそ一撃の信念を込めた。
 腹部をえぐるように、殴る。常人なら間違いなく死ぬ威力で。鍛えた人間でもまず助からない覚悟で。それがマルー・スパイサーへのリスペクトの証だった。
 その一撃がどれだけ人間にとって致命的か、ここにいる誰もが理解したはずだった。マルーの体は遥か上空にぶっ飛び、天井に激突し、勢いもそのままに床に叩きつけられ、そうして彼女は動かなくなった。
 沈黙が、僕に勝利を告げていた。

「悪いね、マルー。僕は倍返し派なんだ。君はいい感じに頑丈そうだから、気持ちよくやらせてもらったよ。でも、やっぱり殴るのは後味が悪いな」

 僕は速やかに回復魔法を発動した。長年の病で寝込んでいる重病人だって、毎日ジョギングをしている健康な人間にもなれるくらいに、力をこめた治癒の波を浴びせた。それが僕にとって必要なことだったし、マルーに対しての敬意でもあった。
 彼女は不思議そうに自分の体を見て、ゆっくりと立ち上がった。それから、大きく息をついた。

「マジでやばい……。あんた、本当に神だね。死の神、レナンの姿がちらついた。最高に気持ちいいくらいに、バッキバキにやられた。すごいわ。すごい」

 ご満足いただけたようで何よりです、お嬢さん。
 僕はそうキザったらしく言ってやりたくなった。バッキバキにやられたのは僕だって同じだった。彼女は大切なことを教えてくれたし、この経験はしっかり生かしていくつもりだった。
 とはいえ、事態は常に動いている。時間は悠揚に拍手をしてくれるわけではないし、地上では今なお戦闘が続行しているのに変わりはない。

「では、治癒してすぐで悪いが、次の仕事に向かってもらいたい。念のために聞くが、僕に従う意志はあるね」
「あるとも、あるとも。あんたの言葉にうなずいてりゃ、これは退屈することがなさそうだ。あんたらだって、そう思うだろう」

 マルーが階上の団員たちに向かって呼びかけた。

「団長の言う通りだ」
「強すぎるやつはいつだって厄介に巻き込まれるからな」
「地獄の淵で踊り狂ってやろうじゃないのさ」

 たちまち沈黙と緊張の膜が破けて、威勢のいい言葉が返ってきた。
 愛されているんだな、と思った。うらやましいわけではないが、まぶしさを感じるものはあった。こういう信頼の集め方は、僕にはできないことだったからだ。

「ということだよ。私たちはあんたの指示に従う。市長も嫌とは言わないはずだ」
「君ほどの勇士を蹴散らす者に歯向かうほど、私は自分を過信していないのでね。ロンドロッグとラルダーラの未来、託させてもらおうじゃないか」

 メドラーノの声は騒がしい中でもよくよく響いた。政治家の指揮官はよく通る声が生命線だ。それを証明する良い声だった。

「いいとも。僕の提案に乗ったことを、一生の誇りにできるようにしよう」

 僕は僕に味方するものについて、最大限に幸せにしてやるつもりだった。身内びいきかもしれないが、そうすることが生きとし生けるものとして、理想的な姿のように思えたのだった。

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