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第8話

 入院してから一週間。はるが側にいたことで、澄人の精神状態は安定を保ち、治療は順調に進んだ。おかげで無事退院の日を迎え、澄人ははると共に家へ戻ることになった。

「おかえりなさい、澄人さん」

 タクシーから着替え等が入っているカバンを持って降りたはるは、玄関前まで行くと、笑顔で澄人に言った。

「あ、えっと……た、ただいま」

 肌の色が良くなり、どもり症も軽くなった澄人。体重も少しだけだが増えたこともあって、一週間前とは別人のようである。

 とはいえ、処方された薬をしばらく飲み続けなければならない上、対人恐怖症等については薬では治すことが難しいため、克服するにはまだまだ時間がかかるだろう。

「玄関の周り……掃除したの?」
「玄関周りだけじゃありませんよ。家の中と、あと庭もきれいにしました」
「庭も?」

 気になったのか、澄人は玄関から庭の方へと行った。

 散乱していた――風で飛んできた落ち葉や小枝はなくなり、伸び切っていた雑草もすべて取り除かれ、黒く汚れていた物干し台もピカピカになっていた。そして、庭の済の方には新たに花壇が設けられており、澄人はそこに植えられている黄色い花に近づいていった。

「この花って……」
「タンポポです」

 家の中にカバンを置いてきたはるは、澄人の側まで行くと、花壇の間でしゃがんだ。

「どうしてタンポポを?」
「わたしにとってタンポポは特別なお花ですから、庭に植えておきたいと思ったんです」
「特別って……あ、そうか。はるの名前をつけた時、僕……タンポポは、はるのお花だからって……」
「はい。だからタンポポは、わたしにとって特別なお花なんです。そして澄人さんがくれた“はる”という名前も」
「僕はただ……黄色は春の色だから、それでつけただけで……」
「それでも、澄人さんがつけてくださった名前ですから。わたしにとっては特別です」
「な……なんか、照れちゃうな。そんなふうに思われると……」
「ふふ。さて、家の中に入りましょうか。そろそろお昼の時間ですし」
「う、うん」

 はるに言われ、家の中へと入った澄人。彼はリビングのドアを開けると、「おぉ……」と声を漏らした。

 汚れが染み付いていたカーテンやカーペットは新品になり、テーブルやイス、ソファーといった家具類も配置が変えられている。

「えっと……入っていいのかな」
「もちろんですよ。ここは澄人さんの家なんですから」
「じゃ、じゃあ……」

 澄人はリビングに入ってソファーに座ると、キョロキョロと目を動かした。

「澄人さんが落ち着けるように、壁紙は白。カーテンの色は緑にして、家具の配置も導線の確保を念頭に入れて配置してみました。もし、気に入らないところがあったら遠慮なく言ってください」
「な、ないよ! こんなに、きれいになっているのに……気に入らないところなんて、あるわけない……」

 澄人は思いっきり首を振って否定した。

「良かったです。でも、後から気になってくるところがあるかもしれませんから、その時は言ってくださいね」

 エプロンをつけ、昼食の用意を始めるはる。

「……はる、ごめんね」

 澄人はソファーに座ったまま、申し訳なさそうに彼女に言った。

「急に謝って、どうしたんですか?」
「その……掃除をさせちゃって……はるが汚したわけじゃないのに……」
「気にしないでください。わたしがやりたいと思ってやったことですから」
「あ……ありがとう」
「いいえ。あ、でも澄人さんの部屋は、まだ十分には掃除できていないので、後日に――」
「だ、大丈夫。自分でやるから……」
「でも、せめてお手伝いはさせてください」
「手伝い……?」
「はい。ゴミ運びとか家具の移動は、澄人さん一人では大変ですから」
「あ……そうだね」
「ただ、部屋の掃除は明後日にしましょう。入院生活で精神的な披露があると思いますから、今日と明日は休んでください」
「う、うん……そうする」

 そうして会話をしてから少しして、はるは昼食をテーブルに並べ、澄人の隣に座った。

 鳥のもも肉が入った炊き込みご飯に豆腐のスープ、ほうれん草のおひたし等、胃に優しい献立だ。

「お医者様から、しばらく胃に負担をかけない食事にするように言われたので、ちょっと物足りないかもしれませんけど」
「そ、そんなことない。こんなに作ってくれたなんて……嬉しいよ。いただきます」

 澄人はまず、豆腐のスープを一口食べた。

「おいしい……!」
「そう言っていただけて、幸いです」
「はむっ! モグモグ……この炊き込みご飯もすごくおいしいし……ほうれん草って、こんなに甘い野菜だったんだ……モグモグ……こんなにおいしい料理を作れるなんてすごいよ、はる」

 何度も『おいしい』と言いながら、昼食をどんどん食べて行く澄人。しかし突然、箸の動きを止め、

「あ……」

 隣に座っている、はるの方を向いた

「どうかしましたか?」
「……ごめん。僕だけ食べちゃって……」
「わたしは食事を取らなくても大丈夫です。エネルギーは充電で補えますから」
「あ、そうか……そうだったね」
「はい。だから、遠慮せずに食べてください」

 はるはそう言ったが、澄人はすぐに箸を動かそうとはせず、茶碗とはるを交互に見た。

「……ねえ、はる」
「あ、もしかしてわたしが気になって食べ難いですか?」
「そ……そうじゃなくて。その……やっぱりはるって、ご飯は食べられないの?」
「え……?」
「やっぱり……食べられない、よね。い、いや……食べられたら……一緒に食べてくれないかなって思ったから……」

 するとはるは、少し間を置いてから返事をする。

「……食べられます」
「ほ、本当に? ご飯、食べられるの……?」
「はい。実はわたしの体は、食べ物からエネルギーを得ることも可能なように、作られているんです。けど……」
「けど?」
「気持ち悪くないですか……?」
「え、どうして?」
「いくら外見が人間に近いと言っても、わたしはヒューマノイド――機械です。機械が人間のご飯を食べるなんて……それにわたしが食べたら、その分澄人さんの食事が減ってしまいます」
「そ、そんなの僕は気にしないよ。それにその……やっぱり一人で食べると、寂しい気がするし……」
「澄人さん……」

 俯き言う澄人を見たはるは、曇らせていた表情を止め、

「じゃあ……一緒に食べても良いですか?」

 と言った。

「ほ、本当?」
「はい。正直に言うと、わたしもずっと食べたかったんです。その方が充電よりも、エネルギーが長時間維持できるので」
「そ、それなら今日だけじゃなくて、これからはずっと一緒に食べようよ」
「でも、それだと食費が……」
「しょ、食費は抑えてくれてもいいから。それではると一緒に食べられるのなら……僕はその方がいい」
「澄人さん……ありがとうございます。じゃあ、これからは毎日一緒にご飯を食べましょう」
「う、うん!」

 はるは食器棚から茶碗と皿を取り出すと、そこへ自分の分の食事をよそい、それから箸を持って再び澄人の隣に座った。

「それでは、いだだきます」
「い、いだだきます」

 改めて澄人もそう言い、食事を再開した。

「モグモグ……作ったわたしが言うのもなんですが、やっぱりご飯っておいしいですね」
「そ、そうだね。モグモグ……」

 茶碗を持ち、炊き込みご飯を食べる澄人。するとはるは、彼の頬に何かが着いていることに気がつく。

「あ、澄人さん。ちょっと動かないでください」
「え? あ、うん……」

 はるは指を伸ばし、澄人の頬に触れた。

「ほっぺに、ご飯粒が着いていましたよ」
「あ……気づかなかった」
「ふふ。慌てなくても、ご飯は逃げませんから。落ち着いて食べてください」

 はるはそう言うと、取ったご飯粒を自分の口に入れた。

「あ……」

 それを見た途端、澄人の顔がどんどん赤くなっていった。

「どうかしましたか?」
「あ、い、いや……なんでもないよ」
「でも顔が……」
「ほ、本当に大丈夫! 大丈夫だから……!」

 澄人は顔を隠すように茶碗を持つと、炊き込みご飯をかきこみ始めた。その瞬間、

「ゴフッ!?」

 澄人は茶碗を置き、喉を抑えた。

「大変!」

 はるは急いでコップに水を入れ、澄人の背中を摩りながらそれを飲ませた。

「げほっ……げほっ……」
「大丈夫ですか?」
「う、うん……なんとか……」
「落ち着いて食べてくださいと、言ったじゃないですか」
「ご、ごめん……」
「けど、大事にならなくて良かったです。次からは注意してくださいね」
「うん……」

 頷き、今度はゆっくりと箸を動かして食べ始める澄人、それを見て安心したはるも、彼のペースに合わせるように箸を動かした。

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